アンドロギュヌス

『魔界転生』 日本の美7(4ページ)

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作品名:魔界転生 (1981)
監督:深作欣二
衣装アドバイス:辻村ジュサブロー
出演者:千葉真一/沢田研二/佳那晃子/真田広之/若山富三郎


幸せな女性より、苦しんでいる女性のほうが美しい

日本では化粧の発達には宗教的起源があった。お巫女さんの厚化粧は、化粧によって神にのりうつられ、霊媒となる用意であって、自分の人格以外のものに変身することを意味していた。

『反貞女大学』 三島由紀夫

『魔界転生』という作品は、日本映画の最後の種子が実になったかのような、多様性に満ちた作品です。それは、千葉真一様が演じる柳生十兵衛が「日本男子の鑑」であったり、若山富三郎様が演じる柳生但馬守の殺陣の所作から明らかに伝わる、和の芸術性であったり、もちろん沢田研二様のアンドロギュヌスの魅力もそうなのですが、私が、この作品で最も感動を覚えたのは、細川ガラシャを演じる佳那晃子様(1956-)の「日本女性の魅力」を体現した歴史的名演によってでした。それは『乱』の原田美枝子様に相通ずるものがあります。

西洋文化が日本に入るようになった明治時代に、化粧の持つ意味は、「自然な化粧」となります。しかし、それ以前の化粧と言うものが、日本人に示してきたものは何だったのでしょうか?それを考える絶好の機会になるのが、この作品の佳那晃子様なのです。

私達は幸せになるために化粧をするのでしょうか?それとも苦しみを乗り越えるために化粧をするのでしょうか?より的確な言葉に置き換えるならば、幸せを呼ぶためなのではなく、苦しみを呼ぶために化粧をするのでしょうか?男性には与えられない特権として苦しみを美に昇華する本能(=出産)を持つ女性は、やはり、幸せでいるよりも、苦しんでいるときの方が、どうしようもなく美しく魅力的なのです。


細川ガラシャ=貞淑なキリシタン夫人が、欲望の虜になる『反転美』

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日本女性の美。黒髪と肉感的な白肌と茶色の乳房。

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佳那晃子元年が、ここから始まる!日本の美のミューズの誕生!

ところで、人間がもっともおそれているのは何だろう?彼らがもっともおそれているのは、新しい一歩、新しい自分の言葉だ!

『罪と罰』 ドストエフスキー

この作品で佳那晃子様が行われた芝居は、公開当時よりも、これからの世において高く評価されるものでしょう。一人の貞淑なる妻が、自分の中の新しい言葉を見つけてしまった瞬間。とてつもなく妖しい美しさに包まれてしまう。その魔性に自分自身も夢中になり狂おしいまでにも肉体から不思議な香りが漂う。つまりこれこそが「女ざかり」とでも形容するべき反転の季節到来の香りなのです。

日本の時代劇の中で、女性の美の魅せ方として伝統的に存在するのが、狂う女性の恐ろしいまでの妖艶さです。こういった芝居を欧米の女優さん達がすると、『欲望という名の電車』のヴィヴィアン・リー様のように、悲しさを感じさせるものになります。しかし、日本においての美しき狂女は、物の怪にとりつかれたかのような怪しさに包まれます。それは狂っているというよりも寧ろあの真面目な文系眼鏡美女の○○○さんが、眼鏡を取って、後ろにくくった髪を解くと、淫靡な香りに包まれはじめると言った変身願望に近いものがあります。

日本女性の化粧の本質にあるのが、結局は古来からの変身願望であり、それは娼妓に見られるあの白塗りに通じるものがあります。それは、男を道連れにして、幸せも不幸せも超越した道へと誘う幽玄さに包まれた美意識であり、それは一言でいうなれば、まさに滅びの美学なのです。滅びとはスローモーション。そして、白ほどスローモーションに映える色はありません。ガラシャは貞淑から淫靡へと反転するが、彼女の滅びの美学は全く反転していない所に、細川ガラシャ(実存イメージにおいても)の人となりの面白さが連想されます。


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