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【パルル モア ドゥ パルファム香水聖典】叶わなかった愛が、いちばん美しい。

パルル モア ドゥ パルファム
©Roberta Valerio
パルル モア ドゥ パルファムブランド香水聖典
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パルル モア ドゥ パルファム

Parle Moi de Parfum 2016年9月10日、ベンジャミン・アルメラックは、母と兄弟と共に「パルル モア ドゥ パルファム」という少し不思議な名の響きを持つニッチ・フレグランス・ブランドを、パリのマレ地区のセヴィニエ通り10番地に、小さいながらも洗練されたブティックと共にオープンさせました。

彼の父の名をミシェル・アルメラックと申します。クリスティーヌ・ナジェルアン・フリッポジェローム・エピネットをはじめとする沢山のスター調香師たちに、〝先生〟または〝お父さん〟と崇められ、ミニマルな調香において、ジャン=クロード・エレナと双璧を成す調香界の巨匠です。

「パルル モア ドゥ パルファム」の名の意味は、〝香りの魅力について語り合いましょう〟です。それは、ずっと大いなる制約の中でフレグランスを生み出してきた父に対する三人からの感謝の気持ちでした。今ここに、香水界の伝説の調香師が、一切の制約から解き放たれ、本当に自分自身と家族のために香りを生み出せる〝理想の環境〟が誕生したのでした。

2018年に、フランスでは定年にあたる65歳になったミシェルにとって、ここで発表される香りそれぞれが彼自身の〝白鳥の歌〟であり〝香りのサヴォアフェール〟を伝えてくれるものなのです。そして、同年10月31日に遂に日本上陸を果たしたのでした。

代表作

ギモーヴ ドゥ ノエル(2016)
トータリー ホワイト(2016)
ミルキー ムスク(2016)
ユヌ トン ドゥ ローズ(2016)
オリス タトゥー(2018)
オート プロヴァンス(2020)
ウェイクアップ ワールド(2022)

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エレナが芸術肌であるなら、アルメラックは天才肌

左から、ロマン、ベンジャミン、そして、ミシェル・アルメラック ©Roberta Valerio

ミシェル・アルメラック ©Roberta Valerio

ベンジャミンの存在は、私が今取り組んでいるプロジェクトや、数年前から考えていたプロジェクトなど、自分のアイデアを自由に伝えることができるのが利点です。

メジャーなブランドの香水を作る場合、あれもこれも変えていかないといけなくなり、最終的に私がやりたかったことと、まったく別物のものが出来てしまうことが多いのです。

ミシェル・アルメラック

クリスティーヌ・ナジェルアン・フリッポジェローム・エピネットをはじめとする沢山のスター調香師たちに、〝先生〟または〝お父さん〟と崇められ、ミニマルな調香において、ジャン=クロード・エレナと双璧を成す存在であるミシェル・アルメラック

エレナが俳句スタイルを標榜する芸術肌であるなら、アルメラックは、時代にマッチした売れる商品を生み出す嗅覚を持つ天才肌(秋元康のような存在)と言えます。そんな商業主義の中で割り切って仕事に取り組んでいるように見えていたアルメラックは、実はずっと心に一大野心を秘めていたのでした。

〝人々の求めるものをイメージし調香する 〟ということに人生を費やしていると、そのうち、自分が『夢』にまで見た香りを調香し、それを大切な人々と共有したいという願望が抑えきれなくなるのです。

ミシェル・アルメラック

何十年もの間、ディオールの「ファーレンハイト」、ラルチザンの「ヴォルール ド ローズ(バラ泥棒)」、グッチの「ラッシュ」、ボンド・ナンバーナインの「セント オブ ピース」、クロエの「クロエ オードパルファム」などのヒット作を生み出している間、ずっとずっと〝自分自身の香水ブランドを作りたい〟という漠然とした思いがありました。

しかし、売れっ子調香師として多忙な彼にとって、ただ歳月だけが過ぎてゆきました。そして、2015年のある日、息子のベンジャミン・アルメラックが香水ブランドを立ち上げたいと、突然彼に打ち明けたのでした。

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2016年9月10日、ブランド・スタート。

パリのブティックの外観 ©Roberta Valerio

パリのブティックの内装 ©Roberta Valerio

私たちはただ、イージーで、シンプルで、もちろん売りやすい、でも珍しい、あるいはただよく出来ていて長持ちするような香水を作りたいのです。私たちの香水が他のブランドのものより原料が一番リッチだとか、そういうことは言いません。

ただ、ある有名な調香師(ミシェル・アルメラック)がこれが最高だと思っている香りであることだけは間違いありません。そして、一部のお客さまに気に入ってもらえれば、それでいいと思っています。

ベンジャミン・アルメラック

ベンジャミンは、幼き日に、父がときどき自宅に〝叶わなかった愛=試作品〟の香りを持って帰り、みんなに嗅がせていた理由を成人してから知りました。それは自分の大切な作品を、ブランドの意向に従い、変更しなければならなかったために、せめて家族にその大切な作品を嗅いでもらいたかったからでした。

だからこそ、経営学をみっちり勉強したベンジャミンは母エリザベス(ブティックのデザイン)と兄ロマン(ロベルテの営業部門で働いていており、当ブランドの香りの名前を決定しており、クリエイティブ・ディレクターの役割をつとめている)と共に、父への感謝の気持ちもこめて、2016年9月10日に、ブランドの意向や市場に関係なく、本当に自分が生み出したい香りを心ゆくまで追い求める環境としてブティックをオープンしたのでした。

かくして、ミシェルが、大手香水メーカーに提供する予定だった試作品を、自分のブランドで発売するために心行くまで調香し直し、8つの香りが最初に発売されることになったのでした。

「Parle Moi de Parfum=パルル モア ドゥ パルファム」とは、〝Speak To Me Of Perfume=香りの魅力について語り合いましょう〟という意味です。ちなみにこの名前を決めたのは、「メゾン・ミシェル・アルメラック」ではない何か違う名前はないかと考えていた時に、ミシェル自身が閃いたのでした。

私も兄ロマンも子供の頃からさまざまな匂いを嗅ぎ、それについて会話しながら育ってきました。そして、私たちはもちろん、父の跡を継ぎたいという誘惑に駆られました。

しかし、幸いなことに、すぐに父のように偉大な調香師にはなれないとすぐに気づきました。だから私はマーケティングを専門にするようになり、ロマンは市場分析に優れ、トレンドを感じ取ることができるようになりました。

ベンジャミン・アルメラック

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パルル モア ドゥ パルファムの特色

後ろの棚に注目。約200種類の原料が並びます。 ©Roberta Valerio

©Roberta Valerio

ブティックでお客さまに原料の匂いを嗅いでもらうというアイデアは、教育的な側面もあります。多くの香水を作っている会社はそれを認めたがらないのですが、消費者の方々は、〝本物のストーリー〟を求めているのです。

実際香りにどんな影響を与えるか分からない特許を取ったテクノロジーや理解しづらい難しい話ではなく、本物の調香師の言葉を求めているのだと私は考えます。

ミシェル・アルメラック

パリのブティックでは、棚に並べられた200種類以上の原料の匂いを嗅ぐことができます。多くの原料はグラース産で、ロベルテ社の工場で作られた香料です(カカオ、トンカビーン、ナツメグ、ベチバー、サンダルウッドなどはグラース産ではない)。

それらの原料を嗅ぎながら、香りについての説明を受けることが出来るのです。それは〝真実を伝えずに、嘘か本当か分からないことを伝えて、香水に価値をもたらすやり方〟はもう時代遅れであり、不誠実であるという考えを反映したものでした。

そして、このブランドには、〝お金を生み出す香水を色々なブランドのために作ってきた父親〟への感謝の気持ちを込めて、妻と息子たちが生み出した〝自分のための香り=心の入った香り〟を生み出す環境をプレゼントしているということです。

だからこそ、すべての香りに、奇抜さは一切存在せず、ただ〝心を豊かにする〟〝愛する人への感謝の気持ちを香りで伝える〟〝心に届く〟そういった観点だけが存在するのです。「パルル モア ドゥ パルファム」の最大の魅力は、一緒に生活していて疲れない、時間が経つほどに良さが分かってくる〝静かに、優しくあなたを見守ってくれる〟所にあるのです。

ちなみにブランドのロゴは、調香師が自分の香りを分析するときに使うブロッターからインスピレーションを得ています。そして、これはあまり知られていないことなのですが、ボトルデザインは、ミシェルの妻エリザベスによってデザインされたものです。