オリヴィエ・ポルジュ

シャネルの香水の全て〔2019年7月更新〕(5ページ)

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マリリン・モンローが愛した香水

1955年に撮影されたマリリン・モンローとN°5。

ガブリエル・ココ・シャネル、1937年。

シャネルは花の香りを望みませんでした。彼女はもっと抽象的な・・・女性の香りを望んだのです。だから私は29年間シャネルで花の香りを作ることはありませんでした。そして、その反動が、今ディオールで働くようになってから私の中で出ています。

フランソワ・ドゥマシー(29年間ジャック・ポルジュの補佐として働き、2006年ディオールの専属調香師に就任)

シャネルの香りは、フローラルではなく、女性の香りである。そして、その女性という言葉の中には、二人の女性像が投影されています。ひとりはガブリエル・ココ・シャネル。そして、もうひとりはマリリン・モンロー。20世紀を代表する女性の憧れの存在であり、21世紀に至っては、女神の如く奉られているこの二人の存在が、フレグランスという分野におけるシャネルの存在を『シャネル帝国』たらしめているのです。

そんな『シャネル帝国』を代表する香りが、N°5です。この香水が、神の水になった瞬間。それが、1952年の『ライフ』誌(8月7日号)のためのインタビューに答えたマリリン・モンローの一言でした。

私がベッドで身にまとうのはシャネルN°5を数滴だけよ・・・

マリリン・モンローが、このコメントを残したのでしたのは、モンローウォークを披露する事になる『ナイアガラ』撮影中のことでした。さらに3年後の1955年3月24日、ニューヨークのアンバサダーホテルにて、マリリンは、N°5を持ちポーズをつける写真を撮影することになりました。

こうして、シャネルは、ゲランという香水の殿堂をあっさりと抜き去り、世界一有名な香水ブランドの王座に駆け上ったのでした。



1953年に撮影されたマリリン・モンローのベッド・ルームに偶然存在するN°5。世界中のあらゆる美女がN°5と共に撮影しようとも、このマリリン・モンローに敵うわけがないと思わせるところに、彼女のすごさがあるのです。

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シャネルの香水は4人の調香師によって生み出されている。


シャネルの香水の歴史は、ガブリエル・ココ・シャネルが10つのサンプルの中から5番目のサンプルを選び出した1920年からはじまります。

そして、1921年にそのサンプルにN°5の名がつけられ発売されたのでした。その時の調香師であるエルネスト・ボーがシャネルの初代調香師として1953年まで就任することになります。

その後、1953年から1978年にかけて二代目専属調香師アンリ・ロベールが、N°19クリスタルといった名香を創造するのですが、1960年代に入りシャネル帝国に衰退の兆しが見え始めるのでした。

シャネル帝国復興の将の名を、アラン・ヴェルタイマー(パルファン・シャネル社を創業したピエールの孫息子)と申します。1974年にアランは、シャネルのCEOに就任しました。そして、アメリカ国内でN°5を販売する店数を劇的に減らし、ドラッグストアから商品を引き下げ、ブランディングの強化を図りました。

さらに、1978年から2015年まで三代目専属調香師として活躍し、数え切れないほどの名香を生み出すことになるジャック・ポルジュを抜擢し、アート・ディレクターのジャック・エリュ、更には、ジャン=ポール・ グードという映像の魔術師による「シャネルの三本の矢」により、1980年代後半から21世紀前半にかけての「シャネル帝国の逆襲」を巻き起こしたのでした。

そして、現在は安定の王朝を築いたシャネルは、2015年2月に、ジャック・ポルジュの息子であるオリヴィエ・ポルジュが四代目専属調香師を継承し、今に至るのです。

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