究極のフレグランスガイド!各ブランドの聖典ページ一覧にすすむ

ジャック・キャヴァリエ=ベルトリュード ルイ・ヴィトンの調香師

調香界のスーパースター達
©LOUIS VUITTON
調香界のスーパースター達
この記事は約12分で読めます。
当サイトではアフィリエイト広告を利用しています

ジャック・キャヴァリエ=ベルトリュード(ジャック・キャバリエ)

Jacques Cavallier 1962年1月24日、フランス・グラース生まれ。5世紀にわたる調香師一家の4代目にあたる調香師であり、6才の頃より両親の仕事を手伝うようになる。そして8才の頃から調香師である父親に、天然原料についての英才教育を受け、5,000種類もの香りを認識し、嗅ぎ分けることが出来るようになる。

20才で調香師になる。1990年からフィルメニッヒ社で働くようになり、1992年の「ロー ドゥ イッセイ」によりオゾンノートの創造する。フィルメニッヒ社在籍中の彼のキャリアは、まさに〝調香界のモーツァルト〟と呼ぶに相応しいものでした。

1995年に「ブルガリ プールオム」を創造し、1万円前後の香水が、ラグジュアリー・ブランドを身近な存在にする役割を果たしていく流れを生み出す。そして、2012年に、ルイ・ヴィトンの専属調香師になり、現在も香水芸術の第一線で活躍中である。

香水には、ボリューム、魅力、特徴、洗練が必要だ。この4つがあれば、何でもできる。

ジャック・キャヴァリエ

代表作

アクア ディ ジオ プールオム(ジョルジオ・アルマーニ)
イマジナシオン(ルイ・ヴィトン)
ヴォカリーズ(資生堂)
エムセット M7(イヴ・サンローラン)
クラシック(ジャン=ポール・ゴルティエ)
ステラ(ステラ・マッカートニー)
SPELL ON YOU スペル オン ユー(ルイ・ヴィトン)
ノワール デ ノワール(トム・フォード)
ブルガリ プールオム(ブルガリ)
ポエム(ランコム)
ローズ デ ヴァン(ルイ・ヴィトン)
ロー ドゥ イッセイ(イッセイ・ミヤケ)

スポンサーリンク

調香師界のモーツァルト

ルイ・ヴィトンの専属調香師になる前のジャック・キャヴァリエ。

私がこの仕事に従事していなかったら、F1ドライバーか心理学者になっていたでしょう。

ジャック・キャヴァリエ

彼が創り出すフレグランスの特徴は香りの構造がピラミッド型ではなく、スパイラル構造であること。つまり時間によって香り全体が変化するのではなく、香料が時間差で飛び出す構造です。

『香水ブランド物語』 平田幸子

2016年9月、香水を販売していない〝最後のラグジュアリー・ブランド〟であった、ルイ・ヴィトンが7種類の香水「レ パルファン ルイ ヴィトン」を発売することになりました。東京と大阪の二店舗で、初日に少なくとも2000万円もの売り上げを上げたと推定されるこの奇跡のコレクションをクリエイトした人こそ、2012年にルイ・ヴィトンの専属調香師になったジャック・キャヴァリエです。

世界の2大香料メーカーの1つフィルメニッヒ社のマスター・パフューマーを22年間つとめ、2010年代まで世界三大調香師(ソフィア・グロスマンジャック・ポルジュ)と呼ばれた人でした。

キャヴァリエは、4代続く調香師一族に生まれ、母親は、香料の成分のブレンダー(1952年から1962年にかけてエドモン・ルドニツカの助手を務めた)でした。6才の頃より両親の仕事を手伝うようになり、8才の頃から調香師である父親(2017年に亡くなる)に、天然原料について英才教育を受けました。

ジャック・キャヴァリエの香りの最初の想い出は、母親のローズウォーターでした。だから、彼のすべての香りの中にはかならずローズが存在します。

毎晩、ジャック少年は、父親からエッセンスに浸した吸い取り紙を数枚与えられ、夜明けにそれぞれの香りについて詳しく書面で説明することを課せられたのでした。やがて、ローズ、アガーウッド、ジャスミン、オレンジ・フラワーの品質が香水の品質を左右する必要不可欠な要素だと気づくのでした。

10才より、学校が休みの時期には、両親が働く香水工場で働くようになりました。のちに大学卒業後、天然香料で有名なシャラボで4年間働くようになりました。その間朝の5時から7時まで2時間、(同じくシャラボで調香師として働いている)父親から原材料について本格的に学びました。

「私のクリエイトのルーツはこの毎朝の二時間にあります」とキャヴァリエ自身も回想しています。ちなみに彼がはじめてプライベートで使用した香水は、ファベルージュの「ブリュット」でした。

スポンサーリンク

『世界三大調香師』への道

©LOUIS VUITTON

5,000種類もの香りをキャヴァリエが嗅ぎ分けるようになるためには、ひとつひとつの香りを記憶し、思い出し、その香りを嗅ぎ当て、表現し、そのルーティンを延々と繰り返すという、言語学習と同様の方法のトレーニングが少年時代から行われました

すべてのはじまりは、パチョリ、ローズ、ムスク、レモン、バニラといった5つの原料の様々な産地の香りを一ヶ月間覚えることからでした。このプロセスは、規律と厳格さをもって毎日繰り返され、一ヵ月後、エッセンスを特定し、分類し、混合し、再度分離できてはじめてトレーニングのスタートラインに立つことが出来るのでした。

最終的に、5,000種類のエッセンスを記憶できるまで、さらに定期的に最低1,000回は反復する必要がありました。キャヴァリエ自身〝嗅覚と脳を鍛えるために15年~20年かかる〟と考えています。「その訓練を受けた人は誰でも調香師に必要な嗅覚を持つようになるでしょう。しかし、毎日エッセンスの匂いを嗅いで記憶をリフレッシュする必要があります。」

一般的に調香師は、使用する材料を200種類のパレットに制限するのですが、キャヴァリエは、2000種類ほどの幅広い範囲を好んで使用しています。

スポンサーリンク

「ロー ドゥ イッセイ」というモンスター=海の神を創造する。

cresp-cavallier-lancome-magnifique

ジャック・キャヴァリエとオリヴィエ・クレスプ

ジャック・キャヴァリエは、ニース大学で英語とスペイン語を学んだ後、18歳の時、父親の職場であるグラースのシャラボ社に入社し、一緒に4年間働き基礎知識を学び、はじめてのフォーミュラを作りました。

3年後に、クエスト・インターナショナルのオランダの研究所に転職し、1988年からPFW アロマ ケミカルズ社を経て(ギ・ロベールと一緒に働く機会を得る)、1990年3月からはフィルメニッヒ社で働くようになりました。

シャンタル・ルース様

つまり、彼自身は化学や調香を学校で学んだことはありません。そしてフィルメニッヒで二人のキーパーソンと出会うことになります。〝義兄弟〟アルベルト・モリヤスと、〝永遠の女神〟シャンタル・ルース(元フライト・アテンダント)です。「ロー ドゥ イッセイはシャンタルがいたからこそ完成できた作品です」とまでキャヴァリエに言わしめた人です。

フィルメニッヒ在籍中の彼のキャリアは、まさに〝調香界のモーツァルト〟と呼ぶに相応しいものでした。

特筆すべき彼の成功は、オゾンノートの創造です。カロンという、ウォーター・メロンの香りを伴った軽い潮風のような香りの合成香料を使用し、「ロー ドゥ イッセイ」をはじめとするオゾンノートの香水を1990年代に大流行させました。

オゾンノート、それは、1988年にはじまるマリンノートの進化形とも言われる香調であり、〝海水〟から〝純粋な水〟へと突き進む、人間の自然回帰の欲求が生み出した香調でした。

一方で、1995年にブルガリ プールオムにより、1万円前後の香水が、ラグジュアリー・ブランドを身近な存在にする役割を果たしていく、〝ブランドのアンバサダーとしての香水〟の役割を牽引していくことになるのでした。

キャヴァリエ自身、ジョルジオ・アルマーニの「アクア ディ ジオ」と「ロー ドゥ イッセイ」が自身の最も成功した作品だと考えています。一方、彼自身のお気に入りの香水として、1966年にエドモン・ルドニツカにより生み出されたディオールの「オー ソバージュ」と、1977年にジャン・ルイ・シュザックジャン・アミック、レイモンド・シャイランにより生み出されたイヴ・サンローランの「オピウム」を挙げています。

「オピウムこそが、1970年代後半の香料の進歩の導火線でした」と断言しています。

詩を愛する人であり、何よりもアルチュール・ランボー、ヴェルレーヌを愛する人です。音楽は、ディープ・パープルやドナ・サマー、マイケル・ジャクソン、クインシー・ジョーンズが大好きです。 特にアムステルダム時代にはじめて聞いた「ビリー・ジーン」は、彼にとって不滅の音楽とのことです。

スポンサーリンク

見えない芸術=香水/見える芸術=ボトル

ジャック・キャヴァリエ ©LOUIS VUITTON

「よく言われている話ですが、香水を肌に乗せると人によって匂いが異なると言われています」という質問に対して、ジャック・キャヴァリエは鼻で笑いながら「本物の香水は、誰がつけても同じ匂いがする。香水をスプレーする究極の場所は、鎖骨の両側です」と答えています。

ジャック・キャヴァリエは、2000年にフィルメニッヒ社のマスター・パフューマーの称号を獲得した後、トム・フォードのためにYSLの香水を作り、トム・フォードが、自分自身のフレグランスをローンチした時には、2007年にタスカン レザーノワール ド ノワール(両方ともハリー・フレモントとの共作)を作りました。

「アメリカ人は甘さを愛しています。一方、アジア人はオスマンサスを愛しています」と語るキャヴァリエにとって、自身の香水の神様は、奥様と言い切ります。「私は自分の全ての香水から、一番最初に思い浮かべるのは妻です。それは、最後にどの香りにするか選んでもらうのが彼女だからです」。

香水の芸術性を誰よりも理解し、時代を最も敏感に映し出す彼の作品の数々は、彼の香水を愛用していた人々にとって、その時代を生きた記憶を呼び起こす〝魔法の水〟と言えます。人間は、ふとした瞬間に全く失っていた記憶が呼び覚まされる時があります。それは香りによってなのです。

2004年には、香水業界の最高の権威であるフランソワ・コティ賞(現、国際パルファム賞 Prix International du Parfum)を受賞しました。

スポンサーリンク

2012年1月2日に、ルイ・ヴィトンの専属調香師に就任。

lv-parfums_78-79

©LOUIS VUITTON

©LOUIS VUITTON

『レ フォンテーヌ パルフュメ』©LOUIS VUITTON

アトリエ内 ©LOUIS VUITTON

2012年1月2日にキャヴァリエは、ルイ・ヴィトンの専属調香師に迎えられることになりました。さらに2013年に当時廃墟になっていた歴史的な17世紀の邸宅(香水工場が併設されていた)を改装し『レ フォンテーヌ パルフュメ』が誕生しました。メゾンのフレグランス・アトリエです(同じ建物内に、ディオールのフレグランス・アトリエもあり、当時ディオールの専属調香師だったフランソワ・ドゥマシーもそこで働く)。

このアトリエには、コート・ダジュールのガーデンデザインの大御所、ジャン・ムスがデザインした庭園が広がっています。そこには、20種類のミントを含む世界中の450種以上柑橘類と花々が植えられています。

ジャック・キャヴァリエがルイ・ヴィトンの専属調香師になる契約を持ちかけられた時、その2年前から家族と共に、パリからグラースに戻ってきていました。それはパリジェンヌである妻と一緒にバカンスでひと夏グラースで過ごしたことがきっかけでした。そのためこのオファーは運命的なものでした。

ちなみに、キャヴァリエがルイ・ヴィトンではじめて商品を購入したのは、1979年の17歳の母の日のことでした。香料会社で見習いとして働いた月給1285フランを持って、カンヌのブティックでクリスマスのための赤いエピのレザーバッグを購入したのでした。

かくしてキャヴァリエは、2012年1月からルイ・ヴィトンの香水の調香を開始し、2年後にリリースするタイムテーブルが組まれたのですが、より万全を期すために、2年延期され、2016年春、ルイ・ヴィトン本社5階に95種類の商品化可能な香りがずらりと並べられました。

いよいよ商品化する最終決定の会議が行われることになりました。出席者は、LVMHの総帥ベルナール・アルノー、ルイ・ヴィトンのCEOのマイケル・バーク、マネージング・ディレクターのデルフィーヌ・アルノー、パルファン部門の責任者だったローレンス・セミチョン、そしてジャック・キャヴァリエの5人でした。かくして7作品が選抜されたのでした。

2016年9月15日に、日本では、表参道店、松屋銀座店、阪急梅田店においてルイ・ヴィトン初のフレグランス「レ パルファン ルイ ヴィトン」が発売されました。それはまさに約70年ぶりのルイ・ヴィトンのフレグランス発売の瞬間でした。

カミーユ・キャヴァリエ ©LOUIS VUITTON

ルイ・ヴィトンの最初の香りが発表された当時16歳だった長女カミーユが、2017年から18歳にして正式にアシスタントになり、以降、ルイ・ヴィトンの一員として新人調香師として頑張っています。