クリスチャン・ディオール

クリスチャン・ディオールの香水の全て〔2019年10月更新〕(5ページ)

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本気でフレグランスを愛した男=クリスチャン・ディオール



日本のコスメカウンターにおける「ビッグ2」の名をあげよと問われたならば、誰もが、シャネルディオールの名を上げることでしょう。そして、その人気のバロメーターは、良いコスメであるよりも、どのコスメブランドのショッパーを持ちたいか?という質問の答えによってはっきりすることでしょう。

この二つのラグジュアリー・ブランドには、パリ発祥のファッション・メゾンであるという華麗なるバックグランドが存在します。そして、素晴らしい香水の遺産と、マーケティング・モンスターによって生み出された、ミーハー層も見事に取り込んでいく、数々のマス・フレグランスを持つという二極性を、持ち合わせています。

何事に関してもそうですが、本物の証明とは、本物が分かる層だけでなく、本物を理解することが出来ない層のハートもしっかりと掴まえてこそなのです。

それでは、ここで、「ビッグ2」のひとつであるディオールのブランド創業者であるクリスチャン・ディオール(1905-1957)と、フレグランスの関わりを少し説明していきましょう。それは、孤独を愛し、「田舎と家族と美食と花」を愛するこの男の社交性を排除した人物像を知ることによりうかがい知れます。

ムッシュ・ディオールは、出来うる限り、毎週末フォンテーヌブローに近いミリー ラ フォレの邸宅を訪問し、そこにある庭園を自分自身で耕し、土仕事に励むことを至上の喜びとしていました。そして、コレクションが終わると、社交界には一切現れずに、そそくさと グラース近郊にある別荘ラ コル ノワール城でバカンスを過ごすのでした。彼にとっての至福の瞬間は、ジャスミン、ローズを育てることでした。そして、フローラルが彼のクリエイションに大いなる影響を与えていったのでした(ニュールックは、元々コロール(花冠)ラインと呼ばれていた)。

1947年にメゾンを創業した時に、同時に、ファースト・フレグランスを発表したのも、「ファッションとは、服だけでは完結しない」という彼自身の哲学ゆえでした。ムッシュ・ディオールは、コレクションにおいて、髪型、メイクアップ、バッグ、シューズ、所作、そして、香りといった全てに拘りを見せた史上初めてのファッション・デザイナーだったのです。

だからこそ、彼にとって、最初のオートクチュール・コレクションをデザインするのと同じくらい、最初のフレグランスは重要なのでした。そして、「ミス・ディオール」は誕生したのでした。

私のデザインしたドレスが、ひとつひとつのボトルから抜け出てきたように、全ての女性を完璧な女性らしさで包み込むために、この香水を私は創りました。

クリスチャン・ディオール

ディオールの香水一本は、ドレス一枚に匹敵するのだ!



1947年2月12日の伝説のニュールック・ショー(発売前の「ミス・ディオール」をサロン中に大量に吹きかけた)でセンセーションを巻き起こしたムッシュ・ディオールは、1947年10月に発売した「ミス・ディオール」との相乗効果により、(シャネル不在のモード界において)フレンチモードを体現する存在に、一瞬にして駆け上ることになりました。

ディオールの革命。それはニュールックとミス・ディオールによって生み出されたのでした。それは、オシャレは、ミセスのためだけのものではなく、ミス(=マドモアゼル)のためにも存在するということ。そして、マドモアゼルではなく、ミスという名をつけることにより、モードの中心はもはやパリではなく、アメリカであるというディオールの予言でもありました。

まさにその予言通りに、創立から5年間におけるディオール社の総売上高の50~60%はアメリカ市場の収益によって占められたのでした。

「ミス・ディオール」発売後の1948年に、ムッシュ・ディオールは、ニューヨークにパルファン・クリスチャン・ディオール社を設立しました。それは衣服と香水の販売の相乗効果により、あらゆる階層に対してブランディングを高める戦略でした。女性の頭の天辺から足の爪先までディオール・ファッションで飾って頂き、その締めくくりとして香水を振りかけることによって完成するという、ディオールを愛する女性のための香りとしての位置づけでした。

このディオールの香水のブランディングは、結果的には、最後の一本から、最初の一本(ディオール・ブランドに憧れる人々が所有するはじめの一歩)へと変わっていくようになります。そして、最終的には、唯一の一本(ディオールに対する憧れをこの一本の所有で完結させる)としてのラグジュアリー・ブランドにおけるフレグランスの役割が定着し、今に至ります。

ディオールによるフレグランス五大革命。


そして、ディオールは、香りの世界において、5つの革命を成し遂げることになります。

  1. 1947年、ミス・ディオール」によるシプレ革命1940年代に人気のあった化粧品のような香りとは、対照的なアルデハイドを軸にしたグリーン・アニマリックなシプレノート。
  2. 1956年、ディオリシモ」によるスズラン革命。世界ではじめてのスズランの香り。
  3. 1966年、オー ソバージュ」によるヘディオン革命。史上初めて合成香料ヘディオンを使用した香りであり、そのボトルの中にも輝きを与えた。
  4. 1985年、プワゾン」による毒リンゴ革命。毒をもって世界を制した香り。
  5. 1999年、ジャドール」による黄金調教革命。史上初めて、黄金を香りにしたフレグランス。

現在、メゾン・クリスチャン・ディオール・コレクションを販売する店舗も、2019年9月20日に大阪・心斎橋大丸に誕生し、ラグジュアリー・フレグランスの充実も図っています。そして、もちろん、「ミス・ディオール」と「ジャドール」、さらには当初不評だった「JOY BY DIOR ジョイ」の好調により、この三本の矢を武器に、ディオールはフレグランス部門においても、ディオール帝国を拡大しています。

しかし、ここで、ひとつ質問させてください。ディオールのコスメカウンターに置いてあるフレグランスは、ころころ名前が変わったり、マイナーチェンジを重ねていて、分かりにくくないですか?そして、満足のいくフレグランス・トレーニングがなされていないBA達のフレグランスIQの低さにうんざりしませんか?

ディオールのフレグランスは、トータル・ビューティーのはじまりと終わりを担うものなのです。だからこそ、実は、ここのフレグランスは、ファッションが分かる販売員が、お客様のスタイリングをしながら販売すべきものなのかもしれません(ディオールのブティックでも積極的にフレグランスを販売するべき)。

ここで、最後に、29年間シャネルでジャック・ポルジュの補佐をつとめていた現ディオールの専属調香師フランソワ・ドゥマシーによるディオールとシャネルの香りの違いを教えてくれる言葉を引用しましょう。

シャネルは花が好きではなかった。そのためシャネルの香水は、フローラルよりも抽象的なのです。そして、ディオールは、ムッシュ・ディオールが花を愛していたので、すべてフローラルなのです。

そうなのです。私たちは、フレグランスについて、各ブランドの特徴(世界観)に対して、もっと向き合うべきなのです。そうすれば、もっともっとフレグランスに対する視野は広がっていくことでしょう。

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