クリスチャン・ディオール

フランソワ・ドゥマシー ディオールの専属調香師(2ページ)

    フランソワ・ドゥマシー
    Francois Demachy
    1949年、フランス・カンヌ生まれ。
    <代表作>
    ジャドール(クリスチャン・ディオール)
    プワゾン・ガール(クリスチャン・ディオール)
    ディオール・アディクト(2014年)(クリスチャン・ディオール)
    ミス・ディオール・オードゥ・パルファン(クリスチャン・ディオール)
    ソヴァージュ(クリスチャン・ディオール)
    ダリア ディヴァン・ネクター(ジバンシィ)



    『ミス・ディオール』を創る『ミスター・ディオール』

    2006年までは、影のような存在だったドゥマシー。

    ルイ・ヴィトンの専属調香師ジャック・キャバリエと共に。

    多くの市場に出回るフレグランスの原価は5%にも達していません。私はそんな状況を常々苦々しく思っていました。そして、ディオールもそう考えていたからこそ、私は今ここにいるのです。

    フランソワ・ドゥマシー

    フランソワ・ドゥマシーという調香師は、2006年までほとんど無名の調香師でした。そんな彼が、突然LVMH(傘下にはゲラン、KENZO、ジバンシィ、アクア・ディ・パルマ、ロエベ、フェンディ)のフレグランス部門のスーパーバイザー兼ディオール初の専属調香師になったのでした。

    生粋のフランス人でありながら、イタリアのシラクサやシエーナを愛し、イタリア文化(最も好きな作品はルキノ・ヴィスコンティの『山猫』)と日本文化を凄く愛しているこの男性は、シャネルで29年間ジャック・ポルジュの補佐として働いてきたシャネル・フレグランス人気の影の功労者でした。そんな彼が表舞台に立つことから、ディオールを初めとするLVMHグループのフレグランスの快進撃は始まったのでした。



    ディオールのバラ園

    ナタリー・ポートマン、ディオールのバラ園「ドメーヌ ドゥ マノン」にて。

    ディオールのバラ園「ドメーヌ ドゥ マノン」。

    フランソワ・ドゥマシー、ディオールのバラ園「クロドゥ カリアン」にて。

    私が最も愛している香りは、ローズとジャスミンです。ジャスミンは肉感的で、禁じられた感覚を沸き起こし、ローズは、女性の完全性のシンボルだからです。

    フランソワ・ドゥマシー

    合成香料はとても重要です。それらは天然香料の品質を保ってくれます。更に、それらは、天然香料の効果と個性を高めてくれます。

    フランソワ・ドゥマシー

    フランス・グラースでは、フランス革命前夜の18世紀の終わりからフレグランスの原料としてラベンダー、ジャスミン、ローズ、ミモザなどの花々が栽培されていました。しかしかつて年間5,000トンを超えていた栽培量は、2000年代には数100トンにまで減少してしまいました。

    そんな中、ディオールとフランソワ・デュマシーはバラの有機農園「ドメーヌ ドゥ マノン」「クロドゥ カリアン」というふたつの花畑と独占契約を結び、グラースの香料用花栽培の復活をサポートしていく流れを作り、今では契約農園も拡大しています。



    フランソワ・ドゥマシーの軌跡

    シャネルのジャック・ポルジュの恋女房と言われていました。

    私は高価な香料で香水を作ることを好まない。なぜならそれはウード(沈香)やアンバーグリス(龍涎香)、チューベローズのように優れた香りではあるが、希少価値が高く、値が上がりすぎている香料もあるからだ。調香は、調理とよく似ている。高価な材料で作れば、素晴らしい料理を作ることは容易い。しかし、私はそれほど高価ではない香料で、最高の香水を生み出すことこそ、一流の調香師に求められる能力だと心得ている。

    フランソワ・ドゥマシー

    クリスチャン・ディオールが、ディオール初のフレグランス「ミス・ディオール」を発表したのが1947年でした。その2年後の1949年に、フランソワ・ドゥマシーはフランスのカンヌで生まれました。幼少期にグラースに引越しし、そこで青年期までを過ごすことになります。彼の父親はグラースでファーマシーを経営しており、「オード・グラース・インペリアル」というオードコロンを自作して販売していました。そんな父親の顧客の一人がエドモンド・ルドニツカ(クリスチャン・ディオールの友人であり、「ディオリッシモ」や「オー・ソバージュ」を調香した人)でした。

    ドゥマシーがフレグランスに興味を持ったのは、グラースの町を包み込むローズやジャスミン、ミモザの香りからだけでなく、母親が愛用していたシャネルNo.5とミス・ディオールに強く惹かれたからでした。そして、思春期に、父親のファーマシーで働き、香水製造のイロハを学びました。やがて、毎年夏休みにグラースの香水ファクトリーや倉庫、工房で研修生として働くことになりました。

    私の師匠はアンリ・ロベールです。(シャネルの二代目調香師であり、プール・ムッシュウ、No.19などを調香)

    フランソワ・ドゥマシー

    そして、1971年にグラースのシャラボ(主にジャスミン、ローズ、アイオリスの天然香料を扱う)で働くことになります。5年間トレーニングを受けた後、25歳のとき、ニューヨークで6ヶ月間トレーニングを受け、1977年から、29年間シャネルでジャック・ポルジュの下で働くことになりました。



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