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【バイレード香水聖典】世界中のファッショニスタが愛する香り

バイレード
©BYREDO
バイレードブランド香水聖典
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バイレード

Byredo それは1975年のクリスマスが近づくある日のことでした。大西洋上空を夜間飛行中に、ハンサムなカナダ人男子学生とインド人のフライトアテンダントの女性が恋に落ちました。2006年に誕生するスウェーデンのニッチ・フレグランス・ブランド「バイレード」の歴史は、この運命的な恋愛によって始まりました。

その六ヵ月後に二人は結婚し、一人の男子が誕生しました。彼の名をベンといいます。やがて2m近い長身を持つ精悍な青年に成長したベンは、プロバスケットボール選手を目指し、名門大学の奨学金も獲得しました。そんな前途洋洋に見えた彼の夢は、25歳で突然絶たれ、友人のイケアのソファーを住処にする日雇い労働者にまで転落してしまうのでした。

なんとか一念発起し、ストックホルムでアートスクールに通う中、ベンがディナーパーティーで出会った一人の調香師が彼の運命を変えるのでした。

そして、紹介してもらった新人調香師ジェローム・エピネットと共に5つの香水を創造し、2006年にパリのコレットで販売してもらうことになり、2008年にはバーニーズ・ニューヨーク本店で取り扱われるという快挙を果たすのでした。

ジプシーウォーター」「ブランシュ」といった二本柱を中心に、5~10種類の極めて少ない香料でブレンドされたそれぞれの香りは、瞬く間に、世界中のファッショニスタを虜にしてゆきました。

2018年にはオフ・ホワイトとコラボ・フレグランスを発表し、2019年には、念願の日本国内の旗艦店を新宿伊勢丹に出店し(2020年には梅田阪急出店も果たす)、飛ぶ鳥を落とす勢いで大躍進中です。

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代表作

ジプシーウォーター(2008)
ブランシュ(2009)
ラ テュリップ(2010)
インフロレセンス(2013)
フラワーヘッド(2014)
ローズ オブ ノーマンズ ランド(2015)
イレヴンス アワー(2018)
タバコ マンダリン(2020)

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バイレードの創業者ベン・ゴーラムが経験した〝どん底〟

「私のブランドには、それほど目立つものがなかった。だからタトゥーを彫り、私が広告塔になろうと考えた」©BYREDO

フレグランスの概念は、ラグジュアリーです。それは生活に必要不可欠なものではなく、あなたが生活の中で、心から求めるものなのです。だからこそあらゆるフレグランスは、ラグジュアリーと言えるのです。

ベン・ゴーラム

バイレードの創業者ベン・ゴーラムは、1977年7月5日に(ムンバイの極貧の環境で育った)インド人のフライトアテンダントの母親とカナダ人(スコティッシュとフレンチカナディアンのハーフ)の父親の間に生まれました。

二人は、ボンベイ発のジャンボジェットが、大西洋上を飛んでいる時に出会い、一瞬で恋に落ちました。六ヶ月後インドで結婚し、イギリスで生活しました。そして、すぐに、ストックホルム大学で博士号を取得する父親のために、ストックホルムに移り住みました。この頃ベンは誕生しました。

しかし、父親は、ベンが5歳の時、妻子を捨て、イタリアに移り住んでしまいました。そして、妹と三人で暮らすベンは、大きな体型をもてあまし、父親に捨てられた心の傷も深く、グレてしまいました。喧嘩に明け暮れるベン。そんな彼が8歳の頃にテレビで見たマイケル・ジョーダンの姿により、すっかりバスケットボールに魅了されたのでした。

12歳の頃、母親の恋人と共に、カナダのトロントに移住し、ベンは、バスケットボールに打ち込み、一日4~5時間のトレーニングに励みました。その甲斐あって、ニューヨークの(バスケットボールの名門高校)リデンプションクリスチャンアカデミーの奨学金を獲得しました。

私はバスケットボールのスター選手だった。将来はプロの道に進むものだと誰からも思われていた。

ベン・ゴーラム

さらに、トロントのライアソン大学でバスケットボールの奨学金を得て、インテリア・デザインも学ぶようになりました。3年目に、ヨーロッパでプロのバスケットボール選手になるためのキャリアを追求するためにベンは大学を中退しました。

イタリア、ドイツでプロ選手として活躍しながら、スウェーデンの市民権を獲得しようとするも5年以上の在住義務があるため、スウェーデンで生まれたという事実があるにも関わらず、3年間法廷闘争した末、(弁護代尽き)無残にもプロの夢は断ち切られたのでした。

8歳から25歳までバスケットボール一筋で生きてきたベンは、生きる屍のようになりました。友達のイケアのソファに住みながら、スーパーマーケットの店員、ごみ収集作業員、または建設現場の労働者になりました。

すべてを失い。バスケットボール以外に私が興味を持てることは何かと考えた。そして、大学時代に専攻したアートの世界に対して、眠っていた情熱が目覚め始めたのでした。

ベン・ゴーラム

ようやく次のキャリアを見つけるために、ストックホルムのアートスクールの入学金を貯め、入学前にトロントに一時帰国するのでした。このとき、ベンは友人に今は何をしているのか?と尋ねられました。

そして、「ヨーロッパでプロのバスケットボール選手をしている」と嘘をついてしまうのでした。

本当は、人生のどん底にいる自分を偽ってしまったベンにとって、この瞬間もう自分には失うものはないと腹を括ることが出来たのでした。そして、アートスクールの勉学にのめり込み、1年が過ぎようとしていた頃、彼は運命的な出会いを果たすことになるのでした。

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革命前夜。運命の出会い=二人の調香師。

ピエール・ウルフとジェローム・エピネット。

スウェーデン出身の調香師ピエール・ウルフ(1956-、Pierre Wulff)の登場です。彼こそが、ベン・ゴーラムの運命の人であり、メンターなのです。ピエールは、ロベルテのマスター・パフューマーであり、ヴィクトリアズ・シークレットやアバクロンビー&フィッチの香りを作っていました。

そして、ストックホルムの食事会でベンと知り合いました。父親も調香師であり、大富豪の息子だったピエールは、伝説の調香師ジャン・アミックの下で訓練された調香師である一方で、娯楽と恋愛を愛する人でした。

「少しでも興味深い人だと思ったらとりあえず会ってみることが私のポリシーです」という快活でオープンな人です。そんな彼が話す香水に対する会話を聞いて、当時、香水を身につけたこともなく、興味すらなかったベンは、まずはピエールにひきつけられ、ディナーで隣の席に座ったのでした(ベン自身はアルコールを飲まず、糖分も絶対に取らない人)。

そして、その日以降、黙々と通販で購入した材料をもとに、ベンは、キャンドルを自作するのでした。そして、十ヵ月後、ニューヨークに渡り、ピエールにキャンドルを見せ、評価を仰ぎました。しかし、あっさりと「こんなものじゃ話にならない」と言われてしまうのでした。

ベンは、そのキャンドルを脇に置き、ビジネスに対する展望を延々とピエールに向かって話しました。そんな彼の情熱に打たれ、ピエールは新人調香師であるジェローム・エピネット(と恐らくこの時にオリヴィア・ジャコベッティも)を紹介するのでした。それは2004年の出来事でした。

早速ジェロームの研究所で香りについてレクチャーを受けるようになり、自身でもひたすら香りについて勉強する日々がはじまります。そして、5歳の時に自分の目の前からいなくなった父親の香り「グリーン」(インゲン豆のような香り)を作ってもらうことにより、香水ビジネスのプロセスを知るのでした。

ベンの話を詳しく聞き、ジェロームは、父親が愛用していた香りは、1975年に発売されたジェフリービーンの「グレイ フランネル」だと推測し、試作品を作り、彼に嗅がせました。その瞬間、父親の記憶が呼び覚まされたベンは、香りの持つ力にただちに魅了されるのでした。

かくして、ベンは香りの世界をとことん突き進むことを決断しました。そして、まずは母の祖国であるインドを15年ぶりに訪れ、子供の頃の様々な感情と思い出を引き出す香りを生み出そうと、再びキャンドルを自作し、ストックホルムのいくつかのショップで販売してもらうことになりました。

私は最初から今までずっと同じ調香師(ジェローム・エピネット)と仕事をしてきました。彼と私の相性は抜群です。私には香水を作っている会社が、なぜ10人もの異なる調香師にお願いするのか理解できません。ジェロームと私の関係は、時間の経過とともにより深く、より効率的になっていると感じています。

ベン・ゴーラム

ジェローム・エピネットはバイレードの香り全てを調香することになるのですが、バイレード以外の作品として、アトリエコロンが多く、「ウーロン アンフィニ」(2011)や「ローズ アノニム」(2012)が有名です。

グラース香水研究所で1年間学び、ミシェル・アルメラックに師事し、2003年にロベルテに入社し、2006年以降ニューヨークの研究所で働いています。元々ワインのソムリエになることを考えていたほどのワイン愛好家であり、シェフ志望でした。

2017年に創業され、日本に上陸すればすぐに話題になる可能性が高いニッチ・フレグランス・ブランド「フローラル・ストリート」の専属調香師もつとめています。

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バイレードの進撃がはじまる。

「私の苦い思い出を呼び覚ます香り。それはランコムのトレゾアだ。それは初恋の女性が付けていた香りなんだ。」©BYREDO

ベン・ゴーラムは、小さな成功をきっかけに、ベンチャーキャピタリストの協力を得て、2006年に、ジェロームに調香してもらった5つの香りと共にバイレードをストックホルムで創業しました。

バイレード(Byredo)の名は、シェイクスピアの戯曲の中でもよく使用されていた〝by redolence(香りが思い起こす)〟から付けられました。

そして、まず最初に世界で最も高感度のセレクトショップと呼ばれたパリのコレット(2017年閉店)で取り扱われたのでした。

この時、フレンチ・ヴォーグのインタビューを受け、「あなたが香水を創造するバックグランドはどこにありますか?」「いったあなたは何者なのですか?」などといった辛辣な質問を受け、ベンは、自分は、香水業界ではアウトサイダーなのだと自覚したのでした。

2008年に、バーニーズ・ニューヨークの本店(2020年閉店)で本格的に5種類の香りが発売され、2009年にストックホルムに旗艦店が出来ました。

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そして、バイレードは今最も勢いのある存在になる。

「残念な香りは?」「マクドナルド」©BYREDO

私は広告はステロイドのようなものだと考えています。それは使い続けないといけないということです。

ベン・ゴーラム

ある国の百貨店のバイヤーの方に聞かれました。ルラボがラベルに名前をプリントしてくれるように、フレデリック・マルにはセント・チューブ(scent tubes)がありますが、あなたのブランドには何かギミックがありますか?と聞かれたので、「何もないよ」と答えました。

ベン・ゴーラム

2011年2月にバイレードは、伊勢丹新宿において、日本初上陸を果たしました。そして、2013年には3000万ドルの売り上げを上げるようになり、(ディプティックを抱える)マンザニータ・キャピタル(GAPの創業者であるフィッシャー一族)により、過半数の株式が買収されることになりました。

そして、ベンは、クリエイティブ・ディレクターに専念することになり、200人以上の社員と共に活動するようになりました。資金を獲得したバイレードはいよいよ大躍進することになります。

2016年にニューヨーク・ソーホーのウースターストリートに2番目の旗艦店、2018年には、3番目の旗艦店をロンドンのレキシントン・ストリートに出しました。そして、2019年5月に、韓国・ソウルに旗艦店、11月にリニューアルオープンした伊勢丹新宿本店に、日本初の直営カウンターを設置しました。さらに、同時期、中国の上海と北京に旗艦店をオープンし、アジアへの大攻勢をかけてゆくのでした。

バイレードの香りの特徴は、通常60〜70種類の原材料を組み合わせて作られているフレグランスというものの原材料を5〜10種類程度に抑えているところにあります。そして、その代わりに特上の香料を買い付けるために、シャネルとネロリの購入権を争ったりもするほどに、品質に徹底的に拘っています。

ひとつの香りが誕生するまで、6ヶ月から2、3年(最長は6年)かけられています。生産はすべてフランスの資生堂が管理しているジアンの工場で行われています。

ボトルデザインは、香りに集中してもらいたいという意図もあり、あくまでも北欧的なミニマルなデザインです。ボトルはイタリアのガラスメーカーによって製造されており、磁気キャップとポンプはフランスで製造されています。

バイレードは、フレグランスだけでなく、他のファッション・アイテムの創造にも積極的です。2015年にはオリバーピープルズとコラボし、2017年9月には、パリのファッション・ウィークでバッグと革小物の最初のコレクション(イタリア製)を発表しました。

さらに2019年には鯖江製の眼鏡コレクション、2020年シャルロットシェネによるチェーンジュエリーコレクション、さらにイサマヤ・フレンチとのコラボによるジェンダーレスメイクアップコレクション(フランス製)も発表しています。

最後に、ベン・ゴーラムは最愛の音楽を3つ挙げよという質問に対し、Nas(ナズ)のデビュー・アルバム『イルマティック』(1994)、ノトーリアス・B.I.G.のデビュー・アルバム『レディ・トゥ・ダイ』(1994)、ウータン・クランのデビュー・アルバム『エンター・ザ・ウータン』(1993)を挙げています。

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2022年、プーチの傘下に入る。

ルチア・ピカとベン・ゴーラム ©BYREDO

©BYREDO

2022年5月にロレアルに買収される噂で持ちきりだったバイレードは、6月にプーチに過半数株式を売却し、ベン・ゴーラムは経営からチーフ・クリエイティブ・オフィサーに専念することが発表されました。

そして、ピーター・フィリップス(現在はディオール)の後任として2015年1月1日から6年間シャネルのグローバル・クリエイティブ・メークアップ&カラー・デザイナーをつとめていたルチア・ピカを、2020年に立ち上げたコスメラインのクリエイティブイメージ&メイクアップパートナーとして迎えたのでした。