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クリスティーヌ・ナジェル エルメスの専属調香師

調香界のスーパースター達
©Hermès
調香界のスーパースター達
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クリスティーヌ・ナジェル

Christine Nagel 1959年10月7日、スイス・ジュネーヴ生まれ。イタリア系として生まれ、少女時代の夢は、科学者としてノーベル賞を受賞することでした。そして有機化学を学び、研究科学者になり、フィルメニッヒ社の調査研究部門で働くことになる。アルベルト・モリヤスとの出会いが、クリスティーヌが調香師を目指すきっかけとなる。

やがてミシェル・アルメラックの下でクロマトグラフィーの責任者として働き、調香を学ぶ。1997年にクエスト社で調香師になる。当時同社に在籍していたフランシス・クルジャンとの競作も多い。

2000年、スイスのジボダン社で働き、2009年からジョー・マローン・ロンドンのために20以上のフレグランスを調香し、そのほとんどがヒット作となり、ジョー・マローンの〝中興の祖〟となる。そしてその実績を買われ、2014年3月にエルメスの専属調香師となり今に至る。夫は調香師のブノア・ラプーザです。

代表作

H24(エルメス)
アールグレー & キューカンバー コロン(ジョー・マローン・ロンドン)
イングリッシュ ペアー&フリージア(ジョー・マローン・ロンドン)
オー ドゥ ルバーブ エカルラット(エルメス)
ギャロップ ドゥ エルメス(エルメス)
グルマン コキャン(ゲラン)
サムライ(アラン・ドロン)
ザ ワン(ドルチェ&ガッバーナ)
ナルシソ ロドリゲス フォーハー(ナルシソ・ロドリゲス)
ニュイ マグネティック(ザ・ディファレント・カンパニー)
ミス・ディオール・シェリー(クリスチャン・ディオール)
ラグーナの庭(エルメス)

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ジャン=クロード・エレナに続く、二代目エルメス専属調香師。

6大インハウスパフューマーの一人。©Hermès

そして、間違いなく世界最高峰の女性調香師の一人。

世界中には約550人もの調香師がいると言われています。それは世界中の宇宙飛行士より少ない数です。そして、その中で僅か6人のみがラグジュアリー・ブランドの専属調香師(インハウス・パフューマー)です。

  1. ルイ・ヴィトンのジャック・キャヴァリエ
  2. ゲランのティエリー・ワッサー
  3. ディオールのフランシス・クルジャン
  4. シャネルのオリヴィエ・ポルジュ
  5. カルティエのマチルド・ローラン

そのうちの一人であるクリスティーヌ・ナジェルは、エルメスの専属調香師です。

1837年創業のエルメスが、一般販売向けのフレグランス販売をスタートしたのは、シャネルよりも遥かに遅く、ディオールよりも僅かに遅い1951年でした。それはエドモン・ルドニツカの調香によるオー ドゥ エルメスから始まり、1961年の女性用のフローラル・シプレの香りカレーシュによりエルメスの香水は、世界的に認められるようになりました。

そして、2003年にジャン=クロード・エレナが調香した「地中海の庭」が発売され、2004年にエレナをエルメスの初代専属調香師に抜擢されました。以後「庭園のフレグランス」「コロン エルメス」「エルメッセンス」といった人気コレクションを定着させていくことにより、エルメスのフレグランスは、エルメスのレザー製品を購入できる層、または購入出来ないハイセンスな一般層にまでアピールするラグジュアリー・アイテムになっていきました。

クリスティーヌ・ナジェルとジャン=クロード・エレナ。©Hermès

エレナ就任10周年の2014年に、一人の女性調香師がエルメスの専属調香師に加わりました。その名をクリスティーヌ・ナジェルと申します。彼女は、パフューマーとしての専門的な教育を受けたことのない調香師でした。そんな彼女が、エレナの後継者に選ばれたのでした。

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クリスティーヌ・ナジェルの軌跡

1980年代に女性が調香師になれる可能性はゼロに等しかった。©Hermès

「花は、サボテンの花が一番好きです」©Hermès

私は、全てのパフューマー(調香師)の感性はユニセックスだと思っています。それは女性が男性向けの香水を身につけると、とてもセクシーなように、男性が女性的なローズを身につけると、とてもセクシーなことと同じです。つまり、現代はジェンダーレスの時代なのです。

クリスティーヌ・ナジェル(以下引用はすべて彼女のお言葉)

クリスティーヌ・ナジェルは、1959年10月7日にスイスのジュネーヴでイタリア系の両親の下、生まれました。快活な少女だったクリスティーヌの少女時代の夢は、科学者としてノーベル賞を受賞することでした(ちなみに10歳年下の弟も現在香水業界で活躍しています)。

そしてジュネーブ大学で有機化学を学び、研究科学者になり、1980年代にフィルメニッヒ社の調査研究部門に勤務しました。当時は香りの測定器がなく、鼻でオレンジを嗅ぎ、このオレンジはイスラエルから来たのか?それともカリフォルニアからか?それともイタリアか?ということを判別しなければならず、それが彼女の仕事でした。

そんな彼女が、調香師という仕事に興味を持つきっかけになったのは、着任して1ヵ月後、フィルメニッヒ社の違うビルで働く白手袋をはめたアルベルト・モリヤスが、実に楽しそうに、二人の若い受付嬢の身体に香料を振りかけて自分が調香した香りをテストしている姿を見たことからでした。

香水が女性たちの感情を揺さぶるのを目の当たりにして、私は魅了されたのです。アルベルトが去った後も、彼女たちはずっと香りについて話していました。香りが作り出した感情について、そこに座って話していたんです。

「一体あの人は何をしているの?あの仕事は何?それにしてもなぜ彼はあんなに楽しそうなのかしら?」と感じたその時から、自身の仕事がクリエイティブではないと常々考えていたクリスティーヌは、矢も盾もたまらずに調香の仕事に転向したいと社に打診したのでした。しかし、答えは言語道断にノーという返事でした。

「私が絶対に手放せないニ冊。それはコレットの『LA Femme Cachee(仮装した女)』です。女性のまなざしの真髄です。そして20世紀で最も偉大な小説だと私が考えるガブリエル・ガルシア=マルケス『百年の孤独』です。」

「1980年代においては、女性であり、子を育てるシングル・マザーで、しかも、調香師の娘でもグラース出身でもない私が調香師になれる可能性はほとんどなかったのです」と回想するクリスティーヌ(しかし、現在においては、皮肉なことに調香師訓練学校の生徒はほとんどが女性)。

 私の最初の香りの想い出は二つあります。ひとつはお母さんが赤ちゃんだった弟のために使っていたイタリアのベビーパウダー“ボーロ・タルコ”の香りです。その香りは、ヘリオトロープとバニラの香りでした。

もうひとつはお母さんが愛用していたグレの「カボシャール」でした。私はこの香りがとても苦手でした。

そして私の好きな香りは何かと問われたならば、以下の5つの香りとお答えします。それは私の子供、恋人、母の香り。そして、ピエール・ド・ロンサールの香りと、雨が降った後のアスファルトの香りです。

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ジョー・マローン・ロンドンの奇跡

ジョー・マローン旋風の立役者の一人でもある。

「私の中の運命の女性は、カルメンです」2017年7月4日 ©Hermès

私がジュネーブで最初のフォーミュラを作っていたとき、彼(ミシェル・アルメラック)は1日に3回もグラースから電話をかけてきて「クリスティーヌ、なぜその成分を加えたんだ」と聞いてきました。

もし私が答えるのに3秒以上かかったら、彼は「それを取り除け!」と言うのでした。その結果、私のフォーミュラはシンプルになったのでした。

調香師になりたいという望みを絶たれながらも、最高水準の研究が出来るフィルメニッヒ社で8年間研究を続け、その後、イタリアに渡り1年間、フェンディやヴェルサーチェなどの香水のコンサルタントをしました。

そして、アロマティクス・クリエーションズ(現・シムライズ)でクロマトグラフィー部門を立ち上げる代わりに、ミシェル・アルメラックの下で調香が学べるという条件の下、転職します。

この時期、子供を生んだばかりのクリスティーヌは、数年間、朝7時から夜10時まで働き、特に短い処方で創作することを彼から学んだのでした(彼女がインタビューで「あなたが最も尊敬する調香師のスタイルは?」と聞かれたら、必ず「ミシェル・アルメラックのスタイルです」と答えています)。

この頃、家庭用品の香りをたくさん作った後、アラン・ドロンの「サムライ」を調香したのでした。そして、ついに1997年にクエスト社で調香師としての仕事を得て、パリに移住し、最初の香りを創造しました。

2000年、スイスのジボダン社で調香師として働くようになり、2005年にFifi賞を受賞し、2007年にフランソワ・コティ賞を受賞したことにより、世界有数の調香師の仲間入りを果たします。

しかし、大企業で働くという事実が、私を疑心暗鬼にさせました。プロジェクトを勝ち取るのは、本当に私の才能なのか、それとも会社の名前なのか。私は小さな組織で成功することが出来れば、本物の調香師になれるはずだと自分に言い聞かせたのでした。

さらに2008年からピエール・ブルドンの後継者としてフレグランス・リソーシズ社で働き、ジョー・マローン・ロンドンのために20以上のフレグランスを調香し、そのほとんどが大ヒットしました。2011年からはマン(Mane)社のクリエイティブ・ディレクターに抜擢されます。

私が調香したすべてのJMLの香りには、私のシグネチャーとしてスペシャルブレンドした合成ムスクを入れています。

その実績を買われて、2014年3月に、クリスティーヌは、ジャン=クロード・エレナ(彼は2004年から)と共にエルメスの専属調香師となり、2年間タッグを組み、エルメスのフレグランスを調香しました。そして、2016年1月1日にエレナは退任し、クリスティーヌが唯一無二のエルメスの専属調香師となったのでした。

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クリスティーヌが愛する香水

アルマーニ・レッドの口紅と、韓国コスメ・ラネージュのリップバームがお気に入り!©Hermès

最初に買った香水はマリー・クワントのハボックです。一回を除いて香水は自分自身で購入しています。それはギラロッシュフィジーです。そして、私が長年愛している香りは、この二つです。フェミニテデュボワアンブルスュルタンです。両方ともセルジュ・ルタンスです。

さらに愛以上の感情を感じている香水がひとつだけあります。それはシャネルのボワ デ ジルです。なぜこれほどまでにこの香りが好きなのか分かりません。だからこそ、この香りは私を惹きつけて止まないのです。

ひとつだけ好きな香料を選んでくださいと言われたら、パチョリもしくはアンブロキサンと答えます。

別のインタビューでは、ジョー・マローンの調香した「ライムバジル & マンダリン」に対する愛も述べています。

私は、シャネルのボワ デ ジル(エルネスト・ボー、1926年)、セルジュ・ルタンスのフェミニテデュボワ(ピエール・ブルドン、クリストファー・シェルドレイク、1992年)、ブルガリのブラックアニック・メナード、1998年)といった香水に対して深い憧憬を感じています。

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「あなたがエルメスそのものなんです」

もしあなたが歴史上の人物のために香水を作ることが出来るとしたら誰のために作りたいですか?「イヴのために!」©Hermès

エルメスの調香師には、とてつもない特典があります。それは制限のない予算で、妥協なく原材料を使用することが許されており、期日もないということです。

さらにエルメスはエレナ期から、通常他ブランドが行っている何千人もの人を対象にした大規模な市場調査を行わず、わずか5人の制作委員会(クリスティーヌを含む)で消費者に提供される香水を決定しているのです。市場調査の弊害は、大衆向けに作る香りを開発する場合、テーマや選べる色が限定され、非常に低い予算で制作することを求められるようになります。

クリスティーヌのラボを、他の調香師のようにグラースには置かずに、パリ北東部の郊外にあるパンタンのレザー、メンズウェア、シルクの工房が集まる建物(ジャン=ルイ・デュマの頃に建造された、アドレスも極秘のエルメスの秘密の場所)の最上階に庭付きという非常に贅沢な環境で置いています。それはエルメスの調香師という性質上、彼女はそこにある膨大なレザーの香りを嗅ぐ特権を持っているためです。

エルメス本社からは、次にこういった香水を作ってくれという要求はありません。「エルメスという180年の歴史を誇るブランドで、香水をひとつ作るたびにプレッシャーは大きくなるばかり」と笑うクリスティーヌ。「エルメスでは、調香師としては完全に自由です。それは私に多くの喜びを与えてくれます。だからこそリスクを冒さないといけないのです」。

私がエルメスに入社したときピエール=アレクシス・デュマ(エルメスのアーティスティック・ディレクター)に以下の言葉をかけて頂きました。

「クリスティーヌ、あなたには大胆であり続けて欲しい。エルメスには限界はありません。そして大胆に挑戦して、失敗を重ねるのであれば、失敗してもいいのです」

私にとっては、彼が私に言ってくれた最も美しい言葉です。毎日、そのことを考えて調香しています。

クリスティーヌの香水に対する実験は極めて原始的です。月曜日から金曜日まで新しい香りを何種類か構成させ、週末にそれを身にまとい、パリ市内を練り歩き、反応を見るのです。そして、誰も何も尋ねてこなかったら、やり直しなのです。

「私の調香スタイルは、シンプルさを好みます。シングル・タイプが好きなのです」。あくまでも自己流で、調香師の道を邁進し、頂点にまで上り詰めた彼女のことをエルメス内において「マダム・エルメス」と呼びます。

ダンサーを見ると、その動きは簡単そうに見えます。しかし、あのような優雅さやエレガンスを手に入れるには、多くの修練=努力が必要となります。〝美は細部に宿る〟のでしょう。調香師という仕事も、ダンサーと同じです。シンプルに心を豊かにする香りを生み出すためには、多くの努力が必要なのです。

クリスティーヌが最も愛する絵画。グスタフ・クリムトの『La jeune fille』。

クリスティーヌ・ナジェルにとって最も心安らぐ音楽はマイルス・デイヴィスの『カインド・オブ・ブルー』です。