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【カルティエ】マスト ドゥ カルティエ(ジャン=ジャック・ディーナー)

カルティエ
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マスト ドゥ カルティエ

香水名:マスト ドゥ カルティエ
原名:Must de Cartier
種類:パルファム
ブランド:カルティエ
調香師:ジャン=ジャック・ディーナー
発表年:1981年
対象性別:女性
価格:不明

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ジェームズ・ボンドが発表したカルティエの〝最初の香り〟

「マスト ドゥ カルティエ」発表会、ヴェルサイユ宮殿、1981年9月17日

ロジャー・ムーア、ジャン・ロシュフォール。

1981年9月17日、フランス・パリのヴェルサイユ宮殿にて、歴史上初のグリーンオリエンタルの香りとして、カルティエのファースト・フレグランス「マスト ドゥ カルティエ」が、当時のジェームズ・ボンドであるロジャー・ムーアとフランスの名優ジャン・ロシュフォールを主賓に、ディスコ調のバレエと共に、盛大に発表されました。

カルティエの若き社長アラン・ドミニク・ペランの「香水は宝石と同じように、私たちに愛を語りかけます。どちらもグラマー、ファッション、エレガンス、そして生き方と結びついているのです」という言葉と共に、会場の招待客の前に、「マスト ドゥ カルティエ」のボトルを拡大した三つの巨大なオブジェが示されたのでした。

そしてこの瞬間、ゲランの「ジッキー」(1889)からはじまり、「シャリマー」(1925)によって開花したオリエンタルという香調が、若さを取り戻すことになったのでした。

「マスト」それは英語の〝MUST〟を意味します。〝エレガンスに絶対必要不可欠なもの〟であるという意味であり、そして、今日では、カルティエを愛する人々、さらに言うと、カルティエの香水を販売する人々にとっても、知っておくべき〝MUST〟な香りです。

そんな〝伝説のはじまり〟について明らかにしていきましょう。

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幻の〝ラ パンテール〟ジャンヌ・トゥーサンの香り

〝ラ パンテール〟ジャンヌ・トゥーサン

カルティエは、ルイ=フランソワ・カルティエ(1819-1904)により1847年に創業されました。そして、現代のカルティエのスタイルを確立したのが、初代の孫にあたる三代目の当主ルイ・カルティエ(1875-1942)でした。

1899年に、どこよりも先に、プラチナの秘められた可能性を見抜き、世界で初めてプラチナを組み合わせた革新的なスタイル=「ガーランド・スタイル」を発表したのでした。

1904年にはカルティエ初の男性用腕時計『サントス』が開発されました。同年、エレガンスの究極の形とも言える「ガーランド・スタイル」が認められ、英国王エドワード7世の御用達となり、有名な「王の宝石商」という言葉で称えられたのでした。

ルイは、自分の最初の妻アンドレが、(ポール・ポワレ、ココ・シャネルと共にメゾンの香水進出を先導した)ジャック・ウォルトのいとこだったこともあり、香水に興味を持っていました。アンドレとは1909年に離婚したのですが、ウォルトの孫息子がルイの妹スザンヌ(1885-1960)と結婚したため、両家の絆は強いものとなっていました。

そして、1938年にルイはカルティエの香水を生み出すために、カルティエの名前を香水の商標として登録し、1933年からルイの後を継ぎクリエイティブディレクターとなったジャンヌ・トゥーサン(1887–1976)に最初の香りの構想を練らせたのでした。

かくして「ジュビリー」のようにカットされたクリスタルのボトルに、3種類の香りを入れて発売することが決定されたのでした。トゥーサンは、「ナサック」「カンバーランド」「コ・イ・ヌール」という伝説の宝石にちなんだ名前の香りの開発を開始しようとしていました。

しかし、1939年に第二次世界大戦が勃発し、カルティエ初の香水は幻のものになってしまいました。

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「マスト ドゥ カルティエ」とは?

©Cartier

©Cartier

1970年までカルティエのクリエイティブディレクターをつとめたジャンヌ・トゥーサンは、〝ダイヤモンドに相応しい香り〟を生み出すという野望を叶えることが出来ませんでした。

しかし、トゥーサンが創設した、貴重な素材と熟練した職人技によって生み出される、まるで宝石のような特別なアクセサリー・コレクション〝Cartier S for Select(デパートメントS)〟が、1920年6月19日に発表されたことが、未来のファースト・フレグランスに繋がるのでした。

それは、1964年に長年カルティエを拡大してきたピエール・カルティエ(1878-1964)が亡くなった後、1972年にロベール・オックがパリ、ニューヨーク、ロンドンとばらばらになっていたカルティエを買収してゆき、社長になりブランドの再興に取り掛かった時にはじまりました(1979年に交通事故で急死)。

1973年にマスト ドゥ カルティエの黄金のライターが発表され、カルティエと〝MUST=必要不可欠〟という単語がはじめて結びつきました。そして、このライターは1970年代に欧米の紳士淑女のステータスシンボルとなりました。

同時に文房具、レザーバッグ、アタッシュケース、スカーフなども発表され「マスト ドゥ カルティエ」という、宝石よりも手に届くラグジュアリー・ラインの爆発的人気により、ブランドを完全に復活させたのでした。

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「ファースト」を生み出した男を引き抜き生み出した「マスト」

©Cartier

ヴァン・クリーフ&アーペルの「ファースト」 ©Van Cleef & Arpels

1975年に、「マスト ドゥ カルティエ」を生み出した功労者としてアラン・ドミニク・ペラン(1942-)が社長に就任し(1998年まで)、1977年にヴェルメイユ仕上げのカラーダイアルを持つ「マスト ドゥ カルティエ」ウォッチの最初のコレクションが発表されました。

そんな中、1976年にヴァン・クリーフ&アーペルの「ファースト」が成功を収め、カルティエはいよいよ本気で、香水部門に乗り出していくことを決意したのでした。

そして、「ファースト」を成功に導いたヴァンクリーフ&アーペルが新設したパルファム部門の社長クロード・ソジェ(Claude Saujet)を1980年にカルティエが新設する香水部門のトップとして引き抜いたのでした(1985年まで)。

さらにソジェを補佐するため、ペランは、イヴ・サンローランで「オピウム」(1977)の開発に携わった若き女性プロダクト・マネージャーのピラール・ボックスフォードを招聘しました。

ソジェは、新しい香水の名を迷うことなく並外れた成功を達成している「マスト ドゥ カルティエ」としました。そして、ピラールにこう厳命したのでした。

「カルティエの女性像は、宝石や旅行、美しいものを好む洗練されたエレガントな女性であることは言うまでもありません。つまり重要なことは、これほど洗練された顧客の興味をそそるような新しいものを見つけなければならないのです」。

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若き調香師ジャン=ジャック・ディーナー

ジャン=ジャック・ディーナー

クロード・ソジェは、最高に洗練された女性は、〝昼も夜も同じフレグランスをつけたいと思わないはず〟と考え、〝昼の香水(Parfum du Jour)〟と〝夜の香水(Parfum du Soir)〟それぞれを作ろうと考えていました。

〝昼の香水〟はフレッシュで花のような、それでいてシャワーを浴びても肌に残るような持続性のあるオードトワレ。そして〝夜の香水〟はもっとセクシーで、もっとエレガントで洗練されたもので、より男性にアピールするもの=オリエンタルのパルファムだと考えました。

かくして5つの香料会社に、それぞれの香りの試作品を依頼しました。そして、すぐにジボダン社から送られてきた〝夜の香水〟用の試作品が、洗練されていて素晴らしいという事になったのでした。それはオリエンタルでありながら、古典的なオリエンタルではない、斬新なグリーンなタッチも併せ持つ香りでした。

この香りを生み出した人こそ、当時、ジュネーブからニューヨークに移ってきたばかりの若手調香師ジャン=ジャック・ディーナーだったのでした。

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「シャリマー」の2歩先を歩いてみようという発想。

©Cartier

当時の私はとても若かったので、カルティエから指示されたブリーフにあった〝リッチでラグジュアリー、セクシーなオリエンタル。それでいて斬新〟というテーマを実現することは、まだまだ無理だと感じたのですが、ヨーロッパからやって来たばかりの私はそのブリーフに挑戦したいと思いました。

私にとって、「シャリマー」(1925)はオリエンタルの決定版でした。その構造を常に研究していました。そして、私はその2歩先を歩いてみようと考えたのでした。そこで、その温かみのあるバニラ・アコードを極限まで誇張するために、トップには何か違うもの、若いタッチを加える新しいフレッシュさが必要だと考えました。

「シャリマー」はベルガモットのはじけるような香りで幕を開けます。私はその構成を変えたかったので、エスティローダーの「アリアージュ」(1972、ベルナール・シャンとフランシス・カマイユ)にヒントを得て、シトラスを合成香料で生み出したグリーンノートに置き換えました。「アリアージュ」は、ガルバナムと新しいグリーンノートをブレンドし、パイナップルのタッチを加えることで、異なる種類の青々しさを開拓した香りです。

私は、「アリアージュ」のトップノートがどのように構成されているかを徹底的に調べ、その一部を私の創作に乗せた。そうすることで、フレグランスが新しくフレッシュで若い香りになったのです。

ジャン=ジャック・ディーナー

かくしてわずか2時間で試作品を生み出したディーナーは、誇張されたシャリマーのベースに「アリアージュ」のトップノートを乗せたこの試作品をパリに送ったのでした。ディーナー自身は「カルティエがこの試作品に興味を持つことはないだろう」と考えていました。ただ、最初のジャブとしてどこよりも早く送ったまでのことでした。

すべては若さが成せる業でした。しかし、あろうことかこの試作品に、ピラール・ボックスフォードは惹きつけられたのでした。そして、さらにオリエンタルでアニマリックにして欲しいという指示を出したのでした。

かくして、「シャリマー」の10倍アニマリックにするためにシベット・アブソリュートをバニラ、アンバー、ムスク、ウッドと調和させ、当時としてはセクシーすぎるかもしれない強力な香りを生み出したのでした。

しかし、7ヶ月間、ピラールの沢山の要求に応えているうちに、完全に調香は泥沼に嵌っていったのでした。そして、ある日、ピラールは、最初の試作品をあらためて香り直しました。「なんでしょう!答えはすぐ近くにあったんだ!」と感じたのでした。

ディーナーは、この最初の試作品に、ほぼ同量のヘディオン、サンダルウッド、ガラクソリドをベースとしたアコードを加えてゆき完成品を作り上げました。

ヘディオンにより、グリーンなトップノートと温かみのあるオリエンタルなベースノートを調和させ、ガラクソリドのクリーンでフレッシュなムスキーさを加えることで、グリーンノートの鋭さを和らげ、シベット・アブソリュートの過剰な香りをサンダルウッドのクリーミーさで和らげたのでした。

「マスト」の処方は非常に短く、1種類のベースを含めて31種類しかありません。できるだけ少ない材料で作るほうが香りが心に届きやすい。逆に成分が多すぎると香りが濁ってしまうのです。

ジャン=ジャック・ディーナー

「マスト」は、新しいオリエンタル・フレグランスの先駆けとなり、カルバン・クラインの「オブセッション」(1985)、ラウラ・ビアジョッティの「ローマ」(1988)、ディオールの「デューン」(1991)、ゲランの「アンジェリーク ノワール」(2005)に影響を与えたのでした。

一方、アルベルト・モリヤスが中心となりフィルメニッヒ社が〝昼の香水〟が完成させました。そして、〝夜の香水〟は「パルファム マスト」、〝昼の香水〟は「オードトワレ マスト」の名で発売されたのですが、まったく違う二つの「マスト」は顧客の混乱を呼び、「オードトワレ マスト」は1993年に製造中止となり、同年「マスト ドゥ カルティエ II」(アルベルト・モリヤス)が発売されたのでした。

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〝肌とひとつになることの出来る宝石〟であり〝肌につけたあと、失われていく宝石〟

©Cartier

©Cartier

宝石の輝きを散りばめたようなフレッシュなマンダリンを中心としたベルガモット、レモンにアルデハイドを注ぎ込んだシトラス・カクテルと、魅惑のエメラルドグリーンなガルバナムの、黄金と緑のシャワーからはじまります。そこにスパイシーなカーネーション、ジューシーなパイナップルとピーチが重なり合い、大量のバニラが注ぎ込まれてゆきます。

パンテールウォッチ(ホワイトゴールド、エメラルド、オニキス、ダイヤモンド)©Cartier

シャープなエメラルドの閃光のようなガルバナムと、甘く透き通るダイヤモンドの煌きのようなフルーティバニラのコントラストに身も心も奪われていきそうです。

すぐにパウダリーなレザリー・アンバー、クリーミーなサンダルウッドが、ローズ、黄水仙、ジャスミンといった花の舞踏会の開催を祝福するように一斉に広がってゆくのです。そして、そこにアニマリックなシベットも注ぎ込まれ、魅惑のグリーンオリエンタルに包まれてゆくのです。

それはまるで温かい宝石の輝きに包まれているようでありながら、静粛なる自然の光のシャワーを浴びているような不思議なパウダリーさに満たされてゆきます。

さらに、レザーとベチバーとトンカビーンが生み出す独特な酔わせるバーボンチョコレートの余韻に、ダイヤモンドはその心が傷つけられ、あろうことかダイヤモンドダストのように弾けていく不思議な緊張感も感じさせてくれます。

「マスト ドゥ カルティエ」それは、ずっと自分の傍にいてくれる安心感を与える宝石の香りではなく、いつか離れてしまう不安を感じさせる宝石の香り。〝だからこそ絶対に失いたくない宝石〟の香りなのです。

まさにカルティエの最初の香りに相応しい時代を超越する美の香り。〝肌とひとつになることの出来る宝石〟であり〝肌につけたあと、失われていく宝石〟なのです。

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ルカ・トゥリンの酷評。

©Cartier

©Cartier

ペランは香水ボトルについて明確なる希望がありました。黄金のライターのようなデザインにして欲しいという希望でした。そして、ここにカルティエのブランド哲学のひとつである〝カルティエの製品は決して捨てない〟という概念を適応させるために、詰め替え可能な構造であることも要求されたのでした。

かくしてグザヴィエ・ルソーにより史上初のライター型フレグランス・ボトルが誕生したのでした。

ルカ・トゥリンは『世界香水ガイド』で、「マスト ドゥ カルティエ」を「ロシアのチョコレート」と呼び、「チョコレートの詰め合わせにうっとりした子供の頃を思い出す。小さな箱は、いろいろな種類のミルク・チョコレートが詰まったアイデアの宝庫だ。たとえば、細かく砕いたプラリネやコーヒー、バニラクリーム、それに砂糖漬けのオレンジ。しかし箱が大きくなり過ぎて、小さな駐車スペースが縦横6つ以上となると、そこかしこから自己主張が顔を出す。」

「パイナップルやクレームドカシス、ほかにもいろいろ。もちろん我々はノーマルな色を好み、アップルグリーン、イエロー。とりわけストライプ柄などはどうしても避ける傾向にある。マスト ドゥ カルティエは誰も手に出さない醜いチョコレートが、高価な液体に姿を変えて世に送り出されたようなもの。」

「バニラ、フラワー、それにガルバナムのベースアコードは、食欲抑制剤かと思うほどに胃もたれを起こさせる。おまけに、この不快なアイデアはひとつのカテゴリーを生み出した。マスト ドゥ カルティエとは比べものにならないほどすばらしいが、「ベニス」「アリュール」「デューン」などは、この恐るべき香水の親戚のようなもの。」と1つ星(5段階評価)の評価をつけています。

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香水データ

香水名:マスト ドゥ カルティエ
原名:Must de Cartier
種類:パルファム
ブランド:カルティエ
調香師:ジャン=ジャック・ディーナー
発表年:1981年
対象性別:女性
価格:不明


トップノート:ガルバナム、ブラジリアン・ローズウッド、アルデハイド、ベルガモット、レモン、グリーン・マンダリン、ネロリ、ピーチ、パイナップル
ミドルノート:レザー、カーネーション、ベチバー、オリスルート、イランイラン、ムスク、黄水仙、ローズ、ジャスミン、オーキッド
ラストノート:アンバー、バニラ、サンダルウッド、ムスク、トンカビーン、シベット、ベチバー

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