ル ラボ
Le Labo 香水の都グラースで一人の天才調香師と出会った二人の若者が、2006年2月にニューヨークで小さなフレグランス・ブティックをオープンすることになりました。そしてこの小さな香水ブランドが、目を付けたニューヨーク在住の日本人男性が居ました。やがて、2011年に、2010年代を象徴するひとつの香りをこのブランドは誕生させ、21世紀最大の香水革命を起こすことになるのでした。このブランドの名を「ル ラボ」と申します。
すべてのはじまりは、ロレアルグループでアルマーニのフレグランス部門で働いていた、ファブリース・ペノーとエドゥアル・ロスキー(エディ・ロスキー)という二人の青年の出会いからはじまりました。イタリアで、ジョルジオ・アルマーニとのミーティングで顔を合わせ、色々話しているうちに、意気投合し、いつか新しいことをはじめたいと考えていました。
そして、グラースで、ジャン=クロード・エレナのラボで研修を受けた後、二人の思いは確信へと変わりました。3年の準備期間を経て、2006年にマンハッタンのノリータでブティックをオープンし、10種類のフレグランスとひとつのキャンドルを発売しました。そして、その中から「ローズ31」というベストセラーが生み出されました。
2011年に発売された「サンタル33」が、ルラボを大きな成功へと導いてゆきました。2013年までに、この香りは、世界中のファッショニスタが愛用する香りとなりました。そして2014年にエスティローダー傘下に入ることにより、ルラボは商品の流通の安定と、店舗展開の拡大を果たすことになりました。
2008年よりはじまるシティ・エクスクルーシブという概念も、フレグランス業界に衝撃をもたらした天才的なアイデアとして、現在でも人々がルラボに魅了される要因の一つとなっています。
2ページ目ル ラボの香水年代順コンプリート
代表作
アンブレット9(2006)
パチュリ24(2006)
ベルガモット22(2006)
ローズ31(2006)
ガイアック10 東京(2008)
アナザー13(2010)
サンタル33(2011)
テ ノワール29(2015)
マッチャ26(2021)
ラヴァンド31(2023)
人気シリーズ
権威主義を忌み嫌う、反骨精神を持つ二人の青年。
まず最初にルカ・トゥリンの『世界香水ガイドⅡ』からの引用を
2009年に出版された時、既に香水界の権威だったルカ・トゥリンに対するル ラボ創業者二人のこの対応が、このブランドの本気を示していました。〝私たちはネクタイと権威主義が嫌いだという共通点ですぐに友人になりました〟と回想する反骨精神溢れる二人の青年が生み出したブランドについてこれからお伝えさせていただきます。
ファブリース・ペノーとエディ・ロスキー
フランス語で〝ラボ(研究所)〟を意味する、ル ラボ(Le Labo)は、ファブリース・ペノーとエディ・ロスキーにより、2006年2月に創立されました。
エディ・ロスキーは、1972年1月にスイスのイタリア語圏であるルガーノで生まれました。香港とブラジルのサンパウロで育ち、スイス連邦工科大学ローザンヌ校で化学工学の学位を取得した後、フィルメニッヒに勤める友人から、香りを開発する会社があることを聞き、6ヶ月のスイス兵役を終え、フィルメニッヒで、アフリカと中東担当のアカウントディレクター(主に粉末洗剤、柔軟剤、シャンプーなどの機能性香水)として働くことになります。
4年間在籍し、1999年にパリのINSEADでMBAを取得した後、ロレアルに転職し、エンポリオ・アルマーニのマーケティング・ディレクターとしてフレグランス開発に関わることになりました。そして、4年間働いた後、独立する決断をしました。
一方、ファーブリス・ペノーは、1973年9月にパリで生まれ、元々作家志望で、パリのロレアルで広告の仕事をしていた時に、グラースでジャン=クロード・エレナのセミナーを受け、香水愛に目覚め、ヴェルサイユとスイスでフィルメニッヒで研修を受けました。
そして、ニューヨークのシムライズで経験を積んだ後、アルマーニ・プリヴェと「アクア ディ ジオ」のラインを6年間開発していました(30歳になった時、ニューヨークに移住した)。
2006年2月、ル ラボ始動する。
デザイナーズ・ブランドは、できるだけ安い原料を使い、多くの人を満足させることを目指しているので、面白すぎたり挑戦的すぎたりすることはありません。一方で、広告に多くのお金を費やしています。私たちの考え方は、香水に最大限のお金をかけることです。私たちの意図は美しい香水を作ることであり、その意図の質とのつながりを保つことです。
ファブリース・ペノー
香水は外部でテストしませんし、外部の人にセカンド・オピニオンを求めることもありません。私は、創造とは独裁であり、民主主義ではないと固く信じています。特に香水の場合、人の意見を聞くのは理想的ではありません。そうすると不当に影響され、コンセプトが希薄になり、結果として大量生産品になってしまうからです。
エディ・ロスキー
二人の青年は、イタリアで、月一度のジョルジオ・アルマーニとのミーティングで顔を合わせるようになり、色々話しているうちに、意気投合し、いつか新しいことをはじめたいと考えていました。そして、エディもグラースでジャン=クロード・エレナのラボで研修を受けていたこともあり、〝ル ラボ〟構想の実現に向けて共に進むことにしました。
2005年に二人はロレアルを退社しました。そして、派手なパッケージ、広告、アンバサダー、メディアへの露出を一切行わないという、従来のフレグランス・ブランドのビジネスのやり方とは一線を画したやり方で、世界の香水業界に風穴を開けてやろうと行動を開始したのでした。
そこでペノーとロスキーは、外部資金を一切借りずにル・ラボを立ち上げることにしました。彼らは10万ドルの自己資金をかき集め、さらに4人の友人から3万ドルの融資を得ました。更に、ペノーはマンハッタンの高級アパートを出て、6階の1LDKに住むロスキーのソファで寝泊まりしました。
一号店は、2006年2月に、ニューヨークのマンハッタンにあるノリータのエリザベス・ストリート233番地にオープンしました。建築家や請負業者に20万ドルも支払うのが惜しかったため、自分たちでブティックを改装しました。この時、改装したインダストリアルスタイルが、フレグランス・ブティックの常識を突き破ることになったのでした。
10種類の香水と1種類のキャンドルでスタートした立ち上げ時の目標は1日4本の販売でしたが、最初のホリデーシーズンには、1日75本を売り上げるまでになり、クリスマスを前に、在庫がなくなりお店をクローズせざるを得ないほど、想定外の反響を得ました。
スローパフューマリーブランドとは?
ル ラボが打ち出しているブランドの精神としてすごく興味深いのが、スローパフューマリーブランドという言葉です。ル ラボの製品はパラベン、動物性原料、防腐剤、人工着色料を一切使用していません。
スローパフューマリーブランドとは、他の多くのブランドの香水が、顧客をすぐに惹きつけるトップノートに全力投入しがちなのに対して、こちらは、肌につけて香りが落ち着いた後が大切だと考えているからです。
エディ・ロスキー
私たちは香水を値段で選んでほしくないので、どのボトルも同じ値段にしています。オードパルファムやオードトワレについて語ることはありません。それぞれのフレグランスには独自の濃度があり、それは概して高いのですが、重要なのは香りなのです。
エディ・ロスキー
ルラボの香水は、大衆にアピールするような刺激的な名前は敢えて付けられていません。その名は、処方されている主成分が名前で、その後に、配合されている成分の数が付けられているのです。
目を閉じて香水を嗅ぐ前に、精神的な影響を与えるような詩的な偏見から逃れるために、可能な限り処方に近づけるように名前を付けました。つまり、香水の香りを伝えるためにこのような名前をつけたのではありません。
香水の素晴らしさは、その美しさによって引き起こされる感覚や感情によって決まるのであって、香水の名前との一致によって決まるのではないのだ。
ファブリース・ペノー
ルラボが、〝グラース生まれ、ニューヨーク育ち〟と言っているのには、二つの意味があります。ひとつは使用されている原料のほとんどが、『香水の都』グラース産のものだからです。そしてもうひとつの意味は、二人がグラースのジャン=クロード・エレナのラボで研修を受けた時、顧客の目の前で香水を調合するというアイデアを思いついたからでした。
2007年10月、二号店が東京・代官山に誕生する。
ルラボには日本に対する強烈なシンパシーがあります。なぜなら私たちの作品はすべて〝侘び寂び〟という哲学に基づいて作られているからです。
ファブリース・ペノー
日本の哲学である「侘び寂び」、つまりシンプルな暮らしの芸術は、私たち二人の信条でもあります。不完全なもの、進化し続けるもの、未完成なものに美を見出すというもので、私たちの香りは不完全だからこそ美しいと言えるでしょう。
洗練されていないというのはいい言葉だと思うし、緊張感もある。「侘び寂び」の哲学は、私たちにとって非常によく要約されたもので、予定外のことに意味を見出すことです。
それを分かり易く喩えると、完璧な男や完璧な女はせいぜい3週間もすれば退屈になるように、完璧な香水はまったく刺激的ではない。
エディ・ロスキー
2007年10月に二号店が日本の代官山にオープンしたのは、ペノーの以下の発言がすべてを物語っているでしょう。「私たちは、東京にルラボの店を開きたいと考えている日本人男性と出会い、彼に惚れ込みました。彼は、今後10年間は利益は期待していないと私たちに話しました。それは、当時私たちが好んでいた仏教の道徳のようなものでした。」
この日本人男性こそ、当時にニューヨークに住んでいた現在のグリーンスタンプの代表取締役社長・春日政彦氏である。後に、ドルセーの日本でのブランディングに成功させたこの方は、日本の香水文化を新しいステージに引き上げた偉人でしょう。
2014年にエスティローダーの傘下に入り、更なる躍進を遂げる!
もちろん、エスティローダーは私たちに年に5つの新しい香りを発売することを望んでいるが、結局のところ、新しい香水を発売したから成功するのではなく、製品ライン全体をどう管理するかで成功するかどうかが決まるのだ。
逆に、大衆製品の場合、より多くのバージョンとより多くの量を発売することで、より成功させることができる。なぜなら、人々は香水自体と結びついているのではなく、ブランドと結びついているからだ。高級香水の場合、特に私たちのブランドのような顧客の場合、発売することが重要なのではなく、適切なものを発売することが重要なのです。
エディ・ロスキー
2012年に宿願だったパリ店がオープンし、そのすぐ後、2014年にエスティ・ローダーに売却されました(同年、エスティはフレデリック・マルを買収し、2016年にキリアンも買収しました)。ル ラボの小売売上は当時年間2000万ドルから3000万ドルと推定されているので、買収額は売上高の2倍だったと推測されています。
「これ以上効果的に成長できない規模になったら、売却を検討しようと考えていた」とロスキーが語っているように、買収寸前のルラボは15のブティックを運営し、およそ20の厳選された専門店や百貨店で販売されていました。
買収後、ルラボの事業はわずか数年で3倍に拡大し、年間売上高は6,000万ドル以上に達しました。売却後も、二人の創業者たちは、ルラボから離れていないのが、重要なポイントです。新店舗のオープンや新製品の開発に関しては、依然として二人に決定権があります。
2014年からグローバル ブランド プレジデント & クリエイティブ ディレクターに就任したデボラ・ロイヤーは、元々はロレアルの香水開発部門で働いていました。一方、ロスキーは妻のダフネ・ブジェと共に、フランスからポルトガルに翌年移住しました。
最後に、興味深い二人の創業者たちの発言を集めてみました。
香水に関して、真実は、賞味期限はありません。ル ラボでは、香水は生き物であり、いかに壊れやすいものであるかをお客様に理解していただきたいので、調合日から1年としています。
しかし、光や酸素、熱から遠ざけておけば、もっと長持ちします。通常、最初にダメージを受けるのはトップノートです。古いオーデコロンをスプレーして香りを嗅げば一目瞭然ですが、フレッシュさや明るさが昔のものとは違います。
冷蔵庫に入れておけば、香水は2~3年はフレッシュなままでしょう。車の中に置いておくと、3カ月で酸化してしまいます。高価な香水なら、冷蔵庫で保管すべきです。香水が熟成しないことを除けば、ワインと同じ原理です。
エディ・ロスキー
カフカの言葉は常に心に留めておくべき貴重な言葉である。「曲げないこと、水を差さないこと、論理的にしようとしないこと、流行に従って自分の魂を編集しないこと。むしろ、自分の最も強烈なこだわりに容赦なく従いなさい。」
ファブリース・ペノー(思い切ってブランドを立ち上げたいと考えている若い人々に対してのアドバイス)
フレデリック・マルを尊敬しています。私たちは彼と香水のビジョンを共有しています。
ファブリース・ペノー
誤解しないでほしいのですが、大量に開発された身近で安価なものの多くは、予想を裏切らないものでなければなりません。一方、高級品の分野では、それを超越した例外的な商品が生まれる確率が高い。ファッションはもちろん、ホテルでも香水でも、人々はありきたりな商品を超えた「すごい」体験をするために、特別なお金を払うことを厭わないからだ。
エディ・ロスキー
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