オードリー・ヘプバーン

オードリー・ヘプバーン43 『戦争と平和』1(2ページ)

    作品名:戦争と平和 War and Peace (1956)
    監督:キング・ヴィダー
    衣装:マリア・デ・マッテイス
    出演者:オードリー・ヘプバーン/アニタ・エクバーグ/ヘンリー・フォンダ/メル・ファーラー/ヴィットリオ・ガスマン/ハーバート・ロム/ジェレミー・ブレット



    オードリー・ヘプバーン初のカラー映画。

    1973年にリバイバル公開された時のポスター。

    オードリーは全ての衣装について、ユベール・ド・ジバンシィと共に、時代考証から細部のフィット感まで、徹底的にチェックしました。

    ローマの休日』(1953)のアン王女として、<普通の女の子になりたいプリンセスの願望>を体現したオードリー・ヘプバーン(1929-1993)。彼女は、〝永遠のプリンセス〟として、世界中の人々の前に彗星のように現れ、アカデミー主演女優賞を獲得します。そして、『麗しのサブリナ』(1954)のサブリナとして、〝永遠のパリ・モード〟を象徴する存在になりユベール・ド・ジバンシィという兄のような存在を獲得しました。

    そんなオードリーが、『ローマの休日』の共演者であるグレゴリー・ペックの紹介により出会ったのが、メル・ファーラーでした。オードリーの才能に惚れ込んだメルの奔走により、ブロードウェイの舞台作品『オンディーヌ』で二人は競演し、オードリーは史上3人しか成し遂げていないアカデミー主演女優賞とトニー賞演劇主演女優賞を獲得した女性になりました。

    そして、恋に落ちた二人は、1954年9月25日にスイスで挙式します。オードリーが生涯で最も獲得したかったものそれは赤ちゃんでした。結婚後すぐに妊娠したオードリーでしたが、すぐに流産してしまいました。

    そんな中、後に『80日間世界一周』を製作し、エリザベス・テイラーと結婚することになるマイケル・トッドが、フレッド・ジンネマン監督(後にオードリーと『尼僧物語』を作ることになる)により、オードリー・ヘプバーンを主役に『戦争と平和』を映画化する計画を立てたのでした。その為に、ユーゴスラビアの終身大統領に就任したばかりのチトー元帥の協力により、騎兵二個師団をエキストラとして使う約束をとりつけていました。

    しかし、イタリアの二大プロデューサーであるカルロ・ポンティディノ・デ・ラウレンティスも『戦争と平和』の映画化を考えており、オードリーの相手役の一人にメル・ファーラーを起用したいという話で、オードリーを見事に獲得したのでした。

    デ・ラウレンティスという男は、自分の人生の中で〝必ず達成することリスト〟を作り生きてきた人です。その一つ目は一番美しいイタリア女性を妻にするということでした。そして、それは元ミス・ローマである映画女優シルヴァーナ・マンガーノとの結婚により達成していました。

    そんな彼が、次に果たすべき事と考えていたのが、第二次世界大戦中にファシスト軍から脱走してカプリ島に隠れていたとき、時間つぶしのために読む本として二つだけ持っていた。「オデュッセイア」と「戦争と平和」を映画化することでした。

    こうして、オードリーは、『麗しのサブリナ』の次の作品としてレフ・トルストイの名作を選んだのでした。それはオードリー初のスペクタクル超大作であり、カラー作品でした。1956年、世界中の人々は、〝永遠のプリンセス〟をカラーで拝謁する光栄に預かるのでした。



    ユベール・ド・ジバンシィの登場

    オープニング・ドレスはイエロー。

    ピエール役にヘンリー・フォンダ。二人の役柄として、ナターシャ13歳。ピエール20代です(当時フォンダは50代)。

    『麗しのサブリナ』のオープニングのようなヘアスタイル。

    背中にずらりと並ぶくるみボタンが可愛い。

    このロングスカートの広がりがとても美しいです。

    ピアノを弾くナターシャ。デイドレスは、座った時にその生地の優雅さが試されるもの。

    スカートの裾のカッティングがユニークなことが分かる写真。

    ドレスを着て、メイクをチェックするオードリー。

    ナターシャ・ルック1 イエローデイドレス
    • イエロー・ロングドレス、パフスリーブ、背中にたくさんのくるみボタン
    • 金色のローヒールパンプス
    • 黄色のリボンでポニーテールに

    大きな口と、ほっそりとした剥き出しの腕と、黒い瞳を持つ生気に溢れた女性・・・肩は薄く、胸は目立たない・・・それが驚きと喜びと内気さをそなえたナターシャだった。

    『戦争と平和』トルストイ

    オードリー・ヘプバーンが、ファッション・アイコンとして、他の女優を寄せつけない圧倒的な存在感を誇るのは、彼女が、自分の衣裳に対して、絶対に妥協しないからでした。それは、彼女自身が、コンプレックスに感じている、四角い顔の輪郭、長い首、平らな胸、クビレのない腰を考慮したデザインかどうかということを確認する為だったのですが、その衣装に対する姿勢が、コンプレックスを個性として生かし輝かせるスタイルの創造へとオードリーを導いたのでした。

    本作に関しても、自分自身で、19世紀初頭のファッションに関する書籍を買いそろえ、当時の衣装を研究した上で、親友のファッションデザイナーのユベール・ド・ジバンシィをパリからローマのチネチッタに招聘して、衣裳デザイナーのマリア・デ・マッテイスが用意した衣装を全て監修してもらったのでした。

    そして、プリーツやペティコートを納得するまで手直ししたのでした。ある衣装の手直しのために、オードリーはジバンシィの前で3時間立ちっぱなしだったというほどの念の入れようでした。最終的に24着の衣装と10種類のヘアスタイルで撮影に臨むことになったオードリーに対して、当初は怒っていたマリアも、途中からは、そのプロ意識に感心し、オードリーの細かい要望にとことんまで付き合ったのでした。



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