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『007/ドクター・ノオ』Vol.4|ウルスラ・アンドレス、初代ボンドガール

ボンド ガール
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ボンドガールの誕生

女性にとって、ボンドガールという存在は、かつてはファッション誌において全く注目に値しない存在でした。彼女たちは、あくまでジェームズ・ボンドのための添え物(お色気要員)に過ぎない存在といった認識でした。

しかし、21世紀に入り、ボンドガールの歴史は、40年以上を越え、今では歴代ボンドガールから見えてくる女性像の変化の中から、〝女性がより美しくなるため〟の英知が秘められていると考えられるようになりました。

そんなボンドガールが誕生した瞬間を見ていきましょう。この作品の成功のひとつは、ウルスラ・アンドレス(1936-、友人のカーク・ダグラスのアドバイスによりまだ無名だったウルスラは出演を決めました)のビキニにあったと言っても過言ではありません。

当時の青少年たちは、ジェームズ・ボンドの大活躍を楽しみながらも、60分を過ぎて登場するウルスラ扮するハニー・ライダーの褐色の肌も待ち焦がれていたのでした。

そして、センスの悪い露出の全くないチャイナ服に着替えるシーンがやってくると、「なんでチャイナドレスじゃねえんだよ」と心の中で悪態をついていたのでした。

かくして、1960年代の青少年たちは、ボンドムービーによって、女性の足と胸の谷間に夢中になり、乳房に対する憧憬を覚えることになるのでした。以後、歴代ボンドガールたちが、世界中の青少年を〝青い誘惑〟することになりました。

特に日本人の青少年たちにとって、白人女性(脳内変換で全員がブロンドヘア)=ビキニ姿のボンドガールというイメージが定着するほどの歓喜のトラウマとなりました。

その王座の移動は、『青い体験』のラウラ・アントネッリのTVの深夜放送(池田昌子吹き替え版)まで待たねばなりません。さて話が脱線しました。女性にとってのボンドガールの失われた記憶を補充していきましょう。まずはウルスラ・アンドレスの登場です。

175cmくらいはありそうですが、実際は165cmです。

南の島とバナナとボンドガール。

タキシードを着たスパイと白いビキニを着た謎の美女。

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ボンドガールのファッション1

ホワイト・ビキニ
  • ホワイト・ビキニ。正確にはアイボリーコットン
  • 白のブリティッシュアーミーベルト。左にナイフホルダー
  • ペールピンクのボタンダウンコットンシャツ、前立てなし

貝殻を集めマイアミで売り生計を立てている美女ハニー・ライダー。

ビキニと腰につけたナイフのアンバランスさ。

とても重要なのは、ウルスラの肉感的なボディが、ナイフに負けていないということ。

実際に運動神経の良いウルスラ。リアル・アマゾネスとも言える元祖筋肉美女です。

少し、クラウディア・カルディナーレに似ています。

すごいボディラインです。

永世中立国スイス出身。でもあなたは男性の侵略者でした。

ペールピンクのボタンダウンシャツ

水に濡れたシャツの透け感に見とれるJB。

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本作からビキニの歴史は始まりました。

ハニー・ライダーを象徴する完璧なショット。

60年代、世界は南の島に夢中でした。

彼女のスタイルは、21世紀のグラビアフォトにも影響を与え続けています。

私は百科事典から全てを学んだの。8才の時、Aからはじめて、今はTよ。たぶんあなたより物知りよ。

ハニー・ライダー

物語が62分の時を刻み、はじめて登場する初代ボンドガール、ハニー・ライダー。

ジャマイカの海の中からヴィーナスのように現れる美女に、世界は衝撃を受けました。失神したジェームズ・ボンドが目を覚ますと、エメラルド・グリーンの海の中から現れるアマゾネスのような野性味溢れる褐色の金髪美女。これはひとつのロマンです。男性の馬鹿げたロマンを映像に体現した瞬間、ひとつのファッションが生まれたのでした。

原作では、ハニー・ライダーは〝ヴィーナスの誕生〟風に裸で海から登場すると書かれていました。しかし、映画では裸体で登場するわけにはいかないので、ビキニを着せたのでした。

この作品によりビキニの歴史がはじまりました。本作公開後、ビキニは世界的なブームとなったのでした。

19歳のミシュリーヌ・ベルナルディーニによって、史上初のビキニ水着が一般公開された瞬間。

ちなみに史上最初のビキニは、1946年7月5日にフランスの公共プールでルイ・レアール(1897-1984)により発表されました。しかし、50年代、ビーチやプールでビキニを着ることは、まだまだタブーでした。

そして、本作により「ビキニ・レボリューション」のトリガーが引かれたのでした。

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ボンドガールの衣装を担当した美女

テッサ・プレンダーガスト(1928-2001)

テッサ・プレンダーガスト(1928-2001)。彼女はジャマイカ出身の女優として50年代に英国映画で活躍していました。ロンドンのナイトクラブ〝ピガール〟で踊っていたところをスカウトされ、女優としてのキャリアが始まりました。1955年、革命により亡命していたエジプト最後の王ファルークとの情事がスキャンダルになり、映画界から干されてしまいました。

1950年代末に、女優を引退し、母国ジャマイカに帰国し、アパレル会社を創設しました。そんな時、プロデューサーとの昔の縁で、本作のウルスラ・アンドレスの衣装を担当することになりました。

ビキニトップスは、ニューヨークのサックス・フィフス・アベニューで売られていたアンダーワイヤーブラから作られたものでした。テッサは、そのブラを3つ注文し、コットンで覆ってデザインを改良しました。ベルトは、ホワイトウェビングのアーミーベルトに真鍮の金具と鞘をつけたものです。

ちなみに撮影の二週間前に配役を得たウルスラがジャマイカに到着した時、まだビキニは完成していませんでした。

このビキニが私に成功を導いてくれました」とウルスラが述懐しているように、このビキニの存在が、007シリーズの定番の流れであるビキニ姿のボンドガールとのランデブーという定石を作り出したのでした。

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ボンドガールのファッション2

チャイナ服
  • ペールピンクのノースリーブチャイナドレス風のトップス
  • ピンクのチャイナ風スラックス
  • ピンクのフラット・サンダル

ジュースを天に掲げるポーズを取るチャイナ服を着たウルスラ。

チャイナ服の雰囲気が良く分かる写真。

とても日焼けしていることが分かる写真。

ブロンドヘアーにチャイナ・テイストはあまり似合わない。

3人のボンドガールに囲まれるショーン・コネリー。

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21世紀にこそ、ボンドガール・スタイルは相応しい。

初代ボンドと同じく初代ボンドガールを越えるボンドガールはなかなか現れませんでした。

裸に見えるヌードカラーのワンピース水着を着ているウルスラ。彼女は『007 カジノ・ロワイヤル』(1967)にも出演しました。

歴代のボンドガールは、その時代の女性のある一面の理想像を映し出す鏡でした。時に、やりすぎてしまうほどそのグラマーな存在感を世に示し、ミニマルの時代とその反動としてのブランドロゴ崇拝の時代を経て、アンチ・トレンドの個性の時代へと向かいつつある現代ファッションの流れにぴったりと合致する存在として現代女性たちに再評価されはじめています。

「あなたのお好きなボンドガールは、誰かしら?」「私はウルスラ・アンドレスよ。あなたは?」「私は、ジェーン・シーモアです。」のような会話が、自己紹介の後に成り立つ時代がやってくるのかもしれません。最新情報がリアルタイムで手に入る時代だからこそ、最新情報に振り回されることはバカバカしいと考える人々の新時代がはじまろうとしています。

過去のファッション・アイコンを参考に、自分だけのスタイルアイコンを見つけ、マイスタイルを創り上げていく創造の時代の到来。年齢を意識するよりも、自分の個性を楽しむことを意識する。ボンドガールは男性のためではなく、女性のためのアイコンなのです。

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映画がヒットするか確信を持てなかったため撮影された宣材写真




最後に、公開当時、低予算で作られたスパイ映画がヒットする確信を持てなかったプロデューサー達は、保険の意味も込めて、ウルスラの宣材写真に力を注ぎました。この三枚の写真は、今では、あまり日の目を見ることのないその時に撮影された宣材写真です。

作品データ

作品名:007/ドクター・ノオ Dr. No (1962)
監督:テレンス・ヤング
衣装:テッサ・プレンダー ガスト
出演者:ショーン・コネリー/ウルスラ・アンドレス/ジョセフ・ワイズマン/ユーニス・ゲイソン