オードリー・ヘプバーン初のカラー映画。
『ローマの休日』(1953)のアン王女として、<普通の女の子になりたい夢>を持つプリンセスを見事に演じ上げたオードリー・ヘプバーン(1929-1993)は、〝永遠のプリンセス〟として、世界中の人々の前に彗星のように現れ、アカデミー主演女優賞を獲得したのでした。
そして、次の作品である『麗しのサブリナ』(1954)においてはサブリナとして、〝永遠のパリ・モード〟を象徴する存在になり、ユベール・ド・ジバンシィという兄のような存在を獲得しました。
そんなオードリーが、『ローマの休日』の共演者であるグレゴリー・ペックの紹介により知り合ったのが、メル・ファーラーでした。オードリーの才能に惚れ込んだメルの奔走により、ブロードウェイの舞台作品『オンディーヌ』で二人は競演し、オードリーは史上3人しか成し遂げていないアカデミー主演女優賞とトニー賞演劇主演女優賞を獲得した女優となりました。
すぐに恋に落ちた二人は、1954年9月25日にスイスで挙式します。オードリーが生涯で最も獲得したいと願ったものは赤ちゃんでした。そんな念願が叶い、結婚後すぐに妊娠したオードリーでしたが、すぐに流産してしまうのでした。
そんな時、後に『80日間世界一周』を製作し、エリザベス・テイラーと結婚することになるマイケル・トッドが、フレッド・ジンネマン(後にオードリーと『尼僧物語』を作ることになる)を監督に立て、オードリーを主役にレフ・トルストイの長編小説『戦争と平和』を映画化する計画を立てたのでした。
そして、その為に、ユーゴスラビアの終身大統領に就任したばかりのチトー元帥に協力を仰ぎ、騎兵二個師団をエキストラとして使う約束をとりつけたのでした。
しかし、イタリアの二大プロデューサーであるカルロ・ポンティとディノ・デ・ラウレンティスも『戦争と平和』の映画化を考えており、オードリーの相手役の一人にメル・ファーラーを起用したいという話を餌に、オードリーを見事に釣り上げたのでした。
デ・ラウレンティスという男は、自分の人生の中で〝必ず達成することリスト〟を作り生きてきた人です。その一つ目は一番美しいイタリア女性を妻にするということでした。そして、それは元ミス・ローマである映画女優シルヴァーナ・マンガーノとの結婚により達成していました。
そんな彼が、次に果たすべき宿願と考えていたのが、第二次世界大戦中にファシスト軍から脱走してカプリ島に隠れていたとき、時間つぶしのために読む本として二つだけ持っていた。『オデュッセイア』と『戦争と平和』を映画化することでした。
このようにして、オードリーは、『麗しのサブリナ』の次の作品としてロシア文学の映画化に参加することを選んだのでした。それはオードリー初のスペクタクル超大作であり、カラー作品でした。
1956年、世界中の人々は、〝永遠のプリンセス〟をカラーで拝謁する光栄に預かるのでした。
ユベール・ド・ジバンシィの登場
オードリー・ヘプバーンが、ファッション・アイコンとして、他の女優を寄せつけない圧倒的な存在感を誇るのは、彼女が、自分の衣裳に対して、絶対に妥協しないストイックな姿勢からでした。
それは、彼女自身が、コンプレックスを感じている、四角い顔の輪郭、長い首、平らな胸、クビレのない腰を考慮したデザインかどうかを徹底的にチェックする姿勢が、コンプレックスを個性として生かし輝かせるスタイルの創造へとオードリーを導いたのでした。
本作に関しても、自分自身で、19世紀初頭のファッションに関する書籍を買いそろえ、当時の衣裳を研究した上で、親友のファッションデザイナーであるユベール・ド・ジバンシィをパリからローマのチネチッタに招聘して、衣裳デザイナーのマリア・デ・マッテイスが用意した衣裳を全て監修してもらったのでした。
そして、プリーツやペティコートを納得するまで手直ししたのでした。ある衣装の手直しのために、オードリーはジバンシィの前で3時間立ちっぱなしだったというほどの念の入れようでした。最終的に24着の衣裳と10種類のヘアスタイルで撮影に臨むことになったオードリーに対して、当初は怒っていたマリアも、途中からは、そのプロ意識に感心し、オードリーの細かい要望にとことんまで付き合っていったのでした。
ナターシャのファッション1
イエローデイドレス
- イエロー・ロングドレス、パフスリーブ、背中にたくさんのくるみボタン
- 金色のローヒールパンプス
- 黄色のリボンでポニーテールに
大きな口と、ほっそりとした剥き出しの腕と、黒い瞳を持つ生気に溢れた女性…肩は薄く、胸は目立たない…それが驚きと喜びと内気さをそなえたナターシャだった。
『戦争と平和』トルストイ
1805年から1813年にわたる〝戦争と恋愛〟の物語。
「トルストイは、ナターシャとピエールの間に恋愛感情があることを読者に伝えるのに250ページを費やした」と、プロデューサーのデ・ラウレンティスは監督のキング・ヴィダー(1894-1982)に伝えていました。
そして、ヴィダーは、結婚が決まったピエールに「いいわね、アタシも大人になったらあんな風(エレーナみたい)になりたいわ」と薄っぺらな胸を張るワンシーンにより、その250ページ分を集約したのでした。
ジェニファー・ジョーンズ主演の『白昼の決闘』(1946)を監督したヴィダーだからこそ、レフ・トルストイが1863年から7年間かけて執筆した2000ページ150万語にも及ぶ歴史的な大作小説を、まさに神業の如く、僅か一ヶ月で脚本にすることが出来たのでした。
ナターシャのファッション2
ペールイエロー・ワンピース
- ボンネット、あずき色と水色のリボン
- ペールイエローのワンピース
- 腰にあずき色のサッシュベルト
- ローヒールパンプス
オードリー・ヘプバーン専属のメイクアップ・アーティスト
オードリーは美しい骨格の持ち主だったので、顔を引き立てるのに細工する必要はあまりなかった。ただし、彼女は顎の線が力強かったので、わたしはこめかみを強調することによってそれを和らげた。そして、濃い眉毛はいつも薄くしなくてはならなかった。一緒に新しい映画の仕事をするたびに、前の映画よりも少しずつ眉毛を薄くするようにしたが、やりすぎないように注意した。なぜなら、彼女のような顔には少し濃い目の眉毛が必要だったからです。
アルベルト・デ・ロッシ
オードリー・ヘプバーンは、本作出演の条件として、ヘアメイクにはアルベルトとグラツィアのデ・ロッシ夫妻を要求しました。『ローマの休日』(1953)におけるアルベルトの仕事っぷりにすっかり感心してのことでした。
オードリーという女優が、〝永遠のファッション・アイコン〟として輝き続けている理由は、彼女自身がコンプレックスの塊だったところにあります。
恐らく彼女自身が望んでいた肉体は、
- 身長、165cmくらい(実際は少なく見積もっても170cm)
- 歯並びが良く
- エラが張っていない
- 首はもう少し短め
- せめて胸の谷間を無理なく作れる胸のふくよかさ
- より小さな足
だったのでしょう。しかし、そのコンプレックスを克服する作業が、彼女に個性と、自信のなさから生まれる謙虚さを生み。いざ、完璧な自分を生み出した瞬間には、他を寄せ付けない白鳥が舞うが如しの〝神々しい美〟を創生させたのでした。
オードリーの永遠の美は、〝私って綺麗でしょ!もっと見て!〟とひけらかさない控えめな点に集約されているのです。当世、〝自慢する〟ことで女性としてのステイタスを高めようとしている浅ましい〝美の発信〟とは対極のスタンスだからこそ、オードリーは〝不滅の存在〟なのです。
作品データ
作品名:戦争と平和 War and Peace (1956)
監督:キング・ヴィダー
衣装:マリア・デ・マッテイス
出演者:オードリー・ヘプバーン/アニタ・エクバーグ/ヘンリー・フォンダ/メル・ファーラー/ヴィットリオ・ガスマン/ハーバート・ロム/ジェレミー・ブレット