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一人の主婦が起こしたフレグランス革命

ジョー・マローンと夫のゲイリー・ウィルコックス。

妹トレイシー・マローンの結婚式(1989年6月)。真ん中の二人は母アイリーンと父アンディ。そして、右にジョーとゲイリー・ウィルコックス。

歴史上一人の主婦がここまで大きなフレグランス・ブランドを作り上げることが出来るとは、1980年代はもちろんのこと90年代においても、誰も考えられなかったことでしょう。ましてや、その主婦はフレグランスの勉強をしていたわけではなく、15歳で学校を中退している、学歴ゼロの女性であるならば尚更です。

その主婦の名をジョー・マローンと呼びます。今日本中の都市部の百貨店のコスメコーナーや、ハイセンスなファッションビルに存在するジョー・マローン・ロンドンの創始者です。もし、あなたがジョー・マローンの人となりを知ったならば、ジョー・マローンのフレグランスの魅力が、販売員が御題目のように唱えるフレグランス・コンバイニングだけではないことを知ることが出来るでしょう。元々のジョー・マローンのフレグランスの魅力は、重ねづけなどしない、シンプルな香りにあったのです。

1963年に生まれたジョーは、ロンドンの貧困家庭の集まる公営住宅で生まれ育ちました。絵描き(賭博好き)であり、無職の父親アンディ(1926-2007)は、マジシャンもしていて、ジョーは子供のころマジシャンのアシスタントをしていました。だから自宅には鳩と沢山のうさぎを飼っていました。そして、物心ついた時から父親の絵をローカル・マーケットで売る手伝いもていました。そのとき、彼女も初めて自分が作ったものを売ったのでした。それはTシャツでした。この頃にジョーは自分で作ったものを人に売る喜びを知ることになりました。

一家の大黒柱だったフェイシャリストの母親アイリーンは、1920年代後半からオリジナルのスキン・クリームを販売していた美容家マダム・ルバッティの下で働いていました。マダムは、エヴァ・ガードナーヴィヴィアン・リーといった顧客も持っている有名なフェイシャリストでした。ジョーも9歳位から母親の手伝いをし、マダムからサンダルウッドから作られた秘伝のフェイス・マスクの作り方を学んだりしました。そして、1970年代前半のマダムの死後、ブランドを母が引き継ぎぐことになります(妹トレイシーは1968年に生まれ、のちに彼女も美容家になり『ルバッティ』というブランド名で美容クリームを販売するも、2012年死去しました)。

しかし、母親が突然、脳卒中で倒れます。急遽一家の大黒柱になったジョーは、15歳で学校を辞めました。ジョーは元々失読症であるハンデを抱えながら、エリザベス通りの花屋で働きながら、夜はキッチンや出張で、母親の顧客に対して、フェイシャリストとしての腕を磨いていきました。

ナツメグ&ジンジャー・バスオイル

ジョー・マローン・ロンドンは二つの時代に分かれています。ジョーがいた時代といなくなった時代です。

ジョー・マローンは、20代はじめに、母親と同じようにプロのフェイシャリストになりました。彼女は、自分の仕事に特徴を出すために、アロマティックな軟膏をマッサージに使用しました。昼から夜にかけては、自宅をマッサージパーラーにしました。そして、夜は、アパートのストーブの上で、バスオイルをミックスして自分好みの香りを調合する喜びにとりつかれるようになります。そんなある日、〝相反する素材を合わせてみたらどんな香り〟になるのだろうか?という純粋な疑問に対する答えを求めて、ナツメグとジンジャーをミックスしてみました。

こうしてナツメグ&ジンジャー・バスオイルは生み出されたのです。そして、フェイシャル・マッサージのお得意様の顧客5人に感謝の気持ちを込めてプレゼントしました。これが思いの外好評だったので、さらに10人の顧客にプレゼントしたのでした。この本当に自家製で作られたバスオイルが、90年代に英国で最も有名なフレグランス・ブランドの始まりになったのでした。

そのうちプレゼントした顧客の一人が、このバスオイルをたいそう気に入り、ディナーパーティーのゲストへのプレゼントとして100本オーダーしたのでした。そして、そのうちの86人が後日、追加注文してきたのでした。この時、ジョーは「フェイシャル・マッサージを捨て、フレグランスに生きる」決意をしました。1984年に結婚していた夫のゲイリーも、測量技師の仕事を辞め、ジョーのビジネスに協力しました。そして、1994年にチェルシーに路面店をオープンしたのでした。

本物のジョー・マローン時代(1994-2006)

ジョー・マローン・ロンドンの創始者ジョー・マローン。

最初の大物顧客は、スノードン伯爵夫人ことセレナ・アームストロング=ジョーンズと、“ジョゼフ”のデザイナー・ジョゼフ・エテッドギーの妻イザベル・エテッドギーでした。特にイザベルは、〝ジョー・マローン〟のブランドの象徴ともなっているクリーム色のボックスに、黒いリボンという包装のデザインと、ヴィンテージの薬局スタイルのボトル・デザインを生み出す手助けをしました。そして、かつてバーグドルフ・グッドマンのファッション・ディレクターであり、1989年から1994年にグッチの社長になったドーン・メロ(1990年、トム・フォードをグッチのデザイナーとして起用した人)にも認められるに至り、1998年に、ニューヨークのバーグドルフ・グッドマンで扱われるようになりました。

複雑な香りのフレグランスに飽き飽きしていた人々が、高価な天然素材を使用したシンプルな香りに夢中になったのです。1999年に、ジョーはロンドンに旗艦店を作り、同年、エスティローダーに自分のブランドを売りました。以後も、ジョーは、クリエイティヴ・ディレクターとしてブランドに残りました。そして、ブランドのアンバサダーとして、世界各国を周るジェットセット・ライフを送りました。2001年にはニューヨーク・シティにショップがオープンします。さらに同年、念願のスキンケア・ラインがスタートしました。

しかし、2003年にジョーの人生は急転降下することになります。彼女は乳癌になってしまったのです。エスティローダーは彼女のために最高の医療技術を提供しました。科学治療を行い、回復し、仕事に復帰するも、2006年にジョーは、クリエイティブ・ディレクターを辞める事を決意しました。

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