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ジバンシィの歴史
- 1952年 ユベール・ド・ジバンシィが創立。
- 1954年 『麗しのサブリナ』の衣装に一部協力。以後オードリー・ヘプバーンのために『パリの恋人』(1957年)『ティファニーで朝食を』(1961年)『シャレード』(1963年)『おしゃれ泥棒』(1966年)等の衣装を担当する。オードリーはジバンシィのミューズとなる。
オードリー・ヘプバーンとの初対面

モデル:キャプシーヌ。ホワイト・フラワー・ガウン。ジバンシィ初のモード誌の表紙を飾る。『ELLE』1953年3月16日号。

モデル:キャプシーヌ。白オーガンザ・ドレス。サファイア刺繍入り。パフスリーブ・ボレロ。1953年SS。

モデル:パトリシア。同じドレス。
1953年に入り、3つ目のコレクションを終え、ファッション界の期待の星となっていたジバンシィを着たモデルが、ELLEとLIFEマガジンにおいて、初めて表紙を飾りました。そして、その影響で、ローレン・バコール、ベイブ・ペイリー(CBSテレビ・ネットワーク創立者ウィリアム・ペイリー婦人)、グレタ・ガルボ、エリザベス・テイラー、マレーネ・ディートリッヒ、ジャクリーン・ケネディ、ウォリス・シンプソン(ウィンザー公爵夫人)、ソフィア・ローレン、グロリア・スワンソン、エレーヌ・ロシャス、ミシェル・モルガン、ファラ・パーレビ皇后などのファッション感度の高いセレブリティが来客しました。
1953年の7月の終わり、4回目のコレクションの準備も最終段階に入っていたジバンシィのメゾンに、一人の背の高い痩せっぽちな少女が現れました。短い髪型に、少年のようなファッションの彼女は、名前をオードリー・ヘプバーンと言いました。『ローマの休日』の撮影を終えたばかりで、まだ映画は公開されていないので、彼女はフランスでは、全く無名の女優でした。
飛ぶ鳥を落とす勢いだったユベール・ド・ジバンシィは、てっきり当時の大スターでありファッション・アイコンでもあるキャサリン・ヘプバーンが来ると期待していたので、正直がっかりしました。
クリストバル・バレンシアガとの初対面

モデル:ブリジット・バルドー。白のドレス。『ELLE』1953年7月27日号。下と全く同じなアンサンブル。

『ロフィシャル』パーティー・ドレス。1953年6月号。

ストラップレス・イブニング・ガウン。『ハーパース・バザー』1953年。リチャード・アヴェドン撮影。

モデル:スージー・パーカー。ホワイト・オーガンジー・ドレス。黒のフリンジ付きのスカーフ。ELLE。1953年4月27日号。撮影地:モロッコ。

モデル:スージー・パーカー。『ヴォーグ』1953年10月号。

モデル:スージー・パーカー。ナロー・ウエスト・ウール・スーツ『ヴォーグ』1953年SS。