レ パルファン ルイ ヴィトン
Les Parfums Louis Vuitton 1854年に創業したルイ・ヴィトンが、70年ぶりにフレグランス「レ パルファン ルイ ヴィトン」(7種類の香り)を、2016年9月に、専属の調香師ジャック・キャヴァリエの調香により発表しました。
すべての香りに、(二酸化炭素抽出法やレザー・インフュージョンをはじめとする)最上級の天然香料が使用されているこれらの香りは、全世界で一斉に発売されると同時に、世界中のルイ・ヴィトンを愛する人々のみならず、香水愛好家の間でも大いに話題となりました。
ルイ・ヴィトンの香りにはストーリーがあります。
私はルイ・ヴィトンの最初の7つの香りで、女性らしさを称える香りを創造したいと考えました。それは女性らしさを1つの香りに纏めるのではなく、7つの異なるストーリーによって、様々な女性らしさの側面を捉えることが出来たのでした。
新鮮な花の美しさをボトルに入れることは、私の脳裏に焼きついて離れない長年の夢でした。
ジャック・キャヴァリエ
ひとりの〝おんなの一生〟を〝香りの旅〟へと昇華させたこのコレクションは、「ローズ デ ヴァン」からはじまります。
「ローズ デ ヴァン」とは、〝人生の羅針盤〟の名の通り「人生の歩む道を指し示してくれる存在」には変わりないのですが、それは〝夢に向かって歩いていく〟ことと同じ意味ではないのかなと最近感じています。
ジャック少年が幼い頃に母から与えてもらった〝母の愛の香りの記憶=ローズウォーター〟。それは自分自身の歩む道を指し示してくれたものであり、自分の〝夢〟に向かう時にも心折れずにいつも母に見守られているようなお守りのような香りを生み出したかったのでは、と思っています。
「タービュランス」「ダン ラ ポー」「アポジェ」「コントロモワ」「マティエール ノワール」「ミル フー」の旅の流れがあるのですが、「マティエール ノワール」で人生の中の光と影を描き、歩みを止めなければ光り輝く道が開き「ミル フー」(千の輝き)に出会える。
その後に「ルジュール スレーヴ」夜明けの香りへと続き、〝夢をつかむ〟「アトラップ レーヴ」へと到達していくのですよね。
そして10作目の節目となる「クール バタン」によって、母のローズウォーターから紡がれた夢を持って人生の旅路で最愛の男性に出会い、恋から愛へ、そして家族を持つ。
11作目にして、いよいよルイ・ヴィトンのフレグランスの香りのストーリーは、約100年前から続いていた〝過去へのオマージュ〟として「ウール ダプサンス」へと導かれてゆきます。
元々、オマージュを捧げたオリジナルの「ウール ダプサンス」とは、自分らしさを解き放つ(第一次世界大戦直後に作成された香りだからこそ持つ香りのテーマ)、そんな〝解き放つ〟色であるミモザ=イエローを選んだ香りでした。
そして、新たなる前進がはじまるのです。ジャック自身がルイ・ヴィトンの香りを作るという〝とてつもない大きな挑戦〟に望んだとき〝光り輝く希望の香り〟として、アジアで出会った芳しい金木犀。この金木犀を使用し、〝新しい人生の躍進へとつながる香りの道〟として「エトワール フィラント」が誕生したのでした。金木犀はまるで手網のごとく咲く花の方へ導くように〝香りの道標〟となり、遠くから漂います。
ここまでフレグランスのストーリーが続いているコレクションもなかなか珍しい気がします。
さて、いよいよ「スペル オン ユー」が降臨するのですが、輪廻転生ではありませんが・・・なぜまた〝ローズとアイリスなのかしら?〟と私は最初思いました。しかし、それは自分の家族を持ち、新たな挑戦に日々邁進しているジャックが、原点回帰として、再び薔薇の香り=恋の香りとして、〝ローズウォーター〟を最高の形で蘇らせたのではないか?そんな集大成の香りなのかなと感じております。
私は自分のコレクションの中で何が一番好きかということは、正直、選べません、私には好みがないんです。妻は私の試作品をすべて身につけ、私の生き字引のような存在です。彼女が嫌いなものは?彼女は身につけません!それが私の手がかりです。彼女は「ローズ デ ヴァン」と「マティエール ノワール」をよく付けています。
ジャック・キャヴァリエ
2012年1月2日、ジャック・キャヴァリエが専属調香師に就任。
4年の製作期間は、この業界においてはごく普通の期間です。もっと短期間で開発する人もいますが、そのクリエーションも短期間で忘れ去られてしまうことが多いです。フレグランスとは時間をかけて熟成させていくものでなければならず、テストを繰り返しながら完成させる必要があります。今日においてラグジュアリーの持つ意味とは、物事を作り出す時間を取ることなのです。
ジャック・キャヴァリエ
ルイ・ヴィトンは、1946年以来のフレグランスを創造するために、2012年にふたつのことを決定していました。一つ目は、専属調香師。そして二つ目は、専用の畑と研究所を作ることでした。
すべては、2011年4月にルイ・ヴィトンに新設されたパルファン部門の責任者に、35歳のローレンス・セミチョンがパルファム・ジバンシイ(2000-2011)から移籍したときからはじまっていました(2019年9月にディプティックの副社長に就任)。
そして、2012年12月にルイ・ヴィトンのCEOに就任するマイケル・バークの忠告もあり、ブルガリで大いなる実績を生み出してきた、ジャック・キャヴァリエを専属調香師に起用することを2012年1月2日に発表したのでした。
ルイ・ヴィトンは〝旅〟のブランドであるということで、キャヴァリエは早速、新たなる香料とインスピレーションを求め、五大陸の旅に出かけたのでした。
当初、このコレクションは、2014年に発売する予定でプロジェクトは始動されました。しかし、キャヴァリエが中国旅行で受けた強烈なインスピレーションを反映させるために、スケジュールは変更されました。ちなみにこの中国旅行により、中国産のマグノリア、キンモクセイ、ジャスミン・サンバックの使用が決定したのでした。
このようにしてキャヴァリエは、ルイ・ヴィトンの香水を作るためのパレットを集めていったのでした。結果的に、2500ものノート(香調)を集めたパレットが誕生しました(一般的に調香師は400のノートでパレットを作ります)。そして、完全に極秘裏に調香は開始されたのでした。
『レ フォンテーヌ パルフュメ』
ルイ・ヴィトンのフレグランスが何よりも重要視していることは、グラースにアトリエを設置したことからも分かるように、天然香料を、通常のラグジュアリー・フレグランスでは使用しないほど大量に使用することです。
さらに天然香料の選択肢の豊富さと、1本の香りにかける破格のコストです。料理と同じで、同じ魚であっても、産地や鮮度が重要であるように、素材が最も重要なのです。そして、素材の良さを生かすため、たくさんの調味料を使用しないようにしています。
そしてもうひとつ重要なことは、市場調査を行わず、自由なクリエイションが出来るだけでなく、ルイ・ヴィトンがメゾンとして生み出しているすべてのものにアクセス出来る(革製品、オートクチュール、宝石など)ので、超一流のクリエイションから刺激を受けることが出来るということです。
ジャック・キャヴァリエ
一方で、南仏のグラースに、クリスチャン・ディオールと共同のフレグランス・アトリエ『レ フォンテーヌ パルフュメ』を創設しました。これは、1640年に建築され、1960年に閉鎖されていた歴史的な邸宅を、2013年に、超臨界二酸化炭素抽出法(超臨界CO2抽出法)の設備を含む最新のテクノロジーを導入して復活させたものでした。
さらにコート・ダジュールのガーデンデザインの大御所、ジャン・ムスがデザインした庭園が造られ、350種類もの希少な香料のもとになる世界中の柑橘類と花々が植えられました。
2016年9月、70年ぶりのルイ・ヴィトンの香りの誕生。
私は香水におけるユニセックスという概念を否定します。私の最初の7つのフレグランスは女性のためのものであり、明らかに女性的なフレグランスです。実際、私の妻が新しいフレグランスの最終的な審査員になっています。
しかし、最終的にどのフレグランスをつけたいかはお客様が決めることなのです。だから、女性が男性のフレグランスを身につけるのはもちろん、その逆でも構わないのです。
ジャック・キャヴァリエ
時は経ち、2016年春、パリのルイ・ヴィトン本社5階に95種類の商品化可能な香りがずらりと並べられていました。いよいよ商品化する最終決定の会議が行われるのでした。
出席者は、LVMHの総帥ベルナール・アルノー、ルイ・ヴィトンのCEOのマイケル・バーク、マネージング・ディレクターのデルフィーヌ・アルノー、パルファン部門の責任者だったローレンス・セミチョン、そしてジャック・キャヴァリエの5人でした。かくして、7作品が選抜されたのでした。
2016年7月初旬にルイ・ヴィトン本社の屋上にて、キャヴァリエと共に、この画期的な新作香水の発表会が開催されたのでした。そして、参加したジャーナリスト達は、8月末までイベントやコレクションの画像を一切公開できないという秘密保持契約にサインを求められたのでした。
2016年9月1日(日本は15日)、わずか一日の間に、一挙に7種類もの香水「レ パルファン ルイ ヴィトン」が、発売開始されました。ルイ・ヴィトンの香水は、正確には1980年に限定香水が販売されているので、36年ぶりなのですが、新作の発表ということにおいては、70年ぶりになります。
そして、販売にあたり、パリ、ロンドン、ソウル、ドバイ、東京が、最重要販売拠点に定められました。「真の女性らしさを身にまとう、見えないファッション」として、「レ パルファン ルイ ヴィトン」は、日本においては、当初、ルイ・ヴィトンの松屋銀座店と阪急梅田店の2Fの2店舗のみでの販売となりました。
初年度に6,000万〜8,000万ユーロの売上を上げることができると見積もっていました(シャネルやディオールの香水や化粧品は、年間約25億ユーロの売り上げがある)。
95の試作品の中から選ばれし7つの香り
はじまりは2012年年始のプレス発表からでした。それは〝ルイ・ヴィトンがフレグランス事業をスタートする〟という発表でした。そして、ルイ・ヴィトンの専属調香師に、22年間、フィルメニッヒ社を代表する調香師として活躍していたジャック・キャヴァリエが迎えられたのでした。
それから2016年まで沈黙の季節が始まります。もはや、夢幻の如くかと人々が感じ始めていましたそんな中、ルイ・ヴィトンの販売員に9月の香水販売が内示されたのは2016年6月(一般発表が販売直前の8月)のことでした。
一方、調香師のキャヴァリエは、95の試作品を完成していました。今回の香水のテーマは「旅」「レザー」「女性らしさ」。そこから、10以上の完成品を選び出し、更に厳選されたものが、最初に発表されたコレクションの7つの香りでした。
7種類の香水の販売を決めたのは私です。それは最愛の妻の「あなた、7という数字が好きじゃない」という一言が決め手になりました。そして、すべて、花々を賛美する香りとなっています。
ジャック・キャヴァリエ
天然原料からの香料の抽出は、通常、水蒸気蒸留法、溶剤抽出法により抽出されてきました。しかし、これらの方法により抽出された香料は、熱により香りが変化したり、抽出物より溶剤を除去する過程で、一部の香気成分が失われるといった問題点がありました。
そのためキャヴァリエは、フィルメニッヒ在籍当時より、自然な状態にかなり近い形で植物の精油を抽出できる低温での超臨界流体抽出を実現する二酸化炭素抽出法を使用していました。この方法を使うと素晴らしい香料が生産できます(ただし、膨大な生産コストがかかる方法)。
今まで乾燥材料(ホップ、スパイス、フルーツ果皮)にのみ実用化されていた二酸化炭素抽出法を、ルイ・ヴィトンは、新たに新鮮な花からも香料を抽出できるように開発し、グラース産のジャスミンとメイローズに使用したのでした(通常よりも更なる低温である25度を実現!)。こうして、史上はじめて、グラースで収穫したばかりの花々に対して、その日のうちに二酸化炭素抽出法が使われるようになったのでした。
「まるでそこに咲いているような再現性の高いグラース産メイローズとグラース産ジャスミンをどうしても表現したかった。それを表現することに成功した」=花の抽出法に二酸化炭素抽出法を用いることに、特許を取得したのでした。
さらに、〝門外不出の花々のエッセンス〟を、お客様が実際に手に取り、毎日スプレーをする度に、まるでグラースに咲く花々に囲まれるようにうっとり美しく香らせる為に、スプレーにまで特許取得した〝門外不出の魔法のスプレー〟を特別に使用しているのです。
マーク・ニューソンのボトル・デザイン
最後に、70年の眠りから覚めたルイ・ヴィトンの〝魔法の水〟を旅に出すボトルが必要でした。かくして、ボトルデザインは、オーストラリア人プロダクトデザイナーのマーク・ニューソンに依頼されたのでした。
マークがなぜこのボトルデザインにしたかについて、フレグランス・スペシャリスト様の生の解説をお聞きください。
そして、このミニマルなボトルデザインには、さらに二つの大きな特徴があります。
- 門外不出の魔法のスプレー
- スプレーのチューブ(管)が見えない構造(正確には、ゲランの「イディール」から)。このことにより、〝使用する人とジュースを隔てる壁が取り払われ、心に香りのイメージがストンと落ちやすくなる〟。
保管用のパッケージのデザインは、1928年に発売された香水「ジュ・チュ・イル」からインスパイアされたホワイトとゴールドの円筒型ものです。
ちなみに外箱のボックスは、ハードトランクをイメージしています。一般的にフレグランスのボックスは、縦のまま上蓋を開封すればすぐにボトルが出てくる構造のものが主流ですが、わざわざ横に倒して開封しなければいけないように作られています。
その理由は、『開封した瞬間からあなたのルイ・ヴィトン・フレグランスの旅が始まります』そんなメッセージが込められているからです。ルイ・ヴィトンの歴史の始まりであるハードトランクから着想を得たデザインになのです。
広告ビジュアルキャンペーンにはフランス人女優のレア・セドゥが起用され、ファッション・フォトグラファーのパトリック・デマルシェリエによって、南アフリカのサビータウンにあるローンクリークの滝で撮影されました。