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浜美枝 『007は二度死ぬ』4(2ページ)

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作品名:007は二度死ぬ You Only Live Twice(1967)
監督:ルイス・ギルバート
衣装:アイリーン・サリバン
出演者:ショーン・コネリー/若林映子/浜美枝/丹波哲郎/カリン・ドール/ドナルド・プレザンス



日本のブリジット・バルドーと呼ばれた女。

日本人離れしたルックスとスタイルによって、1960年代の高度経済成長期の日本を象徴するモダンな女優でした。

このモダンなスタイルこそ浜美枝スタイル。

それは60年代の東宝のモダンなイメージに合致したイメージでした。

本作において、『日本一のホラ吹き男』(1964)などで見られた浜美枝様(1943-)の魅力である快活なモダンガールのイメージは全く生かされていませんでした。それは、どこまでもおしとやかな日本人というイメージに最初から最後まで終始し(実際の美枝様の性格はこのようであるらしい)、キャラクターがはっきりと分からぬまま終わりを迎えて行く(全編117分中彼女が登場するのを、79分待たなければならない)のです。

浜美枝様の本来の女優としての魅力は、キングコングやゴジラとの相性が良いという訳ではなく、植木等が、生み出した高度経済成長のイケイケのサラリーマン・ニッポンのモダン・イメージに対して、「洗練」されたスカート・スーツ女子のシティ・ガール・イメージを担うときに最大限に発揮されました。1960年代当時、美枝様は日本一秘書になって欲しい女性No.1だったのです。本作まで彼女には、「日本一の海女」やら「日本一和服が似合う女優」というイメージは微塵も存在しませんでした。そういう意味においては、キッシー鈴木は、美枝様にとって、完全なミスキャストでした。ちなみに、彼女がヌードを披露した1967年の米誌『プレイボーイ』においては、〝日本のブリジット・バルドー〟という当て外れの形容詞を与えられています。

しかし、この役柄のおかげで、美枝様は、それまでのキャリアの集大成として、日本人ボンドガールの地位を不動のものにしたのでした。それは、本当のメイン・ボンドガールは明らかに若林映子様であることは、明確なのですが、ことさらそのことを主張しない映子様と、本作出演後、ほとんど007については語らなかった美枝様の、「女としての品格」が生み出した「愛すべき誤解」だったのです。



ボンドガール後の生き方のカッコよさ。

まさに日本のお姫様のような白無垢姿の浜美枝様。

20世紀においては、美枝様のイメージは英語がペラペラだったからボンドガールに抜擢されたと言うイメージでした。

それが、バイリンガルで知的なイメージを美枝様に与えました。

実際の美枝様は、貧しい家庭で育った人でした。そして、ショーン・コネリーも同じ境遇の育ちでした。

ショーン・コネリー、36歳の誕生日。この写真の美枝様の笑顔が最も美しい。

ボンドガール・スタイル8 キッシー鈴木ルックその1
  • 白無垢。白練帽子、紅裏ではない白綸子の打掛

私は過去に生きる女性ではありません。

浜美枝

1970年代に東宝との専属契約を終え、フリーになった浜美枝様は、プライベート・ライフを重要し、仕事をテレビとラジオにシフト・チャンジしていきます。彼女は、本来女優業に対して興味が強かったわけではありませんでした。幼少期に、小さなボール紙工場を経営していた両親が、第二次世界大戦の東京大空襲で焼け出され、貧しい環境の中、中学卒業後16歳でバスガールになった美枝様。

「私はずっと演技することに対して楽しいと感じたことがありませんでした」という彼女は、東宝専属の女優になった後も、休みの日には、バックパックを抱えて、アジアやヨーロッパ諸国を旅する日々に明け暮れていました。そして、そんな時に、本作の監督のルイス・ギルバートが、『キングコング対ゴジラ』(1962)を見て、彼女の起用を決めたのでした。



日本女子の魅力を体現させる衣服。それが浴衣。

日本の海岸線の魅力がぎっしり詰まった映画とも言えます。それは松と岩場の海岸線が作り上げる不均等な美。

浴衣というものの美しさ。当時22歳の美枝様。若さも、成熟も受け止めることの出来る万能の衣服。それが浴衣です。

派手な浴衣が京都の街に溢れています。しかし、本来の浴衣の美とは、繊細な色使いにあるのです。

ちなみに右側の男性は、日本人に変装しているショーン・コネリーです。ちゃぶ台と食器の配置の美学が支配する空間。

浴衣と首。この関係が、衣服と女性の関係を集約しています。

ボンドガール・スタイル9 キッシー鈴木ルックその2
  • パッツン・オンザマユゲにアップスタイル
  • 白地に赤×青柄、赤帯の浴衣。

私は007の映画を今まで一度も見たことが無いんです。それは私がジェームズ・ボンドという存在が嫌いだからです。私はプレイボーイが嫌いです。でも、ショーン・コネリーは大好きなんです。本当に彼は温かい心の持ち主でした。

浜美枝

美枝様が、1966年7月16日(~27日まで滞在)ロンドンの撮影に到着した時に、Tシャツとブルージーンズだけをスーツケースに詰め込んでいることを知った007関係者が、「あなたは今からボンドガールなのです」と言い、翌日、豪華なドレスと宝石とハイヒールを何種類か用意しました。「一人ぼっちのロンドンで、豪華なファッションを身に纏い、撮影関係者とリハーサルを重ねるのは凄く孤独で、苦痛でした」。そんな時に、彼女を支えてくれたのは、丹波哲郎よりも、ショーン・コネリーだったと美枝様自身回想しています。彼自身も労働階級出身なので、「アクション!」という声がかかるまでは、全くボンドらしい雰囲気が無く、気取り無く、思いやりのある性格の持ち主だったのです。

「私はもっと英語をしっかりと勉強しておけばよかった。そうすればショーン・コネリーという人をもっと知ることが出来たのに・・・」この後悔が美枝様のこの後の人生に与えた影響は大きいことでしょう。それ以後、二人は二度と再会することはありませんでした。この作品の奥に秘められたストーリー。それは異文化の交流の難しさと、であるからこそ、未知の文化が交差するときに生まれる新しい創造力を得ることの大切さ。後悔を、転機に人生を変えることの出来る人と、そうでない人の違い。

美枝様は、40歳のときに、日本の農村地区がダム工事によって破壊されゆく姿を、ドライブ中にふと見たことによって、美しき日本を守ることに半生を捧げる決意をしました。1960年代に、東宝でモダン女優として売り出され、ボンドガールとして、国際派女優として、その後、多くの海外からの出演オファーをもらうも(ジャン=リュック・ゴダールからも、しかし台本が無かったため断る)、ほとんどがステレオタイプなキッシー鈴木的な役柄だったので、断り、1970年以降は、女優業も抑えて、家庭生活に重点を置くようになっていました。それまでに世界中を、バックパックを背負い歩いて見たからこそ(ボンドムービーに出演したからこそ)、日本のもっと深い魅力を感じることが出来たのでした。

「女優は幻想世界であり、夫と子供と生活する風土は現実世界なんです」という浜美枝様の生き方は、今、SNSに夢中になっていて、その中の自分の演出に中毒になり、現実の生活が崩壊している男女に対してのアンチテーゼのような気がしてなりません。本当に美しい人とは、わが国日本の魅力を知る心を育んでいる人です。この作品の浜美枝様の和装姿は、明確なまでの普遍的な日本の美に満ち溢れています。その普遍性は、間違いなく、その精神性の高さ故であり、和服の恐ろしさとは、精神性を映し出すシンプルさにあるのです。



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