日本で、ビジネススーツが、男性の戦闘服になった瞬間
日本を舞台に、スーツ姿で、走り、撃ち、敵をなぎ倒すボンドの姿は、公開当時日本人にとって、とてつもなく斬新に見えたことでしょう。そして、この世界観の根源にあるのは、ギャング映画におけるダブルのスーツ姿で銃撃戦を行う姿でした。
日本においても、1950年代後半から60年代にかけて暗黒街映画というジャンルで、スーツを着たギャングが戦う映画が量産されたのですが、この作品の登場が、そういった全てに対して新たなる領域を示すことになりました。
秘密諜報部員=スパイが、世界を股にかけ、クールなスーツとタキシード姿で戦う姿です。この初代ボンド五部作により、男性にとってのスーツは、ただのビジネス服やアウトローのコスチュームから、大人の男の戦闘服へと昇華したのでした。
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『ティファニーで朝食を』や他のボンドシリーズでも有名なイラストレーター・ロバート・マクギニスのイラスト。彼はボンドムービーの世界観が世界スパイ紀行であることを見抜いていた。
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美しいシルエットを生み出す“コンジット・カット”のボンドスーツ。
ジェームズ・ボンド・スタイル3
戦闘モード・スーツ
- テーラー:アンソニー・シンクレア
- ダークブルー・“コンジット・カット”サマースーツ。モヘア/ウールのブレンド。60年代半ばに流行していたシングル・ボタン、ノッチラペル、シングルベント
- ターンブル&アッサー、ペールブルー・ポプリンシャツ、タンナップカフス(カクテルカフス)
- ネイビーのシルクニットタイ
- ブラック・レザーのプレーントウ・スリッポンシューズ
- グリュエン・プレシジョン510。イエローゴールドの腕時計(1970年に実質的に消滅したアメリカの高級時計ブランド)
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アキこと若林映子と。彼女こそ本当のメイン・ボンドガーだった。
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特徴のあるモダンなチェアといい、ケン・アダムのプロダクト・デザインが、映画の端々にまで効いています。
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休憩中のコネリーと監督のルイス・ギルバート。
東京から神戸まで20分で到着するボンドカー。
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後の歴代ボンドも絶賛した、ボンド・カー=アキ・カー、トヨタ2000GT。
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この4つのライトが今では斬新で美しい。背景は、1964年に創業されたばかりのホテル・ニューオータニのエントランス(作中、大里化学工業の本社)。
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どの角度から見ても、ここまで美しくも挑戦的なフォルムは無い。
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アキこと若林映子が操るボンドカー。円形でまとめられた計器とハンドルがクール。
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若林は運転免許を持っていなかった・・・実際に運転する遠景は、日本人男性ドライバーがスカーフを頭に巻き行っている。
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「私の母がよく言っていた。知らない女の車に乗るなと」とタイガーはボンドさんに忠告する。
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しかし、若林映子様がとてもうつくしい・・・
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着物姿の若林映子様と、2000GTの異次元コラボ。
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ボンドカーの上に座るキッシー鈴木こと浜美枝。
ボンドムービーの歴史において、
- 『007/ゴールドフィンガー』のアストン・マーティンDB5
- 『私を愛したスパイ』のロータス・エスプリ
- 『007 リビング・デイライツ』のアストン・マーティンV8
- 『ダイ・アナザー・デイ』のアストン・マーティンV12 ヴァンキッシュ
- 『007 カジノ・ロワイヤル』と『007 慰めの報酬』のアストン・マーティンDBS
に並ぶビューティフル・カーが、アキ・カーことトヨタの2000GTです。2000GTは、現在の価格で1500万円~2000万円で、1967年から1970年にかけて337台のみ生産・販売された幻のスポーツ・カーです。
ジェームズ・ボンド・スタイル4
カジュアル・スタイル
- ライトブラウン色のショートスリーブのリネン・スポーツシャツ、キャンプカラー、サイドベンツ
- ブラウンリネン・トラウザー
- ライトブラウン・レザーサンダル
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本作においてコネリーとプロデューサー達の関係は最悪であり、彼らがセットにいる間は、コネリーは芝居を拒否しました。
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伝説のオート・ジャイロ「リトル・ネリー」。
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日本ロケに参加したQことデスモンド・リュウェリン。
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太陽のように目立つイエロー・カラーがとても美しいリトル・ネリー。
ショーン・コネリー=ボンドは、ピンクがお好き。
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背景に聳え立つのは姫路城です。なんとここが日本の秘密諜報部の基地なのです。
姫路城を背景にピンクのシャツで登場するボンド。着物姿の日本人と連れ立って歩くその異様な姿。どこか観光客のショーン・コネリーがただそこにいるだけのような、その映像に思わず親近感を感じてしまうほどに、男性が着る「キュート」なピンクの見本のような着こなしです。
ピンクはあくまでもカジュアルに、気合を入れずに着る色なのです。そう世界でただ一人林家ペーを除いては・・・
ジェームズ・ボンド・スタイル5
ピンクシャツ
- ターンブル&アッサー、ピンク・リネンシャツ。スプレッドカラー
- グレーのトロピカルウール・トラウザー
- ブラウン・レザーサンダル
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身長比較。丹波哲郎175cm。若林映子163cm。ショーン・コネリー188㎝。
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初代ボンド時代のボンドムービーに出演した丹波哲郎は間違いなく偉大だ!
コネリー=ボンドが唯一タキシードを着なかった作品
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東京ヒルトン・ホテル『紅真珠の間』での記者会見(二人のボンドガールと共に)。来日したビートルズも宿泊したホテル。
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新宿にあるヒルトン東京(1984年開業)の前進であり、現在のザ・キャピトルホテル東急の赤坂に東京ヒルトンはあった。
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記者会見において、当時ラフなコネリーのファッションは賛否両論を生みました。このシャツこそ、上のピンクシャツです。
本作においてジェームズ・ボンドは全く車を運転しません(その代わり、リトル・ネリーというオート・ジャイロを操縦する)。そして、ボンドがタキシードを着ない二作品(『007 死ぬのは奴らだ』)のうちの一つとなりました。
この作品の唯一最大の欠点は、忍者部隊の衣装センスの悪さと、スペクターの秘密基地における最後の戦闘シーンのボンド・ファッションの地味さです。グレイのニットシャツとグレイのトラウザー、そして、グレイの忍者マスクをつけるボンドの姿は、間違いなくボンドムービー史上不動のワーストコスチュームでした。
この作品で、ボンドの存在は2度死んでいます。一度目はどうしようもない日本人の変装とそれに付随する漁師ファッション、そして、二度目はこのファッションによってです。
作品データ
作品名:007は二度死ぬ You Only Live Twice(1967)
監督:ルイス・ギルバート
衣装:アイリーン・サリバン
出演者:ショーン・コネリー/若林映子/浜美枝/丹波哲郎/カリン・ドール/ドナルド・プレザンス
- 【007は二度死ぬ】ジェームズ・ボンド日本上陸
- 『007は二度死ぬ』Vol.1|日本に来たジェームズ・ボンド=ショーン・コネリー
- 『007は二度死ぬ』Vol.2|ショーン・コネリーとトヨタと姫路城
- 『007は二度死ぬ』Vol.3|丹波哲郎とドナルド・プレザンス
- 『007は二度死ぬ』Vol.4|若林映子・日本人ボンドガール第一号
- 『007は二度死ぬ』Vol.5|若林映子とショーン・コネリー
- 『007は二度死ぬ』Vol.6|若林映子と「60年代のスウィンギング・ニッポン」
- 『007は二度死ぬ』Vol.7|浜美枝・もう一人の日本人ボンドガール第一号
- 『007は二度死ぬ』Vol.8|竹取姫のような浜美枝様
- 『007は二度死ぬ』Vol.9|カリン・ドール、第三のボンドガール
- 『007は二度死ぬ』Vol.10|ナンシー・シナトラの神曲