究極のフレグランスガイド!各ブランドの聖典ページ一覧にすすむ

シャネル No.5

クリスチャン・ディオール

【ディオール】ニュールック(フランシス・クルジャン)

クリスチャン・ディオールというファッション・メゾンにとって最も重要な用語と〝運命の年〟を冠した「ニュールック」は、二代目専属調香師フランシス・クルジャンにより、2024年2月2日にユニセックス・フレグランスとして誕生しました。
アムアージュ

【アムアージュ】オーパス ファイブ/ウッズ シンフォニー(ジャック・キャヴァリエ)

2010年からアムアージュで発売されている「ライブラリー・コレクション」の第五弾として2011年に発売されたのが「オーパス ファイブ/ウッズ シンフォニー」です。〝森の交響曲〟と名づけられた香りは、ジャック・キャヴァリエにより調香されました。
フローリス

【フローリス】ホワイト ローズ(ジョン・フローリス)

1730年に創業され、約290年の歴史をもつ英国王室御用達のメゾンフレグランスブランドフローリスから、1800年に発売された「ホワイト ローズ」は、ジョン・フローリスにより調香されました。現在発売されているフローリスの香りの中で最も古い香りです。
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その他のブランド

【ジル サンダー】ナンバーフォー(ミシェル・アルメラック)

1990年にジル・サンダーの総決算ともいえる香り「ナンバーフォー」が誕生しました。この香りはミシェル・アルメラックにより調香されました。「ナンバーフォー=No.4」の意味は、シャネルの「No.5」と同じく、試作品の中からジル・サンダー本人が選んだ「No.4」と記された試作品をそのまま名前にしています。
シャネル

【シャネル】パリ パリ(オリヴィエ・ポルジュ)

2018年6月に発売されたシャネル史上初のオーデコロン・コレクションの名を「レ ゾー ドゥ シャネル」と申します。2022年7月に発売されたコレクション第六弾が「パリ パリ」です。シャネルの四代目専属調香師オリヴィエ・ポルジュにより調香されました。
ジバンシィ

【ジバンシィ】ランテルディ(フランシス・ファブロン)

ジバンシィ初のフレグランスとして、1957年に誕生した「ランテルディ」は、オードリー・ヘプバーンのためにユベール・ド・ジバンシィが作らせた香りでした。ニナ・リッチの「レールデュタン」を生み出したフランシス・ファブロンにより調香されました。
その他のブランド

【ウビガン】エッセンス レア(ジャン=クロード・エレナ)

ウビガンから1928年に発売された「エッセンス レア」は、1921年に発売されたシャネル「N°5(No.5)」に対抗するべく、ルール・ベルトラン社の調香師ポール・シュビングにより調香されたアニマリックなフローラル・アルデヒドの香りでした。
ゲラン

【ゲラン】ベガ(ジャック・ゲラン)

1926年に、ジャック・ゲランによって調香された「ベガ」は、とても神秘的かつロマンティックな名を持つ香りです(アメリカでは1936年に発売された)。「ベガ」とは、琴座で最も明るく輝く恒星の名であり、別名〝織女星(おりひめの星)〟。
シャネル

【シャネル】N°5(No.5)の歴史⑧ ジゼル・ブンチェンとマリオン・コティヤール

ジゼル・ブンチェンの迷走期を経て、2021年に「シャネル N°5」が100周年を迎えるにあたりマリオン・コティヤール(1975-)が新ミューズに選ばれました。ここにシャネルは完璧なミューズを手にするに至ったのでした。
ゲラン

【ゲラン】ルール ブルー(ジャック・ゲラン)

ゲランの香りの素晴らしさが、言葉の領域の先にあることを教えてくれる香り。それが1912年に三代目調香師ジャック・ゲランにより生み出された「ルール ブルー」です。この香りは、ジャック・ゲランにとって第一次世界大戦に出征した彼の心を勇気づける香りでもありました。
ゲラン

【ゲラン】リウ(ジャック・ゲラン)

ゲランの三代目調香師ジャック・ゲランが最も脂が乗っていた1920年代の最後の年1929年に発表した「リウ」は、ジャコモ・プッチーニ(1858-1924)のオペラ『トゥーランドット』に登場する美しい女性ヒロインの名を冠した香りです。
調香界のスーパースター達

クリストファー・シェルドレイク シャネルとルタンスの影の男

インド・チェンナイ(旧マドラス)生まれの英国人。1987年に日本でセルジュ・ルタンスと出会い、1992年以降、実質的にルタンスの専属調香師の役割を果たすようになる。2005年よりシャネルの調香師および研究開発ディレクターを務め現在に至る。
シャネル

【シャネル】N°5(No.5)の全て

フレグランスを販売、もしくはフレグランス業界に関わる人々(特にシャネルの皆様)にとって、何よりも重要な教養。それは、過去のフレグランスに対する知識です。香調についてはもちろんのこと、マーケティング的な部分も含めて全てが重要です。
シャネル

【シャネル】N°5(No.5)の歴史⑦ オドレイ・トトゥとブラッド・ピット

かくしてN°5は、永遠の輝きを放ち続けています。そして、誰が新たなるミューズになろうとも人々は、N°5の永遠のミューズはこの二人の女性以外には存在しないことを知っています。ガブリエル・ココ・シャネルとマリリン・モンローの二人です。
シャネル

【シャネル】N°5(No.5)の歴史⑥ エステラ・ウォーレンとニコール・キッドマン

最後のN°5ミューズであるジゼル・ブンチェンよりも遥かに魅力的なのが、リュック・ベッソンにより演出されたエステラ・ウォーレンが演じた「世紀末の赤ずきん」でした。もしかしたら、ヴィジュアル・イメージの観点においては、彼女のイメージがN°5イメージかもしれません。
シャネル

【シャネル】N°5(No.5)の歴史⑤ キャロル・ブーケ

1977年から1990年にかけて、リドリー・スコットが、ニュー・ラグジュアリーの象徴としてのN°5のエレガンスをイメージさせる抽象的な広告フィルムを創造しました。1990年代のシャネルのミューズは、ボンドガールをつとめたキャロル・ブーケでした。
シャネル

【シャネル】N°5(No.5)の歴史④ カトリーヌ・ドヌーヴ

1968年にカトリーヌ・ドヌーヴがN°5の新たなるミューズに選ばれ、70年代において大々的な広告キャンペーンが繰り広げられたのでした。その結果、N°5に新しい生命が吹き込まれ、香水に新しい物語を語らせ、新世代の女性たちに、これこそ自分たちの官能性を表現する香りだと思わせたのでした。
シャネル

【シャネル】N°5(No.5)の歴史③ マリリン・モンロー

1950年代に、N°5の運命を決定づける出来事が起こるのでした。それは、1952年の『ライフ』誌(8月7日号)のためのインタビューでの出来事でした。『ナイアガラ』撮影中のマリリン・モンローが「ベッドで身にまとうのはシャネルN°5を数滴だけ」というコメントを発したのでした。
シャネル

【シャネル】N°5(No.5)の歴史② 1921年5月5日木曜日

シャネルN°5が初公開されたのは、カンボン通りのブティックで、1921年の5月5日でした。そして、1921年から24年の間は、パリとドーヴィル、ビアリッツ、カンヌにあるシャネルブティックでのみ販売されました。
シャネル

【シャネル】N°5(No.5)の歴史① この香りの魅力のすべて

エルネスト・ボーは、1921年に10種類のサンプルを完成させました。そして、ガブリエル・シャネルの前に、試作品のガラスの小瓶が、1から5、20から24のラベルをつけて10本並べられました。ガブリエルは、一通り試香し、迷いなく5番の小瓶を選んだのでした。
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