ジャン=クロード・エレナ

ジャン=クロード・エレナ 香水を芸術に変えた調香師(3ページ)

    ジャン=クロード・エレナ
    Jean-Claude Ellena
    1947年、フランス・グラース生まれ。
    ジャン=クロード・エレナの全ての香水一覧

    <代表作>
    地中海の庭(エルメス)
    ナイルの庭(エルメス)
    オスマンサス・ユンナン(エルメス)
    ケリー・カレーシュ(エルメス)
    ローズ・イケバナ(エルメス)
    テール・ドゥ・エルメス(エルメス)
    ファースト(ヴァンクリーフ&アーペル)
    オードゥ・カンパーニュ(シスレー)
    オスマンチュス(ザ・ディファレント・カンパニー)
    イン・ラブ・アゲイン(イヴ・サンローラン)
    オ・パフメ オーテヴェール(ブルガリ)
    デクラレーション(カルティエ)


    香水を哲学するヒト。ジャン=クロード・エレナ

    「彼の香りには、モーツァルトの伴奏がついている」

    かねてより、調香師は作曲家にたとえられてきた。しかし、私はつねづね自分は香りの文筆家だと思っている。

    ジャン=クロード・エレナ

    21世紀のフレグランスに芸術性を与えた男がいた。「私は俳句のように、香りを作りたかった」と語り、究極のミニマリズムを標榜するその人の名をジャン=クロード・エレナと申します。

    彼のほとんどのフレグランスは、香りの原料を20~40種類のみ使用して作られていました(通常フレグランスはその10倍~30倍以上の原料が使用されている)。

    ラグジュアリー・ジュエリー・ブランドのために最初のフレグランス(ヴァンクリーフ&アーペルの「ファースト」)を調香し、更に、ブルガリの最初のフレグランス(「オ・パフメ オーテヴェール」)を調香した彼は、エルメスというラグジュアリー・ブランド界の頂点に君臨するブランドにおいて、史上最初の専属調香師という地位に立ちます。

    新しい創造とはいえない香水がつぎつぎと洪水のように現われ、似たような広告(しかもしばしば同じひとりのモデルが複数のブランドの顔になっている)が、うんざりするほど繰り返される。顧客は消費者として扱われるだけである。こうした状況では顧客は、香水に夢、アイデンティティー、快楽を見つけることができず、ほかの製品、ほかの夢の領域へと向かってしまう。

    ジャン=クロード・エレナ

    ジャン=クロード・エレナの存在は、間違いなく、私たちが見失いがちな香水に対する芸術性の側面を教えてくれます。それは、「恋愛」系及び「女子力」系フレグランスにうんざりしている自分自身に気づかされます。「恋する女性の香り」というキャッチフレーズが如何に安っぽい商業主義であるかを気づかせてくれるのです。

    真に創造と呼べる香水だけが、(顧客に)動揺を引き起こし、予期せぬものを与えることができる。そして、顧客が疑問をいだき、習慣を捨てるきっかけとなる。創造的な香水は、顧客の知覚能力を広げるのだ。ブランドへの愛着も、こうして生まれるのだろう。

    ジャン=クロード・エレナ

    上質な靴を履いていると、上質なステージへとその人を導いてくれるように、感受性豊かな香りに包まれると、悲しみも喜びも全てひっくるめて豊かな人生を導いてくれるのです。そして、世俗的な面から捉えても、もはや、香水は、靴やバッグと同等の位置を占めているのです。それは、それらを身に纏う人間の個性と知性を決定付ける三種の神器の一つになっているのです。

    果たして、どうして、本当に、恋の真っ只中に、喜びを感じている女性が、改めて「恋する女性の香り」を身に付ける必要があるのでしょうか?甘ったるいベリーの香りをプンプンとさせて、幸せオーラを拡散する必要があるのでしょうか?それは、どこかSNSで、充実した日常を見せびらかしたいと考える陳腐な感覚に似たものがあるのではないでしょうか。



    ジャン=クロード・エレナの香水哲学。

    「人生においての最高の贅沢は、喜びを分かち合うことです。香水にはそれが出来ます。」

    考えてみよう。通りや映画館、劇場の客室で、どれだけの数の香水が隣り合うことになるか、気付いているだろうか、「レール・デュ・タン」「ファースト」「No.5」「オー・ソバージュ」「シャリマー」「オピウム」「テール・ドゥ・エルメス」「エンジェル」「オー・デ・メルヴェイユ」の香りを感じると、1947年、1976年、1921年、1966年、1925年、1977年、2006年、1992年、2004年の時間のなかを散歩するような気分になる。香水にはモード(流行)以上のなにかがある。広告にはできない、なにか。香水は時間を横断する。そして身につけられるものである。芸術作品でなければ「時間の外に」生きるものは多くはない。

    ジャン=クロード・エレナ

    香水づくりを通して、私は日々美を追及している。しかし、いまだ美がどこにあるかを知らない。知っているのは、人々をうっとりと魅惑し、心をそそり影響を与える、つまり誘惑するためには、知識を使いこなして演出し、欲望をそそる香水をつくらねばならないということだ。欲望をそそるとは、古典的な哲学者にとっては芸術の限界を表す言葉だ。香水は蒸発して、消えてしまうからこそ、誰も所有できず、欲望が欲望のまま残るのである。人々の記憶や、嗅覚の共通の思い出のおかげで、香水を魅惑的なものにすることができる。

    ジャン=クロード・エレナ

    創作のためにときには耳をふさぎ周囲の音を聞かないようにすることも必要である。もう香料を重ねたりしない。香料は並べる。混ぜることもない。結びつける。私の香水は、完成はしていても完結はしていない。わたしは香水の中にあえて空白の部分、【余地】を残して、そこに使い手が自由に想像を描き加えるようにしておく。つまり、それは【使い手専用のスペース】なのである。

    ジャン=クロード・エレナ



    ジャン=クロード、香水の聖地グラースで生まれる

    好きな食べ物は何ですか?「トリュフです!」

    ポール・セザンヌを愛し、俳句、禅、仏教から浮世絵に至るまで日本文化を崇拝し、愛しているこの人は、1947年に、ジボダン社(世界最大の香料メーカー)の調香師の父の下でフランス・グラースに生まれました。のちにエレナ自身が回想している最初の嗅覚の記憶は、4歳の時に、お菓子を探していて、食器棚の一番上に隠してあったクッキーボックスを見つけた時の匂いでした。それは開けるとバニラの匂いがして、しかし、腐っていました。

    若き日より、グラースの野山を駆け巡り、叔母と共に、夜明けにジャスミンを摘んで、香料メーカーに売っていました。「私は、はっきり言って成績が良くなく、母親から諦められていました」と言うエレナの人生を決めたのは19歳の時、父親から渡された小冊子でした。

    そんなとき、黒地に白い花束の挿絵の入った小冊子に出会い、読んで衝撃を受けた。ドラゴコ社の雑誌『ドラゴコ・レポート』、エドモンド・ルドニツカの総特集号である。・・・1962年の昔のものではあったが、書かれた内容は新しかった。美、趣味、簡素さについて、匂いを嗅いで判断する方法について、そして専門知識と人生哲学について語る内容だった。こうしてルドニツカが私の人生に入り込んだ。・・・私はルドニツカのつくった香水を模倣した。クロマトグラフィー分析によって、ほとんどの構成要素がわかった。しかし多くの解釈が可能だった。ルドニツカの書いたものや、つくりだした匂いに惹かれ、さらに知りたいという思いが募った。よりいっそう匂いを感じて自分のものとするために、ルドニツカの香水を裸にするまでに分析した。そこには、構成と厳格な作業があり、ひとつの効果のためのひとつの匂いがあった。気どりや余計なものが削ぎ落された構成が、率直に表現されていた。香水が呼吸していた。こうしてルドニツカのアプローチを研究して、私は自分の処方の方法を考え直した。香水の処方とは、匂いを重ねることではない。かたちを与えること、すなわち、匂いのあいだの関係をつくりながら、組み立てて構成していくことなのだ。

    ジャン=クロード・エレナ

    勉強が出来ないのならば、働けと言うことで、父親の紹介によって、16歳の時、精油メーカーのアントワン・シリスの工場に夜勤勤務するようになりました。3年の工場労働者としての勤務を経て、兵役を経験し、19歳の時(1967年)にアイルランド人のスザンナと結婚します(娘のセリーヌ曰く、この二人はどこに行くのも必ず一緒らしい)。

    そして、1968年にジボダン社がジュネーブに新設した調香師養成学校に入学しました。しかし、3年間のコースを終えることなく、9ヵ月後には、「こんな授業は役に立たない」と直訴し、ジボダン社の調香師として雇用されながら、トレーニングを受けることになります。

    この頃、父親と親交関係のあったルドニツカと、実際に会う様になりました。

    「はじめて彼の自宅を訪れた時、「キミは臭い。洗剤のような香りがする。明日出直してきなさい」と言われました。」

    エレナは、この時以降、調香師としての在り方を深く考えるようになりました。そして、彼自身、決してフレグランスを身につけないようになったのです。

    匂いのないものはない。調香師としての修行時代に私は、ひとつのジャスミンのコンクレートがエジプト産か、イタリア産か、それともグラース産かを嗅覚で区別することを学んだ。それだけではなく、そのコンクレートのアブソリュがどんな蒸発器のなかで得られたのか、銅製、錫製、あるいはステンレス製の蒸発器なのか、あるいは蒸発器ではなくてガラス製のフラスコのなかで得られたのかを知る方法も学んだ。・・・ときと共に私は、銅のなかで得られたふっくらとした匂い、錫がつくるエレガントな匂い、ステンレスのつくる金属的な匂い、そしてガラスのつくるくすんだ匂いなどを知った。このように、少し訓練を積んだ鼻があれば、匂いを嗅ぎ分けるのは難しくない。

    ジャン=クロード・エレナ

    1973年に、エレナはジボダン社のニューヨーク支社に移ります。そして、1976年に、ラグジュアリー・ジュエリー・ブランド史上初のフレグランスをヴァンクリーフ&アーペルのために調香しました。この「ファースト」と名付けられた香りと共に彼のキャリアがはじまることになります。29歳で一躍脚光を浴びることになったのですが、1970年代から80年代にかけて、市場調査を重視した商業主義にどっぷりつかったフレグランス業界で、その姿勢に反対を唱えていたエレナは非常に浮いた存在になってしまいます。

    1976年にジボダン社を離れ、そして、1983年にジボダン社に戻っていたエレナにとって、転機となったのは、1993年にブルガリが初めて発売することになるフレグランス「オ・パフメ オーテヴェール」を調香したことからでした。

    これは、まさに世界初の緑茶のフレグランスの創造であり、さらに、1998年にカルティエのデクラレーションを調香したことが、彼の人生を逆転させることになったのでした。



    そして、エルメスの初代専属調香師となる。

    「私が最も惹きつけられて止まないのは、昔のゲランの香りなのです。そして、それは私の作る香りとは正反対なのです。」

    エルメスがエレナのために建てた邸宅「香りの修道院」。それはグラースの外れの村カブリにあり、地中海が一望できる。

    2016年に、エレナからその地位を引き継いだクリスティーヌ・ナジェルと共に。

    残念ながら、私は退屈するという能力を失った。書き、読み、庭の手入れをし、ペンキを塗り、料理をつくる、掃除機をかける。私の場合、これらの周辺的な活動も(掃除機をかけること以外)程度の差こそあれ、香水に結びついている。だが私は無為の時間を称賛している。ゆっくり時間をかけることは、時間を無駄にすることとは違う。ほとんどの香水のアイデアやきっかけは、自由に使える時間に、出会い、読み、散歩し、ぶらぶらするなかからやってきた。瞬間をつかみ、紙のうえに、いくつかのことばや原材料名、ひとつのアイデアの始まりを書き込む。創造の時間は、数日のこともあれば数か月にわたることもある。数日でできあがってしまう調香は、まるでそのかたちが存在していたかのように、私の記憶に対して自分の存在を主張する。

    ジャン=クロード・エレナ

    2000年にエレナは、妥協しない芸術性の高いフレグランスの創造を目指してザ・ディファレント・カンパニーを創設しました(2004年にエルメス入社にあたり、権利の全てをルック・ガブリエルに委譲する)。

    アジア、とりわけ日本では肌の匂いを消してしまわない低い濃縮度の香水が好まれる。アメリカでは、肌の装身具となるような濃縮度の高いものが選ばれる。北ヨーロッパと北アメリカでは、好みが近い、南ヨーロッパでは、香水に美的な機能が求められ、控えめな濃縮度が好まれる。

    ジャン=クロード・エレナ

    エルメスの5代目社長ジャン=ルイ・デュマは、シャネルのように香水で成功するためには、ジャック・ポルジュのような専属調香師が必要だと常々考えていました。そのためにカルティエから香水部門の責任者としてヴェロニク・ゴティエを引き抜きます。彼女は、「デクラレーション」で、共同で仕事をしたことのあるエレナを専属調香師として推薦しました。そして、そのテストも兼ねて、2003年に、地中海の庭が作られたのでした。エレナが望むままに作らせたこの香りは大ヒットしました。そして、2004年に、正式にエルメスの初代専属調香師に就任したのでした。


    エルメスの大躍進!そして、娘セリーヌも、一流調香師に

    娘のセリーヌ・エレナ。ジャン=クロードの弟も調香師です。

    「私が感動した香水は、セルジュ・ルタンスの『フェミニテデュボワ』と、ティエリ・ミュグレーの『エンジェル』です」

    自然をその複雑さのままに複製することに、興味はない。自然をつかみ、自分の都合に従って変え、いくつかの特徴で意味を伝える、そして、それを最小限の匂いの原料を並べて行なう。この作業が私の心を魅了してやまない。・・・錯覚は現実よりもより真実だ。真実らしさは真実よりも、信じられる。・・・錯覚は、嘘ではない。欲望に応えるためのひとつの方法だ。

    ジャン=クロード・エレナ

    ワインのテイスティングは短い。ワインを眺め、匂いを嗅ぎ、味わい、それからはき出してアロマがどのように残るかを評価する。香水を感じる。香水を嗅ぐ、それは連続する瞬間を感じることだ。この作用を使って遊び、あるいはその裏をかく、それが香水を調香する調香師の仕事なのである。

    ジャン=クロード・エレナ

    エルメスの専属調香師として、「庭園のフレグランス」「コロン・エルメス」「エルメッセンス」といった人気コレクションを定着させ、2006年には、テール・ドゥ・エルメスが、エルメスの史上最高の売り上げを記録しました。そして、2004年のエルメスの香水売り上げが6500万ユーロだったのが、2009年には、1億3800万ユーロと約2倍となりました。

    2014年には、エルメスの2代目専属調香師にクリスティーヌ・ナジェルが就任し、2016年までの2年間を、W調香師システムを取りながら、引継ぎを済ませ、エレナは調香師を引退しました。

    セリーヌ曰く、「私の父親は、洗濯魔でしょう。母親が洗剤を変えるときは、必ず、父親の許可を得ないとだめでした(笑)。そして、どれほど高級なホテルに滞在する時でも、枕に自分のシャツやセーターを巻きつけて寝るんです。」

    ジャン=クロード・エレナには二人の子供がいます。そして、長女のセリーヌ・エレナは、彼のDNAを継承し、素晴らしいフレグランスを創造しています。



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