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【トム フォード香水聖典】愛と裏切りの香りの黄金郷<エルドラド>

トム・フォード
©TOM FORD
トム・フォードブランド香水聖典
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トム フォード

Tom Ford 1962年8月27日にアメリカのテキサス州オースティンに生まれたトム・フォードは、映画俳優を目指し、ニューヨークで、スタジオ54や、アンディ・ウォーホルのファクトリーに出入りするようになります。そして、パーソンズにて建築デザインを学び、1994年にグッチのクリエイティブ・ディレクターに就任。

グッチ革命を巻き起こし、倒産寸前だったグッチは、約10年間で10倍の売り上げを叩き出すのでした。

2004年4月退任し、グッチ時代のCEOだったドメニコ・デ・ソーレと共に2005年トム・フォードを設立。2006年、トム・フォード初のフレグランス「ブラック オーキッド」を発売しました。

そして、2007年、プライベート・ブレンド第一弾として、「パープル パチョリ」を発売し、エスティ・ローダーと提携し、香水という分野においても『トム・フォード帝国』を築き上げるのでした。

代表作

ブラック オーキッド(2006)
タバコ バニラ(2007)
ノワール デ ノワール(2007)
ウード ウッド(2007)
ネロリ ポルトフィーノ(2007)
ホワイト スエード(2009)
ジャスミン ルージュ(2011)
マンダリーノ ディ アマルフィ(2014)
ファッキン ファビュラス(F ファビュラス)(2017)
ロストチェリー(2018)
ソレイユ ネージュ(2017)
ビター ピーチ(2020)

トム・フォードの香水一覧
シグネチャー コレクションの全て
ネロリ ポルトフィーノ コレクションの全て
プライベート ブレンド コレクションの全て

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トム・フォードというブランドの本質

©TOM FORD

たとえば、トム・フォードという男は、女性が踵の平らな靴を履くのを好まない。だから、彼の下で働く女性たちは、この偉大な上司がいつ来るか分からないので必ず引き出しにハイヒールを忍ばせておく。

グッチ時代からトム・フォードと言うデザイナーは、ファッション・ディクテイター(独裁者)と呼ばれるほどに、全てのクリエイションを自分で管理していました。

そして、現在もブランドのすべてについて、靴一足の生産にいたるまで目を通しています。そんな男がクリエイトする香水だからこそ、並々ならぬラグジュアリー・エッセンスがそこに存在するのです。

人は店で必要なものや不可欠なものを買うが、それに対して高い金を払う。なぜなら、店は我々に、まれにしか買い手がつかないような物の価格の分も上乗せして値段をつけているからだ。それは贅沢品や高級品の類のことだ。このようにして高級品は、必要不可欠な品物に恒常的に税金をかけつづけるのだ。

『人間的な、あまりにも人間的な』フリードリッヒ・ニーチェ

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グッチの救世主トム・フォード

グッチ、1996年FW(3枚とも)©GUCCI

©GUCCI

©GUCCI

独自のブランドを育てるのは、他人のために、他人の名前で仕事をするのとは全く違う。〝自分〟というものが肝心なのです。

トム・フォード

2日間だけ伸ばしている顎髭と短く刈り上げた髪。その姿はまるで映画スターのようなトム・フォードの経歴をここで軽くおさらいしておきましょう。

1962年にアメリカのテキサス州オースティンの上流階級で生まれたトムは、クレージュを着るようなお洒落で美人な祖母に育てられました。「ボクが祖母から受けた影響は計り知れない」とトムは回想するほどに彼女から強い影響をうけました。

やがて、ニューメキシコ州サンタフェで10代を過ごし、映画俳優を目指し、ニューヨークで、スタジオ54や、アンディ・ウォーホルのファクトリーに出入りするようになります。

そして、パーソンズにて建築デザインを学びます(パリで学業を終え、卒業前の研修をクロエの広報担当補佐として受ける)。1988年にペリー・エリスで、デザイン・ディレクターになり(同時期、マーク・ジェイコブスも在籍)、90年にはグッチのレディースウェアのデザインスタッフに加わりました。

1994年にグッチのクリエイティブ・ディレクターに抜擢され、やわらかな曲線と茶色を好む今までのグッチのイメージを一新して、全てを黒一色に変えました。

かくして従来のクラシック路線からセクシー・エレガンス路線に転換したグッチは、世界的なブームを巻き起こしたのでした。

そのために彼がしたふたつのこと。まず一つは、グッチ全盛期の60年代のラインナップ以外は、無駄な商品ラインナップとして一気に削減(約2万点から約5千点まで)したことです。

そして、もう一つは、宣伝キャンペーンに力を入れることでした。それはトム・フォード自身のスター性を昇華させ、さらにスタイリストのカリン・ロイトフェルドと、フォトグラファーのマリオ・テスティーノにより、新しいグッチの世界観の創造に繋がりました。

こうして、倒産寸前だったグッチは、約10年間で10倍の売り上げを叩き出したのでした。以後、世界中の老舗ブランドが、(ルイ・ヴィトンを筆頭に)若手のデザイナーをクリエイティブ・ディレクターに起用する流れが、ここから生まれたのでした。

2000年に入り、トム・フォードは、グッチが買収したイヴ・サンローランのリヴ・ゴーシュのクリエイティブ・ディレクターも兼任することになります(この時期YSLのフレグランス「M7」や「ニュ」を創造します)。

シャンタル・ルース様

ちなみに、この時に、サンローランの香りを共にクリエイトした、シャンタル・ルース(「オピウム」「パリ」「ロー ドゥ イッセイ」を生み出した女性)という凄腕のフレグランス・ディレクターの存在が、トムがフレグランスをクリエイトする能力を覚醒させたのでした。

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『トム フォード』という香水帝国の誕生

©TOM FORD

©TOM FORD

ぼくはいつも「タバコ バニラ」をつけてますね。ぼくは香水に関してはかなりのタバコ派でね。我がブランドがこだわっているのは最高の品質です。それはつまり値段も最高ということになるけど。ただ、信じてもらえるかどうかは別なんだけどね。

トム・フォード(2012年インタビュー)

しかし、トム・フォードは2004年4月グッチのクリエイティブ・ディレクターを退任し、グッチ時代のCEOだったドメニコ・デ・ソーレと共に2005年トム・フォードを設立します。

このデ・ソーレという男は、ダブルGのライセンスが、グッチ一族によってばら撒かれていた1984年にグッチ・アメリカの主導権を手にし、極東に工場を移す案を却下し、イタリアにある工房にこだわり、価格帯をエルメスよりはるかに安く、シャネルのすぐ下ぐらいに設定しなおす。

さらに、当時、大量生産されていた緑と赤の帯に、二つのGのロゴをあしらったビニール張りのバッグを製造中止にした。グッチ革命の狼煙を上げた立役者でした。

まず最初に、トム・フォードはメンズファッションからスタートしました。そして、2006年に、トム・フォード初のフレグランスである「ブラック オーキッド」を発売します。

そして、2007年、プライベート ブレンド第一弾として、「パープル パチョリ」を発売します。2008年以降は、『007 慰めの報酬』から『007 スペクター』までの3作品のジェームズ・ボンド・スーツのデザインを担当し、世界的なトム・フォード旋風を巻き起こします。

そして、2011年SSよりレディース・スタート。同時にトム・フォード・ビューティもスタートし、エスティ・ローダーと提携し、香水という分野においても『トム・フォード帝国』を築き上げたのでした。