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クリスチャン・ディオール

【ディオール】ミス ディオール(ジャン・カール/ポール・ヴァシェ)

クリスチャン・ディオール
©DIORBEAUTY
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ミス ディオール

原名:Miss Dior
種類:オード・トワレ
ブランド:クリスチャン・ディオール
調香師:ジャン・カール、ポール・ヴァシェ
発表年:1947年
対象性別:女性
価格:不明

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クリスチャン・ディオールのはじめての香り。

©DIORBEAUTY

©Christian Dior

「ミス ディオール」は香水界の記念碑的な作品です。なぜなら、はじめて、シプレーにグリーンノートを見事な方法で取り入れることに成功したからです。かくして、この香りは、シプレーの効果を若返らせ、特にその時代の若い女性にとって、はるかにつけやすい香水になりました。技術的には、それは偉業でした。

フランソワ・ドゥマシー

フレグランスにおいても長い歴史を持つシャネルディオールといったビッグ・メゾンにおいて、シャネルNo.5ミス ディオールは、それぞれのメゾンを代表する歴史的遺産そのものです。

クリスチャン・ディオール(1905-1957)が存命中の1947年に生まれた「ミス ディオール」は、ディオール自身がこだわりを持って調香してもらった香りです。

この香水は、申し分ないほどの女性らしさを包み込んだような香りです。

クリスチャン・ディオール

「ミス ディオール」は世界ではじめて香水が生み出したオートクチュールドレスだ。

モーリス・ロジェ(80年代のパルファン・ディオールの社長)

1947年という年は、クリスチャン・ディオールが初めてコレクションを発表し、「コロール(花冠)」ラインと「En 8(アン ユイット)」ラインのドレスが「ニュールック」としてセンセーションを巻き起こした一年でした。

そして、ディオールは、すぐに第二次世界大戦後のファッション・シーンにおいてフレンチ・モードの代名詞になりました。それは軍服と戦時中の地味な服装を忘れさせるようなロマンティックな〝花のようなドレス〟が、新時代の女性の心をがっちりと捉えたのでした。

1947年に「ミス ディオール」は僅か283本しか生産されませんでした。それだけ会社が小さかったのです。そのため最初は、ディオールでドレスを購入しないと手に入れることが出来ませんでした。

創立から5年間のディオール社の総売上高の50~60%はアメリカ市場の収益が占めました。つまり1947年10月に発売されたこの香水も、その名前から明らかなようにアメリカ市場を意識して創られたものでした。

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1948年、パルファン・クリスチャン・ディオール社を設立

クリスチャン・ディオール(左)とセルジュ・エフトレー=ルイシュ。

「ミス ディオール」発売後の1948年に、ディオールは、ニューヨークにパルファン・クリスチャン・ディオール社を設立しました。フレデリック・マルの祖父にあたるセルジュ・エフトレー=ルイシュ(1905-1959、クリスチャンの幼馴染)がCEOに就任しました(エドモン・ルドニツカはセルジュのことを「背が高くて、誰もが惹きつけられる存在感があった。そして、香水についての嗅覚も抜群に鋭かった」と評価していました)。

それは衣服と香水の販売の相乗効果により、あらゆる階層に対してブランディングしていく戦略でした。女性の頭から足の先までディオール・ファッションで着飾ってもらい、その締めくくりとして香水を振りかけることによって全てが完成するという、ディオールを愛する女性のための香りの位置づけでした。

このディオールの香水戦略が、結果的に、最後の一本から最初の一本(ディオール・ブランドに憧れる人々が所有するはじめの一歩)へと変わっていくようになります。

そして、最終的には、唯一の一本(ディオールに対する憧れをこの一本の所有で完結させる)としてのラグジュアリー・ブランドのフレグランスの役割が定着し、今に至るわけです。

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カトリーヌ・ディオール

カトリーヌ・ディオール (1917—2008年)

クリスチャン・ディオールのはじめての香水のネーミングが「ミス ディオール」になった事には、ひとつの逸話があります。1947年2月のはじめに、クリスチャンが、アトリエのスタッフとブランドのミューズ・ミッツァ・ブリカールと共に、香水名を考えていた時に、クリスチャンの末の妹のカトリーヌが、オフィスに駆け足で飛び込んできました。

そんな彼女に驚いたプリカールが「まぁ、ミス・ディオールがやって来た!」と言い放った一言がきっかけでした。

カトリーヌは、第二次世界大戦中にナチス・ドイツに対してレジスタンス活動をし、逮捕され、ゲシュタポに拷問され、女囚専用のラーフェンスブリュック強制収容所へ送られ、劣悪な環境の中で死地を彷徨いました。そして、1945年5月に奇跡的に生還して、南フランスの自然の中で療養生活を送っていたのでした。

本来の活発な性格も取り戻し、パリを訪れた矢先の出来事でした。クリスチャンは、元気を取り戻した妹の顔を見て心底嬉しくなり、この香水を女性にとっての元気の源になるような香りにしてもらいたいという意味も込めて「爽やかで魅惑的な、永遠の若き女性の香り=ミス・ディオール」と名付けたのでした。

そして、-13℃という厳寒の中行われた、1947年2月12日の伝説のニュールック・ショーにおいて、発売前の「ミス ディオール」をクリスチャンは、サロン中に大量に振りまいたのでした(それは戦後、石炭不足の中、寒さを忘れさせるという願いも込めたものでした)。

ちなみにカトリーヌ自身は、ファッション業界に関わることなく、レジスタンス時代からの恋人と結婚し、カリアンでフレグランス用のローズ・ドゥ・メの栽培と卸売を営みながら、2008年、91歳でプロヴァンスの自宅で亡くなりました。

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革命的なまでに動物的な香りの誕生

©DIORBEAUTY

1949年。バカラ・ボトル。©DIORBEAUTY

私の子供時代のエレガントな女性の思い出は、ドレス以上に香水と結びついていました。今の香水よりもまとわりつくように残り、彼女たちがいなくなった後もエレベーターの中は香りで満たされていました。

クリスチャン・ディオール

ミス・ディオールの調香は、ランバンの名香「アルページュ」を調香したポール・ヴァシェとダナの名香「タブー」を調香したジャン・カールによって行われました。ポールはセルジュ・エフトレー=ルイシュのゴルフ友達であり、1946年にすでに依頼を受けていました。

ポール・ヴァシェは、ル・ガリオンのオーナーでもあり、彼自身も香水メゾンの経営者でした(1935年より)。

クリスチャンは、当時流行していた重苦しい香りではなく、愛を感じる軽やかな香りを求めていました。それは「ニュールック」と同じように、新鮮さと温かさのコントラスト、または女性らしさと洗練のコントラストを捉えようとしたものでした。

だからこそ、彼が愛用していたコティの「シプレー」のようなシプレノート=グリーンフローラルシプレになりました。ただし、「シプレー」のセンターにはジャスミンが存在することに対して、「ミス ディオール」のセンターにはローズが存在します。スズランは、天然香料が抽出できないため合成香料が使用されています。

アルデハイドを軸にしたグリーンアニマリックな香りは、その当時、女性の間で人気のあったアイシャドーや白粉を施したような香水とは対照的なものでした。そのため「ミスディオール」は、今でこそモダンな香水ですが、当時は、アバンギャルドな香水として受け止められました。

作曲家は、楽譜を消せます。作家は、文章に横棒を入れることができます。画家は、失敗した部分に白い絵の具を重ねあわすことができます。しかし、私たちが、香りをブレンドした後、気に入らないと考えたら、一からやり直すしかないのです。

わずか1mgの違いで大失敗してしまうのです。

ポール・ヴァシェ

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バカラボトルとルネ・グリュオー

©DIORBEAUTY

1947年12月1日に発売された最初のボトルデザイン。©DIORBEAUTY

1947年製の初版のボトルデザインは、ニュールックのスタイルをそのまま表現した、均整のとれた左右対称のバカラ製の古代ギリシアのアンフォラ風ボトルであり、そのボトルの上部には白いサテンのリボンが飾られていました。

1992年~1993年。©DIORBEAUTY

ボトルデザイン画 ©DIORBEAUTY

現在の「ミス ディオール」のイメージとなるボトル・デザインは、Guerry Colas(ゲリー・コラス)によって設計されました。それは1950年のヴァティカル・コレクションのイメージで生み出された量産型のものであり、クリスチャン・ディオールが好きだった千鳥格子柄をモチーフにし、ネックには黒いサテンのダガーボウを飾ったものでした。

その素材もクリスタルからガラスへと変化を遂げてゆきます。クリスタルガラスは二重で、透明なクリスタルを現すために外側の層は部分的にくり抜かれているという斬新なデザインでした。

ルネ・グリュオー、1949年。@DIORBEAUTY

宣伝用のポスターは、ルネ・グリュオーが受け持ち、オレンジの背景に、パールのついた黒いリボンを首に巻いた白鳥が、水面にゆったりと浮かぶこのポスターは、クリスチャンが望んだとおりのものでした。

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オリジナルの「ミス ディオール」はどんな香りか?

ルネ・グリュオー、1970年。©DIORBEAUTY

ルネ・グリュオー、1985年。©DIORBEAUTY

ミス・ディオールは、一週間風呂に入っていない女性の脇の下の匂いがする。だから、フランス人女性にしか付けこなすことが出来ない。

チャンドラー・バール(香水評論家)

それは一言で説明すると、世界初のグリーン・シプレであり、緑のシャープさと花の甘さが織り成す「愛を呼ぶ、花の精の香り」です。

コティの「シプレー」(1917)とカルヴァンの「マ グリフ」(1946)、バルマンの「ヴァンヴェール」(1947、グリーン・フレグランスの先駆的な香り)の影響を受けて作られた香りです。

ガルバナ​​ムとクラリセージが爆発するグリーンの衝撃からミス ディオールははじまります。このはじまりは、現在の基準から言うと、ほとんどの人々にとって、拒絶反応を感じさせるものでしょう。

すぐにガーデニア(酢酸スチラリル)が最初のフローラルとして登場します。しかし、その香りは通常ガーデニアでイメージするトロピカルな甘い香りではなく、グリーンな葉っぱのような香りです。そこに、「マ グリフ」のスターとも言えるスティラックスが登場します。

そして、ここからがミス ディオールの魅力が開花していく瞬間です。アルデハイドが、オークモスという従者を従え、ペッパーとコリアンダーの指揮棒の下で、ガーデニアと共に、ジャスミン、ローズ、ラベンダー、ネロリ、水仙といった花の精を目覚めさせてゆくのです。さらにそこに振りかけられる魔法の粉=パウダリーなアイリスにより、花の精が大合唱をはじめるのです。

その大合唱の伴奏をつとめるのが、ラブダナムとパチョリ(そして、前述のオークモス)であり、この複雑なバランスこそが「ミス ディオール」の真骨頂なのです。そして、ここに典型的なシプレが完成するのです。さらに、サンダルウッドと天然のアンバーグリスが投入され、酔わせるようなアニマリック・バニラの催眠効果により、花の精は、再びゆっくりと眠りにつくのです。

伝統的なシプレー・アコードである、ベルガモット、ジャスミン、オークモス、パチョリ、ベチバー、ラブダナム、アニマリックノートが60%を占めています。そして、今ではこれこそが「ミス ディオール」の最大の特徴となっているのです。

※正確には、アルデハイドC10(デカナール)とC11(ウンデシレンアルデヒド)が使用されています。

1982年にミス・ディオールは初めて、フォーミュラがリニューアルされ、1992年に再度リフォーミュラされました。

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香水データ

香水名:ミス ディオール
原名:Miss Dior
種類:オード・トワレ
ブランド:クリスチャン・ディオール
調香師:ジャン・カール、ポール・ヴァシェ
発表年:1947年
対象性別:女性
価格:不明


トップノート:アルデヒド、ガーデニア、ガルバナム、クラリセージ、ベルガモット
ミドルノート:カーネーション、アイリス、ジャスミン、ネロリ、スズラン、ローズ、スイセン
ラストノート:ラブダナム、レザー、サンダルウッド、アンバー、パチョリ、オークモス、ベチバー