キリアン

キリアン・ヘネシー 香水界の貴公子(3ページ)

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キリアン・ヘネシー
Kilian Hennessy
1972年3月27日、フランス・ブローニュ=ビヤンクール生まれ。
キリアン・ヘネシーの全ての香水一覧
キリアンの全香水一覧(写真なし)

<代表作>
ラブ ドント・ビー・シャイ 2007年
バック・トゥ・ブラック 2009年
バンブー・ハーモニー 2012年
グッド ガール ゴーン バッド 2012年
フォービドゥン・ゲームズ 2012年
プレイング ウィズ ザ デビル 2013年
ヴレヴ クシュ アヴェク モワ 2015年
ブラック・ファントム 2017年
ウーマン・イン・ゴールド 2017年

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キリアン・ヘネシーの野望


私は21世紀のゲランになりたい。

キリアン・ヘネシー

まず最初に、キリアンは「香水界のロールスロイス」という異名を取るという文章が多いのですが、これは全くの出鱈目です。海外では、こういった間抜けな異名をキリアンというニッチフレグランスに対して一切つけてはいません。こういったフレグランスIQの低いセンスを疑う異名をつけた日本人はどなたでしょうか?(ちなみにアメリカでは、キリアンと言えばスヌープ・ドッグなどのヒップホップ・スターが愛用しているイメージが強い)

さてそれは兎も角として、キリアンというニッチ・フレグランスを僅か12年で「真のラグジュアリー・フレグランス・ブランド」にまで高めたキリアン・ヘネシーという男の実像を詳しく見ていきましょう。

キリアン・ヘネシーは、1765年に設立された、フランスのコニャックに本社を置くジャズ・ヘネシー&カンパニー(コニャックの世界市場で40%のシェアを持つ世界最大のコニャック生産企業)の創設者であるリチャード・ヘネシーの子孫です。彼は1972年3月27日にフランスのブローニュ=ビヤンクールで生まれました。

メンターはジャック・キャヴァリエ


私は子供の頃からただひとつのことだけを考えていました。それはコニャックのファミリー・ビジネスには参加しないということです。私は一から自分の力で何かを作り出すんだと、毎朝鏡を見るたびに自分に言い聞かせていました。しかし、何をするにしても、私は祖父(へネシー家6代目当主キリアン・ヘネシー)に育てられたのですが、ヘネシーの精神である品質には絶対妥協しないという姿勢に対しては忠実であろうと心に刻み込んでいました。

キリアン・ヘネシー

私の永遠のスタイル・アイコンは祖父のキリアン・ヘネシー(1907-2010、ヘネシーをモエ・ヘネシーにした男)です。彼はいつもエレガントなスーツを着ており、ディオールのオー・ソバージュをつけていました。彼は常にそれを大量に保持しており、ヘアワックス代わりにして、濡らしていました。この香りとパイプタバコの香りが彼に対する嗅覚の記憶です。

キリアン・ヘネシー

キリアンが香水業界に関わるようになったのは、20代になってからでした。それはソルボンヌ大学コミュニケーション科の卒業論文『香りとコミュニケーション』を書くことを決めた1995年のことでした。当時22歳のキリアンは、論文のために当時フィルメニッヒで若手調香師だったジャック・キャヴァリエにインタビューを行いました。そして、それ以後、彼から香水に対する基本を学ぶことになります。さらにキャヴァリエの勧めでケンゾー・パルファムのインターンシップを受けました。

ソルボンヌ卒業後に、パルファン・クリスチャン・ディオール(当時のパルファム部門の長は伝説のモーリス・ロジェだった)に入社したキリアンは2年間ニューヨークに居住することになりました。そして、その時に、フィルメニッヒのティエリー・ワッサーと交流することになります。この時、週に2回仕事の後、調香についてみっちり個人授業を受けたのでした。

2年後、パリに戻り、フレグランス・ディレクターとしてパコ・ラバンヌ(プーチ社)に4年間所属し、その後、グッチ・グループに移籍し、アレキサンダー・マックイーンの「キングダム」の制作に参加しました。3年後、ロレアル・グループに移籍し、マーケティング・エグゼクティブとしてジョルジオ・アルマーニのパルファムに関わり3年の時を過ごしました。

12年間フレグランス業界で働き、この業界が当初考えていていたような業界ではないことを嫌というほど思い知らされました。ディオールのファーレンハイトや、ティエリー・ミュグレーのエンジェルのような、世間に認められるために3年もの月日を要する斬新な香りが生み出される余地が21世紀のフレグランス業界にはありませんでした。

もはや、ファッション・デザイナーの直感に左右され、広告にお金をかけ、お客のニーズばかりを気にして、斬新な香りを創造することを嫌がるこの業界に嫌気が差し、ファッション業界に転進しようとキリアンは考えていました。

そんな時、バカラ美術館内のレストランのディナーに出席した折、バカラの展覧会に入ったことがキリアンの運命を決める出来事になったのでした。そこにはバカラ社が生み出した『シャリマー』『ディオリッシモ』『ルール ブルー』の香水ボトルが並んでいました。「かつての香水にはこれがあったんだ!そう!真のラグジュアリー感覚が!細部へのこだわりといいボトル自体も芸術だったんだ!」こうして彼はある決断をしたのでした。

真のラグジュアリー・フレグランスの創造を目指して・・・


私の香水作成のプロセスは実に単純明快です。それは、私自身が映画を作る映画製作者のように、まずは題名を考え、香水のストーリーを作り、適切な監督(=調香師)を選び、出演者(=香料)を決めていくのです。

キリアン・ヘネシー

2007年9月に自身の名を冠したニッチ・フレグランス・ブランド『キリアン』を創設しました。この時、キリアンはブランドのメイン調香師として迷いなくカリス・ベッカーの協力を仰ぎました。「最高品質の天然香料を使用すれば、最高の香りが生まれるわけではありません。一方で、安い香料を使用したからと言って安っぽい香りが生まれるわけでもありません。だからこそ、最高品質の天然香料で、それが分かる香りを作るということは、超一流の調香師にしか出来ないことなのです」とキリアンは回想しています。

ニューヨークのバーグドルフ・グッドマンとパリで発売されたキリアンのデビュー・コレクション「ルーヴル ノワール」は、パリでは在庫が一週間でなくなり、バーグドルフ・グッドマンでは2時間でなくなりました(二ヶ月間、カウンターには売るものが存在しなかった)。

この時、キリアンのために力になってくれたバーグドルフ・グッドマンのバイヤーが後のキリアンの二番目の妻になる妻エリザベスでした(写真上)。

キリアン・ヘネシーという超イケメン男。


キリアン・ヘネシーは、ライフスタイルにもかなりのこだわりを持つ男性です。それは生まれながらに裕福な一族に生まれた者にのみ持つことの出来る真のエレガンス哲学です。

愛用しているものは、結婚したときに妻からプレゼントされたロレックスのゴールドとシルバーのデイトナです。ハンフリー・ボガードやクラーク・ゲーブルといった往年のハリウッドスターを敬愛しています。公の場に出る時のファッションは、常に(ジャン=ローラン・リーゲルの)JLRによって仕立てられた白のドレスシャツであり(年間20着のシャツをオーダーしているという)、ノータイで、襟は立て、シャツのカフスを留めず、サンローランやトム・フォードの黒ジャケットに、ベストはアレキサンダー・マックイーンかトム・フォード、ジーンズはトム・フォード、そして、サンローランのブーツを履いています(キリアンの名言「ヒールの高い靴は、男性であっても女性であっても、姿勢を良く見せてくれ、エレガンスを演出してくれます」)。

そして、ディナーに出かけるときにだけ、サヴィル・ロウのギーブス&ホークスのスーツを着て、タイを締めるのです。ちなみにキリアンは煙草を吸いません。

クリムトを愛し、「私はこの仕事をしていなかったら建築家かシェフになっていただろう」と言うキリアンは、「私は絶対にパーカーを着ません。」と言うほどに、ストリートファッションが大嫌いです。最後に彼が最も畏敬の念を覚えているフレグランスの名前を挙げておきましょう。それはセルジュ・ルタンスの「フェミニテデュボワ」です。

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