庭園のフレグランス
Jardin Collection このコレクションからエルメスの香水帝国の歴史ははじまったと言っても過言ではありません。そして、その立役者がジャン=クロード・エレナでした。当時エルメスの香水部門の責任者だったヴェロニク・ゴティエと共に、2003年に創造した「地中海の庭」は、香りに言葉を与え、ものがたりを語らせたのでした。
この香り以降、〝香水は旅に出る〟ようになりました。そして、2004年にエレナはエルメスの初代専属調香師に就任し、合計5つの『庭園のフレグランス』を生み出していくことになるのでした。
それらの作品に共通しているのは、ある国にある素晴らしい庭園の香りを再現するのではなく、あるひとつの庭園のイメージをもとに、人々の心の中に〝やすらぎの庭〟を生み出してくれるところにあります。それはまるで〝香りが心のキャンバスに描き出す水彩画の庭〟のようです。
格別香水に興味のない人々の心にもストンと落ちる香水名と、省略された俳句の美学を思わせる香りの波紋により、香水初心者にとって最初に手に取りやすい定番の香りとして今も人気を誇り続けています。
そして、時が経ち、他の香りを知るようになり、忘れ去られていくのですが、その人が香水愛好家になったときに、ふと思い出され、その芸術性の高さを知るに至り、ずっと愛されるようになる〝出会い・別れ・再会の庭〟シリーズとも言われています。
エレナが自著の中で、色々な香水製造会社についてその特徴を列挙しているのですが、エルメスについての文章が、まさにエルメス(このコレクション)の本質を突いていてとても分かり易いです。「フランス的ラグジュアリーの頂点。モードのメゾンではなく・・・長持ちするものをつくる精神を忘れない」。
香りに言葉を与え、ものがたりを語らせた〝エルメスの庭〟
新しい創造とはいえない香水がつぎつぎと洪水のように現われ、似たような広告(しかもしばしば同じひとりのモデルが複数のブランドの顔になっている)が、うんざりするほど繰り返される。顧客は消費者として扱われるだけである。こうした状況では顧客は、香水に夢、アイデンティティー、快楽を見つけることができず、ほかの製品、ほかの夢の領域へと向かってしまう。
ジャン=クロード・エレナ
『庭園のフレグランス』の第一弾「地中海の庭」が発売される前のエルメスは、「カレーシュ」(1961)「ヴァンキャトル フォーブル」(1995)といった定番の香りは存在するものの売り上げは芳しくなく、シャネルの香水部門の1/10程度の売り上げしか上げる事が出来ていませんでした。
そして、シャネルが2001年に「ココ マドモアゼル」で莫大な利益を上げたことにより、エルメスはシャネルのように専属調香師を置くことを決定したのでした。
かくしてヴェロニク・ゴティエは、世界中の美しい庭園からインスピレーションを受け取る香りをエルメスの〝新しい香りの幕開け〟にしたいと考え、ジャン=クロード・エレナに調香を依頼したのでした。
ここでゴティエが凄かったのは、市場調査(=消費者テスト)を一切行わず、調香師に自由な環境を与え、香りを作らせたことでした。つまり、この瞬間、すっかり商業化していた〝香水産業〟が、エルメスのラグジュアリーなものづくりにより再び〝芸術の旅〟に出たのでした。
そして、2003年「地中海の庭」が発売され、香水に親和性を感じなかった人々に対しても強くアピールしたのでした。さらに、2005年に第二弾「ナイルの庭」が発売され、2019年には、二代目専属調香師のクリスティーヌ・ナジェルに継承され、第七弾まで発売されている人気シリーズとなり、今に至るのです。