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【フレデリック マル香水聖典】美を極めし、アンバランスで危険な香り

フレデリック・マル
©FREDERIC MALLE
フレデリック・マルブランド香水聖典
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フレデリック・マルの覚醒

©FREDERIC MALLE

家族と共に、ニューヨークの自宅マンションにて。スペイン系の妻マリーは、精神分析医でありソーシャルワーカーです。©FREDERIC MALLE

2003年のフレデリック・マルとその息子。自宅にて。©FREDERIC MALLE

バーニーズのフレグランスの4つのうちのひとつは我々のフレグランスです。ちなみに、ハリウッドスターは、大抵、LAのバーニーズでフレグランスを購入するのですが、この場所で一番売れているのが、フレデリック・マルなのです。

フレデリック・マル

自分に合わない香水をつけることは、ドレスを裏返しに着るようなものだ。

フレデリック・マル

フレデリック・マルは、1988年にルール・ベルトラン・デュポン社(現ジボダン)に入社しました(1992年まで在籍した)。そして、当時ジャン・アミック(「オピウム」を調香した人)によって率いられていたルール社で、彼のアシスタントになりました。

その時に、ジボダンの調香師養成学校でトレーニングを受けるようになり、フランソワーズ・キャロン、エドゥアール・フレシェ、ジャン・ギシャールといった調香師たちから特別に研修を受けたことから、マルの香水に対する覚醒がはじまるのでした。

これはもう血統としか言い様がないのですが、最初からすでに卓越した嗅覚を持っており、マジシャンのように香りを当てるフレデリックの天賦の才に皆驚かされたのでした。

1994年にイギリスに渡り、ロンドンの高級会員制クラブ「アナベルズ」の創設者であるマーク・バーリーのためにフレグランスを作りました(そして、失敗した)。

その後、フランスに戻り、フリーランスとして、クリスチャン・ラクロワ(LVMH)、エルメス、ショーメのフレグランス・コンサルタントをつとめることになりました。彼は、フランスにおけるアン・ゴットリーブのように、マーケティング部門と調香師の橋渡し役をつとめようとしました。しかし、あくまでもマーケティング部門主導のフレグランス制作プロセスに、心底うんざりしたのでした。

このようなこと(量産型フレグランスを作らせること)を素晴らしい調香師たちに任せるのは、F1レーサーにタクシードライバーをさせるようなものです。

フレデリック・マル

そして、同じく多くの調香師達が、その才能をもてあまし、ただ、どこかのヒット作を模倣した香りを生み出している終わりなき日常にうんざりしていることを知ったのでした。

そういった経験が、盟友ピエール・ブルドンの賛同の下で、2000年のブランド創設へとつながっていくのでした。更に、その官能的な香りのネーミング・センスが、トム・フォードが発表する後の香りの名前にも大いに影響を与えたのでした。

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フレデリック・マルの香水製作の流れ

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フレデリック・マルとはある意味、エドゥアール・マネの『草上の昼食』という歴史的傑作を紹介した「落選展」のようなものなのです。私たちの香りの多くは、他のブランドで商品化を拒否され、フレデリックの下に集まったようなものなのです。

ピエール・ブルドン

フレデリックは、自身の役割は、調香師たちを足枷から自由にすることだと考えています。そのためまず最初に、何を達成するかを調香師と正確に決めた上で、いくつかの試作を作り、自分たちのアイデアを評価し、続けるかどうかを決めていきます。

そして、継続することに決定したら、どの試作が目的に達するのに良いかを選定していくことになります。その際、かなり細かいレベルで「もう少し○○(原料など)を足したほうがいい、減らしたほうがいい」とフレデリックがアドバイスして、詰めていきます。

最終的には、フレデリックは自分の家族の肌に乗せテストします。腕の内側の様々な位置に各サンプルをつけ、8時間ほど香りを見ながら、その間、定期的に香りの変化をノートにつけてゆきます。また、ニューヨークやパリ、自身の旅行先で、どのように香るかも随時確かめます。

そして、作品が完成に近づくと、その作品の名前を決める工程に入るのです。

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マルの香水に共通する3つの決定的な性質

©FREDERIC MALLE

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1.時間が経っても、ずっと拡散している

調香師たちは、最高級の香料を惜しげもなく使うことが出来ます。基本的に多くのブランドでは、最初の15分で香りを決めてもらうために、トップノートと言われる部分に予算をつぎ込み香水を作るのですが、フレデリック・マルでは、最初から最後まで続くベースノートにも途轍もない予算をかけています。

持続時間は、香水の濃度で決まるだけでなく、ベースノートの量や質にも左右される為、最高のベースノートに拘るフレデリック・マルは他のブランドに比べ、ロングラスティングの香りになります。

2.香水自身の特性がずっと続き、他の香水の真似にならない。

つまらない人は、たいていつまらない香水をつけている。この香水をつければ、誰でもセックスシンボルになれるという広告があるが、このようなマーケティングはつまらないし、つまらない香水を買うつまらない人たちへのアピールにしかならない。

フレデリック・マル

真に創造と呼べる香水だけが、動揺を引き起こし、予期せぬものを与えることができます。そして顧客が疑問を抱き、習慣を捨てるきっかけとなります。創造的な香水は、人々の知覚能力を広げるものなのです。

ジャン=クロード・エレナ

予算が無制限であるため、調香師は、最高級の素材だけでなく、必要な香料をオーダーメイドで作ってもらうこともできます。特に、IFFのラボラトリー・モニーク・レミーに依頼しており、マルの香水の為だけに作ったスペシャル・ブレンドの香料がいくつもあります。これが独自性を保つことが出来る一つの根拠です。

またフレデリックは、「明日のクラシックを作りたい」という信念を持っているため、挑戦的な香水を生み出すことを躊躇いません。「リップスティック ローズ」はその典型でしょう。

3.肌に馴染み、つけている人の香りになる

フレデリックが最も重要視しているのは、肌に馴染むということです。全ての香りが肌と馴染んだ時のことを考えて作られています。

母親からかつて聞かされた、コティがスズランの香り「ミュゲ ド ボワ」(1941)を作ったにも関わらず、肌に馴染みづらかったため全く成功せず、一方で、その15年後に誕生した「ディオリッシモ」は、肌に馴染みやすかったため大成功し、伝説の香水になったという話を教訓にしているのです。

そして、面白いことに、フレデリックは、絶対に完璧な香りを作らないようにしています。

香水というのは人間と似ています。人間が完璧すぎると一緒にディナーに行きたくないですよね。香水も同じです。

フレデリック・マル

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2014年、エスティローダー・グループに

ブランド創立したばかりの頃のフレデリック・マル。

2002年にフレデリック・マルは、バーニーズニューヨークで取り扱われるようになり、念願のアメリカ進出を果たしました。しかし、2004年に、フレデリック・マル最大の理解者だったジャン=クロード・エレナがエルメスの専属調香師に就任し、フレデリックのために作品を作ることが出来なくなりました。

しかし、2007年には、女帝ソフィア・グロスマンが満を持して登場しました。さらに2013年には、ドリス・ヴァン・ノッテンのための香りを創造し、大いに話題になりました。フレデリック・マルは順調に「華麗なる香水」を生み出していたのでした。

そんな中、2014年11月に1200万ドル以上で、エスティローダー・グループに売却され、その傘下に入ることになり、多くのファンをがっかりさせました。

どうやら、マルも大衆フレグランス入りするんだなと人々は考えたためでした。しかし、現実はこういうことです。フレデリックは、エスティローダーの持つ豊富な資金力と流通網を背景に、より大きなラグジュアリー・フレグランス・ブランドの道を進もうと考えていたのでした(現在も社長兼クリエイティブ・ディレクターである)。

一方、エスティローダーからすれば、今まで、自分たちのグループには存在しなかったプレステージ・フレグランス・ブランドを手にすることにより、新たな市場を獲得しようという目論見なのです。

彼を知る人々が口を揃えて言うのは、「妥協しないことに慣れている彼が、必ず妥協せざるを得なくなること」で、燃え尽きてしまうかどうかだということです。

ジョー・マローンを見るとよく分かるでしょうが、エスティローダーが買収した後、そのフレグランスブランドは、排他性(個性)を失ってしまい、平凡なブランドになってしまいます。フレデリック・マルも、そうなっていく可能性があると私は考えます。

ベルトラン・ドゥシュフール

フレデリックが今後一緒に働きたい調香師として名を挙げているのが、ミシェル・アルメラックアニック・メナード様です。

現在、アン・フリッポと約2年かけて新作を作っているのですが、フレデリックの反骨精神はいまだ衰えることを知りません。

現在の30代から私よりも年下の調香師のほとんどは使い物にならない。彼らは、キャリアを守ることしか考えていない。私がオファーを出しても〝あなたの過去の偉大な調香師たちの香りと比べられるから大変だ〟と言うばかりで、決して〝ノー〟とも言わない。

フレデリック・マル

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フレデリック・マルはかく語りき

©FREDERIC MALLE

私は、調香師たちが苦心して生み出したものを重ねづけさせるという精神が理解できません。それはピカソの絵を買って、もうちょっと赤が欲しいといって、その上から付け足していくような行為です。

私たちの香水は長い時間をかけて、何度も試行錯誤を繰り返し生み出した芸術作品なのです。それを混ぜることで良くなるなんて、私には到底理解できません。混ぜるという発想自体が、私を不機嫌にさせるのです。

フレデリック・マル

1990年代からはじまる大衆向けフレグランスの氾濫が、実力のない調香師がのさばる環境を生み出しています。特に30代から40代の名の通った調香師の多くは、創造性に欠けています。だから私は、ドミニク・ロピオンのような年配の調香師や、新人調香師と仕事をするようになっているのです。

フレデリック・マル

かつて全くモテなかった青年が、今では、ファッション・リーダーのような存在感を示すほどになっています。ちなみにマルは、アンダーソン&シェパードで仕立てたジャケットを愛用し、時計は、60年代のロレックス・サブマリナー、バッグはT.アンソニーのトートバッグか、ヴァレクストラのメッセンジャーバッグ、シューズはクリスチャン・ルブタンジョン・ロブを愛用しています。

ワインは、彼が最高のブルゴーニュ・ワインを作ると絶賛しているドメーヌ・ド・モンティーユのポマール レ リュジアン(赤)とピュリニィ モンラッシェ(白)を愛しています。

そんなマルが提案する『メンズ・フレグランスのおすすめ』がとても面白いです(彼は旅先には、必ず5本のお気に入りの香水を持参し、その日の気分で付ける香りを選ぶようにしています)。

メンズ・フレグランスはおおまかに4つのグループに分類されます。コロン、ウッディ、レザー、オリエンタルです。

まずコロンだと、「コロン インデレビル」と「コロン ビガラード」をおすすめします。他のブランドだと、エルメスの「オー ドランジュ ヴェルト」ですね。私は「オーソバージュ」を愛し続けていますが、少し時代遅れかもしれません。

ウッディだと、「テール ドゥ エルメス」が賢い選択ですね。

レザーに関しては、トム・フォードが強いでしょう。ただどれも似たり寄ったりな感じもします。エルメスの「ポワーブル サマルカンド」と、私の「フレンチ ラバー」もおすすめです。

オリエンタルは、セルジュ・ルタンスの 「アンブルスュルタン」とシャネルの「シコモア」が素晴らしいです。

ちなみにクラシカルなダンディズムを出したい場合、クールウォーターやアクア ディ パルマは絶対に避けるべきでしょう。

最後にフレデリックの面白い言葉をひとつ

顧客のことを考えたことはありません。私はマーケティングを信じないからね。

そして、最後の最後に非常に興味深いのは、ジャン=クロード・エレナが、フレデリック・マルについて以下のように語っている点です。エルメスで働いていた彼が語る言葉だからこそ、その重みは果てしないのです。

私たちは一対一で打ち合わせをしていく中で、予算的な制約などについて話したことがありません。つまり完全に自由な状態で仕事に望んでいくのです。彼の前では遠慮することなく、芸術性を探求できるんだ。