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マチルド・ローラン カルティエの専属美人調香師

調香界のスーパースター達
©Cartier
調香界のスーパースター達
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マチルド・ローラン

Mathilde Laurent 1970年4月18日、フランス・ヌイイ=シュル=セーヌ生まれ。1992年にイジプカ(ISIPCA)に入学する。2年後の卒業パーティで、シャンパンの力を借り、ゲランの4代目調香師ジャン=ポール・ゲランにインターンシップを直談判し快諾される。

1994年2月14日から3ヶ月間、ゲランでのインターンシップの後、ジャン=ポールの助手として正式に雇用され、1994年から2004年まで11年間ゲランで働くことになる。

そして、2005年2月14日にカルティエ初の専属調香師になる。ナタリー・ポートマンを彷彿とさせる美貌を持ち、今では、「女王」の貫禄も兼ね備える、反逆と孤高の女性調香師である。

自分の作った香水が芸術品だと考える調香師の責務、それは、自分の作品に込められた意図を表現しなければならない。ピカソのように、なぜ彼の作品は醜いのに、同時に素晴らしいのか。これが芸術の面白さなのだ。

マチルド・ローラン(以下、すべての引用はマチルドのお言葉)

代表作

アクア アレゴリア ハーバフレスカ(ゲラン)
アクア アレゴリア パンプルリューヌ(ゲラン)
ゲット アポン/アトラプ クール(ゲラン)
カラット(カルティエ)
ベーゼ ヴォレ(カルティエ)
ラ パンテール(カルティエ)
ランヴォール ドゥ カルティエ(カルティエ)
ラ トレージエム ウール(カルティエ)

レ ズール ヴォワイヤジューズの全て
レ ズール ドゥ パルファンの全て
レ ゼピュール ドゥ パルファンの全て

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世界一美しい調香師。その名をマチルド・ローラン「様」と呼ぶ。

「いつの時代にでも生まれることが出来るのなら、絶対にフランス革命前のフランスね。ただし、貴族階級で、ヴェルサイユで生まれるんじゃないと嫌だけど」©Cartier

©Cartier

現在、6つのラグジュアリー・ブランドが、独自に専属調香師を持っています。

  1. ジャック・キャヴァリエ ルイ・ヴィトン
  2. ティエリー・ワッサー ゲラン
  3. クリスティーヌ・ナジェル エルメス
  4. フランシス・クルジャン ディオール
  5. オリヴィエ・ポルジュ シャネル
  6. マチルド・ローラン カルティエ

そして、2023年8月現在、それらの中で唯一、日本でのブランディングに失敗しているのがカルティエです。マチルド・ローランというナタリー・ポートマンを彷彿とさせる美貌を持ち、今では「女王」の貫禄も兼ね備える、反骨と孤高の調香師がここに存在するのです。

まずは彼女の性格が一瞬でわかる発言を引用しましょう。

今ではヨーロッパの香水は、ほとんど物真似になってしまっている。それらには芸術性の欠片も存在しません。私たちは、そろそろ香水に対する考えを改めなければならない。香料は絵の具なのです。その絵の具を使い、人々に第二の肌を創造してもらうのです。真の香水とは、調香師と使用者の共犯関係によって生み出される身に纏う芸術(アート)なのです。

ジャン=クロード・エレナとマチルド・ローラン、2018年 ©Cartier

ちなみに彼女が最も尊敬する調香師は、ジャン=クロード・エレナ(有名な一言「香水の広告は、決して信じるな!」)です。そして、双方に共通しているのは、香水はアートなのだという姿勢です。

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ジャン=ポール・ゲランの弟子になる。

私は光を愛する!だからカルティエにいる。©Cartier

1994年にオープンしたガラス張りのカルティエ現代美術財団のペントハウスに、マチルド様のアトリエがありました。それはジャン・ヌーヴェルのデザインしたものです。©Cartier

私のフレグランスの特徴は、〝感情〟を揺り動かすものはシンプルさだと考えているところにあります。大量の香料をブレンドするわけではなく、私はソリストが合唱団に囲まれているのが好きです。クインテットを編成し、その後ろにミュートしたメロディーを加えたり、シンセサイザーのような象徴的な楽器を弦楽器と一緒に演奏したりすることを想像してみてほしい。私はコントラストが好きで、最初から相反するものを結びつけるのが好きなのです。

マチルド・ローランは、1970年4月18日にフランスのパリ・モンパルナスで芸術家の両親の下に生まれました。はじめは父親のように建築家になりたいと考えていたのですが、すぐにカメラに熱中するようになり、フォトグラファーを目指すようになりました。

しかし、友人の香水収集に感化され、香水にも興味を持つようになり、17歳の時に、両親の親友が調香師になる学校があると教えてくれたのでした。

「私は大学ではかなり成績が悪かったのよ」と言いながらも、科学と物理学の学位を取得後、1992年に調香師養成機関の最高峰といわれるヴェルサイユのイジプカ(ISIPCA)に無事入学しました(入学当時マチルドは、調香師の名を誰一人知らなかったと回想しています)。

そして、2年後の卒業パーティで、シャンパンの力を借り、ゲランの4代目調香師ジャン=ポール・ゲランにインターンシップを直談判します。誰一人(16人の同級生)、そのことを尋ねる者はいなかったので、ジャン=ポールは、快諾しました。そして、1994年2月14日から3ヶ月のインターンシップの後、ジャン=ポールの助手としてゲランに正式に雇われました。

ジャン=ポールは、私に新しいことに挑戦する勇気と、その気持ちを持続することの大切さを教えてくれました。そして、常に「ライオン」のように立ち振る舞うことと、創造の自由をお金のために手放すべきではないということを教えてくれました。

マチルドは、1994年から2005年12月まで11年間ゲランで働きました(主にリフォーミュレーションを担当する)。チュニジアでオレンジ・フラワー、カラブリアでベルガモット、トルコでローズ、グラースでジャスミン、マヨットでイランイランという風に世界各地を転々とし、ゲルリナーデを生み出す真髄とも言える原材料に触れました。

一方で、21世紀のゲランの逆襲の狼煙とも言えるアクア・アレゴリア・シリーズをジャン=ポールと共にローンチし、「ハーバフレスカ」「パンプルリューヌ」という〝永遠のスタンダード〟を創造したのでした。

「調香師について最高のスキルを学びました。しかし、当時、ゲラン家では女性が会社で働くことは許されていませんでした。それだけに、ジャン=ポール・ゲランと一緒に仕事をすることは、とても恵まれたことでしたが、同時に難しいことでもありました」と回想しています。

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カルティエ初の専属調香師になる。

48歳にしてこの美貌。20~30代の彼女はどれほど美しかったのでしょうか?©Cartier

マルジェラのブロンズ・ジャケット。ファッション・デザイナーのようなパフューマー。©Cartier

調香師の仕事は、自分の創作物を誰かに身に纏ってもらえるという、信じられない喜びを得ることができる。それは鳥肌が立つほど嬉しいことです。しかし、苦労することもたくさんある。

日々の仕事は骨の折れる、退屈な作業です。一人でモチベーションを上げなければならない。何をやってもうまくいかず、思い通りにいかないときでも、自信を持ち続けなければならない。落胆することもあるので、これに直面する覚悟が必要だ。

時には、15日間も何かに取り組んだのに、2週間前の試作品の方がいいと言われることもある。働いても働いても何も見つからないこともあるので、忍耐強くなるしかない。それぞれの香りにも同じことが言える。自分ではどうにもならない、不可能だと思うようなひどい瞬間もある。私は、この苦悩の時間が存在するが故に、香水が本物の芸術であると確信しているのです。

マチルド・ローラン

ゲランで一緒に働いていたマーケティング部門のとても優秀なスタッフが、カルティエに移籍した後、カルティエのCEOベルナール・フォーナス(1984年から94年にかけてゲランにいた)にマチルドの素晴らしさについて伝えていました。

そして、マチルドはベルナールから、カルティエのためにオーダーメイドでジュエリーを作るように、香水を作って欲しいという要請を受け、2005年2月14日にカルティエに入社しました。5万ユーロという破格の値段で作られるカスタム・フレグランス・サービスが、2005年12月にパリでリニューアル・オープンされた本店でスタートしました。

ルカ・トゥリンは、マチルド・ローランがオーダーメイドで香水を作るようになったこの2年間について「アルチュール・ランボーが詩を捨てて、エンジニアリングを学ぼうと決心して以来の、悲しむべき才能の浪費だ」と言及していました。

5万ユーロ(約660万円)の香水とは?まず最初に、カルティエ本店の特別室(サロン デ パルファン)でマチルドは、顧客から2時間~3時間かけてリサーチします(子供時代、旅行における嗅覚の記憶など・・・)。

そして、約1年もの歳月を費やして、世界でたったひとつの香水を作り上げていきます。その間も何度か顧客と会い、香料等を選択していきながら、最終的に2つのプロトタイプを示し、気に入った方を選んで頂きます。

150mlのゴールドとクリスタルのボトルが2本製作され、レザーボックスの中に収納されます。そのボックスの下の引き出しには、50mlのスプレータイプのクリスタル・ボトルが3本入っています。さらに残りの1000mlは、カルティエ社に保存され、いつでも好きな時に引き出せるのです。

私はゲランとカルティエでしか香水を作っていません。それは理由があってのことです。私は香水業界が、とても不透明だと考えています。そこには秘密主義が蔓延っています。それは、多くのファッション・ブランドが、多大なる情熱をファッションに注ぎ込むのとは対照的に、香水に対しては情熱がゼロの状態で、安上がりのプロモーションの材料として猫も杓子も香水を作る傾向が示しています。そういった香水に限って、秘密が多く、そこには、本当に良いものを生み出そうという姿勢すらありません。

かつて、ポール・ポワレやココ・シャネルが、ファッション・ブランドでありながら香水を創ったのは、明確な香水に対しての愛情と敬意が存在した上でのことでした。しかし、今では全てのファッション・ブランドが必要もないのに、香水を創っています(そして、ブティックの片隅にお荷物のように置かれています)。

今、世界中の香水のほとんどは、顧客が払う価格の1/50の価値しかありません。私はそんなことが許されている香水業界が嫌いです。そして、その傾向に対して、何も言わない調香師たちを軽蔑します。ピカソの絵画は本物は恐ろしく高価なのですが、同じ絵でもポスタルカードは安くで買うこともできます。これがアートなのです。アートはどこにでもあるべきだ。

しかし、香水の場合は、そのポスタルカードのようなものを、情報を隠し、高額で販売していたりするのです。私は、香水業界に威厳はないのか?と怒りさえ感じています。

マチルドは現在の香水業界に対して実に辛辣であり、他の調香師に対する見解にも忖度がありません。

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世界一美しい調香師が愛するものとは?

5万ユーロ(約660万円)の笑顔を持つ女。©Cartier

薬指には、パンテールの結婚指輪。そして、どこかナタリー・ポートマンに似ています。©Cartier

6歳の頃、ミツコの匂いをはじめて嗅いだ時から私の運命は決定づけられた気がします。しかし、その時に、香水に興味を持ったわけではありませんでした。ただひとつ言える事は、今でもその時の香りを思い出すことが出来ます。

最後に、マチルド様の愛するものを羅列していきましょう。〝香りを芸術する〟女性の感性は非常に気になるものです。

「好きなものは、コンバースよ、20足以上持っているの」と言いながら、カルティエのパンテールとジュスト アン クル・ブレスレットをキラつかせるマチルド様。そのギャップが素晴らしいです。「リーバイスのボーイフレンドジーンズが好き」という彼女は、決してスカートを履かないことでも有名です。

お茶とコーヒーとチョコレートを愛するマチルド様は、特に「Jukro」と呼ばれる韓国の黒茶を愛しています。そして、コーヒーは、酸味が強く、フルーティーなケニア産のコーヒーを愛好。

クリスチャン・トルチュのキャンドルと、ディプティックのフドブワのキャンドルを愛し、好きな花(調香師の好きは花は、大変気になります)は、アイリス、スズラン、チューリップ、ピオニー。一方、「つねに私を魅了する香り」はパチョリとオークモスです。

私は決して香水をつけません。それは、肉を調理している時に、ストロベリー・ケーキを食べないのと一緒です。私は四六時中香りについて考えているので、香りを身に纏わないのです。ごく稀に付けるのはエルメスのナイルの庭です。

最後に、マチルド・ローランが愛する香りは、シプレ・ド・コティ、ヘルムート・ラングのオード・パルファム、ロシャス・ファム、グレのカボシャール(マチルドが最初につけた香水)、ゲランのミツコ夜間飛行ミュグレー コロン、モンタナのパルファン・ド・ポーです。

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最後にもう一言

2020年代のマチルド・ローラン ©Cartier

©Cartier

私は香水を説明するのがとても好きなの。ミステリーを利用するのは簡単すぎるし、その曖昧さを利用して人々を迷わせたり、優位に立ったりするのは不誠実だと思います。私にとって、他の人が知らないことを知っているからといって、支配することに偉大さはない。それは私は決してラグジュアリーの精神ではない。

こんなことをするのは、魂のない香水を作るメゾンだけだ。彼らは人々に夢を抱かせることがすべてだと考え、旅行や、存在しない世界とは言わないまでも、地球の裏側からやってきた信じられないような原料の話をする。香水で人々に夢を与えるべきものは芸術である!香水の意図、調香師のビジョン、メゾンが香水にどれだけの魂を込めているかが重要なのである。