吊り上げられる眉とバストライン
『哀愁』を見て宝塚時代に私は、ヴィヴィアン・リーの写真を鏡や額に飾り、崇める様になりました。そして、ロンドンで『十二夜』の舞台を見たとき、白鳥が湖面をすべるようにすっとしなやかに歩いているその姿に、こんなに美しく歩く人がいるのかとうっとりしてしまいました。
八千草薫
マミーにコルセットを締めてもらうシーンは、ヴィヴィアン・リーをはじめとする最終選考に残った4人の女優のスクリーンテストの課題シーンでした。
そして、彼女は、恋人のローレンス・オリヴィエを相手に、テスト前に準備万端でした。つまり、このシーンを見ると、ヴィヴィアン・リーの素晴らしさが集約されているのです。(マミー役のハティ・マクダニエルは、黒人初のアカデミー助演女優賞を獲得した)。
ヴィヴィアンの撮影は1939年1月26日より、オープニング・シーンから始まりました。しかし、僅か20日でジョージ・キューカー監督が降板させられました。そして、『オズの魔法使』からヴィクター・フレミングがやってきました。19世紀の衣裳は胸の谷間を強調するものが多かったので、ヴィクターは衣装係のウォルター・プランケットに「もっとおっぱいを見せろ!」とどなりつけました。
ヴィヴィアンはハト胸なので、バストが盛り上がらなかったので、バストを両側から押し付けて、テープでとめて前に突き出させ、上を向かせて、谷間がはっきり見えるように工夫しました。更にバストの脇にパットを入れて盛り上げました。

絶妙な顔の造形。これがヴィヴィアン・リーです。

ウォルター・プランケットとヴィヴィアン・リー。
スカーレット・オハラ スタイル21
レッドベルベットドレス
- バーガンディ・レッド・ボールガウン・ドレス、シルク・ヴェルヴェット、肩にふさふさのオーストリッチの羽根、デコルテ強調、たくさんのグラス・ティアドロップ・ビーズ
- 同色の天女のようなケープ
- 同色のロンググローブ

恐らく本作最高のドレスはこのドレスでしょう。

それにしても美しいデコルテ。透き通る白肌。

衣裳テストの写真。

ただ美しいだけでなく、ヴィヴィアン・リーという美しさ。

ウォルター・プランケットのデザイン画
Tomorrow is another day
もう一度人生をやり直すことが許されても、私は女優になり、ローレンス・オリヴィエと結婚したい。
ヴィヴィアン・リー
キスシーンが本当に素晴らしい作品です。それはクラーク・ゲーブルの男っぷりと同じくらいに、ヴィヴィアン・リーのキスの受け身の上手さにもよるものです。キスをした後に、とろ~んとした表情で男性を見つめるときの横顔の可愛らしさ。そんな表情が、瞬間に怒りに満ちた表情に変わったり、「さよならのキス」をせがんだりと、抗い難い感情に支配されるそのうるんだ瞳を前にして、女性でさえもぞくっとする色気があります。
「明日はまた別の日がやって来るわ!」。ヴィヴィアン自身もスカーレットと同じように、自分の中の魔性を押さえ込めない人生に悩まされていました。いいえ、悩まされたのではなく、それは女優としての宿命だったと諦めていたのでしょう。ある突出した才能は、その能力により身体を蝕んでいきます。ローレンス・オリヴィエもその才能を愛し、共存しようと勤めたことでしょう。
彼女の目には明らかに狂気が宿っています。いや、それは狂気ではなく、その目には、常人の10倍ものスピードで感情の変化を表現している閃光がきらめいているのです。あまりにも動物的なその瞳の持つ力。悪魔と天使が入れ替わるような予測を超えた演技力に夢中になってしまい、その刺激がなくては生きていけなくなり、やがてはその刺激が心身をすり減らしてしまうというパラドックス。
ヴィヴィアン・リーはスカーレットそのものでした。そして、彼女の人生は、この映画から、スカーレットとローレンス・オリヴィエを乗り越えることに費やされるようになったのです。
それは当時の映画界において最高の演技を披露した自分自身のスカーレットと、演劇界の至宝である夫・オリヴィエを同時に越えねばという宿願。ただ絶世の美貌に慢心するのではなく、そこから先の領域を目指した人。彼女の苦しみは、躁鬱というよりも芸術家の苦しみだったと理解できる女優は、今どれだけ存在するのでしょうか?
「風と共に去りぬ」のような作品をもう作れないのはなぜでしょうか?私たちは退化しているのでしょうか?

ヴィヴィアンはヘビー・スモーカーでした。本作の撮影中、4箱のタバコを吸っていました。
スカーレット・オハラ スタイル22
レッドベルベットドレス
- 赤のロングガウン、白の刺繍がラペルに、ワイドスリーブ
- 黒ベルト
スカーレット・オハラ スタイル23
女王陛下のようなガウン
- 豪奢な刺繍が施されたルームガウン、襟と袖にはミンク、さらに襟にはオーガンジー
この衣裳は、この作品において最もスカーレットの生活の豊かさを象徴する衣裳なのですが、それは、あのタラで極貧生活を送っていたころの一張羅のドレスととても似た柄であることが印象的です。
そして、スカーレットは、階段から転げ落ちるのですが、この作品において、数限りなく表れる階段のシーンは、重要なメタファーになっているのです。

印象的なクラーク・ゲーブルのコート。

『風と共に去りぬ』を語りたければ、階段を語れ!

ヴィヴィアン・リーの美しさが引き立つガウン。

ワードローブ・テスト撮影。子犬を抱えています。

ウォルター・プランケットのデザイン画
スカーレット・オハラ スタイル24
喪服ドレスPART3
- ブラックドレス
- 大きなカメオブローチ
そして、最後にレット・バトラーにキツイ一言を言われるのです「謝れば、全ての過去が清算されると思ってるなんて、君はまだ子供だな!」。そして、君がどうなろうと俺には関係ないと捨て台詞を残しレットは去っていくのです。
ここからが、ヴィヴィアン・リーという女優の真骨頂なのです。この類まれなる舞台女優は、若干25歳にして、45歳のベテラン女優のような表情の変化(とくに右の眉が上がる瞬間がたまらない)と、恐ろしい動きをごく自然にやってのけるのです(間違いなく凄まじい修練の末に生み出された、身を削るようにして培った演技力なのでしょう)。
そして、タラに戻って、明日に希望を持とう!という結論を引き出し、この大絵巻は終幕を迎えるのでした。

黒の中にひとつだけ存在する真っ白なカメオブローチ。

ブラックドレスはシルエットで見せよ!
1939年アカデミー主演女優賞受賞。
オスカードレス
- デザイナー:アイリーン・ギボンズ(アメリカのココ・シャネル)
- フローラル・スパゲティストラップ・ドレス、別名ルック14、赤いケシの花柄、シルク、オーバーサイズ・フラワープリント

ヴィヴィアン・リーは、16歳から28歳を演じました。

オスカー・スピーチをするヴィヴィアン・リー。

ヴィヴィアン・リー、アメリカ映画初出演にして、この快挙!

ローレンス・オリヴィエと共に。
こんな映画を作る国と戦争しても勝てない

オロヴィア・デ・ハヴィランド、ヴィヴィアン・リー、ローレンス・オリヴィエ。

アカデミー賞にて、ヴィヴィアン&オリヴィエ。
わたしはさそり座です。さそり座の人間は、私のように自分を食べ尽くし、燃やし尽くすのです。
ヴィヴィアン・リー
太平洋戦争中の1943年にシンガポールで英軍から接収した外国映画を片っ端から見ていた小津安二郎は、この作品も見ています。
更に同時期、本作を見た活動弁士・徳川夢声は「日本は物質的のみならず、精神的にもアメリカに劣っているのではないか」と日記に記すほどのショックをうけました。日本での一般公開は戦後の1952年まで待たなければならなかったのですが、人々は、アメリカという国のスケールの大きさに圧倒されました。
本作の撮影は5ヵ月かけて行われました。ヴィヴィアン・リーは125日働き、クラーク・ゲイブルは71日間働いたのですが、ギャラはクラークの約1/5でした。ヴィヴィアンは、クラークがサラリーマンのように毎日午後6時にセットを出る人だったので、彼に対して、怠け者で、あまり頭がよくなく、反応のにぶい俳優と考えていました。
しかし、彼の礼儀正しさは褒めていました。クラーク自身も、ヴィヴィアンの本格的な演技を前にして、常に自信を失っており、超大作の主役を演じることをとても怖れていたのです。

まさにこれこそが、クラシック・ムービースターのイメージ。
作品データ
作品名:風と共に去りぬ Gone with the Wind (1939)
監督:ヴィクター・フレミング
衣装:ウォルター・プランケット
出演者:ヴィヴィアン・リー/クラーク・ゲーブル/オリヴィア・デ・ハヴィランド/レスリー・ハワード
- 【風と共に去りぬ】スカーレット・オハラという女の一生
- 『風と共に去りぬ』Vol.1|ヴィヴィアン・リーとスカーレット・オハラ
- 『風と共に去りぬ』Vol.2|ヴィヴィアン・リーのウディングドレスと喪服
- 『風と共に去りぬ』Vol.3|ヴィヴィアン・リーの夕陽の中での下剋上宣言
- 『風と共に去りぬ』Vol.4|コロンを飲むヴィヴィアン・リー
- 『風と共に去りぬ』Vol.5|ヴィヴィアン・リーとウォルター・プランケット
- 『風と共に去りぬ』Vol.6|ヴィヴィアン・リーとアカデミー主演女優賞
- 『風と共に去りぬ』Vol.7|オリヴィア・デ・ハヴィランドという天使
- 『風と共に去りぬ』Vol.8|オリヴィア・デ・ハヴィランドとアカデミー賞