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ミス・ディオール (ジャン・カール/ポール・ヴァシェ)

香水名:ミス・ディオール Miss Dior オード・トワレ
ブランド:クリスチャン・ディオール
調香師:ジャン・カール、ポール・ヴァシェ
発表年:1947年
対象性別:女性
価格:不明

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価格:6,000円
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ルネ・グリュオー、1949年。


ルネ・グリュオー、1985年。

ルネ・グリュオー、1985年。

ルネ・グリュオー、1970年。

1992年~1993年。

1949年。バカラ・ボトル。


トップノート:アルデヒド、ガーデニア、ガルバニウム(楓子香)、クラリセージ、ベルガモット
ミドルノート:カーネーション、アイリス(アヤメ)、ニオイイリス、ジャスミン、ネロリ、スズラン、ローズ、スイセン
ラストノート:ラブダナム、レザー、サンダルウッド、アンバー、パチョリ、オークモス、ベチバー

ディオールのはじめての香り。

シャネルやディオールといったビッグ・メゾンにおいて、それぞれを代表するフレグランスの名を挙げるならば、それはシャネルNo.5とミス・ディオールでしょう。

クリスチャン・ディオール(1905-1957)が存命中の1947年に生まれたこのフレグランスは、ディオール自身がこだわりを持って調香させた香りです。

私のデザインしたドレスが、ひとつひとつのボトルから抜け出てきたように、全ての女性を完璧な女性らしさで包み込むために、この香水を私は創りました。

クリスチャン・ディオール

1947年という年は、クリスチャン・ディオールが初めてコレクションを発表し、その「コロール(花冠)」ラインと「En 8(アン ユイット)」ラインのドレスが「ニュールック」としてセンセーションを巻き起こした年でした。そして、すぐにディオールは、第二次世界大戦後のフレンチ・モードの代名詞と呼ばれるようになりました。創立から5年間のディオール社の総売上高の50~60%はアメリカ市場の収益が占めました。つまり1947年10月に発売されたこの香水も、その名により明らかなようにアメリカ市場を意識して創られたものだったのです。

「ミス・ディオール」発売後の1948年に、ディオールは、ニューヨークにパルファン・クリスチャン・ディオール社を設立しました。それは衣服と香水の販売の相乗効果により、あらゆる階層に対してブランディングを高める戦略でした。女性の頭の先から足の先までディオール・ファッションで飾って頂き、その締めくくりとして香水を振りかけることによって完成するという、ディオールを愛する女性のための香りとしての位置づけでした。

このディオールの香水ブランディングの戦略は、結果的には、最後の一本から、最初の一本(ディオール・ブランドに憧れる人々が所有するはじめの一歩)へと変わっていくようになります。そして、最終的には、唯一の一本(ディオールに対する憧れをこの一本の所有で完結させる)としてのラグジュアリー・ブランドのフレグランスという役割が定着し、今に至るわけなのです。

カトリーヌ・ディオール

カトリーヌ・ディオール (1917—2008年)

クリスチャン・ディオールのはじめての香水のネーミングが「ミス・ディオール」になったのには、ひとつの逸話があります。1947年2月のはじめに、クリスチャンが、アトリエのスタッフとブランドのミューズ・ミッツァ・ブリカールと共に、香水の名を考えていた時に、クリスチャンの末の妹のカトリーヌが、そのオフィスに駆け足で飛び込んできたのでした。

そんな彼女に驚いたプリカールが「まぁ、ミス・ディオール!」と言ったのがきっかけとなったのです。

カトリーヌは、第二次世界大戦中にナチス・ドイツに対してレジスタンス活動をし、逮捕され、ゲシュタポに拷問され、女囚専用のラーフェンスブリュック強制収容所へ送られ、劣悪な環境の中で死地を彷徨いました。そして、1945年5月に奇跡的に生還して、南フランスの自然の中で療養生活を送っていたのでした。

本来の活発な性格も取り戻し、パリを訪れた矢先の出来事でした。クリスチャンは、元気を取り戻した妹の顔を見て心底嬉しくなり、この香水を女性にとっての元気の源になるような香りにしてもらいたいという意味も込めて「爽やかで魅惑的な、永遠の若き女性の香り=ミス・ディオール」と名付けたのでした。

そして、1947年2月12日の伝説のニュールック・ショーにおいて、発売前の「ミス・ディオール」をサロン中に大量に吹きかけたのでした。

ちなみにカトリーヌ自身は、ファッション業界に関わるわけではなく、レジスタンス時代からの恋人と結婚し、カリアンでフレグランス用のローズ・ドゥ・メの栽培と卸売を営みながら、2008年、91歳でプロヴァンスの自宅で亡くなりました。

革命的なまでに動物的な香りのフレグランスの誕生。

ミス・ディオールの調香は、ダナの名香「タブー」を調香したジャン・カールと、ランバンの名香「アルページュ」を調香したポール・ヴァシェによって行われました。

クリスチャンは、当時流行していた重苦しい香りではなく、愛を感じる軽やかな香りを求めていました。だからこそ、彼が愛用していたコティの「シプレ」のようなシプレノート=グリーンフローラルシプレになりました。

アルデヒドノートを軸にしたグリーンアニマリックノートは、その当時まで女性の間で人気のあったアイシャドーや白粉を施したような香水とは対照的なものでした。

1947年12月1日に発売された最初のボトルデザイン。

1947年製の初版のボトルデザインは、ニュールックのスタイルをそのまま表現した、均整のとれた左右対称のバカラ製の古代ギリシアのアンフォラ風ボトルであり、そのボトルの上部には白いサテンのリボンが飾られていました。

やがて量産型のボトルデザインは、クリスチャン・ディオールが好きだった千鳥格子柄をモチーフにし、Guerry Colas(ゲリー・コラス)によって設計され、素材もクリスタルからガラスへと変化を遂げました。クリスタルガラスは二重で、透明なクリスタルを現せるために外側の層は部分的にくり抜かれている新しいボトルを使用した。

宣伝用のポスターは、ルネ・グリュオーが受け持ち、オレンジの背景に、パールのついた黒いリボンを首に巻いた白鳥が、水面にゆったりと浮かぶこのポスターは、ディオールが望んだとおりのものだった。

1982年にミス・ディオールは初めて、調香がリニューアルされ、1992年に再度、調香がリニューアルされました。

ファッションアイコン(女優編)

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