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アルベルト・モリヤス ミスター・ブルガリ。またの名をGOD(調香神)

アルベルト・モリヤス
アルベルト・モリヤス調香師調香界のスーパースター達香りの美学
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アルベルト・モリヤス

Alberto Morillas 1950年、スペイン・セビリヤ生まれ。10才からスイスに移り住み、1970年にフィルメニッヒに入社し、独学で調香師の勉強をする。1977年にクレージュのために「FH77」を調香したことからキャリアが始まる。

1977年から現在に至るまで、500以上ものフレグランスをクリエイトしており、あらゆる調香師の中で最多を誇り、今もなお現役である。

1999年より、ジュネーヴにて『ミゼンジール』というキャンドル(すべてジュネーヴの工房でハンドメイドで作られたもの)とフレグランスの自身のブランドを経営している。2003年にフランソワ・コティ賞を受賞し、2013年にアメリカ・フレグランス協会からFiFi功労賞を授与される。

間違いなく、現役の調香師の中でトップオブトップに位置する調香の神。

私は香水を作るにあたりシグネチャーを特に決めてはいませんでした。でも改めて振り返ってみると、私の香りの特徴は、〝光がたくさんある〟こと、つまりはとても強い個性がありながら、わかりやすいことなのだと思います。

太陽を見れば、誰もがすぐにそれを理解できるように、私の香水はすべて、太陽のような幸福感、透明感、そしてフレッシュさを備えています。

アルベルト・モリヤス(以下、すべての引用は彼のお言葉です)

代表作

212(キャロライナ・ヘレラ)
アクア ディ ジオ(ジョルジョ・アルマーニ)
ヴェルセンス(ヴェルサーチェ)
M7(エムセット)(イヴ・サンローラン)
オムニア クリスタリン(ブルガリ)
グッチ ブルーム(グッチ)
グッド ガール ゴーン バッド(キリアン)
シーケーワン(カルバン・クライン)
デイジー(マーク・ジェイコブス)
バニラ44 パリ(ルラボ)
ビザーンス(ロシャス)
フラワー バイ ケンゾー(KENZO)
プレジャーズ(エスティ・ローダー)
ミュグレー コロン(ティエリー・ミュグレー)
ミラク(ランコム)
ローズシネルジック(クレ・ド・ポー・ボーテ)

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百貨店のコスメカウンターの香りの50%を支配する男。

「香水はパーソナルなものです。心や気分が変われば、香りも変わるのです。」

私は毎晩香りをつけて寝ます。いつも自分の作品と一緒に…

私はいつも自分のことをこう考えています。苦悩する芸術家ではなく、ハッピーなクリエイターであると。

香りを愛する人々が、フレグランスを購入するときに、それがウェブ上であろうと、百貨店のフレグランスコーナーであろうと、コスメコーナーであろうとも…ここで伊勢丹新宿を例に取るならば、1Fのコスメコーナーからフレグランスコーナーにおいて、〝振り返れば奴がいる〟と言われるほどに、ほぼ50%のフレグランスを創造している男がいます。その男の名をアルベルト・モリヤスと申します。

さらにもうひとつ違う喩えを試みると、もしあなたが10個以上の香水を使用したことがあり、それぞれの香水の調香師を調べてみると、まず間違いなく現れる名前、それがこの人なのです。

私は朝6時半に起きます。クリエイティブな仕事をする上で、朝はとても大切な時間です。静かな時間が好きなのです。コーヒーを飲み、匂いを嗅ぎ、フォーミュラをチェックし、何度も何度もメモを取ります。

香りをつくるには集中力が必要で、1つの香りにかけられる時間は4分程度。その間に、自分の感情や感覚をすべて書き留めます。それは、目が覚めたときに夢を持ち続けるようなもので、消えてしまう前に書き留めなければなりません。何度も何度も足を運びますが、1つの香りに何時間も取り組むことはできません。

それに、創作と並行してやるべきことはたくさんあります。新しい素材を選び、それが肌の上でどのくらい持続するかをテストしているのです。毎日何時間もかけて、今後のクリエイションのためにとても重要な作業です。

ランチの時間も惜しみません。クリエイティブな作業をしていると、なかなか元の状態に戻れないので、一日中仕事をしています。

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フレグランス・スペシャリストから見たモリヤスの偉大さ

私のクリエイションに影響を与えているのは、『ピノキオ』とバルザックの『ゴリオ爺さん』です。

まずはじめに、かつてブルーベルのチーフとして、たくさんのアルベルト・モリヤスの香りに関わってこられた現役のフレグランス・スペシャリスト様に、その魅力について語っていただきました。以下彼女のお言葉です。

アルベルト・モリヤス、ジャック・キャヴァリエジャン=クロード・エレナは、香水が好きになった人なら、誰もが一度は通る香りを多く手がけています。彼らの名前は知らなくとも、この御三家の香水を〝知らない〟人はいないと思います。

あらためてカイエデモードの年代順のモリヤス作品を見ていてまずびっくりしたのが、モリヤスは、ほぼ毎年ヒット作を生み出しているということでした。もう毎年の恒例行事のようにヒット作を生み出しているので、いとも簡単にやり遂げているように見えるのでしょうが、これは本当にすごい事だと思います。

しかも、キャッチーなファッション・フレグランスだけを作り続けているわけでもなく、ニッチ・フレグランスも沢山作っている…つまりは、マーク・ジェイコブスの「デイジー」の愛らしい香りを創造した人が、一方で、ラルチザンやアムアージュのニッチな香りも創り出していることに、私は驚きを禁じ得ないです。

フラワー バイ ケンゾー」のように、香りのない花に香りを与えたり、本当にどこまで引き出しがあるんだろうか、と感心します。まさにインスピレーションが湧いて出てくる泉のような人であり、香りの四次元ポケットでも持ってるのかな?と思うほどです(笑)

最後に私にとって最も印象的なモリヤスの香りは「オムニア クリスタリンEDT」です。

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世界一香水を調香している人=調香神

私は根っからの心配性なんです。安定が私を安心させるのです。私は決して即興で行動しない。どんな国でも、いつも同じ店、同じホテル、同じレストランに行く。そうすることで、心が落ち着き、常に創造のためにオープンであることができるのです。

モーツァルトを愛し、調香師の中でも無類のパーティー好きのアルベルト・モリヤス。「私は絶対に一つのラグジュアリー・ブランドの専属調香師になんかなりたくない。色々なブランドを知り、私自身もオシャレを楽しみながら、そのブランドが求める新しいフレグランスを創造したいのだ。」という彼にとって、フレグランスと同じくらいにファッションに気を使い、ラッキーカラーであるクライン・ブルーのスーツを何十着も所有し、ローマで購入するカラフルなソックスを必ず履き、写真撮影においては、必ず美女の隣にポジション取りする抜け目のなさを持ち合わせています。

結婚40周年の記念に妻からもらったパテック・フィリップの5960P。

恐らくアルベルト・モリヤスのここ20年間のファッションを特集すれば、「カッコイイ50代~70代のオヤジ・ファッション」のルックブックが出来上がるでしょう(ちなみに彼のファッション・アイコンはラポ・エルカン)。

そんな彼こそが、まだ香水文化が萌芽する前の日本において、席巻した〝つけすぎ〟香害の根源とも言える香りをたくさん生み出していたのでした。その香りの名は「ブルガリ ブルー」そして「シーケーワン」などなど。

フレグランス初心者の男達を手玉に取り、エスティー・ローダーでコスメを購入する美女たちのおしぼりの香りを作り上げ、更には、あざとくもクレ・ド・ポー ボーテの最上級の香りまでも作り上げ、しまいにはヘレナ ルビンスタインのフレグランスを作ろうとしているのではないかとまで噂されている〝コスメコーナージャック〟アルベルト・モリヤス。以下、この人の生い立ちに触れていきましょう。

かつて男性がフレグランスに求めるものは、「男性的であること」「つけやすいこと」「フレッシュであること」でした。しかし、今では、男性はフレグランスを、エレガンス、創造性、完璧さを兼ね備えた新しい快楽主義としてとらえているのです。つまり、男性と女性の香りの境界線は重要ではなくなったのでした。

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全く調香師の勉強をしないでフィルメニッヒ社に入社

若き日のアルベルト・モリヤス

©MIZENSIR.COM

©MIZENSIR.COM

アルベルト・モリヤスは、1950年にスペインのセビリアの裕福な家庭の一人っ子として生まれました。最初の香りの記憶は、クリスマスになると両親が注文していた、カルメル修道会の修道女が作るアニスとバニラの香りがするクリスマスケーキでした。

彼のフレグランスに対する想い出は、母親が愛用していたロシャス ファムからです。そして、10代後半の頃、ゲランのルール ブルーの香りに対して、「とてもセクシーで、フランスっぽい」と感じたことにより、以後ゲランのフレグランスに夢中になりました。

10才の時、フランコの独裁政権から逃れるように、一家と共にスイスに移住することになりました。ローザンヌ宮殿で皿洗いの仕事をする父親に、〝私の王様〟と呼ばれ、常にスーツとネクタイを着用させられ、一流の教育とエレガンスを吸収していったのでした。

18歳になり、ジュネーブのエコール・デ・ボザールで2年間学んでいた20才の時に、フレンチ・ヴォーグにおいて特集されたジャン=ポール・ゲランの記事を読み、調香師を目指すことを心に決めました。

70年当時、調香師になるための学校は存在せず、調香師の父親の下で学ぶか、香料会社の中で学ぶしかなかったので、フィルメニッヒに入社しようと考えました。しかし、科学の学位を持っていなかったため、一度は拒絶されたのでした。

しかし、粘り強くどの部門でもいいので働かせてくれと頼み込んだ結果、一週間後に、原材料の化学部門の調香師の助手として、1970年にフィルメニッヒに無事入社したのでした。

私の初恋の女性の名はイザベルです。彼女は「カレーシュ」を愛用していました。続いて、私の妻はカルヴェンの「マ グリフ」をつけていて惹きつけられました。「レールデュタン」もつけていましたが、惹きつけられませんでした。母の香りである「ロシャス ファム」を嗅ぐと、涙が出てしまいます。酔わせるような高級感のある桃の香りなのです。

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厳禁されていたルールを破り、最初の香りを生み出す


フィルメニッヒ入社後、アルベルト・モリヤスは、調香についてほとんど自己流で勉強しました。まずは手に入る限りの香水の本(特に1931年に出版されたFélix Colaの『Le livre du parfumeur』をバイブルとしていた)を図書館でかき集め勉強しました。

さらに、みんなが帰宅した後、(社内では厳禁されていたのですが)研究所に残り処方の実験をしました。そして、しばらくして、当時のマーケティング・マネージャーに自分が作った試作品を送ってみた所、「信じられない。これを作ったのか!」という風になり、1975年にニューヨークに派遣され、本格的に調香を学べるように、試作品は完全な形になったのでした。

この香りこそ、1977年にフゼア・アコードから生み出されたモリヤスの最初の香水「FH77」(クレージュ)をした。そして、同年、フィルメニッヒの調香師に抜擢され、1981年にカルティエの「マスト」の成功により、本格的に調香師として認められるようになったのでした。

私が仕事をはじめた70年代初めには、市場にそれほど多くの香水はありませんでした。クラシックな香水はありましたが、どの会社も1つか2つの香水しか持っておらず、作るのにかなり時間がかかりました。男性には、非常にシンプルな「バーバーショップ」タイプのフゼア、その後、パチョリが始まりました。一方、女性にはフローラルやシプレがありました。

しかし、1975年から76年にかけて香水業界は急激に変化しはじめ、80年代にすべてが変わりました。アメリカのエスティローダー、カルバンクライン、ラルフローレンのような大企業の影響です。

1988年にマスター調香師(パフューマー)になったモリヤスは以後、ヒット作を続々と生み出すヒットメーカーとなります。本人曰く、この時、ようやく「私はフィルメニッヒに認められた」と実感したのでした。

ムスクという言葉は、香料の世界においてもはや何の意味も持たない。本当に多種多様なムスクが存在し、それらはまったく共通点がなく異なっているのです。

全ての私の香りにはムスクが使用されています。なぜならムスクこそが、香りにとって<独創性>と<現代性>のキーになるものなのです。さらに私は沈香(ウード)も愛しています。

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1999年、『ミゼンジール』という自身のブランドを創業する

ジュネーヴの一号店 ©MIZENSIR.COM

常々、妻クロディーヌ(二人の間に3人の子供あり)が惚れ込むようなホームフレグランスブランドが見つからなかったため、部屋を香りで満たすことのできる贅沢なキャンドルを自分たちの手で作り出そうということになり、1999年にジュネーヴに自身のキャンドル・ブランド『ミゼンジール』を創業する。

2011年から娘のヴェロニク(元弁護士)が社長をつとめ、2013年に、ジュネーヴに一号店がオープンし、2015年より、フレグランス・ラインもスタートすることになる。

一方、モリヤス自身も、2003年にフランソワ・コティ賞を受賞し、2013年にアメリカ・フレグランス協会からFiFi功労賞を授与し、今では並び立つもののいないトップオブトップの存在として調香師界に君臨しています。

現在はジュネーヴに住み、独自のラボを持ち、そこで一人で働いています。自宅の庭園を愛し、ガーデニングよりも造園に情熱を燃やしているという彼は、調香師が着る白衣を絶対に着ることを拒み、エレガントなスーツ姿で仕事に臨んでいます。そして、いまだに全てのフォーミュラを手書きで書いているのです。

私のフレグランスはすべて、創作への情熱から生まれたものです。私にとって、香水とは感情です。私のフォーミュラはすべて手書きです。手書きはダイレクトな私の感情です。処方を書いていると、香水の香りがしてきます。

現在、ペンハリガンと共同で、ハロッズにおいてカスタム調香サービスを35,000ポンドでしています。

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「私は不完全なものを愛する」


私は完璧なものに惹きつけられない。なぜなら完璧なものは退屈にすぎない。大きな成功は、香りが不完全なときにやってきます。まさにティエリー・ミュグレーエンジェルがその最良の例です。

エンジェルは、とても少女趣味な香りです。そして、シャネルの「No.5」は時代遅れな香りとも言えます。しかし、これらは、そういった欠点があるからこそ、素晴らしいフレグランスとも言えるのです。

私が、自分自身で生み出したかった香水。それはシャネルの「No.5」です。なぜそう思うのか?それはこの香りは〝不滅〟の象徴だからです。100年前のものでありながら、当時と同じように今もモダンです。ジャスミンとローズの濃厚な香りも、白と黒のボックスも、それは永遠の香水のアイコンなのです。

調香師であるなら、この香りを創造することに憧れないはずがありません。

モリヤスは、「未完の美」が時には完成度の高い緻密なものを遥かに超える力を秘めていることを、他のどの調香師よりもよく知っています。彼の芸術的才能の素晴らしいところは、精緻さと荒削りな部分を巧みに使いわけられるところにあります。

彼が、少年時代から愛していた香りは、冬のパティオで嗅いだオレンジ・ブロッサム、夏のパティオで嗅いだジャスミンとレッド・カーネーションが合わさった香りでした。お気に入りのノートは、フローラルとアンバーとベンゾインです。

ちなみにお気に入りのお菓子は、ジュネーヴのコンフィザール「Auer」の「Amandes Princesse」(アーモンド・チョコレート)です。

私は、群青な海や燦燦と照る太陽など地中海を想起させる香りが大好きです。シトラス、シーノート、ジャスミン、チュベローズ、ネロリ、オレンジ・ブロッサムの香りが好きです。

そして、私は多くの時間をジュネーヴの自宅の庭園で過ごします。ちなみに一番嫌いな香りはオニオンです。

仕事を断っているのか?という程に、ある意味節操なく、どのブランドの香りも作っていく男アルベルト・モリヤス。そんな彼の香りをなぞっていけば、あなたも自然にフレグランスが、自分自身の個性を最大限に演出するファッション・アイテムであることを理解できることでしょう。

私は常々、香水には魂がなければならないと言っています。私の考えでは、その魂は歌の旋律のようなものから生まれると思っています。この内なる核となる要素が、香水の親密な個性となるのです。そして、このハーモニーに加え、驚きや興味を抱かせるような香りが欲しいのです。

私があらゆる香りにおいて絶対に忘れないようにしている目標は、人々を喜ばせること、そして、常に高い品質基準で「光」と「喜び」をもたらすことです。

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