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【カルティエ香水聖典】あなたとひとつになることが出来る〝見えないジュエリー〟

カルティエ
©Cartier
カルティエブランド香水聖典
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カルティエ

Cartier カルティエの歴史は、1847年に宝石彫刻師ルイ=フランソワ・カルティエ(1819-1904)が師匠からジュエリー工房を受け継いだことからはじまります。そして1898年に創業者の孫であるルイ・カルティエ(1875-1942)がメゾンの経営に加わり、1899年にヴァンドーム広場北側のラペ通り13番地へ移転してから、「ガーランドスタイル」により本格的なハイジュエラーとしての道を突き進んでいくことになります。

1904年には、英国王エドワード7世の御用達となり、有名な「王の宝石商」という言葉で称えられ、その後ロシア=ロマノフ王朝などの王室御用達に認定されていきます。

そして1933年にジャンヌ・トゥーサン(1887-1976)が、ルイ・カルティエの跡を継ぎクリエイティブ・ディレクターに就任し(1970年まで)、「ラ パンテール」の通称と共に〝カルティエの母〟としてメゾンを最高峰のハイジュエリー・ブランドにしていったのでした。

カルティエの存在が世界中に知れ渡った瞬間、それはハリウッド映画『紳士は金髪がお好き』(1953)で、マリリン・モンローが歌い踊る「ダイヤモンドは女の親友」の中で、その名が上げられた時でした。この時、カルティエは世界中の女性たちのベスト・フレンドになったのでした。

そして満を持して1981年に、メゾンではじめての香水「マスト ドゥ カルティエ」を発表し、ヴァン・クリーフ&アーペルに続いてハイジュエラーとしてフレグランスを販売するブランドとなったのでした。

2005年には、ゲランで11年間、四代目調香師ジャン=ポール・ゲランの右腕として活躍してきたマチルド・ローランを、ブランド初の専属調香師として起用し、今に至ります。

代表作

マスト ドゥ カルティエ(1981)
パンテール(1987)
デクラレーション(1998)
ロードスター(2008)
ラ トレージエム ウール(2009)
ベーゼ ヴォレ(2011)
ラ パンテール(2014)
カラット(2018)

マチルド・ローラン カルティエの専属美人調香師
レ ズール ヴォワイヤジューズの全て
レ ズール ドゥ パルファンの全て
レ ゼピュール ドゥ パルファンの全て

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〝ラ パンテール〟ジャンヌ・トゥーサンの野望

〝ラ パンテール〟ジャンヌ・トゥーサン

カルティエは、ルイ=フランソワ・カルティエ(1819-1904)により1847年に創業されました。そして、現代のカルティエのスタイルを確立したのが、初代の孫にあたる三代目の当主ルイ・カルティエ(1875-1942)によってでした。

ルイは1899年に、どこよりも先に、プラチナの秘められた可能性を見抜き、世界で初めてプラチナを組み合わせた革新的なスタイル=「ガーランド・スタイル」を発表しました。

1904年にはカルティエ初の男性用腕時計『サントス』を発売し、同年、エレガンスの究極の形とも言える「ガーランド・スタイル」が認められ、英国王エドワード7世の御用達となり、有名な「王の宝石商」という言葉で称えられたのでした。

ルイは、自分の最初の妻アンドレが、(ポール・ポワレ、ココ・シャネルと共にメゾンの香水進出を先導した)ジャック・ウォルトのいとこだったこともあり、香水に興味を持っていました。アンドレとは1909年に離婚したのですが、ウォルトの孫息子がルイの妹スザンヌ(1885-1960)と結婚したため、両家の絆は強いものとなっていました。

そして、1938年にルイはカルティエの香水を生み出すために、カルティエの名前を香水の商標として登録し、1933年からルイの後を継ぎクリエイティブディレクターとなったジャンヌ・トゥーサン(1887–1976)に最初の香りの構想を練らせたのでした。

しかし、1939年に第二次世界大戦が勃発し、カルティエ初の香水は幻のものになってしまいました。

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1981年に誕生したカルティエの最初の〝見えないジュエリー〟

「マスト ドゥ カルティエ」1981年 ©Cartier

1970年までカルティエのクリエイティブディレクターをつとめたジャンヌ・トゥーサンは、〝ダイヤモンドに相応しい香り〟を生み出すという野望を叶えることが出来ませんでした。

しかし1975年に、「マスト ドゥ カルティエ」を生み出した功労者としてアラン・ドミニク・ペラン(1942-)が社長に就任し(1998年まで)、1977年にヴェルメイユ仕上げのカラーダイアルを持つ「マスト ドゥ カルティエ」ウォッチの最初のコレクションが発表されました。

そんな中、1976年にヴァン・クリーフ&アーペルの「ファースト」が成功を収め、カルティエはいよいよ本気で、香水部門に乗り出していくことを決意したのでした。

そして、「ファースト」を成功に導いた、ヴァンクリーフ&アーペルが新設したパルファム部門の社長クロード・ソジェ(Claude Saujet)を1980年にカルティエが新設する香水部門のトップとして引き抜いたのでした(1985年まで)。

かくして1981年に「マスト ドゥ カルティエ」は誕生し、新しいオリエンタルの香りとして、カルバン・クラインの「オブセッション」(1985)、ラウラ・ビアジョッティの「ローマ」(1988)、ディオールの「デューン」(1991)、ゲランの「アンジェリーク ノワール」(2005)に影響を与えたのでした。

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カルティエの香水は三人の女性により誕生した。

ヴェロニク・ゴティエ ©Giorgio Armani

レア・ヴィニャル・ケネディ ©Cartier

私は調香師としてフレグランスを創作するだけではなく、そのストーリーの開発、ネーミングの決定、パッケージの開発、販売員のトレーニングにも携わっています。嗅覚の専門知識は香水だけにとどまりません。

マチルド・ローラン

1994年に、カルティエのインターナショナル・マーケティング・ディレクターのベルナール・フォーナス(1984年から94年にかけてゲランにいた。そして、2002年にカルティエのCEOとなる)が、ヴェロニク・ゴティエをカルティエの香水部門の責任者(1994-2000)に起用しました。彼女こそが、後にエルメスにおいて、〝エルメスの庭〟旋風を世界中に巻き起こす立役者となる人でした。

ヴェロニクは、1998年にジャン=クロード・エレナと「デクラレーション(デクララシオン)」を大ヒットへと導き、カルティエ香水の礎を築いていきました。

時は経ち、2005年に、マチルド・ローランはベルナールから、カルティエのためにオーダーメイドでジュエリーを作るように、香水を作って欲しいという要請を受け、カルティエ初の専属調香師として入社することに同意しました。5万ユーロという破格の値段で作られるカスタム・フレグランス・サービスが、2005年12月にパリでリニューアル・オープンされた本店でスタートしました。

さらに、2013年7月に、カルティエの香水部門の新たなる責任者としてレア・ヴィニャル・ケネディが就任したのでした。彼女は、1997年にイヴ・サンローラン・ボーテに入社し、2010年まで11年間、シセイドー・パリで、ゴルチエやナルシソ・ロドリゲスの香水部門の責任者として働き、実績を残してきた人でした。

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マチルド・ローランの逆襲

5万ユーロ(約660万円)の笑顔を持つ女。©Cartier

カルティエにとって、香水はファッション・アクセサリーではなく、身につける人の魂に語りかけるひとつの言語なのです。ガストン・バシュラールが言ったように「過去においても現在においても、愛される香りはすべて親密さの中心である」ということなのです。

美の創造という骨の折れる仕事に対して信じられないほど献身的な小さな香水メーカーもあれば、ご都合主義的なブランドの香水もある。私は、香水を選ぶことは一票を投じることだと常々言ってきた。価値観に一票を投じることであり、責任ある、できれば持続可能な芸術的プロセスに一票を投じることなのだ。

マチルド・ローラン

マチルド・ローランは、2008年にレギュラー・ラインのフレグランスとして「ロードスター」を発表しました。そして、2009年にブランド初のラグジュアリー・コレクション「レ ズール ドゥ パルファン〝香水の時間〟」をローンチし、12までではなく、13まで数字が存在する〝香りの時計盤〟を始動させたのでした。

さらにレア・ヴィニャル・ケネディの指揮の下、カルティエを象徴するパンテールの香り「ラ パンテール」を誕生させ、同年「レ ズール ヴォワイヤジューズ」=〝旅人たちの時間〟という名のこのコレクションで、東洋の神秘の旅の象徴とも言えるウード(沈香)の再解釈をスタートしたのでした。

2016年にカルティエのCEOに就任したシリル・ヴィニュロン(1961-)は、かつてカルティエ・ジャパンのマネージングディレクター、LVMHジャパン社長を歴任した人であり、この人がCEO就任と同時に、〝カルティエの香水帝国〟の実現を宣言しました。

この号令により、2020年11月12日に、「レ ゼピュール ドゥ パルファン(香水のスケッチ集)」の三種の香りと共に、日本に本格上陸を果たす流れを生み出したのでした。

今のところ、カルティエジャパンでは、フレグランスのトレーニングが行われていないため、ブティックに鎮座している香水は、本当に〝見えないジュエリー〟になってしまっています。しかし、日本通のカルティエCEOは、この嘆かわしい現状を、近いうちに把握し、解決していくことでしょう。

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2021年に移動したカルティエのラボ。

©Cartier

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2021年に、ジャン・ヌーヴェルがデザインしたカルティエ現代美術財団のペントハウスから、フォーブル・サントノレ通りにあるカルティエ・ブティックのペントハウスにラボを移動しました。エルメス本社を見下ろす空中庭園がある素晴らしいロケーションです。

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レ ネセセール ア パルファンについて

©Cartier

©Cartier

©Cartier

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2021年4月28日に、カルティエから発売された「Les Nécessaires À Parfum(レ ネセセール ア パルファン)」は、日常の中のエレガンスを追求した香水ケースと選りすぐりの香りがひとつになった新しいコレクションです。

30mlのスリムなポケットサイズな香水ケース(86,790円)は、20世紀初頭のカルティエの歴史的なクリエイションであるヴァニティケースを呼び起こします。「ラ パンテール」「ルール ミステリユーズ」「ウッド & サンタル」「ピュール キンカン」「ピュール マニョリア」などの香りから選べるようになっています。