ゲラン

ティエリー・ワッサー ゲランの五代目専属調香師(3ページ)

    ティエリー・ワッサー
    Thierry Wasser
    1961年、スイス・ローザンヌ生まれ。
    <代表作>
    ディオール・アディクト(ディオール)
    ダイアモンズ(エンポリオ・アルマーニ)
    イプノーズ(ランコム)
    ラ プティット ローブ ノワール(ゲラン)
    アクア・アレゴリア・シリーズ(ゲラン)
    シャリマー・パルファン・イニシアル・ロー(ゲラン)
    イディール(ゲラン)
    ロム・イディアル(ゲラン)
    モン・ゲラン(ゲラン)



    ゲラン一族から、ゲランの未来を託された男。

    四代目調香師ジャン・ポール・ゲランと共に。

    私たち日本人にとって、今ではゲランというブランドは、香水を売ることから始まったブランドというイメージよりも、百貨店のコスメコーナーの中でも、高級ブランドが集まる一角にあるコスメ・ブランドのイメージがついています。しかし、ゲランという名前は、フランスにおいては即座に香水とリンクするほどに、フレグランスの歴史に大いなる影響を与えた「フレグランスの帝王」なのです。

    ここで軽くゲランの歴史をおさらいしてみましょう。1828年に、ピエール=フランソワ=パスカル・ゲランがパリに香水店を開いたことから始まります。それまでハンカチや手袋、生活用品につけていた香水を、直接身に纏うようにしていったのもゲランからです。そして、単一の花の香りではなく、複数の花の香りから香水を作り出したのもゲランからでした。

    中でも、ピエールがナポレオン3世の皇妃ウジェニー・ド・モンティジョのために調香した「オーデコロン・インペリアル」(1853)は、ゲランの香水ボトルに、ナポレオン家の紋章を表す蜜蜂模様を使用するきっかけになったフレグランスです。以後、ゲラン家の調香師達が、「ジッキー」(1889)「ミツコ」(1919)「ャリマー」(1925)「夜間飛行」(1933)「サムサラ」(1989)といった革新的かつ普遍的な香りを生み出していきました。

    そして、1994年ゲランはLVMH(モエヘネシー・ルイヴィトン)のグループ傘下に入り、更に96年に、四代目調香師ジャン・ポール・ゲラン以外、創業者一族は、ゲラン社の経営から離れたのでした。そして、2002年にジャン・ポールは引退し、2008年に、フランソワ・ドゥマシーとゲランのCEOローラン・ボワロ、そして、ジャン・ポール・ゲランによって、後継者が決められました。

    ティエリー・ワッサーの登場です。47歳のハンサムなスイス人の男性が、ゲランの五代目専属調香師に選ばれたのでした。それははじめてゲラン一族以外のものがゲランの調香師に選ばれた瞬間でした。



    ティエリー・ワッサーの軌跡


    私はこの男性に、少年ながら憧れの感情を持ちました。そして、彼のようになりたくて、自分自身でアビ・ルージュを購入しました。それを身に纏った後、私の世界は一変しました。自分がとても男らしく洗練されたように感じました。そして、活力がみなぎる感覚を得ました。その時以降、今まで私はこのフレグランスだけを愛用し続けています。

    ティエリー・ワッサー

    1961年、スイス・ローザンヌに生まれたティエリー・ワッサー。彼が一番最初にフレグランスに興味を持ったのは13歳のときでした。母親の友人がいつもゲランの『アビ・ルージュ(赤い乗馬服)』(ジャン・ポール・ゲラン、1965年)をつけていたのでした。そして、少年のティエリーにとって、この香りこそ「オトコの香り」となったのです。

    スイスの森のある丘の小さな町で育ったティエリーは、少年時代に植物学に興味を持ちました。「私のご近所さんは、農家でした。そこには乳牛や豚、鶏がいました。そして、モントルーのツアー客のために野菜やチェリー、ラズベリー、りんごなどのフルーツが育てられていました。そんな大自然の中での少年時代が今の仕事に多大なる影響を与えています」と回想しています。

    やがて、植物学を専攻した後、ジュネーヴのジボダン社のパフューマリースクールに入学しました。そして、卒業後、パリにて、26歳でジボダンの調香師(当時のジボダンのチーフ調香師であり、ティエリーのボスはジャン・クロード・エレナだった)となりました。1994年ニューヨーク・シティに移動し、フィルメニッヒの調香師となり、アニック・メナードと共にディオールやカルヴァン・クライン、GAPなどのために香水を作り、8年間をニューヨークで過ごし、2002年パリへ戻りました。



    ジャン・ポール・ゲランを心から慕う男

    ジャン・ポール・ゲランの前では、少年のようにいたずらっ子な表情になるティエリー・ワッサー。

    香水はその時代を写し出す鏡です。ウッドストックの後の1970年代にはパチョリが大流行しました。80年代には、ウーマン・パワーの時代に突入し、自分を主張するパワフルな香りを好むようになりました。90年代には、クリーンな香り、そして、現在では、流行に流されず、色々な香りを日々楽しむ時代に突入しています。

    ティエリー・ワッサー

    ティエリー・ワッサーがゲランの専属調香師になった後、ジャン・ポール・ゲランに聞きました。「あなたは伯父さん(ジャック・ゲラン)と香水について色々ディスカッションしたりしましたか?」その答えは端的に「そんなにしなかったよ」という答えでした。ジャン・ポール・ゲランは言いました。「私たちの創造物について言葉で説明することは不可能に近い」と、だから、ティエリーは黙ってジャン・ポールの創作を見て学ぶ日々を過ごしました。

    最初の年、ティエリーはゲランが使用する様々な精油について学びました。「私はゲランに来るまでに、原材料を購入したことは一度もありませんでした。それが今では私の時間の1/4は旅に費やされるようになったのです」



    これこそが、ゲランと他のフレグランス会社の違いです。ゲランはすべてを一社で担う会社なので、香料の原材料の品質管理もティエリーに委ねられているのです(かつて、ティエリーは、ベルルッティのローファーを履いて原材料のフィールドに出ていました。しかし、足首を捻挫してからは、ベルルッティがグレタ・ガルボのために特注した1939年のスキー・ブーツを履くようになりました)。

    そして、ティエリーのもうひとつの重要な仕事は、コスメを含むすべてのゲランの香りのクオリティを保つことです。スキンケアの高級ラインであるアベイユ・ロイヤルは、ソフトで優しい香りに包み込み、一方、最高級ラインであるオーキデ・インペリアルは、ラグジュアリー感溢れる香りで包み込むという風に、フレグランスだけでなく、ゲランのあらゆる製品のストーリーに合わせた香りも創造しているのです。

    ティエリーが、旅において必ず持参するのは、「ベルルッティのブーツと、ボルドーの赤ワイン」と言い切ります。そして、彼の最もお気に入りのエキスは、ブルガリアン・ローズです。それは「ライチのようにフルーティー」だからということです。そして、毎年10日間、薔薇のクオリティ・チェックのための旅に出ます。ブルガリアのプロヴディフでブルガリアン・ローズを、トルコのアンタルヤでターキッシュ・ローズを、そして、フランスのグラースでローズ・ド・ メを香るのです。

    世界中の香りを探し求め、フレグランスのみならず、女性の美をアシストするコスメの香りも創造する男ティエリー・ワッサー。彼の香りは、ラグジュアリーな香りではなく、女性の美を引き出す香りなのである。



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