オードリー・ヘプバーンとイーディス・ヘッド
マレーネ・ディートリッヒと同じように、オードリーの仮縫いも十分ではすまず、むしろ十時間かかった。彼女は自分をどう見せたいか、どうすればいちばんよく見えるかを知っていたが、それでいて尊大な態度を示したりうるさく注文をつけたりはしなかった。あのかわいらしさと優しさを見せられると、一人娘を校内ダンス・パーティに送り出す母親のような気分にさせられたものだ。
イーディス・ヘッド
「普通の女の子よりも一歩だけ先に行く」これがイーディス・ヘッドの衣装哲学でした。ローブ・デコルテとティアラで気品溢れる若きプリンセスの姿を演出した後に、寄宿学校の娘たちが着るようなネグリジェを着せて等身大の女性の姿を挟み込みました。この事により、3段階変化で、アン王女が一日限りの女の子アーニャに変身を遂げる姿が、私たちの目に違和感なく入ってきます。
イーディスが一番苦心した衣装が、その第3段階の衣装であるアーニャの衣装でした。衣装イメージの決め手となったのは、オードリー・ヘプバーンのアドバイスでした。彼女の普段着を参考に、王女であるならば、最新の流行には無頓着なはずだという発想で生み出されたファッションが、アーニャ・ルックでした。

衣裳の打ち合わせをするオードリーとイーディス。オードリーがファッション誌を片手にアイデアを出し、イーディスがデザイン画を書き、形にしていく。1953年。
アン王女 スタイル9
アーニャ・スタイル
- コットンのプレーン・ブラウス。チョークストライプ。ボウタイ付き
- ブラウンのサーキュラースカート
- オードリーのアドバイスで取り入れたブラウンの太ベルト
- 白のショートグローブ
- ローヒールパンプス
普段からオードリーは、男性用のオーバーサイズの白いシャツに、黒系のフレアスカートを合わせ、細いウエストを太いベルトで強調するスタイルが好きでした。そして、バレリーナ時代から愛用していたバレエシューズを合わせていたのです。
当時フラットシューズを履くヒロインは映画では珍しかったのですが、アン王女はアーニャとして、堅苦しいパンプスからフラットシューズに履き替える選択をしたのでした。

イーディスのスケッチに合わせて衣装合わせしていくオードリー。

メキシコで休日中のオードリー。アン王女の休日スタイルは、彼女のプライベートの装いをアレンジしたものでした。1953年。
ローマの休日は、スタイリングの教科書

今ではドレス姿ではないプリンセスイメージと言えば、このスタイルが定番となりました。

鉢合わせする二人。ブラウスのスリーブの膨らみが上質なコットンであることを教えてくれます。

ロングヘアーに、襟元までしっかり留めたボウタイ付きのブラウス。太ベルトも印象的。
アン王女からアーニャへと変わる姿。この作品の素晴らしさは、アーニャの衣装は、パジャマを除くとこのコットン・ブラウス×サーキュラースカート一組なのです(最後のジョーのアパートでのガウン姿の時点では、精神的にアン王女に戻っている)。しかし、映画の中で、衣装が3回ほど変わっている錯覚を覚えるのです。
女性の心の変化をファッションに託す。そんなファッションの本質が、散りばめられています。
素材がペラペラの、大量生産された、サイズ感も合っていないユルいシルエットの衣服では決して表現できないファッションの儀式。それがスタイリングです。プチプラコーデの根底に潜むのは、全部が全部そうだとは言いませんが、静止画と画像加工による見栄っ張り精神だと私は考えます。
そのような繊細さに欠ける見掛け倒しの「愛着を生まない衣服」では、決して出来ないことを、ここで披露してくれています。同じブラウスがちょっとした工夫によって、アーニャの全体の雰囲気まで変えていきます。スタイリング=着こなしとはどういうことかを教えてくれるのが、この作品の魅力でもあるのです。
ひとつひとつの変化を楽しむ=ファッションを楽しむ

宮殿を抜け出して、ポケットに手を入れて、ウィンドウを見るアン王女。「気が向くままに散歩する」喜び。

グラディエーターサンダルを履くアン王女。

この写真がはっきりとこのブラウスの形状を示しています。メイクチェックするワイラー監督。
オードリー・ヘプバーンは、女性たちをどれほどの重圧から解放したことか。美人だと思われようとして頭が空っぽなふりをする必要はもうなくなったのだ。
『ローマの休日』でオードリー・ヘプバーンを初めて見た若い女性の半分は、ブラに詰め物をするのも、無理をして細いハイヒールで歩くのもやめた。
ニューヨーク・タイムズ
アーニャの着こなしの変化の過程を見てみましょう。ショートグローブを手に取り(恐らくエルメスと思われる)ジョーのアパートメントから、お昼過ぎのローマの市場に繰り出します。アン王女が、その存在を隠すために、そして、何よりも自分がしたかったことは、2つのことでした。
- ポケットに手を突っ込んで歩くこと
- 堅苦しい靴から、楽なグラディエーター・サンダルに履き替えること
そして、ローマの休日ははじまる

本作には登場しない幻のショット。水を見て触れることが出来る喜びに浸るアン王女。

スペイン広場の有名なシーンにおいてはまだハンカチーフを首に巻いていない。
ハイウエストのスカートにあまりを残さないようにシャツインしているブラウス。隠し切れない育ちの良さに包まれたアン王女が、市井の人々が生きる市場の空気に触れ、ポケットに手をつっこみます。この時、アン王女はアーニャになりました。
そして、すぐに袖を軽くまくります。市場で最後にしたことは、靴を買うことでした。ローヒールパンプスからフラットシューズに履き替えたのでした。靴によって、アーニャのスタイリングは一気に進行していきます。一人の女性の雰囲気が一組のシューズで変貌する姿を私達は目撃するのです。
次に、トレビの泉近くの美容室でヘアカットしたアーニャは、スペイン広場に向かいます。向かう途中で、ブラウスの袖をさらにまくりあげ半袖のようにロールアップします。しかし、まだボウタイはきっちり付けています。ジェラートを購入し、広場の階段の端に座った時に、はじめてボウタイを外し、胸元を開き、「あ~空気がおいしいわ」という風にアーニャは顎を上げて、広場の開放的な空気を満喫するのです。さぁ、ローマの休日のはじまりです。
コンプレックスを生かすオードリー

コロッセオのシーンのスチール写真。ハンカチーフを手に持っている。
コロッセオ観光を終えて、べスパに乗るシーンで、アーニャははじめてハンカチーフを首に結びつけます。そして、「真実の口」のシーンで、アーニャのブラウスの袖はフレンチスリーブ風になります。開放的なスタイリングが彼女の躍動感の後押しをするかのように、べスパを暴走させたり、アーニャはお転婆娘のような無邪気さに包まれるのです。
特にオードリーの麒麟のような長い首に、ハンカチーフを巻きつけるその姿が印象的です。それは野生的な美少女のような健康美に満ち溢れています。しかし、この長い首がすごくチャーミングに見えるのは、ウィリアム・ワイラー監督が提案した胸パッドの使用を、オードリーが拒否したことによって生まれたものでもありました。長い首に、ブラウス越しでもわかるぺっちゃんこの胸。ありのままの姿を見せるその清々しさが、オードリー・ヘプバーン=〝妖精〟というイメージを私たちに与えたのです。そうです。真のファッション・アイコンとは、飾らず生きる姿勢が女性への共感を生み出すのです。
オードリーのコンプレックスと言えば、角張った顎でした。本作においてオードリーのメイクを担当したのが、後に『昼下りの情事』『シャレード』『おしゃれ泥棒』『いつも2人で』といったオードリー作品のメイクを担当することになるアルベルト&グラツィア・デ・ロッシ夫妻です。
アルベルト曰く「オードリーは美しい骨格の持ち主だったので小細工は必要なかった」のですが、顎のラインが強すぎたので、それを隠すためにこめかみを強調したといいます。さらに、オードリーの眉毛を薄くしすぎないように気をつけていたと言います。
コンプレックスを整形で克服する姿勢は、結果的には、何を私たちにもたらすのでしょうか?一時の自信は、過信へとつながり、その後の、自信喪失へとつながりやすいのはなぜでしょうか?
作品データ
作品名:ローマの休日 Roman Holiday (1953)
監督:ウィリアム・ワイラー
衣装:イーディス・ヘッド
出演者:オードリー・ヘプバーン/グレゴリー・ペック/エディ・アルバート