フランシス・クルジャン

フランシス・クルジャン 調香界のプリンス(3ページ)

    フランシス・クルジャン
    Francis Kurkdjian
    1969年、フランス・パリ生まれ。
    <代表作>
    ル・マル(ジャン=ポール・ゴルティエ)
    グリーンティー(エリザベス・アーデン)
    ローズ・バルバル(ゲラン)
    イリス・ノビレ(アクアディパルマ)
    マイ・バーバリー(バーバリー)
    エリーサーブ・ル・パルファム(エリーサーブ)
    ケンゾー・ワールド(KENZO)
    アクア・ユニヴェルサリス(メゾン・フランシス・クルジャン)



    調香界のプリンス

    若き日のフランシス・クルジャン。

    ただひとつのコードやひとつのスタイルを持ちたくありません。いつも自分の領域を変えながら全体的な嗅覚のパレットを発見し続けたいのです。

    フランシス・クルジャン

    2009年に、自身のフレグランス・メゾン「メゾン・フランシス・クルジャン」をパリにオープンさせ、絶好調なフランシス・クルジャン。日本においては、ブルーベル・ジャパンが各都市の百貨店に展開するカフェ・デ・パルファムによるマーケティングの成果もあり、知名度を高めております。

    そんな状況の中、2017年3月、メゾン・フランシス・クルジャンは、ついにLVMH(モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン)とパートナーシップを組むことになったのです。



    恐らく、これからはクルジャン時代が到来するだろう。

    姉はボトルに興味を持ち、私は中身に興味を持ちました。(13歳のとき、姉が集める香水に興味をもったのがきっかけ)

    フランシス・クルジャン

    1969年5月、フランシス・クルジャンは、アルメニア人の両親の間にパリで生まれました。両親は、1914年から23年にかけてのオスマン帝国によるアルメニア人虐殺から逃れてきた亡命者でした。1985年、15歳の時ピアニストかバレエダンサーになる夢を諦め(パリ・オペラ座のダンス学校の試験にも落ちる)、13歳から既に興味のあった調香師になることを決めました。

    1990年にベルサイユにある香料国際高等学院イジプカに入学し、1993年、クエストに入社し、弱冠26歳にしてジャン=ポール・ゴルチエの初めてのメンズ・フレグランス「ル・マル」を手がけます。以後、1995年にニューヨーク・オフィスに勤務し、99年パリに戻ります。そして、2001年、世界の優れた調香師に与えられるフランソワ・コティ賞を受賞しました。

    他人を尾行したり、高級ホテルでメイド勤務をして、宿泊客の持ち物を物色し、何をしているのかを連想したり、自分自身を探偵に尾行させたりして物語を紡ぐ鬼才ソフィ・カルとのコラボによって、2003年以降、クルジャンは、アーティストとのコラボ香水を積極的に手がけるようになります。


    2004年、後にメゾンを共にオープンすることになるパートナーであるマーク・チャヤと出会う。2005年にマリー・アントワネットが愛した香りを再現し話題になります。そして、2006年に、フランスの「アルメニアン・イヤー」に、ベンゾインを使用したフランスの伝統的な紙のお香パピエダルメニイを調香しました。

    2008年、レジオンドヌール勲章を授与される。そして、2009年、パリのヴァンドーム広場の近くにメゾン・フランシス・クルジャンをオープンしました。



    フランシス・クルジャン語る。

    私の調香スタイルは、スタイルがないところが私のスタイルです。制限のない調香が私のスタイルなのです。

    フランシス・クルジャン

    フランシス・クルジャンの特異性は、他の調香師と違い、彼自身は、プランを全く立てないところにあります。それはパートナーのマーク・チャヤの仕事なのですが、次作の香水で何をするといったようなことを一切決めずに、インスピレーションで次に作るべき香りを決めているところにクルジャンの香りの恐ろしさがあります。

    特にメゾン・フランシス・クルジャンにおいては、世間ではこういう香りが主流だから、次にこの香りを売り出そうというようなビジネス的な戦略を全く放棄し、天才的な調香師が、世に広めたいと考える〝香りの魔術〟を手に取ることが出来る奇跡に私たちは遭遇できるわけなのです。

    私は今まで、誰かに売りたいと考えて香りを調香したことがありません。そして、そういうセンスも私にはないのです。

    フランシス・クルジャン

    クルジャン曰く「香水は、簡単に嘘でごまかせる代物です。だからこそ、私は、この世界に一切の嘘を散りばめないようにしようと考えています」。その言葉の通り、クルジャンは、厳選した天然香料の使用を好みます。

    偉大なるルカ・トゥリンが言及するように、「天然香料ともとの植物との関係は、言ってみればオレンジ・ジャムとオレンジ、あるいはヒバロ族の干し首と生身の敵との関係に相当する」という喩えのように「天然原料が本物のレプリカとしてできが良くないからこそ香料が存在するとも言える。もしローズオイルの匂いがバラの匂いと同じだったら、調香師はうなだれて降参するしかない。しかし、実際は違う。調香師の課題とは、そのように切り刻まれて加熱され、変わり果ててしまった自然物の破片を混ぜ合わせ、まるで遺体修復師のように、ふたたび生命の輝きをあたえることなのだ」。つまりクルジャンは、複雑な天然香料と向き合うことによって、機械的な合成香料に、複雑な豊かな香りを蘇らせるのです。

    パフュームは芸術ではない。なぜならば、ボードレールやヴェルレーヌ、ピカソのように、パフュームは悪徳を表現できず、死や血さえも表現してはいけないからだ。

    フランシス・クルジャン

    クルジャンは言い切ります。「これだけは言っておきます。どんなに私が努力しようとも、パフュームは決して芸術にはなりえないのです」と。しかし、芸術家とは得てして自分のことを芸術家とは呼ばないものであり、このクルジャンの姿勢こそが、フランシス・クルジャンをフランシス・クルジャンたらしめている所以なのです。

    「ゴルチエとは、最初から最後の関係まで、喧嘩だけでした。でもそれが私にエネルギーを与えたのです」というクルジャンは、ルイ・ヴィトンやディオール、ゲラン、シャネルなどのラグジュアリー・ブランドの専属調香師になることについてこう言及しています。「私が、ディオールとの関係において失敗作を作ったから言うのではありません。ただ私にとって大きなラグジュアリー・ブランドの専属調香師になるということは、リタイヤすることも同然なのです。私は香水の創造に対して完全に自由にありたいです。

    フランシス・クルジャンの魅力。それはディオールにおいての作品で失敗を経験しながらも、倒れても起き上がった所にあるのです。だからこそ、この文章を書く、私は、クルジャンのディオールにおける失敗作の香りを何よりも嗅ぎたくてしょうがないのです。



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