インダルト パリ
Indult Paris 2009年に「メゾン フランシス クルジャン」を創業する3年前にあたる2006年4月9日に、フランシス・クルジャンが、ジュリアン・マセリと共にインダルト パリを設立しました(2007年1月より香水販売は開始された)。
ブランド名はラテン語の〝Indultum=恩恵〟に由来し、フランス国王またはローマ法王が高貴な個人に与える特権を意味します。それぞれ999本限定の生産数の3種類の香りからはじまりました。
2010年すっかり衰退しつつあったこのブランドをクルジャンから譲り受けたキム・チャールズにより、2013年、ブランドは復活し、2024年10月〝天国にいちばん近い純粋なバニラの香り〟と世界中で今もSNSで話題になり続けている香り「ティオタ」と共に、日本に初上陸を果たしたのでした。
全作品
イスバラヤ(2006)
ティオタ(2006)
マナカラ(2006)
キュイール404(2008→2024)
2024年のサロンドパルファンの話題を独占した「インダルト」とは?
すべては当時24歳の青年の卒業論文からはじまりました。シュップ・ドゥ・リュクスの卒業式の日1994年7月20日に、この論文に感心していた指導教官であった調香師のジャック・キャヴァリエが、審査委員のシャンタル・ルースにこの青年を紹介し、ジャン=ポール・ゴルチエの「ル マル」が誕生しました。
この青年の名をフランシス・クルジャンと申します。1995年1月に発売されたこの香りは、あらゆるメンズフレグランスの魅力を兼ね備えた〝男の魅力の核弾頭〟として、爆発的なヒット作となりました。
デビュー作で、すごい香りを生み出してしまったクルジャンは、その後、しばらくスランプに悩んでいました。しかし、2005年にヴェルサイユ宮殿のために、『マリー・アントワネットの調香師 ジャン・ルイ・ファージョンの秘められた生涯』の著者であり歴史家のエリザベット・ド・フェドーのサポートにより生み出された、マリー・アントワネット王妃の香り「M.A. シヤージュ ドゥ ラ レーヌ」により、見事復活を遂げたのでした。
そして2006年4月9日に、ジュリアン・マセリと共にインダルト パリを設立し、2007年1月より3種の香りの販売が開始されたのでした。ブランド名はラテン語の〝Indultum=恩恵〟に由来し、フランス国王またはローマ法王が高貴な個人に与える特権を意味します。
最初のコンセプトは、それぞれの香りがパリサンダーの木箱に納められ、999本限定で発売され、この購入者のみが永遠に同じ香りを注文できるという、まさに〝選ばれしもの〟のみが手に入る香水という位置づけでした。
不死鳥のように蘇る『4つの聖なる香り』よりはじまる新たなる伝説
2009年にクルジャンは「メゾン フランシス クルジャン」を創業することになり、先に述べたインダルト パリのブランディングにも失敗し、終了する可能性が生まれた時、キム・チャールズがその精神を引き継ぎ、2013年にブランドは復活を遂げ、今に至ります。
すべてのきっかけは、香水愛好家である実業家のキムが、2010年のある日、ニッチ・フレグランス・ショップで「マナカラ」を衝動買いしたことからでした。200本以上の香水をコレクションしている彼は、今まで50本から100本香りを嗅いだ上で香水を購入していたので、衝動買いすることはありませんでした。
そんな彼の心を一瞬で捉えたこの香りの背景がすごく気になった彼は、帰宅してすぐに調香師を調べてびっくりしました。「マナカラ」を作った調香師は、彼が普段から愛用しているメゾン フランシス クルジャンの調香師だったからです。
そして丁度メゾン フランシス クルジャンから(上客様に向けての)新作発表会の招待状が入っていたこともあり、キムは早速「マナカラ」と「ル マル」をはじめとするクルジャンの全ボトルを持参し、発表会を訪問し、約一時間かけて全ボトルにサインをもらったのでした。そして、クルジャンからブランドが消滅する予定であることを教えられ、買収を決意したのでした。
2013年にブランドは4種の香りで再開されました。さらに2021年には、3年の時を費やし、ナタリー・ ファイツァー(エルメスの「オー デ メルヴェイユ」)による、バニラとコーヒーが匂い立つホワイトフローラルの香り「My Ju-Ju」を、13年ぶりの新作として発売しました。
2024年10月のサロンドパルファンから日本初上陸を果たし、今後、クルジャンに匹敵する超一流の調香師の協力によりインダルト パリの世界は広がっていく予定です。