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ソフィア・グロスマン バラの女王。またの名を『女帝』

ソフィア・グロスマン
ソフィア・グロスマン調香師調香界のスーパースター達香りの美学
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ソフィア・グロスマン

Sophia Grojsman 1945年3月8日、当時ソビエト連邦の一部だったベラルーシで生まれる。1965年にアメリカ移住し、翌66年にIFFの技術者として雇用される。1970年代にダウニーエイプリルフレッシュなどの柔軟剤や石鹸の芳香を作る。

1978年にエスティ・ローダーのために「ホワイトリネン」を調香し、1983年のイヴ・サンローランの「パリ」、エスティ・ローダーの「ビューティフル」(1985)、ランコムの「トレゾア」(1990)と立て続けにヒット作を生み出すことにより、一躍〝バラの女王〟と呼ばれるほどの人気調香師の仲間入りを果たす。

そして、21世紀はじめから2015年にかけて、世界三大調香師の一人として数え上げられるようになる。

代表作

パリ(イヴ・サンローラン)
ビューティフル(エスティ・ローダー)
ケーレックス(プリスクリプティブ → クリニーク)
エタニティ(カルバン・クライン)
トレゾア(ランコム)
ブルガリ プールファム(ブルガリ)
アウトレイジャス(フレデリック・マル)
パリジェンヌ(イヴ・サンローラン)

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1980年代に香水をゲームチェンジした人

見よ!この迫力を!女帝ソフィア様!

香水とは、女性にとって生命維持装置に等しいものなのです。それは彼女の存在の一部であり、彼女が生きる世界に向けて自分を表現する大切なもの。いいえ!それ以上に、彼女が明日なりたい存在を表すものなのです。

ソフィア・グロスマン

女帝ソフィア・グロスマン。2015年ころまで彼女は世界三大調香師(ジャック・キャヴァリエジャック・ポルジュ)の一人として伝説的存在でした。しかし、なぜ彼女が偉大であるかということについて説明されることはほとんどありませんでした。

彼女が調香師として「女帝」と呼ばれるほどの尊敬を勝ち得ている理由は以下の事実からです。

通常トップノートでは現れない〝主役の香り〟を、最初から少しだけ感じ取ることが出来るように調香しています。そうすることにより、香りの中に、蕾から花が咲くようなドラマティックな臨場感が得られるからです。

つまり、ある特定の成分を過剰に摂取することにより、その成分が香水の構造の頂点に押し出されることを発見し、香水の成分の比率を逆にするというゲームチェンジを行ったのでした。

正規の調香の教育を受けていないからこそ生まれた独創的なそのスタイルにより彼女は〝調香界のピカソ〟と呼ばれました。

そして、そのパンキッシュな髪型とファッション、小柄ながらもバイタリティ溢れる行動力とロシア訛り英語、さらには面倒見の良さゆえ、香水界のおふくろさんと呼ばれ、とても愛されている人なのです。そんな彼女の人柄を一瞬で示す有名なエピソードがあります。

かつてニューヨークタイムズが彼女をインタビューした時に、

「誰もが鼻を持っています。しかし、調香師として成功するためには、繊細かつ大胆に、空想を膨らませ、本能で感じることが出来るように鼻を大切にしなければなりません」

と言って、タバコに手を伸ばし、ぷかぷかと吸い始めました。

「え!!調香師がタバコを吸うんですか!」とびっくりしたインタビュアーに対してソフィアはおどけた表情で言うのでした。

「喫煙はおしゃぶりのようなものよ。プレッシャーを和らげる小さな松葉杖なの。数回吸うくらいよ」

さらに、ソフィアの人柄を感じさせる発言を二つばかり。

私の鼻は訓練されているので普通よりは優れています。ただし、料理をしている時に、焦げているのに気づかないときもありますが・・・

私が、自分の香りが良いか試すのはニューヨークの地下鉄よ。

ナチスのホロコーストを生き延びた両親の子

ソフィア・グロスマン(上)と両親と妹

ベラルーシのルブチャ

ソフィア・グロスマンは、1945年3月8日にソフィア・ホドシュとして、ベラルーシのノヴォグルドク郡にあるルブチャで生まれました。この町はソビエト赤軍に占領される1939年までは、ポーランド第二共和国の領土でした。そして、1941年6月26日から1944年7月8日にかけてナチス・ドイツに占領されていました。

占領下にこの町ではユダヤ人の大虐殺が起きていました。ソフィアの父ピョートル(スペイン系ロシア人)は、レジスタンスとして、山間部に潜み、ユダヤ人を救出していました。そんな時に出会ったのがのちに妻になるポーランド系ユダヤ人の女性でした。戦火の中、二人は愛し合い、ソフィアが生まれました。

第二次世界大戦後の生活は、とても貧しかったのですが、家族愛に満ちており、ソフィアは3歳の頃から父のために母と一緒に台所に立ち、味がイマイチと思われる料理に、こっそりと砂糖や塩、ハーブ、スパイスを加えたりするようになっていました(これが彼女の調香師の原点!)。

極貧のためおもちゃはひとつも持っていなかったので、自然と森の花々(ローズ、ヴィオレット、ジャスミンなど)を嗅ぎ走り回るか、ロシア民謡を歌っていました(ソフィアは、後にポーランドで、ロシア民謡の歌唱コンクールで金賞を獲得しました)。

母は娘を〝お花博士〟と呼ぶようになり、人並みはずれた嗅覚と記憶力を持っていることを感じていました。そのため食品バザールでは、当時冷蔵庫がどこにもなかったため、バターや牛乳、野菜の匂いを彼女に嗅がせ、その表情で、新鮮かどうかを判断していました。

10歳になったソフィアの一家はポーランド国境近くの都市フロドナに引っ越し、15歳になった1960年には、ポーランド・グライヴィッツに移住しました。すでにソフィアはベラルーシの高等教育を優秀な成績で終えていたため、カレッジの3年に編入されました。

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ポーランドからニューヨークへ。

左から妹、父、ソフィア。「おばあちゃんの写真しかみんな知らないけど、若い頃は、すごくモテました」

ポーランドの大学にて、左端がソフィア。「とにかく私、モテました」

ソフィアはポーランドの生活にすぐに順応し、聡明で、陽気で、面倒見が良く、クラスメイトに小声で答えを教えてあげることもありました。物理、化学を勉強し、特に数学が得意でした。当初彼女は医者になりたかったのですが、医学系の学校に行くだけのお金がなかったため、ポーランドの大学で分析無機化学(クロマトグラフィーなど解析を含んだ分野)の学士号を取得しました。

この頃、彼女は、レオンという同級生と結婚することになり、姓がグロスマンになりました。ちなみに、一人息子を授かるのですが、レオンは不動産ブローカーをしながら、ギャンブルにはまり込み、息子の大学入学後離婚しています(「私はいつも男性に父のような人を求めていました。そのため男性関係が上手くいったことはありませんでした。父ほど素敵な男性についに巡り合えなかったのです」)。

1965年、父がナチス・ドイツから助けたユダヤ人の家族の手引きにより、アメリカ移住することになりました。すぐに病院のラボで働くようになるのですが、1ガロンの血液の入った容器を見た途端にふらふらしてしまい、自分には医師の仕事は無理だと悟るのでした。

60年代のニューヨーク時代のソフィア。

そこで彼女は1966年にIFF(ニューヨークに本社を置く世界有数の香料会社)のラボの面接を受け、何とかシニア・パフューマーのエレノア・フォックスのラボの助手(ラボ・テクニシャン)として週給35ドルで雇ってもらえることになるのでした。

そのラボでは、デオドラントや石鹼を作っていました。最初にソフィアが作ったのは石鹼のフォーミュラで、25年間市場に出回っていました。この時、自分が作ったものが毎日、多くの人に使ってもらえることの喜びを知るのでした。ラボには、4年間在籍し、同時に有機化学についても勉強していきました。

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師ジョセフィン・カタパノとの出会い

ジョセフィン・カタパノ

IFFでソフィアは運命的な出会いを果たします。きっかけはエレノアが香料の計算式を書いた紙切れを無くしてしまい困っていた所を、ソフィアが一瞬で解決したことでした。それまで4年間熱心に仕事が終わってからもラボで研究に励んでいる姿を見て感銘を受けていたジョセフィン・カタパノ(1919-2012)が、彼女を助手にしたのでした。

ジョセフィンは、1953年にエスティローダーのために「ユースデュー」を調香し、1966年にはギ・ラロッシュのために「フィジー」を調香していた人気調香師でした。まずソフィアは、柔軟剤とコンディショナーの香りの調香に携わることになりました。

ジョセフィンはソフィアにIFFの調香師見習いになるための嗅覚テストを受けるようにアドバイスし、60人の一般受験生とともに受けました。しかし、落ちてしまいました。彼女には専門的な調香の知識が欠けていると判断されたのでした。

1年が過ぎ、ジョセフィンが最上層部に掛け合い、調香師見習いのトレーニングを受けることが可能になりました。IFF入社5年目にして、ソフィアはようやく調香師としての一歩を踏み出すことになるのでした。

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ダウニー エイプリルフレッシュを作る

ファインフレグランスの調香師は、ファッションの世界と関わりがあるおかげで注目を受け易いが、実のところ香りを操る腕前においては、優れたポーカープレイヤーのようなことをしているトイレタリーの調香師にはかなわないのです(=トイレタリーは、ひどい臭いのする化学品の上にきれいな世界を描かなければならず、相当なテクニックがいる)。

ティエリー・ワッサー(ゲランの五代目調香師)

この頃ソフィア・グロスマンが生み出した香りとして代表的なものが、1970年代に発売されたP&Gのダウニーエイプリルフレッシュでした(ちなみに、現在発売されている香りは完全にリニューアルされ、ソフィアではない調香師が担当したものになっています)。

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ソフィア・グロスマンの薔薇戦争

スパンコールのパワースーツを着るソフィア。

もしあなたに香りに対する情熱がなければ、あなたはパフューマーではなくサイエンティストです。

ソフィア・グロスマン

ソフィアの調香スタイルに影響を与えたのは、ジョセフィンと彼女の師匠であるアーネスト・シフタン(1903-1976 )の二人でした。そして、1978年にジョセフィンの紹介により、ついにチャンスが訪れるのでした。エスティ・ローダーと面会し、「ホワイトリネン」を調香することになるのでした。

ソフィアはこの頃一つのことで悩んでいました。メンターの一人であるアーネストを失い、何を調香しても、たとえその中にローズが入ってなくても、周りから「ローズの香りがする」と言われるようになっていたのです。「もっと香りのバリエーションが欲しい」という要求に対し、大いに悩んでいました。

そんな時、エスティ・ローダーは彼女に「自分を信じて、自信を持って、創造する姿勢を崩さないで!」とアドバイスしたのでした。その瞬間彼女は、すべての香りの中にローズを入れることにしたのでした。

なぜあなたはすべての香りにローズを入れるのですか?という質問に対して彼女は実にシンプルに回答します。

なぜならローズは愛の花であり、男性が女性に贈る最初の花だからです。

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そして、フレグランス界の女帝となる

自分のやっていることに自信が持てるようになってから、スーパープロフェッショナルになるまでには、10年から15年かかります。

ソフィア・グロスマン

ソフィア・グロスマンのビッグチャンスは、1983年にやって来ます。IFFのチーフ・パフューマーであり、「カボシャール」(1959)「アラミス」(1965)などの名香を調香してきたベルナール・シャンの手に余るイヴ・サンローランの「パリ」という名の香りを任されることになったのでした。

そして、彼女は、〝ローズの魔術師〟=〝バラの女王〟の道を突き進むことになるのでした。

1985年には、再びエスティ・ローダーのために19種類のフローラルブーケにより幸せの絶頂を祝福する香り「ビューティフル」を生み出し、1986年には、世界初のトロピカル・フルーツの香り「ケーレックス」を生み出しました。

そして、ついに、1992年に彼女のハイライトとでも呼ぶべきローズとピーチで世界を制する香り「トレゾア」をランコムより誕生させたのでした。

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かつて、世界三大調香師と呼ばれた女性

ソフィア・グロスマンとカルバン・クライン

流行に興味はない。香水には性別が必要だと考えます。私の香りに特徴があるとすれば、それは官能的であること。女性は愛され、大切にされるために存在するのです。それは薔薇も同じ。だから私は薔薇を愛するのです。

香りに性別があることは、香水が個性を失わないための絶対条件なのです。ほとんどのユニセックスをうたう香水は、ただ両性に売りたいだけの方便であり、無個性な情熱を失った商業品にしか思えない。

そして、私は貧乏を経験してきたので、高い香水を作ることに価値を見出さない。私のゴールは女性に、できるだけコストをかけずに良い香りになってもらうことよ。

ソフィア・グロスマン

1994年にソフィアは、世界初のジャスミンティーの香り「ブルガリ プールファム」を生み出し、2007年には、フレデリック・マルより、最初で最後の彼女のユニセックス・フレグランス「アウトレイジャス」を生み出しました。

1998年以降はIFFの副社長(コーポレート・バイス・プレジデント)になり、この頃から、世界三大調香師の一人に数えられるようになりました。2008年頃にシニア・コンサルタントになり、現在はセミリタイアしています。

2006年に祖国ベラルーシの地を再び踏んだ彼女は、「ベラヤ・ルスNo.5」という透明感あふれるウォッカとヴァイオレットのような香りをベラルーシ限定で作りました。

私は、柑橘系やオゾンの香りは避けています。それらは香りをフレッシュにしてしまうため、表面的になってしまうのです。

現在のフレグランス業界には無駄に人間が関わりすぎです。調香師とディレクターで作り上げたものを商業的な見地で骨抜きにしていくことが多いのです。だから今では売れている香りのコピーばかり溢れかえっています。コピーした香りには魂がありません。

さらに言うと、昔の香りを今時の香りに変えてしまうのは絶対に止めるべき。もしゴッホやピカソの絵画にそんなことをしたら大変なことですよね?

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