アニック・メナード(アニック・メナルド)
Annick Menardo 生年月日不明、フランス・カンヌ生まれ。カンヌの裕福な家庭で生まれ、元々はバレリーナになりたかった彼女は、イジプカ(ISIPCA)で調香師のトレーニングを受けました。卒業後、ミシェル・ アルメラックに師事する。
1991年にフィルメニッヒに入社し、1997年に「ロリータ レンピカ」というネオグルマンノートを生み出し、1998年にはブルガリの「ブラック」で、それまではフレグランスの世界とは無縁だった大都会の空気(排気ガス、タイヤ、アスファルト、鉄骨、煙草、騒音)を、身にまとう価値のある香りへと昇華させたのでした。
代表作
ガイアック10 東京(ルラボ)
キセリュズ ルージュ(ジバンシィ)
クローズ アップ(オルファクティヴ・ストゥディオ)
ヒプノティック プワゾン(クリスチャン・ディオール)
ブラック(ブルガリ)
ボア ダルジャン(クリスチャン・ディオール)
ボス オードトワレ(ヒューゴ・ボス)
ボディ クーロス(イヴ・サンローラン)
ボワ ダルメニ(ゲラン)
ロリータ レンピカ(ロリータ レンピカ)
香りの中の毒を黄金に変えた〝魔女〟
彼女が作り上げた全ての香りに、〝アニック・メナード〟の焼印が押される。
彼女は、ラグジュアリー・ブランドの香りを調香するときにおいても、容赦なく、その焼印を残していく。そんな調香師は、他には存在しません。あの個性的なフランシス・クルジャンであっても、バーバリーの香りを調香するときには、クルジャン節を抑えたものを作り、アルベルト・モリヤスに至っては、ブランドカラーに合わせた調香が出来ることが身上の調香師なのである(限られた予算で、そつなく仕事をこなしてくれる調香師)。
アニック・メナードは、誰も歩かなかった道を歩くことが出来る調香師の一人であり、そういった道にだけ興味がある芸術家だ。それがたとえブルガリであっても、ディオールであっても、はじめて香水を作るブランドであっても、全く容赦なく、〝アニック・メナード〟の焼印と、新たなる香りの創造に対する挑戦的な姿勢を決して失わない。だからこそ、彼女のことを人々は敬意を込めてこう呼びます。21世紀最期の〝魔女〟と。そうです、彼女にかかれば、毒のような香料も、人を魅了する香りに変えてしまい、更には、今まで人々が想像することが出来なかった香りを作り上げ、「香りは旅」であることを教えてくれるのです。
まさに彼女こそが、香りの鞭で、私たちを調教する女王様のような存在でもあるのです。これは決して、下品な視点ではなく、大真面目に言うのですが、彼女はまず最初に、香りに対する敬意を私たちに教え、そして、最初は嫌悪していたものを愛する不思議な感情を、肉体に叩き込み、香りに対する至上の愛を生むきっかけを作ってくれるのです。香りの中に服従することによって生まれる新たなる境地を教えてくれる人それがアニック・メナードです。
そして、調教が終わると私達の肉体には、物の見事に〝アニック・メナード〟の焼印がつけられているわけなのです。蜜蜂が花の蜜を求めるように、アニック・メナードの香りを求めて、香りの世界に埋没することになるのです。
92年マリンノートとグルマンノート誕生
アニック・メナードは、カンヌの裕福な家庭で生まれました。彼女自身は、元々はバレリーナになりたかった人であり、少女期は、バレエを習っていました。やがて、10代半ばになると、精神科医を目指すようになりました。しかし、生化学と薬学を学んだ末、少女期から愛用していたニナ・リッチのレールデュタンからはじまるフレグランスに対する情熱がピークに達し、その情熱に従うことを決意しました。そして、イジプカ(ISIPCA)で調香師のトレーニングを受けることになります。
卒業後、「Creations Aromatiques」(現シムライズ)でミシェル・ アルメラックに師事します。この経験が、彼女の調香スタイルの本質を作り上げたのでした。そして、1991年にフィルメニッヒに入社しました。この時期、フィルメニッヒにおいて二つの香りの革命が進行中でした。ジャック・キャヴァリエによる「ロー ドゥ イッセイ」(1992)=マリンノートの創造と、オリヴィエ・クレスプによる「エンジェル」(1992)=グルマンノートの創造です。
「私が最も興味を惹かれなかった香りが、マリンノートだった」と断言するアニックにとって、オリヴィエの創造した「エンジェル」は、嫉妬さえも覚える素晴らしい創造物でした。
そして、アニック自身は、1992年にラウラ・ビアジョッティの「ローマ ウォモ」を調香し、この業界で頭角を現すようになります。
史上初〝アーバンノート〟を創造した人
「エンジェル」以降、大量に調香されたグルマンノートの香りが必ず使用していた有機化合物エチルマルトール(キャラメルに似た甘い香り)を一切使用せずにアニスノートを使用し「ロリータ レンピカ」(1997)というネオグルマンノートを生み出したのでした。
更には、ブルガリの「ブラック」(1998)で、それまではフレグランスの世界とは無縁だった大都会の空気(排気ガス、タイヤ、アスファルト、鉄骨、煙草、騒音)を、身にまとう価値のある香りへと昇華させたのでした。それはまさにアーバンノートと形容すべきリドリー・スコット監督の映画『ブラックレイン』(高倉健と松田優作が出演した)にでも出てきそうな世界観を香りに変換したものでした。
前述したように、アニックが創造する香りには、どの香りにもアニック・メナードの特徴があります。そして、その特徴は、一筋縄ではいかない香りであり、それはまるで一筋縄ではいかない男女を攻略し、その虜になっていくプロセスにも似ているのです。
私が香りに対して興味を持ったきっかけは、カンヌの地元の靴屋の前を通るといつも革と接着剤の香りがすることからでした。やがて、私はこの香りを創ってみたいという思いに支配されるようになり、この仕事を選んだのでした。
アニック・メナード
彼女は、フローラルやフルーツの愛から調香師になった人ではないのです。人間が香りに対して持つラバーや化学薬品に対して持つ根源的な渇望を、ただそのままの香りだと悪臭にしかなりえない香りを、フレグランスに変える事に喜びを感じるのが、アニック・メナードの流儀なのです。
アニックは、2018年11月に、フィルメニッヒからシムライズに移籍しました。そして、2019年には、パリのルーブル美術館の香りを創造する調香師の一人に選ばれました。次の香りは、メープルシロップの香りを作りたいとのことです。