フランソワ・ドゥマシー ディオールの専属調香師

クリスチャン・ディオール
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フランソワ・ドゥマシー

Francois Demachy 1949年、フランス・カンヌ生まれ。幼少期にグラースに引越しし、父親はグラースでファーマシーを経営していた。1971年にシャラボで働き、1977年から、29年間シャネルジャック・ポルジュの下で働くことになり、ジャック・ポルジュの恋女房と呼ばれるようになる。

2006年に、LVMH(傘下にはゲラン、KENZO、ジバンシィ、アクア・ディ・パルマ、ロエベ、フェンディ)のフレグランス部門のスーパーバイザー兼ディオール初の専属調香師に抜擢される。

代表作

ジャドール(クリスチャン・ディオール)
JOY BY DIOR ジョイ(クリスチャン・ディオール)
ボア ダルジャン(クリスチャン・ディオール)
メゾン クリスチャン ディオール(クリスチャン・ディオール)
ミス ディオール(クリスチャン・ディオール)
ミッドナイト プワゾン(クリスチャン・ディオール)
ティファニー パルファム(ティファニー)

フランソワ・ドゥマシーの全ての香水一覧
【ディオール香水聖典】フレグランス帝国の華麗なる伝説

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彼こそがミスター ディオール

2006年までは、影のような存在だったドゥマシー。

ルイ・ヴィトンの専属調香師ジャック・キャバリエと共に。

多くの市場に出回るフレグランスの原価は5%にも達していません。私はそんな状況を常々苦々しく思っていました。そして、ディオールもそう考えていたからこそ、私は今ここにいるのです。

フランソワ・ドゥマシー

フランソワ・ドゥマシーという調香師は、2006年までほとんど無名の調香師でした。そんな彼が、突然LVMH(傘下にはゲラン、KENZO、ジバンシィ、アクア・ディ・パルマ、ロエベ、フェンディ)のフレグランス部門のスーパーバイザー兼ディオール初の専属調香師になったのでした。

シャネルは花が好きではなかった。そのためシャネルの香水は、フローラルよりも抽象的なのです。

フランソワ・ドゥマシー

生粋のフランス人でありながら、イタリアのシラクサやシエーナを愛し、イタリア文化(最も好きな作品はルキノ・ヴィスコンティの『山猫』)と日本文化を凄く愛しているこの男性は、シャネルで29年間ジャック・ポルジュの補佐として働いてきたシャネル・フレグランス人気の影の功労者でした。そんな彼が表舞台に立つことから、ディオールを初めとするLVMHグループのフレグランスの快進撃は始まったのでした。

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ディオールのバラ園

ナタリー・ポートマン、ディオールのバラ園「ドメーヌ ドゥ マノン」にて。

ディオールのバラ園「ドメーヌ ドゥ マノン」。

フランソワ・ドゥマシー、ディオールのバラ園「クロドゥ カリアン」にて。

私が最も愛している香りは、ローズとジャスミンです。ジャスミンは肉感的で、禁じられた感覚を沸き起こし、ローズは、女性の完全性のシンボルだからです。

フランソワ・ドゥマシー

合成香料はとても重要です。それらは天然香料の品質を保ってくれます。更に、それらは、天然香料の効果と個性を高めてくれます。

フランソワ・ドゥマシー

フランス・グラースでは、フランス革命前夜の18世紀の終わりからフレグランスの原料としてラベンダー、ジャスミン、ローズ、ミモザなどの花々が栽培されていました。しかしかつて年間5,000トンを超えていた栽培量は、2000年代には数100トンにまで減少してしまいました。

そんな中、ディオールとフランソワ・デュマシーはバラの有機農園「ドメーヌ ドゥ マノン」「クロドゥ カリアン」というふたつの花畑と独占契約を結び、グラースの香料用花栽培の復活をサポートしていく流れを作り、今では契約農園も拡大しています。

フランソワ・ドゥマシーの軌跡

シャネルのジャック・ポルジュの恋女房と言われていました。

私は高価な香料で香水を作ることを好まない。なぜならそれはウード(沈香)やアンバーグリス(龍涎香)、チューベローズのように優れた香りではあるが、希少価値が高く、値が上がりすぎている香料もあるからだ。調香は、調理とよく似ている。高価な材料で作れば、素晴らしい料理を作ることは容易い。しかし、私はそれほど高価ではない香料で、最高の香水を生み出すことこそ、一流の調香師に求められる能力だと心得ている。

フランソワ・ドゥマシー

クリスチャン・ディオールが、ディオール初のフレグランス「ミス ディオール」を発表したのが1947年でした。その2年後の1949年に、フランソワ・ドゥマシーはフランスのカンヌで生まれました。幼少期にグラースに引越しし、そこで青年期までを過ごすことになります。彼の父親はグラースでファーマシーを経営しており、「オード・グラース・インペリアル」というオードコロンを自作して販売していました。そんな父親の顧客の一人がエドモンド・ルドニツカ(クリスチャン・ディオールの友人であり、「ディオリッシモ」や「オー ソバージュ」を調香した人)でした。

ドゥマシーがフレグランスに興味を持ったのは、グラースの町を包み込むローズやジャスミン、ミモザの香りからだけでなく、母親が愛用していたシャネルNo.5とミス・ディオールに強く惹かれたからでした。そして、思春期に、父親のファーマシーで働き、香水製造のイロハを学びました。やがて、毎年夏休みにグラースの香水ファクトリーや倉庫、工房で研修生として働くことになりました。

私の師匠はアンリ・ロベールです。(シャネルの二代目調香師であり、プール ムッシュウNo.19などを調香)

フランソワ・ドゥマシー

そして、1971年にグラースのシャラボ(主にジャスミン、ローズ、アイオリスの天然香料を扱う)で働くことになります。5年間トレーニングを受けた後、25歳のとき、ニューヨークで6ヶ月間トレーニングを受け、1977年から、29年間シャネルでジャック・ポルジュの下で働くことになりました。

彼がはじめて作ることが許された香りは、〝牛が干草を食べたくなるように誘導する香り〟でした。

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