フランソワ・ドゥマシー
Francois Demachy 1949年、フランス・カンヌ生まれ。幼少期にグラースに引越しし、父親はグラースでファーマシーを経営していた。1972年にシャラボで働き、ジャック・キャヴァリエの父ジャン・キャヴァリエに師事する。1978年から、28年間シャネルでジャック・ポルジュと共に働くことになり、ジャック・ポルジュの恋女房と呼ばれるようになる。
2006年1月に、LVMH(傘下にはゲラン、KENZO、ジバンシィ、アクア・ディ・パルマ、ロエベ、フェンディ)のフレグランス部門のスーパーバイザー兼ディオール初の専属調香師に抜擢される。
2021年には、ディオールの調香師としての日常を2年間追跡したドキュメンタリー映画『NOSE 調香師 ‒ 世界で最も神秘的な仕事』が公開され一気に知名度を高める。同年10月に、フランシス・クルジャンにバトンタッチし、引退する。ちなみに妻のアレクサンドリン・ドゥマシーも香水業界のかなりの大物である。
私は3メートル離れていても誰かからソヴァージュの匂いを嗅ぐことができます。
フランソワ・ドゥマシー
代表作
エゴイスト(シャネル)
グリ ディオール(クリスチャン・ディオール)
ココ オードゥ パルファム(シャネル)
サクラ(クリスチャン・ディオール)
ジャスミン デ ザンジュ(クリスチャン・ディオール)
ジャドール パルファン ドー(クリスチャン・ディオール)
JOY BY DIOR ジョイ(クリスチャン・ディオール)
ソヴァージュ(クリスチャン・ディオール)
ダリア ディヴァン オーデパルファム(ジバンシィ)
ティファニー パルファム(ティファニー)
ミス ディオール オードゥ パルファン<2021>(クリスチャン・ディオール)
ラッキー(クリスチャン・ディオール)
【ディオール香水聖典】フレグランス帝国の華麗なる伝説
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シャネル帝国で28年、LVMH大帝国で15年の華麗なる経歴。
多くの市場に出回るフレグランスの原価は5%にも達していません。私はそんな状況を常々苦々しく思っていました。そして、ディオールもそう考えていたからこそ、私は今ここにいるのです。
フランソワ・ドゥマシー
フランソワ・ドゥマシーという調香師は、2006年1月まで一般的に誰にも知られていない調香師でした。そんな無名の人が、突然LVMH(傘下にはゲラン、KENZO、ジバンシィ、アクア・ディ・パルマ、ロエベ、フェンディ)のフレグランス部門のスーパーバイザー兼ディオール初の専属調香師になり、脚光を浴びることになりました。
ドゥマシーは、物静かで、黙々と仕事をこなす職人タイプの人であり、注目の的になるのが好きではない人でした。彼は生粋のフランス人でありながら、イタリアのシラクサやシエーナを愛し、イタリア文化(最も好きな作品はルキノ・ヴィスコンティの『山猫』)と日本文化を深く愛していました(趣味は、ダイビングとヴィンテージ・カーの収集)。
シャネルは花が好きではなかった。そのためシャネルの香水は、フローラルよりも抽象的なのです。
フランソワ・ドゥマシー
実は、この無名の人こそが、シャネルで28年間ジャック・ポルジュの右腕として、シャネル帝国を復活させた影の功労者でした。そんな彼が表舞台に立つことから、ディオールを初めとするLVMHグループのフレグランス部門の快進撃は始まるのでした。
2013年には、グラースで当時廃墟になっていた歴史的な17世紀の邸宅を改装し、『レ フォンテーヌ パルフュメ』が誕生しました。そして、ルイ・ヴィトンと共同のフレグランス・アトリエとして、ジャック・キャヴァリエと同じ建物で仕事することになりました。
ちなみに彼がシャネルを去ろうと決断したのは、No.5をリニューアルするプロジェクトを任されたにもかかわらず、最終的に、「21世紀の新しいNo.5」を創造するプロジェクトをキャンセルされたためと言われています。
シャネル時代の経験をもとに、ディオールの専属農園を増やしていく。
私が最も愛している香りは、ローズとジャスミンです。ジャスミンは肉感的で、禁じられた感覚を沸き起こし、ローズは、女性の完全性のシンボルだからです。
フランソワ・ドゥマシー
合成香料はとても重要です。それらは天然香料の品質を保ってくれます。更に、それらは天然香料の効果と個性を高めてくれます。
フランソワ・ドゥマシー
フランス・グラースでは、フランス革命前夜の18世紀の終わりからフレグランスの原料としてラベンダー、ジャスミン、ローズ、ミモザなどの花々が栽培されていました。しかしかつて年間5,000トンを超えていた栽培量は、2000年代には数百トンにまで減少してしまいました。
20世紀後半には、センティフォリア・ローズやジャスミン、そしてそれよりはるかに少ないアイリス、オレンジ・ブロッサム、ゼラニウムなど、香りのよい花の栽培のために確保された土地はわずか40~50ヘクタールしか残っていないようになりました。
そんな中、1987年、当時ドゥマシーが在籍していたシャネルはグラース最大の農園(20ヘクタール)を所有するミュル家と、ジャスミンとローズの全収穫を買い取る契約、つまり、グラースの天然香料の保護に取り組む最初の企業となりました。
やがて、ドュマシーがディオールに入社した時、その時の経験を活かし、2006年にローズの有機農園「ドメーヌ ドゥ マノン」と、さらにその後「クロドゥ カリアン」というふたつの花畑と独占契約を結び、グラースの香料用花栽培の復活をサポートしていく流れを作りました。
フランソワ・ドゥマシーの軌跡
私は高価な香料で香水を作ることを好まない。なぜならそれはウード(沈香)やアンバーグリス(龍涎香)、チューベローズのように優れた香りではあるが、希少価値が高く、値が上がりすぎている香料もあるからだ。調香は、調理とよく似ている。高価な材料で作れば、素晴らしい料理を作ることは容易い。しかし、私はそれほど高価ではない香料で、最高の香水を生み出すことこそ、一流の調香師に求められる能力だと心得ている。
フランソワ・ドゥマシー
クリスチャン・ディオールが、ディオール初のフレグランス「ミス ディオール」を発表したのは1947年のことでした。その2年後の1949年に、フランソワ・ドゥマシーはフランスのカンヌで生まれました。
幼少期にグラースに引越しし、そこで青年期までを過ごしました。彼の父親はグラースでファーマシーを経営しており、「オード・グラース・インペリアル」というオードコロンを自作して販売していました。
そんな父親の顧客の一人がエドモン・ルドニツカ(クリスチャン・ディオールの友人であり、「ディオリシモ」や「オー ソバージュ」を調香した人)でした。
ドゥマシーがフレグランスに興味を持ったのは、グラースの町を包み込むローズやジャスミン、ミモザの香りから感化されただけでなく、幼いころに死別した母親(彼女も薬剤師だった)が愛用していたシャネルNo.5とミス・ディオールに強く惹かれたからでした(日中はミスディオール、夜はNo.5をよく付けていた)。
そして、元々は歯科医を目指していたのですが、16歳のころから毎年夏休みに、副収入を得るためにグラースのマン社や、シリス社の香水ファクトリー、倉庫、工房で研修生として働くうちに、調香師という仕事に興味を持つようになりました。
バカロレア取得後、1968年には昼間はニースで歯科を学び、夜はシャラボ社(主にジャスミン、ローズ、アイオリスの天然香料を扱う)の原料を精製する高度な技術を要する蒸留部門に配属され、作業全体を任されるようになりました。
ジャック・キャヴァリエの父親との出会い
私には素晴らしい先生が2人いました。1人はジャック・キャヴァリエの父、ジャン・キャヴァリエで、さまざまな素材を混ぜ合わせるときに、1つの製品が目立ってはいけないと教えてくれました。バランスが必要なのです。
もう1人は、当時シャネルの調香師だったアンリ・ロベール(シャネルの二代目調香師であり、プール ムッシュウ、No.19などを調香)で、原材料を特定するための特徴と、それを香水に適切に使用する方法を教えてくれました。こうした知識のすべてが、私と私の調合に深く刻み込まれています。私は特にパチョリとアンバーが好きです。
フランソワ・ドゥマシー
そして、1972年にシャラボで研修費用が支給されることになり、香水学校で学びながら調香師として本格的なトレーニングを受けることになりました。
5年間マスター・パフューマーの下で見習いとして働きながら、「マダム ロシャス」のウッディノートや「アルページュ」のジャスミンノートの再現といった課題をこなし、偉大なるクラシック香水からの学びに時間を費やしていたのでした。このシャラボでの約10年の間で最初の先生として指導してくれたのが、ジャック・キャヴァリエの父親でした。
ドゥマシーがはじめて作ることが許された香りは、〝牛が干草を食べたくなるように誘導する香り〟でした。その後、27歳のとき、シャラボがニューヨーク支社を開設することになり、6ヶ月間研修コースに参加することになりました。
その頃、シャネルの二代目調香師アンリ・ロベールが、新しい世代で作るシャネルのフレグランス・チームを探しており、一か月半に渡りテストを行い合格し、1978年から、28年間シャネルで、研究開発部門のディレクターとして、ジャック・ポルジュの下で働くことになりました。
ちなみにドゥマシーにとっての伝説の香水は、クリニークの「アロマティクス エリクシール」と、彼自身が一番最初につけた香水のひとつである「オーソバージュ」 とのこと。好きな香りは、シスタスと松脂が混ざった海辺の松の香りとのことです。
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