和を知る

『乱』1 日本の美11(2ページ)

    作品名:乱 (1985)
    監督:黒澤明
    衣装:ワダ・エミ
    出演者:原田美枝子/仲代達矢/根津甚八/ピーター/隆大介



    日本人女性のみが持ちうる魔性を知る。

    日本映画史上に残る「日本女性」を演じた原田美枝子様。

    原田美枝子様が目指したのが、黒澤明監督『蜘蛛巣城』(1957)の山田五十鈴様(左端)。

    1954年、≪七人の侍≫を撮ったときの黒澤は、世界でおそらく最もダイナミック(かつシェイクスピア的)な映画作家だった。≪七人の侍≫はアクション映画だ。その精神は猛々しい━飼いならすことのできないものを描いた映画だった。しかし、今、彼は動への興味を示してはいない。・・・この映画はすみからすみまで概念芸術的作品━おそらくはコンセプチュアル・アートの一番の大作だろう。

    ポーリン・ケイル

    『乱』。この作品こそ、黒澤明監督の最後の時代劇であり、シェイクスピアの『リア王』を戦国時代に置き換えた野心的な作品でした。富士の中腹に4億円かけて建築された城。出演者1万2000人、馬1万5000頭、撮影日数349日、総制作費26億円をかけることになる本作の製作発表の席(1983年12月)において黒澤監督は「私の中に残っているエネルギーをすべてこの作品にそそぎこみたい」と語りました。

    そんな当時73歳の黒澤監督が、遺言として考えていた『乱』において最も重要な役柄の一つであると考えられる、楓の方に相応しい女優として白羽の矢をあてたのが、当時25歳の原田美枝子(1958-)という女優でした。当初、黒澤監督は美枝子様に楓の方か末の方のどちらかを選んでくださいと尋ねました。そして、脚本を読んだ美枝子様は楓の方についてこう感じました。「潔くて、怨念を抱えながらもスカッとするような、実にかっこいい女性の役でした」

    そして、黒澤監督から美枝子様は言われました。「楓の方を演じるとなれば、映画の撮影には少なくとも一年ぐらいかかります。そして、眉毛も剃らないといけません」。その言葉に対して美枝子様は「はい結構です」と答え、眉毛に指を当てて隠して見せました。こうして、ファッション史に残るであろう『乱』の最も重要な配役の一つ=楓の方は決定したのでした。25歳の女優が一年間眉毛なしに生活するという決意と共に・・・

    まさにこの役を演じることこそが、当時美枝子様が抱えていた「俳優としてやり直したい。いい俳優になりたい。」「俳優として、やるだけやってダメならこの仕事は辞めよう」という感情に合致したものでした。『乱』の撮影に入る前に、松田優作様に「黒澤さんの映画に出るのはとてもいいことだけど、問題はその後だな」と言われました。しかし、美枝子様にとって、その前がなければ後もないほどに撮影当時は緊張の連続だったのでした。

    この作品の彼女の素晴らしさは、オードリー・ヘプバーンがスペイン広場でジェラートを食べたり、グレース・ケリーが古代ギリシャ風のブルーガウンでコートダジュールでミステリアスなキスをして見せたりしたことと同じレベルの、一つの女性の魅力を最大限に表現しきったところにあります。しかも、それは日本人女性にしか表現できぬような魅力でした。

    それは真の意味で、自分の女優人生を賭けて格闘する一人の女優の姿が、映像の中に閉じ込められたことより生み出されたものでした。決してあざとくなく、しかし、能の世界観を戦国時代に持ってくるというとてつもない試みに参加し、見事に表現しきった女優の凄味が、いまだに色褪せるどころか、年月と共により強い生命力をみなぎらせ私達に問いかけてくるのです。「これが日本女性の魅力です」と。



    ワダ・エミ様がそこにいた。

    ワダ・エミ様は、三兄弟の性格を水色・赤色・黄色の三色で衣装に反映させました。当時の時代劇としては、それは異例のことでした。

    日本の風土が原色で覆い尽くされた時に起こる化学反応。

    俳優たちの身につけるあざやかな色、広大な景観にきわだったこうした色調が、人物たちを無力な矮小化されたものに見せている。彼らは容易にたがいの標的となる。標的となるべく装っているともいえる。

    ポーリン・ケイル

    陣羽織のデザインと配色も実に斬新です。黒澤監督は、グスタフ・マーラーの交響曲第一番をイメージして合戦シーンを撮り上げました。

    海外でいい仕事をしようとすると、文化の奥深くまで入り込んでいくことが求められます。・・・私はイメージの世界、つまり虚構を具体的な形にして皆に伝えるためには、そうしたディテールこそが大事だと思っているの。手を抜いたとたん、できあがった衣装に〝説得力〟がなくなると思うから。

    ワダ・エミ

    20世紀のファッション史に残る、女性の魅力を表現した作品として、本作で原田美枝子様が演じた楓の方が記憶されるようになったのは、その少し前に、彼女を本気で叱ってくれた恩人だという萩原健一様と、黒澤明監督、そして、本作の衣装を担当した人がワダ・エミ様がそこにいたからでした。ただ時代考証に基づいて作っていくのではなく、デザイナー自身の思索と飛躍を突き詰めた衣装により、ワダ・エミ様は本作によって1985年アカデミー衣装デザイン賞を受賞することになります。

    当初、エミ様が、本作の衣装のデザイン画を黒澤監督に見せた際、「もっといいのはないの?」と言われたといいます。そして、その時エミ様は、「この人は3つ出さなきゃならないなと思った。監督はこれを選ぶなという本番の他に2つダミーを出す」ことにしようと決めました。妥協なき黒澤監督との創作作業の苦悩の中、彼女は全部で1400点の衣装を3年かけて用意しました。それは総額3億円をかけたものでした。途中で資金がストップした時には、「家を売ってでも払いますから」と京都の織物会社に話して作業を続けさせたのでした。

    とびっきりの美人や個性的な人がいなくなってしまった。みんなある程度はキレイだけれども10人並。モデルでいえば、山口小夜子のような圧倒的な美を持つ人がなかなか出てこない。多様性がなくなっているように感じます。・・・孤独を恐れることなく、自立した格好いい女性。そこまでやれてこそ、美しさが自然と身になるのではないでしょうか。

    ワダ・エミ

    エミ様は、この作品の衣装に独自性を求め、『上杉家伝来衣裳』『前田家伝来衣裳』『毛利家伝来衣裳』など200冊の資料を持参し、日本が受け継いできた染織技術の粋が使われた能の装束を衣装にというアイデアを黒澤監督に納得させました。エミ様は能装束に、「気品と優雅さ」を見たのです。染と織、摺箔、刺繍などの高度な技術。シンプルな形が生地の美しさを引き立てる。その衣が舞によってひるがえり観客を幽玄の世界へと導くのです。



    ワダ・エミ語録

    1986年アカデミー賞にてオスカー像を手にするワダ・エミ様。プレゼンテーターとしてジバンシィーを着たオードリー・ヘプバーン様。

    ワダ・エミ(1937-)京都府出身。1959年、京都市立美術大学西洋画科を卒業。20歳の時、演出家の和田勉さんと結婚。1986年「鹿鳴館」、89年「利休」、97年「宋家の三姉妹」、99年「御法度」、03年「HERO」、10年「レイン・オブ・アサシン」の衣装を担当する。

    黒澤さんとの打ち合わせで、衣装に使われる生地は既製のモノを使わず、すべてゼロから作り上げようということで一致しました。それはどういうことか。すべて糸から染めることから始めて、それを織り上げて生地を作る。私のデザインに基づいて生地を裁断し、縫い上げる。『乱』ではそんな贅沢な衣装作りができたのです。

    ワダ・エミ

    何よりも、この作品当時は、まだ無名だったエミ様に思う存分仕事をさせた黒澤監督の眼力の素晴らしさは特筆に価します。ある役者が、衣装が重いと文句を言った時には、「それなら役者を代えろ!」と一喝したといわれています。

    (日本のファッションは)誰も彼も同じ格好をしていますよね。何が流行っているのか一目で分かります。ヨーロッパや中国であれば、それぞれ異なったファッションをしている。バラエティに富んでいますね。日本の場合は、メイクにしても同じ顔にみえてしまう。まるで制服のように。

    昔に比べると、みなさん肌の手入れもして眉毛も整えて、美しくなろうとしている。けれど、本来の顔が見えてこないんですよね。雑誌や広告などの情報が多く、その美しさに近づこうとする努力は評価しますが、その人自身がみえなくなってはいくら努力をしても美しくなれません。・・・一人で歩いていて振り返りたくなるような人が少ない。一人で歩いて格好いい女。それが美しいということではないでしょうか?

    私はシェイクスピアが好きですし、37本の戯曲の衣装を全部やりたいと思っていますから。

    デザインの仕事をしているけど、高価なものには、まったく関心がない。日本の女性って、ブランドものを欲しがるでしょ。私にはそうした欲望がぜんぜん理解できないの。




    狂言回しの狂阿弥を演じるピーター様。

    ピーター様の衣装の色使いも実に美しい。

    それは極めてアンドロギュヌスな魅力に満ちた色使いでした。

    ある意味、サーカスの世界観を連想させます。

    狂阿弥は、慈善興行のためにピエロの扮装をした裕福でまじめな女子大生のようで、その性のあいまいさにとまどいを覚える。画面のだれもがそれに気づいていないようなのでなおさらだ。

    ポーリン・ケイル

    ピーター様(1952-)は、この作品のために2年間のスケジュールを空けて、狂阿弥役にのぞんだと言われています。1980年代に製作されたこの作品の恐ろしい所は、一年間眉毛なしで生活した美枝子様をはじめとする出演者の皆様が、自分自身のリミッターを振り切ろうと覚悟を決めていたところにあります。

    その衣装は、トンボ柄の衣装をはじめ、赤・青・黄の三兄弟の感情を自分ひとりに集約したトリコロールカラーの衣装など、とても魅力的な色使いに溢れています。



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