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ゲランブランド香水聖典

【ゲラン香水聖典】すべての香りの道はゲランに通ず

ゲラン
©GUERLAIN
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ゲラン

Guerlain 1828年にピエール=フランソワ・パスカル・ゲランにより、パリの高級ホテル「ル・ムーリス」の一階に香水店を創業。そして、1853年に、フランスのウジェニー皇后のためにオーデコロンを作り、ヨーロッパの全ての王族の御用香水商となる。

1862年に、息子のエメ・ゲランが二代目調香師を継承し、1889年に発表した「ジッキー」により、天然香料と合成香料を組み合わせる『最初の現代フレグランス』を創造する。

1895年に甥にあたるジャック・ゲランが三代目調香師に就任。生涯で80以上の香りを調香する。なかでも、「アプレロンデ」(1906)「ルール ブルー」(1912)「ミツコ」(1919)「シャリマー」(1925)「夜間飛行」(1933)は、歴史的名香として普遍の輝きを放ち続ける。

さらにエメが生み出したゲルリナーデを、ゲラン帝国の『ナポレオン法典』へと昇華させる。

1962年に孫にあたるジャン=ポール・ゲランが四代目調香師に就任。「シャンダローム」(1962)、史上初のオリエンタル系メンズ・フレグランス「アビルージュ」(1965)といった名香を弱冠20代で生み出す。

1969年の「シャマード」をピークにして、1970年代後半から1990年はじめにかけ、ゲラン帝国滅亡の危機の中生み出された「ナエマ」(1979)は、当時全く売れなかったが、革命的なピーチローズの香りとして、21世紀にローズの香りを復興させる先駆的役割を果たすようになる。

1989年に「サムサラ」、1999年に「チェリー ブロッサム」と『アクア・アレゴリア』シリーズのローンチに協力し、2002年に四代目調香師を退任する。

2003年にブランド初のフレグランス部門のクリエイティブ・ディレクターにシルヴェーヌ・ドゥラクルトが就任する。2005年に『ラール エ ラ マティエール』シリーズという現在においても、人気の高いプレステージ・コレクションを生み出し、ゲラン帝国のジャンヌ・ダルクとなる。

2008年6月に、空位だった五代目調香師の座にティエリー・ワッサーが選ばれ、史上はじめてゲラン一族以外から選ばれた帝国の調香師となる。「イディール」「ラ プティット ローブ ノワール」「ロム イディアル」「モン ゲラン」といったヒット作を連発し、ここにゲラン帝国の貴公子のもと、2028年の創立200周年に向けて磐石の体制を固める。

代表作

オーインペリアル (1853)
ジッキー (1889)
ルール ブルー(1912)
ミツコ(1919)
シャリマー(1925)
夜間飛行(1933)
ベチバー(1959)
アビルージュ(1965)
シャマード(1969)
パリュール(1975)
ナエマ(1979)
サムサラ(1989)
シャンゼリゼ(1996)
チェリー ブロッサム(1999)
「アクア・アレゴリア」シリーズ(1999~)
ランスタン ド ゲラン(2003)
「ラール エ ラ マティエール」シリーズ(2005~)
アンソレンス(2006)
イディール(2009)
モン プレシゥ ネクター(2012)
「ラ プティット ローブ ノワール」シリーズ(2012~)
「ロム イディアル」シリーズ(2014~)
フレンチ キス(2014)
モン ゲラン(2017)

人気シリーズ

アクア アレゴリア シリーズの全て
ラール エ ラ マティエールの全て
ラール エ ラ マティエール エクストレの全て

エリクシール シャルネル コレクションの全て
シャリマー シリーズの全て
パトリモワンヌ コレクションの全て
レ マティエール コンフィダンシエルの全て
メンズ エクスクルーシブの全て
モン ゲラン シリーズの全て
ラ プティット ローブ ノワールの全て
レ アブソリュ ドリエントの全て
レ デゼール ドリオンの全て
ロム イデアル シリーズの全て

歴代調香師

ピエール=フランソワ・パスカル・ゲラン ゲラン帝国の始祖
エメ・ゲラン 二代目調香師、ゲルリナーデの創造主
ジャック・ゲラン 三代目調香師、シャリマーを作った男
ジャン=ポール・ゲラン 四代目調香師、神の鼻<ゴッドノーズ>を持つ男
ティエリー・ワッサー ゲランの五代目専属調香師
デルフィーヌ・ジェルク 未来のゲランの六代目調香師

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ゲランを愛する偉大なる三人の女神たち

初めにゲランがあった。ゲランは神と共にあった。ゲランは神であった。

ゲランの本当の姿を知るために、五人の調香師ひとりひとりと、彼らが創造した代表的な香りを徹底分析した結果、実感したのがこの新約聖書のヨハネによる福音書1章1節を言い換えたこの言葉です。

つまりは、フレグランスを愛する人々にとって、ゲランは神様なのです。

そして、そんなゲランを愛した〝美の女神〟とも言える3人の偉大なる女優についてまずは言及させてください。

『昼顔』のワンシーンに登場するゲラン。

ゲランと言えば、カトリーヌ・ドヌーヴ様。「シャマード」(1969)のようなジャン=ポール・ゲランが彼女をイメージして生み出した香りが存在するほど、ゲランとは切っても切れない人です。彼女はフレデリック・マルと出会うまでは、ずっと「ルール ブルー」を愛用していました。

そして、有名なのが、最初から最後までイヴ・サンローランを見事に着こなした『昼顔』(1967)の中で、バスルームの床にぶちまけられたゲラン夜間飛行のコロンとミツコでした。この作品におけるゲランの香りは、女性が開けてはいけない扉を開けることを決意させる禁断の香りでした。

1973年のブリジット・バルドーの鏡台。

二人目は、ブリジット・バルドー様。セルジュ・ゲンスブールがバルドー様に捧げた歌「イニシャルB.B.」(1968)で、ドヴォルザークの「新世界より」の旋律に乗せてつぶやかれる以下の歌詞。

〝太ももの上までブーツを履く彼女は、まるで聖杯のようだ。他には何もつけず、ただ髪にふんわりとゲランの香りを身に纏うだけ〟そして、1973年に写された彼女の自宅の鏡台が、彼女のゲランに対する愛を雄弁に語っていました。



最後に、マリリン・モンロー様。彼女が永遠のセックス・シンボルになった秘密は本当にたくさんあるのですが(ヒールの高さを左右非対称にして歩いたモンロー・ウォークなど)、特にその情熱的な赤い唇にも秘密が隠されていました。

その秘密は、ゲランのリップスティック「ルージュディアボリック(キスキス 320 Red Insolence)」にありました。彼女は、実に念入りにリップを5重に重ね塗りし、あの赤い唇を生み出していたのでした。

彼女たちをシンボルの頂点として、200年近くにわたり、世界中の女性(今では男性も)を魅了しているゲラン帝国は1100以上のフレグランスを生み出しています。では、そんなゲラン帝国の歴史について見ていきましょう。

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ゲランの創成期

ピエール=フランソワ・パスカル・ゲラン ©GUERLAIN

ピエール=フランソワ・パスカル・ゲラン(1798-1864)が1828年にパリの高級ホテル「ル・ムーリス」の一階に創業した香水店が、のちに一大帝国へと広がっていくことを誰が予想できたでしょうか?

その導火線の火は、1853年に、フランスのウジェニー皇后(1826-1920)のために作られたオーデコロンによってつけられました。帝政様式の香水瓶「ゴールデンビーボトル」に封入し「オー デ コロン イムペリアル」と名づけられたこのコロンを皇后が大変気に入ったことにより、ゲランはフランス王室御用香水商として認可を受けるのでした。

ゴールデンビーボトル ©GUERLAIN

そして、ゲランは、ヨーロッパの全ての王族の御用香水商となり、以後、ビーボトルはゲランの代表的なボトルモチーフとなりました。

ちなみに、美容部門においては、1830世界で初めての美白製品「ブラン ドゥ ペルル」を発売。1838年には、コスメと口紅のラインを立ち上げ、1840年にはオーストリア皇后エリーザベト(シシィ)のためにストロベリーの香りがするコールドクリーム「クレーム・ア・ラ・フレーズ」を作りました。

1842年に、ゲランはラ・ペ通り(ナポレオンがパリで一番美しくしようとした通り)15番地に店舗を移転しました。

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エメ・ゲランとゲルリナーデ

エメ・ゲラン ©GUERLAIN

1862年にピエールは、息子のエメ・ゲラン(1834-1910)を二代目調香師に指名し、引退しました。先立つ1860年には、〝香水にとってのボトルは、女性にとってのドレスと同じである〟というゲランの哲学から、香水瓶をバカラ社に発注するようになりました。

エメの最大の功績は、ベルガモット、ローズ、ジャスミン、トンカビーン、アイリス、バニラを組み合わせたゲルリナーデというゲラン秘伝のレシピを完成させたことと、1889年に発表した「ジッキー」を生み出したことでした。

この香りこそが、天然香料と合成香料を組み合わせて作られた、現在も継続して販売されている最古の香りです。ただし、ゲランは、天然香料をどの香水においても必ず80%は使用することに決めました(合成香料はゲランの香りの主役ではない)。

©GUERLAIN

1870年には、世界で初めてのワックス原料のスティックタイプのリップスティック「ヌ ムブリエ パ」(わすれないで)が発売されました。

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ゲラン帝国の誕生(ルールブルーとミツコ)

ジャック・ゲラン ©GUERLAIN

1895年、エメの甥っ子のジャック・ゲラン(1874-1963)が三代目調香師に就任しました。まさにこの人こそが、エメ・ゲランが生み出したゲルリナーデを、ゲラン帝国の『ナポレオン法典』へと昇華させた人でした。

1912年に調香した「ルール ブルー」から、ゲランを象徴する「ジャンダルム(逆さハート)」の形の香水瓶が使用されました。

©GUERLAIN

1914年に、ゲランはシャンゼリゼ通り68番地に新店をオープンしました(1912年から建築)。しかし、すぐに第一次世界大戦(1914-1918)が始まり、8月1日の総動員により、41歳で3児の父親だったジャックも徴兵されることになりました。

ジャック・ゲランの覚醒は、戦後に始まります。モダンシプレの歴史は、1917年にコティ社から発売された「シプレ(ル シープル)」から始まりました。そのシプレノートを、2年後の1919年に、ジャックは更に洗練させた形で「ミツコ」により昇華させたのでした。

シャンゼリゼ通り68番地に旗艦店も出来、世界大戦も乗り越え、いよいよゲランは帝国の進撃へと歩みだしたのでした。

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ゲラン帝国の興隆(シャリマーと夜間飛行)

©GUERLAIN

1925年4月28日から開催されたパリ万国博覧会において、アール・デコは誕生しました。そして、この万博において、世界最初のオリエンタル・ノートである「シャリマー」が誕生したのでした。ゲランは、このシャリマーにより、アメリカ市場進出を果たすことになるのでした。

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最後のジャック・ゲランの傑作は、サン=テグジュペリが書いた小説『夜間飛行』から生まれました。当時非常に大胆な香料と見られていたガルバナムをはじめとするグリーンノートを使用することにより、1933年に「夜間飛行」が誕生したのでした。

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1935年に、ヴァンドーム広場に二号店が誕生しました。そして、1939年にシャンゼリゼの本店1階に世界で最初のエステティックサロンがオープンしました。

第二次世界大戦が終わり、アメリカに戻る前に、祖国の妻や恋人のためにシャリマーを買い求めるGIたち。©GUERLAIN

第二次世界大戦の最中(1943年)にベーコン レ ブリュイエールのラボが2回爆撃されました。そのため、1947年に新たなラボと工場がクールブヴォアに建設されました。