究極のフレグランスガイド!各ブランドの聖典ページ一覧にすすむ
ファッション ブランドの歴史

ジバンシィ最初の3年・第2章1953年 – ファッションの歴史

ファッション ブランドの歴史
この記事は約4分で読めます。
3ページの記事です。
ジバンシィの歴史
ジバンシィの歴史続き
スポンサーリンク

オードリー・ヘプバーンとの初対面

モデル:キャプシーヌ。ホワイト・フラワー・ガウン。ジバンシィが初めてモード誌の表紙を飾る。ELLE 1953年3月16日号。

モデル:キャプシーヌ。ホワイト・フラワー・ガウン。ジバンシィ初のモード誌の表紙を飾る。『ELLE』1953年3月16日号。

Capucine in Givenchy, 1950s

モデル:キャプシーヌ。白オーガンザ・ドレス。サファイア刺繍入り。パフスリーブ・ボレロ。1953年SS。

1953_Givenchy21

モデル:パトリシア。同じドレス。

1953年に入り、3つ目のコレクションを終え、ファッション界の期待の星となっていたジバンシィを着たモデルが、ELLEとLIFEマガジンにおいて、初めて表紙を飾りました。そして、その影響で、ローレン・バコール、ベイブ・ペイリー(CBSテレビ・ネットワーク創立者ウィリアム・ペイリー婦人)、グレタ・ガルボ、エリザベス・テイラー、マレーネ・ディートリッヒ、ジャクリーン・ケネディ、ウォリス・シンプソン(ウィンザー公爵夫人)、ソフィア・ローレン、グロリア・スワンソン、エレーヌ・ロシャス、ミシェル・モルガン、ファラ・パーレビ皇后などのファッション感度の高いセレブリティが来客しました。

1953年の7月の終わり、4回目のコレクションの準備も最終段階に入っていたジバンシィのメゾンに、一人の背の高い痩せっぽちな少女が現れました。短い髪型に、少年のようなファッションの彼女は、名前をオードリー・ヘプバーンと言いました。『ローマの休日』の撮影を終えたばかりで、まだ映画は公開されていないので、彼女はフランスでは、全く無名の女優でした。

飛ぶ鳥を落とす勢いだったユベール・ド・ジバンシィは、てっきり当時の大スターでありファッション・アイコンでもあるキャサリン・ヘプバーンが来ると期待していたので、正直がっかりしました。

オードリー・ヘプバーンとユベール・ド・ジバンシィの友情。

スポンサーリンク

クリストバル・バレンシアガとの初対面

1953_Givenchy34

モデル:ブリジット・バルドー。白のドレス。『ELLE』1953年7月27日号。下と全く同じなアンサンブル。

『ロフィシャル』パーティー・ドレス。1953年6月号。

『ロフィシャル』パーティー・ドレス。1953年6月号。

 1953 Model in strapless evening gown by Givenchy, photo by Richard Avedon, Harper's Bazaar

ストラップレス・イブニング・ガウン。『ハーパース・バザー』1953年。リチャード・アヴェドン撮影。

1953_Givenchy08

モデル:スージー・パーカー。ホワイト・オーガンジー・ドレス。黒のフリンジ付きのスカーフ。ELLE。1953年4月27日号。撮影地:モロッコ。

1953_Givenchy19

モデル:スージー・パーカー。『ヴォーグ』1953年10月号。

モデル:スージー・パーカー。ナロー・ウエスト・ウール・スーツ『ヴォーグ』1953年SS。

モデル:スージー・パーカー。ナロー・ウエスト・ウール・スーツ『ヴォーグ』1953年SS。