日本のブリジット・バルドーと呼ばれた女
『日本一のホラ吹き男』(1964)などで見られた浜美枝様(1943-)の魅力は、快活なモダンガールのイメージです。しかし、本作においては彼女のそんな魅力はまったく生かされていませんでした。
どこまでもおしとやかな日本人というイメージに最初から最後まで終始し(実際の美枝様の性格はこのようであるらしい=内気で堅い性格)、キャラクターがはっきりと分からぬまま終わりを迎えていく(全編117分中彼女が登場するのを79分待たなければならない)のです。
浜美枝様の本来の女優としての魅力は、東宝映画を代表するキングコングやゴジラとの相性が良いという訳ではなく、植木等が生み出した高度経済成長の中で調子よく伸し上がるサラリーマン・ニッポンを描いた映画の中で、スカートスーツを着たシティーガールのイメージを担うことにより最大限に発揮されたのでした。
1960年代当時、美枝様は日本一秘書になって欲しい女性No.1だったのです。本作まで彼女には、「日本一の海女」やら「日本一和服が似合う女優」というイメージは微塵も存在しませんでした。
そういう意味においては、キッシー鈴木は、彼女にとって、完全なミスキャストでした。ちなみに、彼女がヌードを披露した1967年の米誌『プレイボーイ』においては、〝日本のブリジット・バルドー〟という当て外れの形容詞を与えられています。
しかし、そんなミスキャストなこの役柄のおかげで、美枝様は、それまでのキャリアの集大成として、日本人ボンドガールの地位を獲得したのでした。それは、本当のメイン・ボンドガールは明らかに若林映子様なのですが、ことさらそのことを主張しない映子様と、本作出演後、ほとんど007については語らなかった美枝様の、「女としての品格」が生み出した「愛すべき誤解」だったのです。

浜美枝様は、60年代の東宝のモダンなイメージにフィットしていました。


日本人離れしたルックスとスタイルによって、1960年代の高度経済成長期の日本を象徴する都会的なイメージの女優でした。

1965年の東宝カレンダーより。


このモダンなスタイルこそ浜美枝スタイル。
英語が話せない悔しさをバネにした人

まさに日本のお姫様のような白無垢姿の浜美枝様。そして、真ん中に丹波哲郎。

20世紀においては、美枝様のイメージは英語がペラペラだったからボンドガールに抜擢されたと言うイメージでした。

ショーン・コネリー、36歳の誕生日。この写真の美枝様の笑顔が最も美しい。


私は007の映画を今まで一度も見たことが無いんです。それは私がジェームズ・ボンドという存在が嫌いだからです。私はプレイボーイが嫌いです。でも、ショーン・コネリーは大好きなんです。本当に彼は温かい心の持ち主でした。
浜美枝
美枝様が、1966年7月16日(~27日まで滞在)、ロンドンの撮影に到着した時に、Tシャツとブルージーンズだけをスーツケースに詰め込んでいることを知った007関係者が、「あなたは今からボンドガールなのです」と言い、翌日、豪華なドレスと宝石とハイヒールを何種類か用意しました。
実は撮影にのぞむ前に、ひとつ大きな問題が起こっていました。三ヶ月間、若林映子と共に、英国でホームステイし、英語のレッスンをそれぞれ別々の家庭で受けていたのですが、美枝様は英語に苦戦し、降板させる話にまで進展したのでした。
そのことを伝える大任を任されたのが丹波哲郎でした。そして美枝様を夕食に誘い、翌日、ルイス・ギルバート監督にこう伝えたのでした。
「単刀直入に言うと、ミエを降板させると言うなら、今夜彼女はドーチェスターホテルの窓から飛び降りて自殺するだろう。日本では面子を保つことが何よりも重要だということを理解しなければならない。彼女は日本史上最大の映画に出演するためにイギリスに送られた女優で、彼女の国では誰もがそのことを知っている。もし彼女を帰国させたら、彼女は役立たずだと言っていることになる。だから、彼女にとって面子を保つ唯一の方法は自殺することなのだ」
かくして美枝様は、台詞の少ない役柄にチェンジされ出演することになったのでした。実際の所、本当に美枝様がこのように言ったのではなく、丹波哲郎の機転だったと考えられています。
美枝様は回想します。「一人ぼっちのロンドンで、豪華なファッションを身に纏い、撮影関係者とリハーサルを重ねるのは凄く孤独で、苦痛でした」。そんな時に、彼女を支えてくれたのは、丹波哲郎よりも、ショーン・コネリーだったと彼女自身回想しています。「毎朝、彼は私が何か困っていることはないかと尋ねてくれました。彼もスターになる前は苦労の多い人生を送ってきたので、私の気持ちを理解してくれたのです」。
彼自身も労働階級出身なので、「アクション!」という声がかかるまでは、全くボンドらしい雰囲気が無く、気取りも無く、思いやりのある性格の持ち主だったのです。
「私はもっと英語をしっかりと勉強しておけばよかった。そうすればショーン・コネリーという人をもっと知ることが出来たのに・・・」
この後悔が美枝様のこの後の人生に与えた影響は大きいことでしょう。それ以後、二人は二度と再会することはありませんでした。この作品の奥に秘められたストーリー。それは異文化の交流の難しさと、であるからこそ、未知の文化が交差するときに生まれる新しい創造力を得ることの大切さ。後悔を転機に人生を変えることの出来る人と、そうでない人の違いをも教えてくれる作品なのです。
キッシー鈴木のファッション1
白無垢
- 白無垢。白練帽子、紅裏ではない白綸子の打掛

それが、バイリンガルで知的なイメージを美枝様に与えました。

撮影地の熊野那智大社で撮影された。

実際の美枝様は、貧しい家庭で育った人でした。そして、ショーン・コネリーも同じ境遇の育ちでした。

白無垢の雰囲気がよく分かる写真。
日本女子の魅力を体現させる衣服、それが浴衣。

日本の海岸線の魅力がぎっしり詰まった映画とも言えます。それは松と岩場の海岸線が作り上げる不均等な美。

ロンドンに作られた阿蘇山の秘密基地セットで撮影された集合写真でこの着物を着ています。

60年代の日本人女性の美しさ。
美枝様は、40歳のときに、日本の農村地区がダム工事によって破壊されゆく姿を、ドライブ中にふと見たときに、美しき日本を守ることに半生を捧げる決意をしました。
1960年代に、東宝でモダン女優として売り出され、ボンドガールとして、国際派女優として、その後、海外からの出演オファーが殺到するも(ジャン=リュック・ゴダールからも、しかし台本が無かったため断る)、ほとんどがステレオタイプなキッシー鈴木的な役柄だったので、すべて断り、1970年以降は、女優業も抑えて、家庭生活に重点を置くようになっていました。
すごく行動的な女性で、女優でありながら、世界中をバックパックを背負い歩いて見たからこそ(ボンドムービーに出演したからこそ)、日本のもっと深い魅力を感じることが出来たのでした。
「女優は幻想世界であり、夫と子供と生活する風土は現実世界なんです」という浜美枝様の生き方は、今、SNSに夢中になり、その中の自分の演出に夢中になり、現実の生活が崩壊している男女に対してのアンチテーゼのような気がしてなりません。
本当に美しい人とは、わが国日本の魅力を知る心を育んでいる人です。この作品の浜美枝様の和装姿は、明確なまでに普遍的な日本の美に満ち溢れています。その普遍性は、間違いなく、その精神性の高さ故であり、和服の恐ろしさとは、精神性を映し出すシンプルさにあるのです。
キッシー鈴木のファッション2
浴衣
- パッツン・オンザマユゲにアップスタイル
- 白地に赤×青柄、赤帯の浴衣。


ちなみに右側の男性は、日本人に変装しているショーン・コネリーです。ちゃぶ台と食器の配置の美学が支配する空間。

とても素敵な浴衣です。そっくりそのまま再現して着てみたいほどです。

このような宿があったら...

どこからどう見ても違和感のあるショーン・コネリーの変装も含めてすべてが素敵な作品。

浴衣というものの美しさ。当時22歳の美枝様。若さも、成熟も受け止めることの出来る万能の衣服。それが浴衣なのです。
作品データ
作品名:007は二度死ぬ You Only Live Twice(1967)
監督:ルイス・ギルバート
衣装:アイリーン・サリバン
出演者:ショーン・コネリー/若林映子/浜美枝/丹波哲郎/カリン・ドール/ドナルド・プレザンス
- 【007は二度死ぬ】ジェームズ・ボンド日本上陸
- 『007は二度死ぬ』Vol.1|日本に来たジェームズ・ボンド=ショーン・コネリー
- 『007は二度死ぬ』Vol.2|ショーン・コネリーとトヨタと姫路城
- 『007は二度死ぬ』Vol.3|丹波哲郎とドナルド・プレザンス
- 『007は二度死ぬ』Vol.4|若林映子・日本人ボンドガール第一号
- 『007は二度死ぬ』Vol.5|いつか三大怪獣がやって来そうな若林映子様
- 『007は二度死ぬ』Vol.6|若林映子と「60年代のスウィンギング・ニッポン」
- 『007は二度死ぬ』Vol.7|浜美枝・もう一人の日本人ボンドガール第一号
- 『007は二度死ぬ』Vol.8|竹取姫のような浜美枝様
- 『007は二度死ぬ』Vol.9|カリン・ドール、第三のボンドガール
- 『007は二度死ぬ』Vol.10|ナンシー・シナトラの神曲
