ココ オードゥ パルファム
原名:Coco Eau de Parfum
種類:オード・パルファム
ブランド:シャネル
調香師:ジャック・ポルジュ、フランソワ・ドゥマシー
発表年:1984年
対象性別:女性
価格:50ml/16,500円、100ml/23,100円
公式ホームページ:シャネル
ココ・シャネルの歌が聴こえてきます。
18歳のとき修道院を出たガブリエル・シャネル(1883-1971)は、1903年、20歳のとき、ムーランの小さな靴下屋に店員として雇われました。その時に、ステージ歌手になることを夢見て、「ラ・ロトンド」というカフェ・コンサートホールでコーラスガールとして掛け持ちで働くようになりました。
そして、彼女は「Qui Qu’A Vu Coco?」を持ち歌にするようになり、ココという愛称で呼ばれるようになりました。
時は過ぎ、1970年に彼女の最後の香りが完成したとき、当初は「ココ」という名で発売される予定でした。しかし、シャネル自身が、ボトルのラベルをプリントする寸前に「N°19」に香りの名を変更したのでした。
さらに時は過ぎ、1984年にシャネルの三代目専属調香師ジャック・ポルジュ(と補佐役のフランソワ・ドゥマシー)が初のウィメンズ・フレグランスを発表したとき、ついに「ココ」の名は陽の目を見ることになりました。この香りは、オードトワレだった「クリスタル」(1974)を除くと、ココ・シャネルの死後初めて発表されたフレグランスでした。
ちなみに「ココ」は二人にとって、当時人気を独占していたイヴ・サンローランの「オピウム」に対する挑戦状として生み出された香りでもありました。つまりとんでもなく高いハードルに向かってジャンプした香りだったのでした。
私はまさに羊の中に飛び込むオオカミのような心境でした。友人たちは、シャネルはもう死んでいるブランドだから関わらない方が良いと忠告してきました。
しかし、私はシャネルの精神は〝変化〟であると考えました。なぜなら1920年から1940年の間にココがやったことと、1954年から亡くなるまでの間に彼女がやったことがどれだけ違うか見てください。さらに言うと、私は彼女と同じようにあまり物事を分析しない。なぜなら、私も彼女もマーケティングではなく、本能で仕事をしているからだ。
カール・ラガーフェルド
さらに、同年、カール・ラガーフェルド(彼自身は生前のシャネルとの面識はない)により、シャネルはファッション・ブランドとしても不死鳥のように蘇りました。
まさにこの香りは、〝シャネルの復活〟をセレブレイトする役割も担うことになるのでした。
〝オリエンタル〟であり〝バロック〟な香り
ココのアイデアは、カンボン通りの店の上にある彼女のアパルトマンを訪れたことから生まれました。私はその空間に魅了されました。その3つの部屋は彼女の死後まったく手が加えられておらず、その装飾には驚かされました。私が思っていた彼女のスタイルとは正反対でした。あまりにも違っていたので、それが彼女のファッションや香水とどう関係しているのかを理解しようと努めてみました。
私は「N°5」や「N°19」に対して、常々、抽象的な花々の香りだと感じていました。しかし、私が彼女のアパルトメントで感じたのはそれとは全く違う〝バロック〟という感覚でした。
その感覚は彼女の初期の香りである「キュイール ドゥ ルシー」(1924)や「ボワ デ ジル」(1929)、「シコモア」(1930)の方が近いと感じました。
ジャック・ポルジュ
ジャック・ポルジュは、この香りを調香するにあたり、はじめてパリのカンボン通りにあるガブリエル・シャネルのアパルトメントを訪れました。そして、シャネルの生前そのままに保存されている三部屋に置いてあるヴェネチアの鏡や、東洋のコロマンデルといった調度品の数々と、彼女の勤勉さを示す膨大な書物、そして、部屋全体から感じ取る異次元のような空気に圧倒されたのでした。
「ココ」は、1977年のイヴ・サンローランの「オピウム」から始まったオリエンタル・フレグランス・ブームの集大成と言えるものでした。
この香りがゲランの「サムサラ」に与えた影響は少なくないと言われています。ボトル・デザインはジャック・エリュによるものです。ほぼオリジナルのN°5のクラシックなボトルを再現したものでした。
甘くて辛いオリエンタル・スパイシーな香り
すべての香水には先祖がいる。私にとって、「ココ」のアンバーノートは、スキャパレリの「ショッキング」(1937)の置き土産なのです。ただ、今日の私たちにはアンバーの成分に関するフィルメニッヒの研究から生まれた新しい合成香料があるため、まったく異なる解釈がなされました。
「N°5」や「N°19」が抽象的な花々の香りだとすると、私は「ココ」はアンチフローラルだと考えている。その処方には多くの花が使われているが、それらは香りのためではなく、豊かさのために使われている。それこそが、私が欠けていると感じたシャネルのスタイルであり、特徴なのだ。だからこそ、オリエンタルというよりもバロックという言葉の方がしっくりきます。
ジャック・ポルジュ
フレッシュなマンダリン・オレンジとジューシーなピーチが、アルデハイドによりかき混ぜられ、フルーティーな洋酒のように濃厚さを増す甘い香りから「ココ」ははじまります。
すぐにスパイシーなカリブ海産のカスカリラの仄かな風に乗って、(ウスパルタで収穫されたターキッシュローズのダマセノンによる)馥郁なローズとクリーミーなイランイラン、インドールたっぷりなジャスミンがパチョリによって溢れんばかりの生命力を放ちます。
やがて、(メチルイオノンにより)アイリスとバイオレットのようなパウダリーフローラルの花びらが旋回する中、焼け付くようなクローブとシナモンがベースのアンバーと呼応し、相反する要素を内包する「豊満な官能性」を示すように温かく「ココ」は輝きます。
ドライダウンは、ヴェニスのゴンドラに揺られるが如く、オリエンタルを象徴するラブダナム、トンカビーン、バニラ、サンダルウッドの四重奏に、アニマリックなシベットとイソEスーパーが加わり、艶やかさが与えられることにより、香りは最後の最後に空前絶後の輝きを放つことになるのです。
〝バロック〟 という言葉をこの香りを表す言葉として選んだのは、金色の鏡、豊かな茶色のテクスチャー、彫刻が施された木材、漆塗りのコロマンデルの屏風など、彼女のアパルトマンの雰囲気にマッチしていたからだ。彼女がヴェニスから持ち帰った宝物でいっぱいの、とてもバロックな雰囲気の部屋です。
「ココ」は私のオリエンタルの解釈になった。それはヴェニスからはじまりヴェニスで終わる。「シャリマー」はあなたをインドに連れていくだろう。「オピウム」はマラケッシュに。しかし、「ココ」が必ずあなたをヴェニスに連れ戻してくれる。この香水を作った後、ヴェニスで撮影したココ・シャネルの写真を何枚も目にしました。それはまさに自分の方向性が正しかったことを示すサインだと思った!
ジャック・ポルジュ
「オピウム」を越えたオリエンタルの香り
広告キャンペーンのミューズとして、1984年から1990年にかけてイネス・ド・ラ・フレサンジュ、1991年から1994年にかけてヴァネッサ・パラディ(「ココ」のイメージからは程遠い)、そして、1997年はシャローム・ハーロウとマノン・フォン・ゲルカンが起用されました。
その多くが、ココ・シャネルのアパルトメントで撮影されました。
ルカ・トゥリンは『世界香水ガイド』で、「ココ オードゥ パルファム」を「エレガントスパイシー」と呼び、「ココは歴史的な流れから見た方がいい。1977年にイヴ・サンローランがジャン・ルイ・シュザックの手によって「オピウム」を世に送り出したとき、香水界には衝撃が走った。驚くほど新しく、官能的で類を見ない香りをもち、名前もパッケージもまさにぴったりだった。30年経っても、これは完璧なトーンダウンの好例ととして見ることができる。」
「続く数年間、誰もがオピウムを超えようとしたが、成功しなかった。1984年に作られたココは目標を越えた初の香水で、近年、調香師のパレットに加わった香料ダマセノンの効果もその一助となっている。ダマセノンには複雑でくすんだ、エキゾチックなドライフルーツの香りがある。その60年ほど前に作られた「ミツコ」のラクトンのように、配合したものを和らげ、明るさを与える動きをもつ。」
「ココは見事なできばえを見せ、今に至るまで超えるものは現れていない。クリツィアの「テアトロ・アラ・スカラ」はいい線までいったが、とはいえ、ココにはかなり時代遅れの感があり、あと10年か20年しないと古くさい80年代のイメージを払拭できないだろう。その頃にもまだ作られていて、皆が改めて新鮮な気持ちで試せることを祈ろう。」と4つ星(5段階評価)の評価をつけています。
香水データ
香水名:ココ オードゥ パルファム
原名:Coco Eau de Parfum
種類:オード・パルファム
ブランド:シャネル
調香師:ジャック・ポルジュ、フランソワ・ドゥマシー
発表年:1984年
対象性別:女性
価格:50ml/16,500円、100ml/23,100円
公式ホームページ:シャネル
トップノート:コリアンダー、シチリア産マンダリンオレンジ、ピーチ、ジャスミン、ブルガリアン・ローズ
ミドルノート:プロヴァバンス産ミモザ、クローブ、チュニジア産オレンジ・ブロッサム、クローバー、ローズ、イランイラン
ラストノート:ラブダナム、インドネシア産パチョリ、アンバー、サンダルウッド、ブラジル産トンカビーン、ソマリア産オポポナックス、シベット、バニラ