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フレデリック・マル

【フレデリック マル】ル パルファム ドゥ テレーズ(エドモン・ルドニツカ)

フレデリック・マル
©Michel Roudnitska
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ル パルファム ドゥ テレーズ

【特別監修】Le Chercheur de Parfum様

原名:Le Parfum de Therese
種類:オード・パルファム
ブランド:フレデリック・マル
調香師:エドモン・ルドニツカ
発表年:2000年
対象性別:ユニセックス
価格:10ml/7,920円、30ml/21,780円、50ml/27,720円、100ml/39,600円

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元々は、妻テレーズのための香りではなかった。

若き日のエドモン・ルドニツカ。©Michel Roudnitska

©Michel Roudnitska

©Michel Roudnitska

実に微妙な事柄を単純に語るには大変な才能と熟練が必要とされる。つまり、単純ということは、一つのテクニックが到達しうる究極である。単純さこそが、調和をいともたやすく発見することを可能にするのである。

エドモン・ルドニツカ

安易な、そして多くの調香師が流されやすい傾向であるが、香水の処方が複雑になればなるほど、調合されてでてくる作品は(それもまた作品とみなしての話ではあるが)独創性を欠きやすくなる。

エドモン・ルドニツカ

エドモン・ルドニツカ(1905-1996)という御仁を皆様はご存知でしょうか?20世紀を代表する調香師の一人です。この方の偉大さがどれほどのものか分かりやすくたとえるならば、それはハリウッド女優で言うと、オードリー・ヘプバーンかグレース・ケリーであり、フランス人女優で言うと、ブリジット・バルドーかジャンヌ・モロー、日本の映画監督で言うと、黒澤明か小津安二郎、日本のプロレスラーで言うと、アントニオ猪木か力道山です。つまりは、彼こそが、調香師におけるそういった存在なのです。

ルドニツカの調香スタイルは、極めてミニマルであり、処方も同時代の調香師と比べると遥かに少ない香料によるものでした。

そんな彼が、1956年に作り上げたこの香りは、当時ディオールの香水部門の責任者だった(フレデリック・マルの祖父の)セルジュ・エフトレー=ルイシュに対して、新作として商品化を提案して持ち込まれたものでした。

しかし、セルジュは、当時、クリスチャン・ディオールの愛した花スズランの香りを求めていたため、ルドニツカにスズランの香りの調香を依頼するのでした。そして、「ディオリシモ」が生み出され、この香りの発売は見送られました。

結局セルジュは1959年に死去し、1966年に、この香りは「フィジー」の名でギ・ラロッシュによって商品化される寸前までいくのですが、当時としてはフルーティーすぎて、斬新過ぎるという理由から、結局はどこからも商品化されることはありませんでした。

フレデリック・マルがこの香りについて知ったのも、60年代から70年代にかけてパルファン・ディオールで働いていた母親がそのサンプルを家に持って帰ってきたことからでした。

芸術とは、本能的に感動させるか、あるいは知性の面で感動させるかであり、ごく稀に両方の面で感動させることになる。そんなものが創造できればとてもすばらしい。

エドモン・ルドニツカ

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テレーズはこの香りだけを40年以上身に纏った。

©Michel Roudnitska

この香水は私の父の始まりから終わりまでの作品の進化を表しているのです。

ミッシェル・ルドニツカ

時代の先を行きすぎたこの香り(斬新過ぎるオゾンノート)は、その後も調香師たちが集まるたびに話題になる幻の香りでした。そして、その名を「プラム(La Prune)」と呼ばれていました。

ルドニツカは、フルーツのみずみずしさを出すために、この当時かなり画期的な試みであったキュウリ、メロン、スイカのようなオゾンノートを大量に使用しました。

そして、ルドニツカは、1961年に商品化されることのなかったこの香りを最愛の妻テレーズ用に再調香し(この時に、自分自身の名香である「ディオレラ」(メロン)や「ロシャス ファム」(プラム)の要素も織り交ぜた)、彼女だけ纏うことが許される秘密の香りとして封印したのでした。

ルドニツカにとって、妻テレーズ・ルドニツカ(彼女自身も一流の科学者だった。後述)は、香りを作るときに、試香してくれる自分の分身のような存在であり、彼女がいたからこそ、多くの名香を生み出すことが出来たという感謝の気持ちも込められていました。

時代は過ぎ1999年に、フレデリック・マルは、創業するにあたり、幼少期に母親から嗅がされた〝幻の香り〟を求めて、テレーズとその息子ミシェルに面会を求めました。そして、この〝幻の香り〟に対する深い思い入れを伝え、自分の新ブランドの設立は、この香りなしでは考えられないと直訴したのでした。

こうして世に出た香りの名は「テレーズのパルファム」とされました。

それは、この香りがどういう経緯で生まれたのであっても、最愛の妻テレーズのための香りであることには間違いなく、世に出るまで40年以上も彼女はこの香りを身に纏い続けてきたのです。

マルはこの香りをエルメスの〝ケリーバッグ〟に喩えています。「最高級のヴィンテージ・デザインでありながら、永遠に色褪せないモダンな要素もたぶんに含んでいる」と。「典型的なフローラル、フルーティー、スパイシー、ウッディな香りではなく、まるでオートキュイジーヌのようです。」

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テレーズ・ルドニツカについて

1942年のパリの女性たち

エドモン・ルドニツカ(1905-1996)の最愛の妻テレーズは、1919年に冷蔵庫のエンジニアの娘として生まれ、幼少期をパリで過ごしました。1941年にパリの化学学校を卒業した後、1942年にドゥ・レール社(後にシムライズ社に吸収された)の薬事部門に入社し、特に原料やコンポジションを専門にしていました。

一方、ルドニツカは、オペラ歌手になる夢が破れ、エルネスト・ボー(シャネルN°5(No.5)の調香師)の下で助手として働き、ルール社で7年過ごした後、1935年にドゥ・レール社に雇用され、香水の合成香料を含んだベースを開発する仕事に就きます。

1938年にエリザベス・アーデンの「It’s you」で調香師デビューを果たしたルドニツカは、1942年に同じ会社の向かいの研究所で働いていたテレーズと出会います。

テレーズは若く、ファッションに夢中なモダンガールでした。そして、ルドニツカの影響もあり、香水に興味を持つようになり、更には、2人でバイクに乗って遠くの森までスズランを取りに行ったり、本屋に行ったり、オペラを見に行ったりするようになりました。

すぐに二人は結婚し、1948年にはフレデリック・マルで「ノワール エピス」を調香することになる息子のミッシェルが誕生しました。

そして、テレーズは、2004年2月29日に、天寿を全うし85歳で亡くなりました。

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最後のルドニツカの香り

©FREDERIC MALLE

太陽の光に酔ったマンダリンオレンジが、人々の心の中の淀んだ空気を一掃するように弾けます。そして、熟したメロンが、スイカのようでありながらキュウリのようでもある透明感に包まれながら、ナツメグによりミステリアスに発泡するような(フルーティーさを封じ込めたようなメロンの)香りで包み込んでくれます。

発泡するという概念を一新するような体感がここにはあります。優しく静かに透き通るように、それでいて陽気にメロンは肌の周辺を泳ぐように香り立つのです(でありながらオゾンノートは感じられない)。

ここでファイザーにより1966年に発見されたカロン(ウォーターメロンケトン)が使用されています。ちなみに史上初めてカロンが使用された市販香水は、アラミスの「ニューウエスト」(1988)でした。そして、「ロードゥ イッセイ」(1992)で一躍脚光を浴びる香料となります。

それはルドニツカが、テレーズの20代の美しさを永遠に封印したようなトップノートとも言えます。どんな80歳のおばあちゃんにも存在した20代の青春の輝きを、青くて酸っぱさも感じられる〝透明感〟によって深い感情を呼び起こす、涙を誘うような美しい香りのはじまりです。

やがて、1950年代~60年代のクラシックムービーに出てきそうな吐息のようなローズとヴァイオレットが、シダーとベチバーに押し出されるようにして、バターのように滑らかなレザーの空気に乗っかかりながら、みずみずしいメロンと不思議に意気投合するように香りを放つのです。

この辺りから頭の中で、『ティファニーで朝食を』のヘンリー・マンシーニのエレガントな楽曲が脳内演奏をはじめます。

さらに現れるインドールのドレスで飾り立てた貴婦人のようなジャスミンと、ジューシーな少女のようなプラムが、相反する個性を煌かせながらまるでゲランの「ミツコ」のようなクラシカルなシプレの側面もしっかりと放ちつつ、グリーンジャスミンをゆっくりと肌の上で咲かせてゆきます。

そして、この香りのもうひとつの主役とも言えるレザーの魔法が封印から解かれ、メロンはプラムへと生まれ変わるのです。

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夫の愛情を確かめることが出来る香り


この香りの素晴らしいところは、フレデリック・マルという人が、香りとは物語であるということを熟知しているところにあります。この香りの最も重要な香料は、メロンでもジャスミンでもプラムでもなく、ミステリーなのです。

それは、本当に、ルドニツカがこの香りを調香したのか?というミステリーと、ルドニツカは妻に対して、妻だけにしか理解できない香りを作ろうとしたのか?それとも一般的な、最愛の女性に捧げる香りを作ろうとしたのか?というミステリーが相身互いになるところから生まれているのです。

そして、更にいうと、この香りを夫に内緒で購入し、身に纏い、どういう反応を示してくれるかによって、夫の本当の愛情が図れる香りだとも言えるのです。つまりは、妻が夫の愛を試すことの出来る恐ろしい香りでもあるのです。


ちなみに、マルがイメージするこの香りを身に纏う女性像は、叔父のルイ・マルが監督した『死刑台のエレベーター』(1958年)でジャンヌ・モローが演じた笑わないヒロインです。

ルカ・トゥリンは『世界香水ガイド』で、「ル パルファム ドゥ テレーズ」を「フルーティ・ジャスミン」と呼び、「エドモン・ルドニツカの手により、妻テレーズ(彼女自身も並々ならぬ調香師)への贈り物として制作された。」

「ルドニツカの最高傑作で、並はずれて複雑にもかかわらず、完璧に釣り合いのとれた読み取りやすい構成なのだ。この作品と同種の「ディオレラ」「オー ソバージュ」、やや劣る「クリスタル」などは、すべて彼がかかわった作品だ。」「さらに、このフレグランスはルドニツカの最高作品にくらべると、わずかに荒削りなところがあり残念で、あともう一息と思ってしまう。」と4つ星(5段階評価)の評価をつけています。

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香水データ

香水名:ル パルファム ドゥ テレーズ
原名:Le Parfum de Therese
種類:オード・パルファム
ブランド:フレデリック・マル
調香師:エドモン・ルドニツカ
発表年:2000年
対象性別:ユニセックス
価格:10ml/7,920円、30ml/21,780円、50ml/27,720円、100ml/39,600円


トップノート:マンダリンオレンジ、メロン、ペッパー
ミドルノート:ローズ、プラム、ジャスミン、ヴァイオレット、ナツメグ
ラストノート:シダー、ベチバー、レザー