女性の最も美しい部分と、最も恐ろしい部分を兼ね備えた女優
20世紀で最も美しい女優は誰かという話題が出ると必ず挙がる名前が、ヴィヴィアン・リー(1913-1967)です。そして、その次に出る言葉が「彼女は〝アメリカ南部の大地が生んだ野性の淑女〟スカーレット・オハラを演じるために生まれてきた」です。
ただの悪女にしかなり得ないスカーレットのキャラクターを、ヴィヴィアンは、自分の気持ちに正直で、自由奔放、打たれれば打たれるほど強くなっていく〝生命力の強さを併せ持つ女性〟として、実に魅力的に演じあげました。魂を注ぎ込んだ芝居とでも言うのでしょうか、男性さえも惚れ惚れさせる生命力が、この作品の彼女にはあります。
特に右の眉が持ち上がる瞬間の表情のうつくしさ。左右非対称だからこそ美しさが増す。ヴィヴィアン・リーには、その〝非対称の美学〟が全て詰まっています。
それはまさに伝統的な日本の陶器のようであり、京都の寺院の庭のようでもある。女性とは手の加えられた左右非対称な存在なのである。それは決して左右対称に近づけるために手を加えるべきものではない。整えられた美は、直ちに倦怠と居心地の悪さを感じさせるのです。

左右の眉の非対称さが生み出す魔性。

うっとりするほど美しいスカーレット=ヴィヴィアン・リー。
舞台女優とは、衣装に負けない女優

マグノリアとガーデニアが咲き誇るオープニング。
私は映画スターではなく女優です。ただ映画スターであることだけでは、うわべだけの偽りの人生です。偽りの価値と宣伝のために生きているだけです。(それに比べて)女優は人生すべてを費やすに値する仕事なのです。
ヴィヴィアン・リー
舞台で演じることに情熱を燃やしていたヴィヴィアン・リーが、もう一つ情熱を燃やしていたのは、撮影当時不倫関係にあったローレンス・オリヴィエ(1907-1989)との恋愛でした。
7才年長である成熟した男性との交際が、彼女に年齢以上の成熟を与えてゆきました。シェイクスピア劇において、衣装に負けない俳優としての存在を示す人であった彼のアドバイスは、この作品のヴィヴィアンの全てに影響を与えました。
だからこそ、20世紀はじめに生まれた英国の上流階級の娘が、南北戦争時代(1861年~1865年)のアメリカ南部の上流階級の娘を演じることに、説得力を生み出すことに成功したのでした。
彼女には、「すばやくころころと変わる表情」がありました。歴史劇を演じるために女優に求められる要素がそれです。それは日本映画を引き合いに出すならば、伊藤大輔監督、中村錦之助主演の『反逆児』(1961)において徳姫を演じた岩崎加根子や、黒澤明監督の『乱』(1985)において楓の方を演じた原田美枝子の歴史的名演に象徴されます。
そして、何よりも、日本を代表する大女優・八千草薫様が回想しているように、彼女には、王立演劇学校で磨き上げられた「白鳥が湖上をすべるような素晴らしい歩き方」が出来る人だったのです。
アシュレーが結婚することを聞いて動揺し、大邸宅の前のゆるやかな坂道を、スカートの裾を手に持ち、小走りに駆け下りた瞬間、ヴィヴィアン・リーはスカーレットになったのでした。
作品の成功は、オープニングの一分半にかかっていた!

スカーレットがはじめて登場するオープニングシーン。甘やかされて育った絶世の美少女であることを的確に伝えてくれます。

チークを直すヴィヴィアン・リー。
1939年1月26日が、スカーレットを演じるというヴィヴィアン・リーの宿願が叶う『風と共に去りぬ』の撮影初日でした。この日、彼女はオープニングで、タラの玄関ポーチで双子の青年と語らうシーンを撮影しました。
実はこのオープニングシーンは、ジョージ・キューカーがもう一度このシーンを撮り直しし、さらに、2月13日にヴィクター・フレミングに監督が変更された後に、3月2日から3回撮影の取り直しが行われたのでした(フレミングは最後までこの作品は大失敗すると考えていた)。
プロデューサーのデビッド・O・セルズニックは、スカーレットがはじめて登場するこの一分半のシーンに、映画化の成功の全てはかかっていると考えていたのでした。
オープニングシーンは、9ヶ月半の間に5回撮り直しされました。

最初のヴァージョン(ジョージ・キューカー監督)
撮影初日に撮られたオープニング・シーンで、ヴィヴィアン・リーは、グリーンバーベキュードレスを着ています。撮り直しの理由は、セルズニックが、双子のヘアカラーがコメディアンのようだと気に入らなかったからでした。さらに、初日で全員の緊張が頂点に達していたため、ヴィヴィアンも含め三人共に台詞回しが良くないと考えたのでした。

三度目のヴァージョン(ヴィクター・フレミング監督)
撮り直しの出来具合にも満足出来ず、三度目の正直として、新たにヴィクター・フレミング監督により撮影されたオープニング・シーンにおいて、セルズニックはホワイトデイドレスに変更するかどうか悩んだのですが、結局同じドレスで撮影を行わせました。ただし、黒いチョーカーが追加されています。そして、双子のヘアカラーとヘアスタイルはきちんと訂正されていました。
しかし、セルズニックは、スカーレットの衣装と照明に納得がいかず撮り直しを要求しました。
そして、ヴィヴィアンの撮影の最終日に、四度目の撮影を決行し、胸元が露出しすぎだという指摘を受け入れ、ホワイトデイドレスに衣装を変更させたのでした。
しかし、1939年中に公開しないといけないという強行スケジュールで疲れ切っていたヴィヴィアンの姿が映像上でも確認出来たため、セルズニックは撮影をストップし、ヴィヴィアンに休暇を与えたのでした。

最終ヴァージョン(ヴィクター・フレミング監督)
かくしてローレンス・オリヴィエと休暇を過ごした後、10月12日にヴィヴィアンは、五度目の撮影となるオープニング・シーンを最後の撮影として行ったのでした。つまり、このシーンは『風と共に去りぬ』で最後に撮影されたシーンなのでした。
スカーレット・オハラのファッション1
ホワイトガーデンドレス
- ホワイトドレス、スカートが大きく広がるクリノリンスタイル、ラッフルパフスリーブと8重のフリルスカート
- 赤のヘアリボン
- 赤ベルト
- レッドシューズ
- 首もとのブローチがワンポイントとして効いています
大富豪の娘であることが一目見て伝わる純白のドレスを着てスカーレット・オハラは登場します。生まれながらに上流階級の贅沢な特権を当たり前に享受して生きている無邪気な美少女がそこにいるのです。
その赤いヘアリボンとベルトが、彼女の気性の激しさと逆境の中で燃え上がる闘争心の強さをほのめかしているのです。

16歳のスカーレットに相応しい、少女が大人の女性へと開花していくようなドレス。

ヴィヴィアン・リーは、このドレスを着て山野を優雅に歩くことが出来るのです。

若さが自然に伝わる、可憐なるラッフルパフスリーブ。

有名な夕焼けのシーン。

スカーレットの母を演じたバーバラ・オニールは当時28歳で、ヴィヴィアン・リーの僅か3歳年上でした(原作では母は1861年に32歳でした)。

クリノリン・スタイル。ファッションの歴史を学ぶお時間。

スカーレットの名は、当初パンジーになる予定でした。

見事なまでに砂時計のようなシルエットです。

ヴィヴィアン・リーは、作中28種類の髪型で登場します。

台本の中のト書きをおさらいしているヴィヴィアン・リー。

そして、衣裳テスト写真を撮る。とてもキュートな表情。

1862年のファッション誌より。とてもよく似たデザインですが長袖です。1860年代、デイドレスは長袖が一般的でした。ですが、映像的には半袖の方が映えます。
スカーレットの末妹のアイドルのようなチェックドレス

スカーレットの末妹キャリーン(右から二番目)のチェックドレス。

21世紀の日本のアイドルに影響を与えている鉄板の組み合わせ=チェックのベストとスカート。

ショートブーツもアイドル風。

アン・ラザフォード(1917-2012)

『虹を掴む男』やミッキー・ルーニーの『アンディ・ハーディ』シリーズに出演。

1864年のファッション誌より。手前の少女のドレスがよく似ています。
過ぎ去った熱狂=ファッションの歴史

着物のように絵になるクリノリン・スタイル。
ファッションとは何か?それは〝現実と理想の終わりなき葛藤の歴史〟なのです、着心地の良いファッションをチョイスする日もあれば、理想の自分を限界まで追い求める楽しみの中で生きる日もあるのです。
つまり、ある時は、カジュアルで機能的なスニーカー、またある時は、スタイルが良く見えるエレガントなハイヒールが生み出すスタイルに喜びを見い出す。または、女性の美しさの演出に全神経を注ぎ込み、グラマラスなムードに身を委ねる。
生き残るファッションは、常に機能的なものだけ(トレンチコートやジーンズ、スーツのように)ですが、新しいスタイルの重要なヒントは滅び去った機能性のないファッションに秘められているものなのです。
そんな代表的な〝滅び去った〟スタイルのひとつが、『風と共に去りぬ』時代の最先端ファッションだったクリノリンスタイルです。クリノリンスタイルとは、ホースヘアーとコットンもしくはリネンで作られたフープをスカートの下につけて裾を大きく広げたドレス・スタイル(シルエット)のことを言います。
1850年代にこのスタイルが紹介され、それまで何重も重ね履きしていたペチコートによって生み出されていたドーム型のシルエットが、容易に得られるようになりました。
ヴィクトリア朝時代(1837-1901)のイギリスで爆発的に広まったクリノリンは、ナポレオン第二帝政時代(1852-1870)にパリでも大流行しました。1856年ナポレオン4世を身ごもっていたフランスのウジェニー皇后は、妊娠により崩れたボディラインを隠すためにクリノリンを巨大化しました。そして、それが当時の最先端のシルエットになりました。このスタイルはまた、アメリカ南部の上流階級のファッションとしても大流行しました。
ちなみにクリノリン・シルエットは、20世紀以降もリバイバルしています。1947年のクリスチャン・ディオールの「ニュールック」の影響を受けて、1950年代から60年代にかけて、ネットペチコートが流行しました。さらに1980年代には、ヴィヴィアン・ウエストウッドのデザインに大いなる影響を与えました。
他にも、20世紀末から今世紀にかけて、ジョン・ガリアーノ、アレキサンダー・マックイーンなどの有名なデザイナーに影響を与え続けています。
16歳のスカーレットのガーデンパーティー

ヴィヴィアン・リーの麗しの横顔。

「パーティーの主役は、露出の多さによって決まるのよ」それがスカーレットのモットー。

なぜかいつも独りぼっちのスカーレット。
何よりも興味深いのは、ガーデンパーティーにおいて、(胸元はもちろんのこと)腕を露出している女性はスカーレット・オハラだけということです。そして、それが彼女のキャラクターの全てを物語っているのです。
つまりは、今で言うところの、誰よりも露出して男性の目を惹きつけることに躍起になっている女性だということです。
このグリーンバーベキュードレスは、とても人気があり、1940年代にスカーレット・ルックとしてコピードレスが大量に販売されました。
それはやがてユベール・ド・ジバンシィが行うプレタポルテ・コレクション。そして、ファッションの大衆化への流れへと繋がる導火線に火をつけたのでした。
スカーレット・オハラのファッション2
グリーンバーベキュードレス
- グリーンの草枝模様がプリントされたホワイトドレス、クリノリンスタイル、グリーンサテンのサッシュベルト
- グリーンのヘアリボン
- ゴールド・イヤリング
- オレンジ・ネックレス
- グリーン・シューズ
- 白のショートグローブ
- 白のレースショール
- 麦わらのブリムの広いキャプリーヌ。リボンはもちろんグリーン

1940年代に大量にコピーされたスカーレット・ルック。

螺旋階段とクリノリンドレスの素敵な調和。

波打つように美しいグリーンドレス。

『風と共に去りぬ』を象徴する写真。

彼女の目には何かが宿っています。

胸元、袖についたラッフルがドレスに生命力をみなぎらせています。

スカーレットの初恋の男性アシュレー。

みんなから嫌われていることを知りショックを受けるスカーレット。

足元にはカメラが移動するレールが敷かれています。

天女のようなレースショール。

衣装合わせのためのテスト撮影。

ウォルター・プランケットのデザイン画。

ウォルター・プランケットのデザイン画。

このデザイン画は選ばれなかった方のバーベキュードレスです。
ストローハットとオレンジネックレス

バーベキュードレスにブリムの広いストローハットを合わせています。

よく動くスカーレットの頭と一緒に、美しい曲線を描くストローハット。

横から見たストローハット。

ベルベットのグリーンリボン

白い肌に吸い付くような情熱的なオレンジ色のネックレス。

このネックレス、欲しいです!
作品データ
作品名:風と共に去りぬ Gone with the Wind(1939)
監督:ヴィクター・フレミング
衣装:ウォルター・プランケット
出演者:ヴィヴィアン・リー/クラーク・ゲーブル/オリヴィア・デ・ハヴィランド/レスリー・ハワード
- 【風と共に去りぬ】スカーレット・オハラという女の一生
- 『風と共に去りぬ』Vol.1|ヴィヴィアン・リーとスカーレット・オハラ
- 『風と共に去りぬ』Vol.2|スカーレット・オハラ役のオーディション
- 『風と共に去りぬ』Vol.3|スカーレットのウエディングドレスと喪服
- 『風と共に去りぬ』Vol.4|スカーレットの夕陽の中での下剋上宣言
- 『風と共に去りぬ』Vol.5|コロンを飲むヴィヴィアン・リー
- 『風と共に去りぬ』Vol.6|ヴィヴィアン・リーとウォルター・プランケット
- 『風と共に去りぬ』Vol.7|スカーレットの伝説のワインレッドガウン
- 『風と共に去りぬ』Vol.8|アカデミー主演女優賞を獲得したヴィヴィアン・リー
- 『風と共に去りぬ』Vol.9|オリヴィア・デ・ハヴィランドという天使
- 『風と共に去りぬ』Vol.10|オリヴィア・デ・ハヴィランドとアカデミー賞