クリスチャン・ディオール

【ディオール】プワゾン シリーズの全て

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【ディオール】プワゾン シリーズの全て

All About Poison
公式ホームページ


「プワゾン」神話のはじまり

全てのものは毒であり、毒でないものなど存在しない。その服用量こそが毒であるか、そうでないかを決めるのだ。
パラケルスス

「1980年代において、人々は、香りよりも先に、名前に惹かれるかどうかでその香水の運命は決まるんだ!」

パルファン・クリスチャン・ディオールの社長モーロス・ロジェのこの発言から生み出されたのが、「毒」をフランス語読みにした「プワゾン」という名の香水でした。それは「もっとも香水の名に相応しくない名をつけた香りを創造しよう」という構想から始まったのでした。

1981年に社長に就任した彼にとって、二つの果たさなければならない宿願がありました。ひとつは、1977年に発売されたイヴ・サンローランの「オピウム」を凌ぐセンセーショナルな香りを創造すること。そして、もうひとつは、アメリカ市場(世界の香水販売の40%を占める)においてディオール旋風を巻き起こすことでした。

プワゾン前夜のディオールは、ヨーロッパにおいては、No.1かNo.2のコスメ販売のシェアを占めていたのですが、アメリカにおいてはトップ20にも入らない状況でした。そんな状況を変えるべく、モーリスは、香りを決める前に、まず最初に、フレグランスの名前を決定することにしたのでした。それは1983年のことでした。

ポール・ヴァレリーの「香水は心の毒薬」という言葉からインスパイアされつけられたのが「プワゾン」という名前でした。

日本のバブル景気を象徴するフレグランス

新作香水「プワゾン」によりディオールのアメリカ市場での大躍進を狙っていたモーリス・ロジェは、事前に綿密に行っていた市場調査の結果、アメリカ人は、香水を付け直すことを嫌うという事実を踏まえ、持続力のある香りを作ることを重要視しました。そして、800回以上の試香の末、多くの調香師によって作り上げられたサンプルの中からエドゥアール・フレシェが調香したものが選ばれたのでした。

綿密に計算されたボトル・デザインは、アダムとイブの禁断のリンゴと火山のイメージで創られました。それは手のひらにぴったりと収まるサイズであり、ヴェロニク・モノーによりデザインされました。

1985年9月に発売された「プワゾン」は、ヨーロッパ中を席巻し、1986年のアメリカ及び日本上陸によって、世界中は、「プワゾン」の香り一色に塗り固められたのでした。

以後、プワゾンは、1994年に「優しい毒、ソフトな毒」という名の2代目プワゾン=「タンドゥル プワゾン」、1998年にジョン・ガリアーノがクリエイションに関わった「眠りを誘う毒」という名の3代目プワゾン=「ヒプノティック プワゾン」、2004年には、「純度100の毒薬」という名の4代目プワゾン=「ピュア プワゾン」、2007年には、シンデレラをイメージした「真夜中の毒」という名の5代目プワゾン=「ミッドナイト プワゾン」、そして、2016年には、若者をターゲットにした「毒少女」という名の6代目プワゾン=「プワゾン ガール」を発表したのでした。

プワゾン シックス シスターズ(6姉妹)


プワゾン 1985年(エドゥアール・フレシェ)

タンドゥル プワゾン 1994年(エドゥアール・フレシェ)

ヒプノティック プワゾン 1998年(アニック・メナード)

ヒプノティック プワゾン オーセンシュアル 2010年(フランソワ・ドゥマシー)

ピュア プワゾン 2004年(カルロス・ベナイム、ドミニク・ロピオン、オリヴィエ・ポルジュ)
Christian-Dior-Midnight-Poison
ミッドナイト プワゾン 2004年(ジャック・キャヴァリエ、オリヴィエ・クレスプ、フランソワ・ドゥマシー)

プワゾン ガール 2016年(フランソワ・ドゥマシー)

プワゾン ガール オードゥトワレ 2017年(フランソワ・ドゥマシー)

プワゾン ガール アンエクスペクティッド 2018年(フランソワ・ドゥマシー)

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