年代順に見るフランソワ・ドゥマシーの香り
1949年、フランス・カンヌ生まれ。幼少期にグラースに引越しし、父親はグラースでファーマシーを経営していた。1972年にシャラボで働き、ジャック・キャヴァリエの父ジャン・キャヴァリエに師事する。1978年から、28年間シャネルでジャック・ポルジュ共に働くことになり、ジャック・ポルジュの恋女房と呼ばれるようになる。
ミシェル・アルメラック 大ヒットする香水を作る天才
1953年、グラース生まれ。最初のヒット作であるディオールの「ファーレンハイト」(1988)を世に出し、ヒットメーカーとしてのキャリアをスタートさせます。2016年に、ニッチ・フレグランス・メゾン『パルル モア ドゥ パルファム』をオープンし、一切の制限なしに自分が創造した香りを生み出す機会を得て、今に至る。
年代順に見るミシェル・アルメラックの香り
1953年、グラース生まれ。最初のヒット作であるディオールの「ファーレンハイト」(1988)を世に出し、ヒットメーカーとしてのキャリアをスタートさせます。2016年に、ニッチ・フレグランス・メゾン『パルル モア ドゥ パルファム』をオープンし、一切の制限なしに自分が創造した香りを生み出す機会を得て、今に至る。
ルイーズ・ターナー 『ロストチェリー』を生み出したスター調香師
『イングランドの庭園』ケント州で生まれる。年齢非公表。科学者の両親のもと、自然の豊かな環境で少女時代を過ごす。やがて、歯科医を目指しロンドンの医科大学で学んでいる休学中に、約10カ月間をクエスト・インターナショナルの市場調査部門で学生のバイトとして働いているうちに〝香りの世界〟に魅了される。
年代順に見るクリスティーヌ・ナジェルの香り
1958年、スイス・ジュネーヴ生まれ。有機化学を学び、研究科学者になり、フィルメニッヒ社の調査研究部門で働くことになる。調香師アルベルト・モリヤスとの出会いにより、調香師ミシェル・アルメラックの下でクロマトグラフィーの責任者として働き、調香を学ぶ。
デルフィーヌ・ジェルク 未来のゲランの六代目調香師
スイス、1977年生まれ。ファッション・デザイナーを目指すも、フィルメニッヒに入社する。2009年に限定発売された「ラ プティット ローブ ノワール」の成功により、2014年に五代目調香師ティエリー・ワッサーに次ぐゲランの第二調香師のポジションを獲得することになる。
年代順に見るアルベルト・モリヤスの香り
1950年、スペイン・セビリヤ生まれ。10才からスイスに移り住み、1970年にフィルメニッヒに入社。1981年にカルティエのために「Must」を調香したことからキャリアが始まる。1981年から約300ものフレグランスをクリエイトしており、あらゆる調香師の中でも最多を誇り、今もなお現役である。
年代順に見るティエリー・ワッサーの香り
1961年、スイス・ローザンヌ生まれ。ジュネーヴのジボダン社のパフューマリースクールに入学し、卒業後、パリにて、26歳でジボダンの調香師になる。1994年ニューヨーク・シティに移動し、フィルメニッヒの調香師となる。2008年にゲランの五代目専属調香師になる。
ソフィア・グロスマン バラの女王。またの名を『女帝』
1978年にエスティ・ローダーのために「ホワイトリネン」を調香し、1983年のイヴ・サンローランの「パリ」、エスティ・ローダーの「ビューティフル」(1985)、ランコムの「トレゾァ」(1990)と立て続けにヒット作を生み出すことにより、一躍〝バラの女王〟と呼ばれるほどの人気調香師の仲間入りを果たす。
ジャン=ポール・ゲラン 四代目調香師、神の鼻<ゴッドノーズ>を持つ男
1937年1月9日、フランス・パリで生まれる。祖父であるゲランの三代目調香師ジャック・ゲランの下で、1955年より後継者として英才教育を受け、3000種類の香料を嗅ぎ分ける〝神の鼻=ゴッドノーズ〟を持つに至る。
ジャック・ゲラン 三代目調香師、シャリマーを作った男
1874年10月17日、フランス・パリで生まれる。叔父であるゲランの二代目調香師エメ・ゲランにより才能を見出され、1890年に、弱冠16歳にして後継者として英才教育を受けることになる。そして、1895年に晴れて三代目調香師に就任する。
エメ・ゲラン 二代目調香師、ゲルリナーデの創造主
1834年4月2日、フランス・パリで生まれる。1862年に、父親であり、ゲラン創業者兼初代調香師のピエール=フランソワ・パスカル・ゲランから、二代目調香師を継承される。最大の功績は、ゲルリナーデというゲラン秘伝のレシピを完成させたことと、1889年に発表した「ジッキー」。
ピエール=フランソワ・パスカル・ゲラン ゲラン帝国の始祖
1853年に、フランスのウジェニー皇后のためにオーデコロンを作り、ヨーロッパの全ての王族の御用香水商となる。彼が歴史に残した香りは、ひとつだけだが、フレンスのフレグランス文化の基礎を打ち立てた〝フランス香水の父〟。
年代順に見るジャック・キャヴァリエ=ベルトリュードの香り
1962年、フランス・グラース生まれ。3代続く調香師であり、6才の頃より両親の仕事を手伝うようになり、調香師である父親に、天然原料について叩き込まれ、英才教育を受ける。1990年からフィルメニッヒ社で働くようになり、1992年の「ロー ドゥ イッセイ」によるオゾンノートの創造する。
年代順に見るジャン=クロード・エレナの香り
1947年、フランス・グラース生まれ。1968年にジボダン社の調香師としてトレーニングを受け、1976年に28歳にして、ハイジュエリーブランド史上初のフレグランスをヴァンクリーフ&アーペルのために調香しました。この「ファースト」と名付けられた香りと共に彼のキャリアがはじまりました。
セリーヌ・エレナ 調香界のプリンセス
1968年、フランス・グラース生まれ。2005年から2011年にかけてザ・ディファレント・カンパニーの主任調香師をつとめる。エルメスの初代専属調香師をつとめたジャン=クロード・エレナという偉大な調香師を父に持つ今一番脂の乗っている調香師の一人です。
クリストファー・シェルドレイク シャネルとルタンスの影の男
インド・チェンナイ(旧マドラス)生まれの英国人。1987年に日本でセルジュ・ルタンスと出会い、1992年以降、実質的にルタンスの専属調香師の役割を果たすようになる。2005年よりシャネルの調香師および研究開発ディレクターを務め現在に至る。
マリー・サラマーニュ 次世代の美人調香師
1977年、フランス・パリ生まれ。一族の多くが医師である裕福な家庭で生まれる。イジプカで学び、フランスの香料供給会社シャラボでインターンシップを受けたときに、アン・フリッポに師事する。2001年からフィルメニッヒで働き、オリヴィエ・クレスプの下で働く。
アニック・メナード 21世紀最期の魔女
生年月日不明、フランス・カンヌ生まれ。カンヌの裕福な家庭で生まれ、元々はバレリーナになりたかった彼女は、イジプカ(ISIPCA)で調香師のトレーニングを受けました。卒業後、ミシェル・ アルメラックに師事する。
マティルデ・ビジャウイ 調香界のスパイスガール
1980年、フランス生まれ。13歳の頃から調香師になりたい考えイジプカで学び、IFFの研修で知り合ったローラン・ブリュイエールに師事。2004年に、クリスティーヌ・ナジェルが在籍していたMANE社に入社し、今に至る。2016年よりジョー・マローン・ロンドンの調香も担当するようになる。