松野秀至さん|KOHSHI
「LUSHで製造者として8年間働きながら調香の専門学校に通い、私は訓練を積んだ調香師としてただ単にフレグランスブランドを作るのではなく、シャネルやゲランの本社から来た香水の専門家の方々が香られても〝素晴らしい!〟と感じて頂ける本格的な日本のメゾンフレグランスブランドを生み出したいと考えました。そのためには、品質は絶対重要なことです。だからまず『香料の開発』『香水・化粧品のOEM製作』『自社ブランド商品の製造・販売』をすべて一括して行える自分の工場を持ちたいと考えました」

松野秀至さん © Kohshi Co.
松野秀至さんという方を戦国武将に置き換えてみると、豊臣秀吉や武田信玄、上杉謙信、伊達政宗、真田幸村ではなく、織田信長と徳川家康の良い部分を足して二で割ったような方でしょう。つまり下剋上を狙い、着々と進軍を続け、失敗してもあきらめずに、必ず達成してゆきそうな方だということです。
静かな物腰の中に、ほとばしる情熱を感じさせる方です。カイエデモードが、最も苦労したと言えるほど、松野さんの記事完成に時間がかかった理由は、それだけ規格外のスケールの大きな方であると、記事を仕上げるたびに感じ、5回ほど新しく記事を書き直していたからです。
その経歴の一番最初にある〝LUSH〟というグローバル企業での経験が松野さんの生き方に与えた影響は凄まじいように感じました。今でこそ、LUSHは、ヴィーガンコスメの先駆的存在ですが、松野さんが働かれていた当時21世紀初めのLUSHは〝地球にやさしい、新しいコスメの価値観を作っていこう!〟という若きパワーに満ち溢れていました。
そんな勢いのある職場の中で、キャリアを積み上げていった松野さんが、2010年に、わずか30歳で起業し、妥協なく香料が開発出来る環境をまず生み出し、芸能人のプライベート・ブランドなどを手掛けていくOEM受注で実績と利益を積み上げてゆかれました。そして2021年に創業12年目にして満を持して、念願のメゾンフレグランスブランド〝KOHSHI〟の店舗 「pallumer パリュメール」 をオープンしました。
日本人の繊細な感性に誇りを持ち、一切媚びずに、世界に向けて創造した香り。それは日本に来たインバウンドのお客様にお土産として購入してもらいたいという感覚ではありません。それは、仮に、日本に仕事で来たシャネルやゲランのパルファン事業部の方が、〝KOHSHI〟を試した時に感動してもらえる、そんなレベルの香りを創造したいという、限りない本格志向に基づいているのです。
日本を代表するメゾンフレグランスブランドのひとつ

© Kohshi Co.
ちなみに、私がKOHSHIさんと最初に出会った時、このブランドに対する印象は、まったく逆のものでした。それはパンデミック下で行われた2022年のサロンドパルファンにおいてでした。これがKOHSHIさんが、本格的に表舞台に出た瞬間でした。この時、ここまで商品数が多いフレグランスブランドは、フエギア以外知らなかったので、ちょっと懐疑的な感想を持っていました。
以後、日本全国のサロンドパルファンやポップアップイベントなどで着々と知名度を高めていかれる中、毎月リリースされるフレグランス展開に対して、なぜこんなに早いペースで新作が発表出来るのだろうか?と訝しんでいたものです。
しかし今回のインタビューを通じて、KOHSHIさんはまだまだイベントのディスプレイに関して試行錯誤中であり、真実のブランド・イメージを伝えきれていないことにもどかしさを感じておられることを知りました。はじまってすぐにすべて完璧に事が進むことなどあり得ないのです。
さらにもう一つ私がKOHSHIさんに対して最初に感じたことは、香水愛好家が、日本の調香師に対してとまどいを覚える感情とまったく同じものでした。それは海外のスター調香師の人たちと比べて日本の調香師の方々はどのレベルに位置するのか分からないことから生まれる感情でした。
いくつかのインタビューを重ねた今だからこそ分かること、それは、ある方が、世界的に認められる潜在性を秘めた日本の調香師であるかを知るために重要なことは、グローバル企業で調香師として、5年から10年の開発及び品質管理の経験を積み、さらにその経験を生かし最高峰の香料を手に入れることが出来る調香師であるかということなのです。
この条件にピタリと合致する人は、日本には「パルファンサトリ」の大沢さとりさんや「R Fragrance」の村井千尋さんなど数人しかいません。そして松野さんもこの条件にピタリと合致する人なのです。
かくして本格的なインタビューを引き受けることは滅多にない松野さんが、快くカイエデモードのインタビューを引き受けて下さることになりました。
京都進出を果たし、インバウンドの心を完全に掴んでいるKOHSHI

松野秀至さん © Kohshi Co.
当初、代官山の旗艦店『pallumer代官山本店』でインタビューを行わせて頂こうと考えていたのですが、調香及び製造は、代官山ではなく神奈川県の〝秦野〟にある工場で行われていることを知り、お招き頂き、お伺いすることになりました。
2025年4月20某日、新宿駅から電車に乗り、一時間弱で乗り換えすることなく渋沢駅に到着しました。日本でいちばんおいしい水に選ばれた〝秦野〟はのんびりした空気が流れているみどり豊かな町です。山の方に向かい15分ほど歩いていくとシャトレーゼがあったので、そこで購入したマンゴーアイスクリームを食べながら、工場へと向かいました。
さらに10分ほど歩いた先に工場がありました。その前に立った時の私の感想は、今まで持っていたKOHSHIさんのイメージが完全に吹き飛ぶものでした。この工場は、とても活気があり、老若男女あらゆる方々が元気よく働いていて(若い女性が多い印象)、一般的な工場のイメージとは違い、研究所のような工場でした。
この工場の最高責任者として応接室にやって来られたのが松野さんと、サロンドパルファンで売り場に立っておられた工場長の杉田さんでした。約3時間のインタビューを通して実感したことは「目から鱗」の一言でした。日本でも数少ない本物の調香師にお会いすることが出来たという実感でした。
松野秀至さんは高校卒業した後、調香の専門学校に入りました。専門学校の先生の天田圭子さんに調香とは、そして社会人とはを教わり、(1995年に『香料と調香の基礎知識』という当時調香師のバイブルと言われた本の編纂に協力した)元花王香料研究所所長だった中島基貴さんには香料会社の経営を教わりました。
LUSHに就職してからは、化粧品の製造者として働き、化粧品の品質管理や製造の経験を積み、8年間勤務した後、2010年に、30歳で住居の一室である四畳半のスペースから『香師』を起業しました。
取引先がひとつも決まっていない状況から独立し、やがて香水用の香料開発のほか、多様なジャンルの化粧品や雑貨商品などの調合香料開発及び商品製造を行う工場を持つまでに事業を拡大しました。
そして11年の時を経て2021年7月21日には、念願の旗艦店を代官山にオープンしました。以後、サロンドパルファン等の大型フレグランス・ポップアップに出展され、日本中の香水愛好家の心を掴んでゆきました。
さらに、2025年3月には京都に念願の2号店をオープンし、インバウンドの方々の心も掴んでいます。まさに『香りの世界でジャパニーズドリーム』を手にした、そんな松野さんにインタビューさせて頂きました。
日本の香水業界の革命児=香料&香水工場を所有している唯一の調香師

pallumer 代官山本店 © Kohshi Co.

pallumer 京都店 © Kohshi Co.

pallumer 京都店 © Kohshi Co.
――― 松野さん、お久しぶりです。二度ほど、サロンドパルファンでお会いして、その時は、カイエデモードであることは名乗っていなかったのですが、少しお話しして以来です。本日はよろしくお願い致します。
お久しぶりです。ジャック・キャヴァリエさんの「ル フー ドゥ イッセイ」について興味深い話をしましたよね。都内のどちらからお越しいただきましたか?
――― 新宿からです。(神奈川県)秦野に工場があるとお聞きした時、最寄りの渋沢駅までどのくらい時間がかかるか、銀座でフレグランスの販売員をしている知人に確認しました。すると彼は「有名なラーメン屋があるので、遠征したことがあるけど、とても遠いですよ」と言っていたので、色々乗り換えて一時間半はかかるのかなと思っていたのでしたが、新宿から一本で一時間ちょっとでした。すごくのどかなところで空気がとても綺麗ですよね。
はい、新宿からだと便利ですよね。後で、工場を見学して頂くことになるのですが、実は、一か月後に、もうひとつここより大きな工場が出来る予定です。
――― えっ!こちらより大きな工場ですか!ではこの工場は閉鎖されるのでしょうか?
いいえ、ここはそのまま操業します。OEMの受注が増えておりますので、手狭になり、もうひとつ工場が必要になったためです。新しい技術も積極的に導入した工場となります。その時は、またご案内させてください。
――― ぜひ宜しくお願い致します。実は、オフィスに入る前に、OEM商品を発送するダンボール箱が100個ほど積み上げられた倉庫と、倉庫からフォークリフトを使って行われている荷役作業を見ていたのですが、びっくりするほどの量ですね。
おかげさまで、OEM受注は、トイレタリーと化粧品全般を請け負っておりますので順調です。
――― ざっくばらんに言いますと、私はKOHSHIさんの工場がこれほどの規模であると想像もしておりませんでした。すごく過小評価していたことをお詫びさせて頂きます。
とんでもございません。どうしてもサロンドパルファンのディスプレイやPRの部分でまだまだ不慣れなところがあり、商品数の多い、簡単にフレグランスをたくさん作っている、日本のセミプロのフレグランスブランドなのかな?と、感じられる方もおられるのではないかと危惧しています。ブランディングは私たちの今後の課題の一つです。
――― まさに松野さんが仰る通り、そのままの感想を私は持っておりました。特に、サロンドパルファンのディスプレイが、KOHSHIさんのイメージを過小評価させていると感じています。実は、フレグランスブランドを持つ調香師の方で、香料工場と香水工場を所有している方は、日本では松野さん以外いらっしゃらないですよね?
はい、日本では、私以外はいないと思います。パンデミックが明けてから、海外から香水を扱う企業の方々の来客が増えているのですが、皆さん、口を揃えて「調香師でありながら香料を開発し香水を製造する工場を持っている人はほとんどいない」と感動の言葉を頂戴しております。
――― つまり、私の目の前におられる方は、日本の香水業界の革命児ということですよね?
そのように単刀直入に言われると恐縮なのですが、私の生き方が『常に新しいことに挑戦する』なので、そのように仰って頂ければ光栄です。
――― 工場だけでなく、代官山の旗艦店『pallumer代官山本店』も従来のフレグランス・ショップとは一線を画した個性的なお店だと感じていました。さらに今年3月には、京都にも二号店がオープン致しましたね。
はい。代官山の店舗は、ディスプレイされている香水たちが、まるで舞台の俳優のように、一段上った壇上になる作りの店舗となっています。
ずっと、香水に対して全く詳しくない人も、香水に対してこだわりがある人も、ここに来れば何かしらの香りと出会える、そのようなお店を作りたいと考えていました。
――― 代官山の一号店は、2021年7月21日というパンデミック真っ只中にオープンされましたが、かつてフエギアさんが京都の町屋店のオープンを白紙に戻されたように、迷いはございませんでしたか?
この時期は、従業員のみんなに本当に支えられました。だからこそ、よし!やろうと腹を括りました。
――― 旗艦店を代官山に出すことにしたのは、ルラボやビュリー、ジョー・マローンなどのフレグランス・ショップが集まっているお洒落な街と考えたからですか?
いいえ、私も一緒に新店舗の場所を探していた社員も、(神奈川の)この辺りで育っているので、東京については全然疎くて、数か月間、都内を歩きまわりました。何よりも立地が便利で、舞台のように一段上がる店舗を見つけることを優先にしましたが、渋谷や銀座の物件はどれも高すぎました。そしてようやく予算に合う理想的な物件が代官山で見つかったので、ここに決めました。
――― そうなんですね。渋谷からも20分ほどで歩いていける距離で、かなり良い立地ですよね。何よりもびっくりした京都の二号店のオープンに関しては、関西出店は京都だと初めから決めておられたのですか?
代官山のお客様の半分は、インバウンドのお客様です。海外のインフルエンサーがご紹介してくださっていることもあるのですが、この流れを生かすと、関西だと、大阪の御堂筋か京都の四条辺りかなと考えていました。
京都に決めたきっかけは、昨年のサロンドパルファンで京都に出店した時、京都滞在していて、この街がすごく気に入ったからです。さらに言うとタイミングよく物件が見つかったのも、運命だと感じました。
――― 丁度、京都大丸と新風館の間にあって、四条駅から徒歩五分くらいの理想的な立地ですよね。お店の向かいには、西日本のイチゴスイーツの聖地・メゾン ド フルージュがあって…
そうなんですよ。インバウンドだけでなく、今、日本人にとっても京都は観光地として熱いので、京都限定の香りも発表したいと考えております。
京都のお店の内装は、黒皮鉄の無骨さとホワイトアッシュ材で格子の繊細さを表現した空間になっています。敢えてミニマルな空間にしているので、ゆっくりと商品と向き合って頂けると思います。
「ゲランやシャネルに認められるフレグランスを作りたい」

松野秀至さん © Kohshi Co.

© Kohshi Co.
――― 松野さんのメゾンフレグランスブランドであるKOHSHIについて質問させてください。旗艦店がオープンした2021年7月21日に3つのコレクション(コウシ、ラ・エリタージュ、キレーサ)が一挙公開されたのでしょうか?
2021年の旗艦店オープンに合わせ、108作品発表する予定のキレーサのみ、まずは長年かけて作り上げた40作品ほど発表しました。それ以外のコウシの9作品、ラ・エリタージュの3作品はもっと昔から卸しで展開していました。築地本願寺にあるオフィシャルショップなどでです。
――― その後、旗艦店以外でキレーサを発売するようになったのは、伊勢丹新宿店のサロンドパルファンからでしたでしょうか?
はい、2022年10月に行われたサロンドパルファンからでした。それまでに百貨店のイベントとして、伊勢丹新宿の本館やメンズ館で2014年から2018年にかけてオーダーフレグランスのイベントを定期的に開催してきました。
――― ようやくコロナウイルスが終焉に向かう気配を見せている中、ずっと一階で行われていたサロンドパルファンが、3年ぶりに本館6階で行われるようになった年ですね。ジャン=クロード・エレナさんが来訪しておられましたよね!
はい!私が愛用していた香水の中にジャン=クロード・エレナさんが調香したものが多かったので、すごく気になりました。
――― 私の知人は、その時、エレナさんを一階のフレデリック・マルのコーナーで見かけたらしいです。ご自身の香りを確認するように香られていたのですが、オーラが半端なくて、誰も近づけなかったと言ってました。話を戻しますね。イベントの反応はどうでしたか?
上々でした。パンデミックにより、皆さんおうち時間が増えていて、香りものに興味を持たれる方が増えたことも影響しているのでしょうが、じっくりと香り選びを楽しんでおられる方が多いように感じました。コロナ前とコロナ後では、明らかに、日本人の香水との向き合い方が変わったと強く感じています。
――― 確かにそうですよね。何日かサロンドパルファンに足を運びましたが、いつもKOHSHIさんは人だかりのイメージでした。他にフエギアさん、リベルタさん、ルシヤージュさん、キャロン、クリヴェリがいつも盛況だったイメージがあります。
松野さんが、OEMの受注だけでなく、松野さん自身のメゾンフレグランスブランドを創ろうと考えたのは、2010年に創業した時から決めていたことなのですか?
はい、そうです。私は、創業してからずっと自分が調香したフレグランスを販売することをライフワークにしたいと考えていました。ゲランやシャネルに認められるようなフレグランス・ブランドを作りたいという夢を持っていました。
――― 松野さんとインタビュー前に軽くチャットしていて、感じたのは、失礼な言い方ですが、この方は本物の香水調香師だ!という感動でした。本格的な調香トレーニングを受けていない自称調香師でも、フレーバーの調香師でもなく、フレグランスを作る真の調香師の方と今お話ししていると感じました。
ありがとうございます。空前の香水ブームの中で、国産のフレグランスのリリースも増え、それに伴い、優れた調香師の方々が、経験を積み、活躍されるようになっていると感じています。私ももっともっと頑張らないといけないと思っています。
- 「たとえばバニリンは粉雪でさら
さらしたイメージだとするなら、エチルバニリンは積もってる雪で ねっとりなのです」 - 「バニラの香りを正確に投影した石鹸は存在し
ません」 - 「インドール(Indol)という香料はジャスミンを表現する時に必須になりますが、単品ですと、アニマリックな糞
尿臭です。ですがこの香料をしっかりアコードを取りながら使用するとともて 生き生きとした躍動感のある調合香料が出来上がります」
LUSH時代を経て、四畳半で起業、そして香料&香水の工場を持つ調香師に

松野秀至さん © Kohshi Co.

© Kohshi Co.
――― 松野さん自身についてお聞かせください。子供の頃から香水や香りものに興味がございましたか?
私がフレグランスを使うようになったのは、サッカー少年だった中学生からでした。きっかけは友達がアメリカのお土産に買ってきたカルバン・クラインの「シーケーワン」をつけていてかっこいいと感じたことからでした。そして私も「シーケーワン」をつけるようになりました。
やがてダンサーになりたいと思い、ヒップホップダンスを習うようになり、シャネルの「エゴイスト」を愛用するようになりました。
――― 高校生で「エゴイスト」というのは渋いチョイスですね。この頃から香水愛に目覚めた感じですか?
目覚めたというよりも、高校時代の成績が悪くて、専門学校に入るしかないなと自分が好きなことについて考えていた時に、香水を調香してみたいなと思ったのです。そして、調香師を育成する専門学校に入ることになりました。
――― ちなみに最初に手にした香水は何でしょうか?または最初に自分のお金で購入した香水は何でしょうか?調香師の勉強をしている時に、最も影響を受けた香りについてお教えいただければ幸いです。
最初に手にした香水はセブンイレブンに売っていた資生堂の「wing」でした。調香師の勉強で影響を受けた香水は、シャネルの「No.5」とカルバン・クラインの「エタニティ」です。
――― 特に影響を受けた方はおられますか?海外の調香師の誰かに憧れたとかはございますか?
私は海外の調香師の誰かに憧れたということは一切ないのですが、この頃の私にとって中島基貴さんの『香料と調香の基礎知識』はバイブルでした。
ちなみに「中島基貴先生に師事した」という記載を避けて欲しいのは、中島さんや師事している方達に失礼に値するのかなという考えからです。香料会社として色々教えて頂いていますが、表現が難しいですよね。調香を教えてもらうというよりは、僕の調香の向きあい方は、とにかく自分で考え、中島さんにその考えが間違っていないか聞いたりはしています。
中島さんに師事している素晴らしい方はたくさんいらっしゃいますし、私自身、その方達に比べたらまだまだそのレベルにも達していないと思っています。
――― 中島基貴さんという〝日本の調香師界のレジェンド〟の方に対する松野さんの敬意が良く伝わってきました。了解致しました。記載に気を付けるように致します。さて卒業後、松野さんはどうされたのでしょうか?
当時、LUSHが日本に上陸したばかりで、LUSHで働くことにしました。
――― LUSHですか!ロンドン発のビーガン(菜食主義)コスメの先駆的存在として、日本一号店は1999年3月の自由が丘店でしたよね。「広告禁止ポリシー」も徹底していて凄いですよね。カラフルな「バスボム」や「バブルバー」で、瞬く間に、日本人のハートを掴みましたよね。ワインショップにインスピレーションを得たという店頭のあの黒板も印象的ですよね。
LUSHがイギリスで創業したのは1995年なのですが、その僅か3年後の1998年10月1日にラッシュジャパン合同会社が創立されました。そして神奈川県厚木市に本社と工場が出来ました。私はこの工場で化粧品の製造・安全管理、香料の品質管理として八年間働きました。
正直なところLUSHに就職したのは、家から近かったことが第一の要因だったのですが、働いているうちに、化粧品の製造がとにかく楽しかったので、続けることができました。
クリーム、石鹸、シャンプー、シャワージェル、ローション、フレグランス、スクラブなどの化粧品を、ベジタリアンまたはビーガンレシピのみを使用して製造しているという、エシカルな姿勢に大変感化されました。
この頃のLUSHはまだ黎明期だったので、下っ端の若者の私でも、日本の本社を越えて、本国に色々提案したりしていました。この頃から、決められたルールよりも、素晴らしい流れがあれば、それを提案せずにはおられませんでした。そしてその時の仲間は今でも、大切な仲間です。
――― 私はLUSHと言えば、その名を付けるときの逸話を思い出します。元々は「誘惑の神殿」「コスメティック・ウォリアーズ」というブランド名が付けられる予定だったということなのですが、松野さんは、新しいことに挑戦する〝戦士的な〟性格をお持ちなのですね。
LUSHは時代の先を突っ走る企業だったので、その気質が私に合っていたのだと思います。そして30歳の時、同僚である妻と結婚し、住居の四畳半の一室で起業することにしました。まったく取引先が決まらぬ中の起業となりました。
――― 四畳半からですか。すごいですね!
そこで2年半頑張り、10坪ほどのフロアを借り、ラボとして本格的に事業は軌道に乗ってゆきました。
私にとって、この物件のオーナーさんとの出会いがとても重要な出会いでした。今の工場もこの方の物件で、2017年に破格の条件でこの物件を借りることが出来、これだけの施設を持つ工場を作ることが出来たのでした。
――― 最後に、KOHSHIのコレクションのひとつについて教えてください。108作品が発売される予定のキレーサというコレクションについてです。現在までに80作品リリースされているのですが、なぜ108作品なのでしょうか?
キレーサとは、サンスクリット語で〝煩悩〟の意味です。作品数の108とはつまりは煩悩の数なのです。人間は欲があるから生きていけると思います。ですが時にはその欲のせいで悩んだり苦しんだりすると思います。そんな人間の欲をコンセプトに108作品の中から、日常生活の中での不安や葛藤をかき消し、日々の生活に彩りを持たせて欲しいという願いからなのです。
だから一ヶ月に一作品創造することが私のライフワークなのです。基本的に午前五時から午前一時まで働いていても苦にならないです。「仕事自体が僕のプライベートですから」実際、仕事が終わった後、香りを妻に試してもらい感想を聞く瞬間が至福の瞬間なのです。
妻と一緒に創業し、妻と一緒に働けることがライフサイクルなので、月に150から200のフォーミュラのうちから一作品を生み出すことが出来るのです。
――― ルイ・ヴィトンやディオールがイベントを行うように、智積院や東寺で、いつかポップアップして頂きたいほど、素敵な世界観だと思います。KOHSHIさんの香りが、〝108の煩悩の香り〟だということを知らない方もまだまだおられるでしょうから、一人でも多くの人に知って欲しいです。
杉本博司さんが三十三間堂の千躰仏(一千一体の観音様)と中尊を撮影した「仏の海」を思い出しました。ゲランの「サムサラ」を、更に〝108の煩悩〟へと昇華させたキレーサの世界観に、もっともっとちゃんと目を向けていきたいと思いました。
このキレーサというコレクションが実現するのも、私自身が香料工場と香水工場を持っているからだと考えています。なぜなら、通常どのブランドにおいても個性的すぎて売れないフレグランスは廃盤となります。それは香料の調達等の都合で、少ない生産数のフレグランスのために、少なくない量の香料を仕入れることはかなり無駄なことだからです。
しかし、私の場合は、香料工場を持っているので、年間5~10本程度しか売れない個性的な香りであっても、廃盤にせずに済むのです。
まさにこれこそが、調香師にとってとても重要である、調香技術と同じくらい香料の確保の部分なのです。自社工場がない場合は、香料の確保を常に考えて、思い切った香りを創ることが許されないのです。しかし、私はその悩みから完全に開放されているのです。
――― 今、とんでもなくすごいお話を聞いていることに気付きました。つまり通常、一切の制約はないと言っても、廃盤にならないように、冒険が出来ない環境で、調香師は作品を作るものなのですが、松野さんにはそのプレッシャーがない環境で、思う存分、個性的な、つまりは芸術性を追求した香りを生み出せるということなのですね。
はい、芸術性だけでなく、ラムネの香りなど、思い切り、遊びとサヴォアフェールを融合した香りも生み出せるわけなのです。
最後に、大体2000種の香料原料と、香水製造において〝水〟に着眼しました。この〝水〟の質と、香水を製造する技術が香水の品質を高めますし、「より良い香りを世の中に一本でも多く届ける」を 会社の理念として掲げています。
さらに言いますと香料原料へのこだわりというよりは、香料原料の品質管理っであったり、アコードの取り方に対して強いこだわりがあります。
――― そう言えば秦野の水は、日本でいちばんおいしい水に選ばれませんでしたか?
そうなんです。だから秦野に工場があるんです。
KOHSHIについて(基本情報)

© Kohshi Co.
2010年に元LUSHの松野秀至さんが創業した株式会社『香師』による、日本発のメゾンフレグランスブランド KOHSHIは、コウシ(9作品)、ラ・エリタージュ(3作品)、キレーサ(80作品)の3シリーズで展開されています。
特に、全108作品で完結する予定のキレーサとは、サンスクリット語で〝煩悩〟の意味です。作品数の108とは煩悩の数です。108作品の中から、自分に合った香りを選び、日常生活の中での不安や葛藤をかき消し、日々の生活に彩りを持たせて欲しいという願いから生み出されています。
ここでカイエデモードが特に気になっているいくつかの香りの公式文を羅列してゆきます。

公式ウェブサイトに掲載されている、それぞれの香りのイメージ画像がとても興味深い。© Kohshi Co.
1.「absinthe fraise」中毒性のある禁断のお酒アブサンに、人を魅了する悪魔の果実、苺を漬け込んだ。後戻りができない入り口に足を踏み入れた瞬間、心と身体は支配される。

© Kohshi Co.
2.「alliance」高貴な甘さを持つイチジクにブラックティーの渋みが加わり、ローズ・ジャスミンが可憐で凛とした女性を思わせる。

© Kohshi Co.
3.「amande brûlée」カスタードクリームの芳醇な甘さや、表面をパリッと焦がしたカラメルソース、アーモンドの絶妙なハーモニーが口いっぱいに広がる。

© Kohshi Co.
4.「brainwashing」チェリーブロッサムと梅の凛とした香り。木の枝を支える立派な支柱は、木々を操っているように見える。

© Kohshi Co.
5.「chemin」いつもの通り道に開業したアイスクリーム屋さん。私の大好きなチョコミント。

© Kohshi Co.
6.「endormi」まだか、まだかと待ち焦がれる、眠っているワインたち。熟成しているワインは、甘く芳しい葡萄とオーク材のワイン樽のハーモニー。

© Kohshi Co.
7.「hangover」ブランデーの一種『コニャック』をグリーンコニャックとホワイトコニャックで表し、ローズやタバックで芳醇さと渋みを表した香り。

© Kohshi Co.
8.「natsumatsuri」待ちに待った夏祭り!!といえばラムネ。氷でキンキンに冷えたラムネを、喉を鳴らしながら飲み干す。

© Kohshi Co.
9.「snow fantasy」甘々のペロペロキャンディーやマシュマロの街。そこは子供たちの楽園。グミを詰めて列車は走る。

© Kohshi Co.
10.「stomach」ピンクのチョコを纏ったドーナツ。蜂蜜とバニラの美味しい甘さにより、別腹が作動する。

© Kohshi Co.
11.「swank」私の足を見て!綺麗でしょと足を見せびらかす。カシスとハーバルのユーカリで、細くしなやかな足を表現した香り。

© Kohshi Co.
12.「taian」戦国時代から茶人の千利休が、現代2023年にやってきた。喫茶店で働く、千利休は「抹茶ラテ」を淹れる。

© Kohshi Co.
13.「vainly」甘くとろけるビターなチョコレートを青色に煌めくジャーマンカモミールとローズで表現。高級リキュールのような香りのダバナが、レザーとタバックで渋みのある香りに変化する。