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『007は二度死ぬ』Vol.1|日本に来たジェームズ・ボンド=ショーン・コネリー

ジェームズ・ボンド
ジェームズ・ボンド
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スウィンギング・ニッポンとは?

007映画史上最高の主題歌の一つ。フランク・シナトラの娘ナンシー・シナトラ(1940-)の哀愁溢れるヴォイスと、オリエンタルなメロディライン、そして、モーリス・ビンダーによる〝アメリカ人から見た日本をイメージした〟タイトル・デザインが素晴らしい。

この日本人から見たら全く異質な〝ニッポン〟を体現するタイトル・デザインが、時を経て、世紀を超え、不思議な情緒溢れる存在感(味)を生み出しています。

この空気感はまさに60年代そのものであり、そこに日本人が一人も出演していない着物姿の女性のシルエットが重なることにより、スウィンギング・ニッポン(別名スウィンギング・ゲイシャ)と呼ぶべき21世紀では再現不可能なクールネスを生み出すに至るわけなのです。

かつて日本をでたらめに描いた国辱的映画(今見ると大相撲、忍法、居合術、結婚式という日本文化が実に丁寧に描かれている)とまで言われた本作が、今では、日本人自身が、これから兼ね備えるべき日本のクールネスを学ぶ教材へと転生したのでした。

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60年代のイギリス人が見た「日本」の魅力とは?

初代ジェームズ・ボンド=ショーン・コネリーの五作品目にして、卒業試験。勿論その後にすぐに復帰しました。

カレン・ドールと浜美枝のブロフェルド・ガール。ではなくてボンド・ガール二人と、ブロフェルドを演じたドナルド・プレザンス(この素晴らしい表情)。

タイムズスクエア、ニューヨーク、1967年。

1967年公開当時。映画館がイラストに包まれた華やかだった時代。

2020年現在、007シリーズにおいて唯一本格的に日本オールロケを敢行したのが、本作『007は二度死ぬ』です。この作品には、イギリス人から見た60年代のニッポンが濃縮されています。

1966年7月30日(ビートルズ来日の翌日)から6週間かけて行われた日本でのロケ撮影。この作品を最後に、ショーン・コネリーは一度ボンド役を退くことになります。「最後のブルース・リー」ならぬ「最後のジェームズ・ボンド」かと当時心配された本作は、全てにおいてバランスの取れた作品として、ボンド・ムービーの中でも圧倒的な人気を誇ります。

監督のルイス・ギルバートは後に『007 私を愛したスパイ』(1977)と『007 ムーンレイカー』(1979)という海中基地や宇宙基地というスケールの大きな悪党をボンドムービーの中で描くことにより、テレンス・ヤングのリアル・ボンド像とは正反対な破天荒なボンド像を生み出しました。

リアル・アクションのボンドムービーに退屈したときに見る、〝スウィンギング・ジェームズ〟が楽しめるボンドムービー三部作としてこれらの作品をあげることが出来ます。

九州の火山口に世界征服を狙うスペクターの秘密基地があり、日本人に変装した英国人が侵入を図るという破天荒なストーリーであるにも関わらず、21世紀においては、その当時を知る人々も少なくなり、「古き良き日本」を体現する、誇るべきスパイ・アクションとして、日本史の一ページを飾るほどの再評価を受けていくことでしょう。

この時代の銀座と、ギンザ・シックスが出来た銀座。どちらの銀座があなたは好きですか?この当時の不思議な和洋折衷の日本の雰囲気に、斬新さを感じるクリエイターは少なくないはずです。なぜ、この作品に出てくるものが、いちいちカッコよく見えるのでしょうか?

それは間違いなく本作の撮影監督イギリス人のフレディ・ヤング(1902-1998)による功績だと言えます。デビッド・リーン監督の『アラビアのロレンス』(1962)『ドクトル・ジバゴ』(1965)『ライアンの娘』(1970)で三度のアカデミー撮影賞を受賞したのもさるものながら、かつて『モガンボ』(1953)においてもアフリカとグレース・ケリーの美を的確にスクリーンに写し取ったその映像センスがあればこそ、“スウィンギング・ニッポン”の奇跡の映像がここに生み出されたのでした。

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最高の初代ジェームズ・ボンド・スーツ

日本家屋にもボンド・スーツが映えるのは、プロダクト・デザイナーのケン・アダムのデザイン・センスによるもの。

ショーン・コネリーの銀座。

初代ボンド=ショーン・コネリーの歴代スーツ・スタイルの中でも一二を争う美しいシルエットを誇るのが、本作における日本上陸直後のグレー・スタイルです。

それまでのボンド・スーツよりもすっきりしたシルエットになっており、筋骨隆々とした肉体を誇示するシルエットを生み出しています。

結果的に、このスーツのシルエットが、小柄な日本人を更に小柄に感じさせ、銀座徘徊シーンにおいて、ガリバー旅行記にも似た未開の地への到達感を生み出すことになりました。

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ジェームズ・ボンド・スタイル1

日本上陸スタイル
  • テーラー:アンソニー・シンクレア
  • ソリッド・グレーに見える〝コンジット・カット〟の白×黒のヘリンボーンスーツ。2ボタン、シングルベント
  • ターンブル&アッサーの白シャツ
  • ネイビーブルーのグレナディンタイ
  • グリュエン・プレシジョン510。イエローゴールドの腕時計

なかなか日本人には着こなせないソリッド・グレーの〝コンジット・カット〟のボンド・スーツ。

ジャケットの生地のこの美しい光沢感。 

スーツの全身のシルエットが分かる数少ない写真。

蔵前国技館でかなり窮屈そうなショーン・コネリー。

1966年9月。蔵前国技館を貸切り、8000人のエキストラを動員し、4人の横綱が、撮影も兼ね『007場所』を行いました。スーツ姿のショーン・コネリーには、狭い客席スペースの撮影がとても厳しかったようでした。

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ジェームズ・ボンド・スタイル2

トレンチコート
  • オリーブ色のトレンチコート。ライナーは赤×黒のウィンドウ・ペン。エポレット付き、10ボタン、ラグランスリーブ
  • 黒のフェドーラ帽
  • 白×黒のスペクテイター・シューズ

このスタイルは、いつも洗練されているボンドが、殺し屋の悪趣味な服を着て、変装するといういわばコメディ・スタイルです。そして、ボンドがバイカラーのシューズを履くのは本作が最初で最後でした。

敵にロックボトムを食らわした後、ピーター・メイビアの運転する車に乗り込むJB。

ピーター・メイビアとは、プロレスラーで、ロック様の祖父。

なんともコメントのしようがない悪趣味なドブネズミ色のトレンチコート。

そして、ゼットンを思い出させる悪趣味なシューズ。

ホテルニューオータニで戦う時、ボンドは敵から奪ったこの靴を履いています。

作品データ

作品名:007は二度死ぬ You Only Live Twice(1967)
監督:ルイス・ギルバート
衣装:アイリーン・サリバン
出演者:ショーン・コネリー/若林映子/浜美枝/丹波哲郎/カリン・ドール/ドナルド・プレザンス