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オードリー・ヘプバーン

『パリの恋人』Vol.1|オープニング・タイトルとリチャード・アヴェドン

オードリー・ヘプバーン
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オードリー・ヘプバーン=パリモードの代名詞に。

パリの恋人』によりオードリー・ヘプバーン(1929-1993)は、「モード・アイコン」として世界的な地位を獲得しました。それは、『麗しのサブリナ』(1954)で得た「パリが似合う女の子」のイメージから、「パリモードを体現する女性」への飛躍でした。

ヘプバーンのカラー映画第二弾として、『踊る大紐育 』(1949)『雨に唄えば』(1952)『掠奪された七人の花嫁』(1954)で勢いに乗る若手ミュージカル監督スタンリー・ドーネン。同じく、飛ぶ鳥を落とす勢いのファッション・フォトグラファー、リチャード・アヴェドン。そして、世界一のスーパーモデル、ドヴィマとオードリーのパリモードを代弁するパートナー、ユベール・ド・ジバンシィ。さらに「生きるエレガンス」フレッド・アステアが集結し、歴史に残るファッションムービーの金字塔は打ち立てられたのでした。

このオードリー初のミュージカル作品以降、オードリー=パリモードという形容詞がしっくりくるようになり、彼女自身が元々持っているファッション・センスが全ての作品においていかんなく発揮されることになりました。

しかし、この作品がファッション=モード業界に生きる人々にとって〝バイブルの中のバイブル〟と呼ばれるのは、映画のオープニング1秒目から50年代ファッションの魅力が解き放たれているところにあります。

さあ、「ファニー・フェイス=奇妙な顔」というタイトルの「世界一美しい顔」を持つ〝不滅のオードリー〟のものがたりのはじまりです。まず最初に彼女が登場する前のオープニング・タイトルの写真について徹底解剖してゆきましょう。それはまるで50年代ファッションの万華鏡のようです(まずは下のオープニング・タイトル動画をご覧下さい)。


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オープニング・タイトル徹底解剖① シューズ


オープニング・タイトルは、リチャード・アヴェドンのファッション・フォトが夜空を横切る彗星のように現れては消えし、モード界の様々なきらめきを伝えてくれます。

ちなみにアヴェドンは、フレッド・アステアが演じたディック・エイブリー役のモデルであり、本作のヴィジュアル・コンサルタントを担当しています。まずはオードリーのフェイス・アップからはじまり、「ハーパーズ バザー」1955年9月号の表紙に使用された写真が登場します。

「ハーパーズ バザー」1955年9月号

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オープニング・タイトル徹底解剖② ドヴィマ


次に白いドレスを着たドヴィマの見返りショットが上下に並んでいる画面が現れます。こちらは「ハーパーズバザー」の1952年2月号の表紙のためにリチャード・アヴェドンが撮影した写真の別テイクが使用されています。

「ハーパーズバザー」1952年2月号

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オープニング・タイトル徹底解剖③ 口論する淑女たち


そして、ツイードのスカートスーツを着た二人のファッションモデルが口論する姿が現れます。この写真は、「ハーパーズバザー」の1955年2月号の表紙のためにリチャード・アヴェドンが撮影したドヴィマとサニー・ハーネットの写真の別テイクが使用されています(サニーの不貞腐れた表情とドヴィマの受けて立つわよ的な表情のギャップが素敵!)。

「ハーパーズバザー」1955年2月号

ドヴィマのこの横目が素敵!

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オープニング・タイトル徹底解剖④ 宝石美女


次に、車の中でターバンを巻いた美女が、ゆったりとフォックスファーのストールを巻きつけ、デコルテの上に煌めくダイヤモンドのネックレスを覗かせながらこちらを見つけている姿が現れます。

この写真は「ハーパーズバザー」の1954年10月号の表紙のためにリチャード・アヴェドンが撮影したチェリー・ネルムスの写真の別テイクが使用されています。

「ハーパーズバザー」1954年10月号

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オープニング・タイトル徹底解剖⑤ 伝説の写真


そして、「ハーパーズバザー」の中で〝伝説〟となった写真の別テイクが登場します。ブラックスカートにルーズシルエットのレッドシャツに、アフリカ風にアクセを重づけして、レッドスカーフを頭に巻いている美女の姿です。

この写真は「ハーパーズバザー」の1954年5月号の表紙のためにリチャード・アヴェドンが撮影したクレア・マッカーデルのキモノスタイルのジャケットを着たモデルの写真の別テイクが使用されています。

この表紙が〝伝説〟となった理由は、ダイアナ・ヴリーランドが撮影のために後ろ向きに着させたという逸話があるからです。

「ハーパーズバザー」1954年5月号


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オープニング・タイトル徹底解剖⑥ UFOをかぶるドヴィマ


次に登場するのは、UFOのような白のヘッドドレスにエメラルドグリーンのアイシャドウと真紅リップの美女のアップです。

この写真は「ハーパーズバザー」の1955年10月号の表紙のためにリチャード・アヴェドンが撮影したドヴィマの写真の別テイクが使用されています。

「ハーパーズバザー」1955年10月号

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オープニング・タイトル徹底解剖⑦ スージー・パーカー


そして、胸の谷間を強調するUラインシャツに黄色のサブリナパンツ姿で、赤い布の上に横たわる美女の姿。腰に同じ黄色のマフラーをスカーフベルトにしているのがとてもお洒落です。

この写真は「ハーパーズバザー」の1955年5月号の表紙のためにリチャード・アヴェドンが撮影したスージー・パーカーの写真が使用されています。そして、彼女こそが、オードリーが演じたジョー・ストックトン役にインスパイアを与えた人でした。

「ハーパーズバザー」1955年5月号

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オープニング・タイトル徹底解剖⑧ バレンシアガ


次に登場する三つの写真のインパクトが凄いです。日本人には、ねずみ男や雪ん子にしか見えないのですが、バレンシアガのフード付きボディコンシャスドレスです。

この写真は「ハーパーズバザー」の1955年11月号の表紙のためにリチャード・アヴェドンが撮影したドヴィマの写真の別テイクが使用されています。

「ハーパーズバザー」1955年11月号

夜中に街で出会ったら、ビックリするファッションです。

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オープニング・タイトル徹底解剖⑨ マリーンルック


いよいよ最後に近づき、一転して赤のボーダーシャツとショートパンツのマリーンルックの女性が現れます。エフォートレスな中に気品溢れる、グレース・ケリーのようなカジュアル・エレガンスなムードがにじみ出ています。

この写真は「ハーパーズバザー」の1951年6月号の表紙のためにリチャード・アヴェドンが撮影した写真の別テイクが使用されています。

「ハーパーズバザー」1951年6月号

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オープニング・タイトル徹底解剖⑩ ジーン・パチェット



最後に羽を持つ、シャーリー・マクレーンのような美女のスマイルを経て、両手で顔をチューリップのように包み込む『奥様は魔女』のエンドラ・メイクの美女が大トリをつとめます。

この写真はリチャード・アヴェドンが「ハーパーズバザー」のために撮影したジーン・パチェットのファッション写真の別テイクが使用されています。ハリー・ウィンストンのエメラルド・リングとヴァンクリーフ&アーペルのターコイズ・リングをつけています。


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オープニング・タイトル徹底解剖⑪


このオープニング・タイトルが世に出た瞬間、映画史においてはじめてファッション業界とハリウッド映画業界が結びついたのでした。そして、この作品により、ファッションの中心は、ヨーロッパからアメリカへと移行していくのでした。

その始まりのきっかけは1954年のココ・シャネル「カムバック・コレクション」に対するアメリカのファッション雑誌の評価と『麗しのサブリナ』及び『泥棒成金』などの作品におけるパリモードを効果的に発表する場としてのハリウッド映画の新しい役割からはじまったのですが、本作により、その流れは決定的なものとなりました。

ラグジュアリー・ファッションは、アメリカ市場というフィルターを通して大衆にアプローチすることにより、拡大の一途を辿ってゆくのでした。

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リチャード・アヴェドン<ファッションをアートにした男>

『パリの恋人』撮影中に、フォトグラファーの所作をフレッド・アステアに教えるリチャード・アヴェドン。

リチャード・アヴェドンとヴェルーシュカ、1967年。

あなたは世界からファッションを切り離すことは出来ない。ファッションとは生きることそのものです。・・・女性の服や帽子の下に存在する何かを撮影することが、私の本当の仕事であり、そのためにドレスデザイナーは、布の生地感、形、パターンを私に貸してくれているのです。

リチャード・アヴェドン

リチャード・アヴェドン(1923-2004)は、ファッション・フォトグラファーとしてもポートレイト・フォトグラファーとしても、現在のアートに大いなる影響を与えている伝説のフォトグラファーです。

10歳のときに自宅の上に住む大作曲家セルゲイ・ラフマニノフのスナップ写真を撮ったことから彼のカメラに対する情熱ははじまります。1944年に『ハーパーズバザー』からキャリアをスタートし、コロンビア大学で哲学を学んだ(ただし中退し、第二次世界大戦に参加した)バックグラウンドも影響しているのでしょう、実に思索的かつ躍動感に満ちた独特な生命力に満ちたファッション・フォトを輩出しました。

1946年より、『ヴォーグ』や『ライフ』の写真も撮影するようになり、1947年8月に『ハーパーズバザー』のパリ・コレクションの写真撮影のため編集長カーメル・スノーに同行したアヴェドンは、ディオールの「ニュールック」を撮影することになるのでした。

ハーパーズバザーとあなたの仕事が、フランスの経済にとってどんな意味があるかわかっているのですか?私たちは、幻想的なパリを再現しなければならないのです。

カーメル・スノー

戦後間もないパリの現実は厳しく、食料も燃料も繊維も不足していました。しかし、スノーとアヴェドンは、アメリカ人から見た〝ファッションの都パリ〟を作り出していきました。ファッション・モデル達は、石畳の間に生える草、剥がれ落ちるファサードを背景に、ディオールなどを着てポーズを取りました。あえて、背景に厳しい現実が忍び込んでいます。しかし、夢が現実に勝ったのでした。

ドヴィマ・ウィズ・エレファンツ


そんな彼のハイライトは、1955年にイヴ・サンローランがデザインしたディオールを着て撮影された「ドヴィマ・ウィズ・エレファンツ」です。

それは、人間というよりは、キリンやヒョウのようなしなやかさを持った女性(ドヴィマ)と、サーカス団の象の奇妙な共存であり、共に無関心な空間が生み出す共犯関係という、後のファッション・フォトに対して、革命的な影響を与えることになる、ファッションとアンチファッションの共存が生み出すモード感の創世でした。

そんなアヴェドンの有名な写真の中に、本作が公開された年(1957年)に撮影されたマリリン・モンローのポートレートがあります。

リチャード・アヴェドンとマリリン・モンロー



若さが私の心を揺り動かしたことはない。若々しい顔に美を見出すことはまずない。私が美を見出す例を挙げて見よう。それは年輪を重ねたサマセット・モームが唇をへの字にした瞬間にである。

リチャード・アヴェドン

最も有名なモンローのポートレイトは三番目です。この写真の魅力は、その他の写真二枚との対比によって見るものの心を打ちます。それはマリリン・モンローを演じている女性の撮影終了後のショットでした。

写真は、その人のコンディションによって見えてくるものが違ってきます。そして、アヴェドンは、そんな写真の可能性をより正確に突き詰めたフォトグラファーでした。だからこそ、彼は象と人間を撮るように、マリリン・モンローとマリリン・モンローを演じていた女性を撮る事が出来たのでした。

作品データ

作品名:パリの恋人 Funny Face (1957)
監督:スタンリー・ドーネン
衣装:ユベール・ド・ジバンシィ/イーディス・ヘッド
出演者:オードリー・ヘプバーン/フレッド・アステア/ケイ・トンプソン/ドヴィマ