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【ゲラン香水聖典】すべての香りの道はゲランに通ず

ゲラン
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ゲランブランド香水聖典
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ゲラン帝国皇帝ジャン=ポール・ゲラン

ジャン=ポール・ゲランとジャック・ゲラン、1956年。©GUERLAIN

1962年にゲラン帝国のルイ14世とでも形容すべきジャック・ゲランの後継者として、四代目調香師にジャン=ポール・ゲラン(1937-)が就任しました。彼にとって、偉大なる祖父が生み出した香りは、大いなる愛であると同時に、大いなる宿敵だったのかもしれません。

しかし、何よりも恐ろしいのは、ジャン=ポール時代のゲラン帝国もまた三代目に匹敵する名香の数々を生み出したという事実でした。1957年には、パリ16区パッシーにゲランの三号店がオープンしました。

そして、1959年にゲラン初のメンズ・フレグランスとして「ベチバー」が生み出されたのでした。当時ジャン=ポールは弱冠22歳でした。この香りにより、メンズ・フレグランスが芸術を語るようになりました。

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さらに1965年には史上初のオリエンタル系メンズ・フレグランス「アビルージュ」が生み出され、それまでは女性のためにだけ存在していたオリエンタルという「香りの門」の扉が、男性のためにこじ開けられたのでした(バニラは60年代において、男性のための香りには使用されなかった)。

ちなみにこの香りは「男性のためのシャリマー」とも呼ばれています。つまりは、ゲルリナーデ(ベルガモット、バニラ、パチョリ、トンカビーン)を男性の香りのためにはじめて駆使した香りなのでした。

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シャマードとサムサラ

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フランソワーズ・サガンが1965年に発表した小説『熱い恋』からインスパイアされ、1969年に生み出された「シャマード」は、フレグランス史上はじめてブラックカラントバッド(カシス)が使用された香りでした。そして、1970年4月にゲランは日本に現地法人を設立しました。

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1970年代後半から1990年代はじめにかけて、ファッション・ブランドが一般的な顧客層を獲得し、フレグランスの世界にも進出したこともあり、マーケットは世界規模になりました。しかし、ゲラン帝国はそんな状況に対応出来ず、存亡の危機に立たされつつありました。

そんな状況下で生み出された「ナエマ」(1979)は、当時全く売れませんでした(しかし、革命的なピーチローズの香りとして、21世紀にローズの香りを復興させる先駆的役割を果たすようになる)。そのためゲラン一族はその損失を埋めるために、不動産の一部を売らなければならないほどでした。

1983年に発売された「ジャルダン バガテール=バカテル庭園」は、マリー・アントワネットが建設させたバカテル庭園からインスパイアされた香りでした。そして、この香りは(エルメスの庭園の香りよりも遥か20年前に作られた)世界ではじめての庭園の香りでした。

美容部門において1984年にゲランが発表したテラコッタ ブロンジング パウダーの発想は斬新でした。それは〝健康的で自然な輝きで肌を明るくする〟という、メイクアップが生み出すのは人工肌であるという常識を突き破る革命的なパウダーでした。

さらにフェイスパウダーとして粉末状のルースパウダーしか存在しなかった1987年に、彗星のように誕生したのが、ボンボンのお菓子のような形をした「メテオリット」(=隕石)でした(通称:コロコロ)。

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1980年代半ばには、旅客機が一般的になり、人々はエキゾチックな場所や、冒険心が満たされる秘境を求めるようになり、インド、チベット、タイ、カンボジアのような地に対する憧れを持つようになりました。

1989年に誕生した「サムサラ」は、そんな人々の心の琴線に触れるかのように発売と同時に爆発的な売り上げを上げました。そして、この作品以降、多くのブランドが世界の神秘をテーマにした香りを生み出していくようになるのでした。

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ゲラン帝国、1994年にLVMH傘下に入る

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1992年にジャン=ポール・ゲランは、新進気鋭の調香師オリヴィア・ジャコベッティを助手につけ、「プティ ゲラン」を生み出しました。

そして、すぐ後にマチルド・ローランを助手にしました。彼女こそのちにカルティエの専属調香師になる人です(1994年から2005年まで11年間ゲランで働く)。

1993年11月26日には、日本初の店舗である帝国ホテル店がオープンしました(2010年「ラ ブティックアンペリアル」としてヴァージョンアップ)。

そして、1994年ゲランはLVMH(モエヘネシー・ルイヴィトン)のグループ傘下に入り、更に96年に、ジャン=ポール以外、創業者一族は、ゲラン社の経営から離れました。

1996年この時代のゲランを象徴する出来事が起こりました。新作「シャンゼリゼ」がゲラン一族ではない調香師であるオリヴィエ・クレスプにより調香されたのでした。

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ゲラン帝国の復活を賭けた「アクア・アレゴリア」

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1999年に、ジャン=ポール・ゲランは『アクア・アレゴリア』シリーズを発表しました。それはゲランが愛する5つの庭」というコンセプトで生み出されました。

マチルド・ローランの若い女性の感性を前面に押し出し、老獪なジャン=ポールのサポートにより生み出された5種類の香りの中でも、「パンプルリューヌ」と「ハーバフレスカ」は突出していました(現在においても人気のある香りです)。

しかし、2003年に、エルメスが、地中海の庭を発表し、「庭園のフレグランス」シリーズを大成功させたことにより、「庭」という香りのキーワードは、完全にエルメスに持っていかれてしまいました。

まさに打つ手は打ちつくし、四面楚歌に近い状況の中、一人の女性の存在が、ゲラン帝国の衰退を食い止め、さらには帝国の逆襲へと導くことになるのでした。彼女の名をシルヴェーヌ・ドゥラクルトと申します。

一方、メイクアップ部門においても、2000年にクリエイティブ・ディレクターに就任したオリヴィエ・エショードメゾン(1942-)がゲラン帝国復興の狼煙を上げました(彼の最初のファッション撮影の仕事がスージー・パーカーとリチャード・アヴェドンという凄さ)。この御方はエスティ・ローダー、ジバンシィでキャリアを積み重ねた〝生きる伝説〟です。

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ゲラン帝国のジャンヌ・ダルク



2002年に四代目調香師ジャン=ポール・ゲランは退任しました(以後、コンサルタントとして香りを不定期に調香)。そして、ゲランにおいて、クリエイティブ・ディレクター制度が敷かれることになりました。

かくして1984年以降、ゲラン一筋で働いてきたシルヴェーヌ・ ドゥラクルトの登場と相成ります(メイクアップ&スキンケア・トレーナーとしてそのキャリアをスタートした)。

1992年からISIPCA(イジプカ)で2年間学び、マチルド・ローランと共にジャン=ポールの下で学んだ彼女は、ディレクター就任のための最終試験として、「ランスタン ド ゲラン」(2003年)を見事に完成させ、大ヒットさせました。

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そして、その後、パリ・シャンゼリゼ通り68番地のゲラン本店のリニューアルオープンを記念して発売されることになる「ラール エ ラ マティエール(芸術と貴重なる生の素材)」コレクションに取り掛かりました。

以後、このコレクションは、ゲラン帝国の最も重要なプレステージ・コレクションとして定着していくことになります。

2016年まで彼女はゲランのディレクターとして活躍するのですが、2008年にティエリー・ワッサーの五代目調香師就任をもって、クリエイティブ・ディレクターのポジションからは退任することになりました。彼女こそが、ゲラン帝国を滅亡の危機から救った救世主でありジャンヌ・ダルクなのでした。

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ゲラン帝国の貴公子ティエリー・ワッサー

四代目調香師ジャン・ポール・ゲランと共に。©GUERLAIN

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2008年5月に、フランソワ・ドゥマシーとゲランのCEOローラン・ボワロ、ジャン=ポールによって、後継者が決められました。「ゲラン オム」を生み出していたティエリー・ワッサー(1961-)の登場です。

47歳のハンサムなスイス人の男性が、ゲランの五代目専属調香師に選ばれたのでした。それははじめてゲラン一族以外のものがゲランの調香師に選ばれた瞬間でした。

そして、「イディール」、「ラ プティット ローブ ノワール」シリーズ「ロム イデアル」シリーズ、「モン ゲラン」といったレギュラーラインだけでなく、「モン プレシゥ ネクター」「フレンチ キス」といったプレステージ・ラインにおける傑作も生み出していきました。

さらに2014年より、デルフィーヌ・ジェルクという有能な女性調香師も加わり、ゲランは次世代の六代目体制に向けて、進みつつあるのです。

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2016年1月20日には、サントノーレ通り392番地にフレグランス専門ブティックがオープンしました。

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さらに、シャルトルには「ラ リュッシュ」(蜂の巣)と呼ばれるスキンケアとメイクアップに特化した生産施設(350人の従業員を抱える)が2015年2月にオープンしました(コスメティック・バレーの中心であり、1973年の施設を改装したもの)。ちなみにフレグランスの生産施設はオルファンにあります。

2021年4月12日には、ゲラン最新の世界観とサービスが体験できる旗艦店「ラ ブティック ゲラン GINZA SIX」が東京・銀座に誕生しました。2028年の創業200周年に向けてゲラン帝国は、さらなる快進撃を続けるのです。