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【シャネル香水聖典】嘘をつく香り。嘘が真実になる香り

各ブランド聖典
各ブランド聖典 香りの美学
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シャネル

Chanel シャネルの香りには、二人の女性像が投影されている。ひとりはガブリエル・ココ・シャネル。そして、もうひとりはマリリン・モンロー。20世紀を代表する女性の憧れの存在であり、21世紀に至っては、女神の如く奉られているこの二人の存在が、フレグランスという分野におけるシャネルの存在を『シャネル帝国』たらしめている。

1921年にエルネスト・ボーによって生み出された「N°5」からはじまり、1953年から1978年にかけて二代目専属調香師アンリ・ロベールが、「N°19」、「クリスタル」といった名香を創造したが、1960年代に入りシャネル帝国は衰退期に突入する。

そして、この男が現れた。1978年から2015年まで三代目専属調香師に君臨したジャック・ポルジュにより、「シャネル帝国の逆襲」を巻き起こした。そして、現在はは、2015年に、ジャックの息子であるオリヴィエ・ポルジュが四代目専属調香師を継承し、今に至る。

代表作

N°5(1921)
N°19 (1970)
クリスタル (1974)
ココ (1984)
エゴイスト (1990)
アリュール (1996)
ココ マドモアゼル (2001)
ブルー ドゥ シャネル (2010)
チャンス オー タンドゥル(2010)
ココ ヌワール (2012)
ガーデニア (2016)
ボーイ (2016)
ガブリエル(2017)
パリ ヴェニス (2018)

シャネルの香水一覧
アリュール シリーズの全て
ココ シリーズの全て
チャンス シリーズの全て
N°5(No.5)シリーズの全て
N°19(No.19)シリーズの全て
ブルー ドゥ シャネル シリーズの全て
レ ゼクスクルジフ ドゥ シャネルの全て
レ ゾー ドゥ シャネルの全て

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マリリン・モンローが愛した香水

1955年に撮影されたマリリン・モンローとN°5。

ガブリエル・ココ・シャネル、1937年。

シャネルは花の香りを望みませんでした。彼女はもっと抽象的な・・・女性の香りを望んだのです。だから私は29年間シャネルで花の香りを作ることはありませんでした。そして、その反動が、今ディオールで働くようになってから私の中で出ています。

フランソワ・ドゥマシー(29年間ジャック・ポルジュの補佐として働き、2006年ディオールの専属調香師に就任)

シャネルの香りは、フローラルではなく、女性の香りである。そして、その女性という言葉の中には、二人の女性像が投影されています。ひとりはガブリエル・ココ・シャネル。そして、もうひとりはマリリン・モンロー。20世紀を代表する女性の憧れの存在であり、21世紀に至っては、女神の如く奉られているこの二人の存在が、フレグランスという分野におけるシャネルの存在を『シャネル帝国』たらしめているのです。

そんな『シャネル帝国』を代表する香りが、N°5です。この香水が、神の水になった瞬間。それが、1952年の『ライフ』誌(8月7日号)のためのインタビューに答えたマリリン・モンローの一言でした。

私がベッドで身にまとうのはシャネルN°5を数滴だけよ・・・

マリリン・モンローが、このコメントを残したのでしたのは、モンローウォークを披露する事になる『ナイアガラ』撮影中のことでした。さらに3年後の1955年3月24日、ニューヨークのアンバサダーホテルにて、マリリンは、N°5を持ちポーズをつける写真を撮影することになりました。

こうして、シャネルは、ゲランという香水の殿堂をあっさりと抜き去り、世界一有名な香水ブランドの王座に駆け上ったのでした。



1953年に撮影されたマリリン・モンローのベッド・ルームに偶然存在するN°5。世界中のあらゆる美女がN°5と共に撮影しようとも、このマリリン・モンローに敵うわけがないと思わせるところに、彼女のすごさがあるのです。

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4人の調香師が生み出したシャネル


シャネルの香水の歴史は、ガブリエル・ココ・シャネルが10つのサンプルの中から5番目のサンプルを選び出した1920年からはじまります。

そして、1921年にそのサンプルにN°5の名がつけられ発売されたのでした。その時の調香師であるエルネスト・ボーがシャネルの初代調香師として1953年まで就任することになります。

その後、1953年から1978年にかけて二代目専属調香師アンリ・ロベールが、N°19クリスタルといった名香を創造するのですが、1960年代に入りシャネル帝国に衰退の兆しが見え始めるのでした。

シャネル帝国復興の将の名を、アラン・ヴェルタイマー(パルファン・シャネル社を創業したピエールの孫息子)と申します。1974年にアランは、シャネルのCEOに就任しました。そして、アメリカ国内でN°5を販売する店数を劇的に減らし、ドラッグストアから商品を引き下げ、ブランディングの強化を図りました。

さらに、1978年から2015年まで三代目専属調香師として活躍し、数え切れないほどの名香を生み出すことになるジャック・ポルジュを抜擢し、アート・ディレクターのジャック・エリュ、更には、ジャン=ポール・ グードという映像の魔術師による「シャネルの三本の矢」により、1980年代後半から21世紀前半にかけての「シャネル帝国の逆襲」を巻き起こしたのでした。

そして、現在は安定の王朝を築いたシャネルは、2015年2月に、ジャック・ポルジュの息子であるオリヴィエ・ポルジュが四代目専属調香師を継承し、今に至るのです。

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