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ティエリー・ワッサー ゲランの五代目専属調香師

ゲラン
ゲランティエリー ワッサーブランド調香師調香界のスーパースター達香りの美学
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ティエリー・ワッサー

Thierry Wasser 1961年7月19日、スイス・レマン湖畔のリゾート地モントルー生まれ。ジュネーヴのジボダン社のパフューマリースクールに入学し、卒業後、パリにて、26歳でジボダンの調香師(当時のジボダンのチーフ調香師であり、ティエリーのボスはジャン=クロード・エレナだった)になる。

1993年ニューヨーク・シティに移動し、フィルメニッヒの調香師となり、アニック・メナードと共に香水を作り、8年間をニューヨークで過ごし、2002年パリへ戻る。2008年6月2日に、ゲランの五代目専属調香師になる。それははじめてゲラン一族以外のものがゲランの調香師に選ばれた瞬間だった。

代表作

ディオール アディクト(ディオール)
イプノーズ(ランコム)
パラッツォ(フェンディ)
アイリス ガナッシュ(ゲラン)
ゲラン オム オーデトワレ(ゲラン)
イディール(ゲラン)
モン プレシゥ ネクター(ゲラン)
ラ プティット ローブ ノワール(ゲラン)
シャリマー スフル ドゥ パルファン(ゲラン)
ロム イディアル(ゲラン)
フレンチ キス(ゲラン)
アクア アレゴリア ペラ グラニータ(ゲラン)
モン ゲラン(ゲラン)

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ゲラン一族から、未来を託された男。

四代目調香師ジャン・ポール・ゲランと共に。

私の精神年齢は12歳です。どんなことにも好奇心旺盛です。この性格は香りの創造にとても役立っています。そして、私の香りの特徴は、リラックス出来て、決してネガティブな気持ちを呼び起こさない楽しくなるような香りだと思います。

ティエリー・ワッサー

2021年4月12日に、ゲラン最新の世界観とサービスが体験できる旗艦店「ラ ブティック ゲラン GINZA SIX」が東京・銀座に誕生しました。2028年の創業200周年に向けてゲラン帝国は、さらなる快進撃を続けるのです。

ここで五代目調香師をご紹介する前に、軽くゲラン帝国の歴史のおさらいをしていきます。

1828年に、ピエール=フランソワ=パスカル・ゲランがパリに香水店を開いたことからすべてははじまりました。それまでハンカチや手袋、生活用品につけていた香水を、直接身に纏うようにしていったのはゲランからでした。

中でも、ピエールがナポレオン3世の皇妃ウジェニー・ド・モンティジョのために調香した「オーデコロン インペリアル」(1853)が、ゲランの香水ボトルに、ナポレオン家の紋章を表す蜜蜂模様を使用するきっかけとなりました。

以後、ゲラン家の調香師達は、「ジッキー」(1889)「ミツコ」(1919)「ャリマー」(1925)「夜間飛行」(1933)「サムサラ」(1989)といった革新的かつ普遍的な香りを生み出していきました。

そして、1994年ゲランはLVMH(モエヘネシー・ルイヴィトン)のグループ傘下に入り、更に96年に、四代目調香師ジャン=ポール・ゲラン以外、創業者一族は、ゲラン社の経営から離れました。

2002年にジャン・ポールが退任し、2008年5月に、フランソワ・ドゥマシーとゲランのCEOローラン・ボワロ、ジャン=ポールによって、後継者が決められたのでした。

ティエリー・ワッサーの登場です。47歳のハンサムなスイス人の男性が、ゲランの五代目専属調香師に選ばれたのでした。それははじめてゲラン一族以外のものがゲランの調香師に選ばれた瞬間でした。

13歳の時にはじめて購入した香り=アビルージュ

「歴史上の人物で香りを作れるのなら、ビクトリア女王の香りを作りたいです。野心、勇気、そしてビジョンを持った強い女性のための香りを作ってみたいです」

13歳の時、私は「アビルージュ」を購入しました。若々しくない香りなのですが、当時8歳くらいに見られていた私にとって、それを身に纏った後、私の世界は一変しました。自分がとても男らしく洗練されたように感じました。そして、活力がみなぎる感覚を得ました。その時以降、今まで私はこのフレグランスだけを愛用し続けています(ちなみに同時期に母親が購入してくれた香りは、エルメスの「エキパージュ」だった)。

ティエリー・ワッサー

1961年7月19日、スイス・レマン湖畔のリゾート地モントルーに生まれたティエリーが一番最初にフレグランスに興味を持ったのは13歳のときでした(そして、シェフに憧れお菓子作りが好きだった少年時代の香りの記憶は、アプリコットをオーブンで焼く香りでした)。

母親の友人のダンディな男性がいつも身に纏っていたのがキャロンの「プール アン オム」だったので、少年のティエリーにとって、香りを身に纏うことこそが「オトコの通過儀式」だと考えるきっかけになったのでした。

スイスの森のある丘の小さな町で育ったティエリーは、少年時代に植物学とハーブに興味を持ちました(4歳の頃よりクラシック音楽に対する強い愛も育む)。小学校への往復の中、色々な種類のハーブ、薬草を採取することが趣味でした。

私のご近所さんは、農家でした。そこには乳牛や豚、鶏がいました。そして、モントルーのツアー客のために野菜やチェリー、ラズベリー、りんごなどのフルーツが育てられていました。そんな大自然の中で過ごした少年時代が今の仕事に多大なる影響を与えています。

さらに母親に連れられ、10代の頃、共産革命中のグアテマラやソ連、トルコ、アフリカを旅行した経験が異文化に対する興味を育みました。ちなみにこの頃、ティエリーはヘルベルト・フォン・カラヤンに憧れ、将来指揮者になりたいと考えていました。

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ティエリー・ワッサーの調香師への道

「私の精神年齢は12歳です」

「あなたが選ぶ香水とは、見えないあなた自身なのです」

私は、化学の学士号を必要とする現在の調香師学校のあり方には反対です。あなたは画家に彼のパレットのために混ぜる顔料の化学的性質を知るように強制したいですか?

ティエリー・ワッサー

ティエリーは自然が生み出したものに触れるのが大好きでした。そして、そんな植物に対する愛が、彼に植物学を専攻させ、ハーバリストの資格を獲得した後、雑誌で読んだ調香師という仕事に興味を持つ流れとなりました。

早速、最大手のフィルメニッヒで働こうとするのですが、科学に対する知識がないため断られ、1981年にジュネーヴのジボダン社のパフューマリースクールに入学しました。

そして、卒業後1987年(26歳)に、パリでジボダンの調香師(当時のジボダンのチーフ調香師であり、ティエリーのボスはジャン=クロード・エレナだった)となりました。

1993年にフィルメニッヒの調香師となり、ニューヨーク・シティに転勤となり、アニック・メナードと共にディオールやカルバン・クライン、GAPのために香水を作り、9年間をNYで過ごし、2002年にパリへ戻ってきました。

そして、2007年というティエリーにとって運命的な年がやって来ました。この年、彼はゲランのクリエイティブ・ディレクターであるシルヴェーヌ・ドゥラクルトと、ゲランのための最初の香り「アイリス ガナッシュ」を調香するのでした。

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ジャン・ポール・ゲランを心から慕う人

ジャン・ポール・ゲランの前では、少年のようにいたずらっ子な表情になるティエリー・ワッサー。

香水はその時代を写し出す鏡です。ウッドストックの後の1970年代にはパチョリが大流行しました。80年代には、ウーマン・パワーの時代に突入し、自分を主張するパワフルな香りを好むようになりました。90年代には、クリーンな香り、そして、現在では、流行に流されず、色々な香りを日々楽しむ時代になっています。

ティエリー・ワッサー

ティエリー・ワッサーがゲランの専属調香師になった頃に、ジャン・ポール・ゲランに尋ねました。「あなたは祖父(ジャック・ゲラン)と香水について色々ディスカッションしたりしましたか?」と。しかし、その答えは「そんなにしなかったよ」というそっけない答えでした。

そして、ジャン・ポールは言いました。「私たちの創造物について言葉で説明することは不可能に近い」と、だから、ティエリーは黙ってジャン・ポールの創作を見て学ぶ2年間の日々を過ごしました。47歳でゲランの調香師になったティエリーは2年間、一から勉強の日々を送るのでした。

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ゲランの調香師は、一年の1/4は世界中を飛び回ります。



私が世界一好きな香りはブルガリアン・ローズのローズオイルです。私は毎年、ブルガリア、トルコ、イランなどを訪れ、徹底的にローズの品質をチェックしているので、ローズのことは知り尽くしていると思いますが、本当にローズオイルの香りは私の心を捉えて離しません。

そして、2番目がバニラ、3番目がマサラチャイ、4番目が新鮮な草、以下、サンダルウッドとジャスミン・サンバックの順です。

ティエリー・ワッサー

最初の年、ティエリーはジャン=ポールから、ゲランが使用する様々な精油について学びました。「私はゲランに来るまでに、原材料を購入したことは一度もありませんでした。それが今では私の時間の1/4は旅に費やされるようになったのです」

これこそが、ゲランとシャネルと、他のフレグランス・ブランドの違いです。ゲランはすべてを一社で担う会社なので、香料の原材料の品質管理もティエリーに委ねられているのです(かつて、ティエリーは、ベルルッティのローファーを履いて原材料のフィールドに出ていました。しかし、足首を捻挫してからは、ベルルッティがグレタ・ガルボのために特注した1939年のスキー・ブーツを履くようになりました)。

そして、ティエリーのもうひとつの重要な仕事は、コスメを含むすべてのゲランの香りのクオリティを保つことです(毎週水曜日に工場を訪れ、昔の名香をはじめとする品質管理に励む)。

スキンケアの高級ラインであるアベイユ ロイヤルは、ソフトで優しい香りで包み込み、最高級ラインであるオーキデアンペリアルは、ラグジュアリー感溢れる香りで包み込むという風に、フレグランスだけでなく、ゲランのあらゆる製品のストーリーに合わせた香りも創造しているのです。

ティエリーが、旅において必ず持参するのは「ベルルッティのブーツと、ボルドーの赤ワイン」と言い切っています。

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ゲラン帝国200周年を牽引する貴公子

「私は常に6~10のフレグランスに取り組んでいます。ひとつの香りを作るためには12ヶ月から18ヶ月かかります。そして、私は仕事に集中するために昼食は取りません。」

(もっとも賢い香りの選び方とは?)まず最初にムエットで香りを確認し、気に入るかどうか確かめてください。そして、気に入れば、手の甲にスプレーして嗅いでみてください。さらに5分待って、もう一度匂いを嗅いでみてください。そうすれば、その香水があなたのことが好きかどうかが分かるはずです。

ティエリー・ワッサー

私はスキーをとても愛しています。シャモニー=モン=ブランは私の休息の地です。そして、もうひとつ私の休息の地は、シャンゼリゼ68にあるゲランスパです。私はここの常連なのです。時差ぼけを和らげてくれ、フェイシャルマッサージなどアンチエイジングのケアもうけているのです。

ティエリー・ワッサー

世界中の香りを探し求め、フレグランスのみならず、女性の美をアシストするコスメの香りも創造する男ティエリー・ワッサー。彼の香りは、ラグジュアリーな香りではなく、女性の美を引き出す香りなのです。

彼のラボには、常時約850~900の香料が集結しています。それはフィルメニッヒ、ジボダン、シムライズなどの香料会社から定期的に送られる香料を精査し、随時入れ替わってゆきます。その中から、さらに約450の香料を選抜し、調香のために使用していくのです。

ゲランでは、バニラなしでフレグランスを作ることはありません。それがゲランの特徴であり、バニラは肌にとても近いので、母性愛の具象化でもあるのです。

ティエリー・ワッサー

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