ディプティック
Diptyque 1961年に3人の芸術家がパリのサンジェルマン通り34番地に〝小さなお店〟を創業した事から「ディプティック」の伝説ははじまります。世界中のオシャレな物を売るセレクトショップの奔りとも言えるこのお店が、当時、珍しかった香り付きのフレグランス・キャンドルを1963年に発売したことにより、ディプティックの「静かなる革命」がはじまったのでした。
1968年にはブランド初の香水「ロー」を誕生させました。香水をクリエイトしたのは3人の創業者のうちの一人デスモンド=ノックス・リットでした。英国人の彼は、画家であり、キャンパスに絵を描くように、自然の情景や、心の中の夢をボトルの中に投影していったのでした。
そして、1970年代にはスパイス・ボムのような「ロートル」や、世界初とも言えるお香の香り「ロートロワ」を生み出していきました。
その後、80年代に「ロンブル ダン ロー」「オレーヌ」により〝心の中の春や夏を呼び覚ます香り〟という、人々の心の中に自然に対する想いを呼び覚ます香りを生み出し、90年代にオリヴィア・ジャコベッティの登場により、ディプティックは栄光の道を突き進んでいくことになるのでした。
「フィロシコス」「タムダオ」「ドソン」の誕生です。そして、2006年にミリアム・バドーがクリエイティブ・ディレクターに就任し、ファブリス・ペルグランとオリヴィエ・ペシューとの連携と、豊富な資金力により、ディプティックはジョー マローン ロンドンと双璧を成す、お洒落な人が愛好している確率がかなり高い香水ブランドとして一目置かれる存在になったのでした。
代表作
ロー(1968)
ロンブル ダン ロー(1983)
フィロシコス(1996)
オイエド(2000)
タムダオ(2003)
ドソン(2005)
オーデュエル(2010)
オー ローズ(2012)
ベンジョワン ボエーム(2015)
フルール ドゥ ポー(2018)
1961年に小さな生地屋が誕生しました。
ジョー マローン ロンドンと双璧を成すファッションと美容に敏感な女性と男性が使っているイメージの高いディプティックは、どちらかというと香水に対する知識が高まるにつれ軽視されがちなブランドの一つです。
しかし、実際には、知識が高まるにつれ、このブランドの持つ、歴史の深さと、ひとつひとつの香水の世界観の広がりを感じることが出来る〝知れば知るほどその素晴らしさに驚かされ、夢中になる香水ブランド〟です。
カトリーヌ・ドヌーヴ、フランソワ・ミッテランをはじめとする多くのフランス人がそのキャンドルを愛し、ビヨンセ、ヴィクトリア・ベッカム、レブロン・ジェームズといったセレブをも虜にしてきたこのブランドの魅力の本質が、詳細に渡り語られることはほとんどありません。
だからこそこの記事は存在するのです。あなたがこの記事を読み終えた後には、ディプティックに対する愛がますます深まることでしょう。
ディプティックは、3人の芸術家によって、パリのセーヌ川左岸のサンジェルマン通り34番地に小さな生地屋としてはじまりました。パリ第7区、6区、5区を横切るサンジェルマン通りのモベール・ミュチュアリテ(近くにはあのサン・ジェルマン地区があるが、街の雰囲気はまったく正反対の工場や工房の集まる昔ながらの活気に満ちた住み良い街)のバーとランジェリーショップのあった場所に作られました。
はじまりは、画家のデスモンド=ノックス・リットとインテリア&テキスタイルデザイナーのクリスチャンヌ・ゴトロが、小さな生地屋をオープンしようとしていた時に、銀行員のキャリアを捨て舞台俳優兼マネージメントを手がけていたイヴ・クエロンに友人を介して紹介されたことからでした。
実務面に長けていたイヴの存在により、ディプティックは無事オープンすることが出来ました。そして、最初のクリスマスを迎えるために、2人が当時パリでは手に入らなかったギリシャやトルコを旅して持ち帰った宝物やアート作品をディスプレイしました。
それを見た人々が、肝心の生地ではなく、それらの商品を売ってくれないかと尋ねてくるようになったことから、ディプティックはセレクトショップの道を歩むようになりました。
そして、1962年には、宗教音楽やロック、バレエ音楽が流れる店内に、世界中から集められたおもちゃ、キャンドルスタンドやブランケットなど1,000種類ものハンドメイドのホームグッズを扱うようになっていました。その中には、(フランスでは無名だった)ローラ・アシュレイのカラフルな布地を用いたテーブルクロスなどもありました。
やがて、2人は、毎週末に、お店の外壁の色を思い思いの色に塗り替えていくようになりました。現在の赤紫色は、3人がついに到達した最後の色でした。
初代クリエイティブ・ディレクター、デスモンド=ノックス・リット
スコットランド系アイルランド人のデスモンド=ノックス・リットは、1993年に急死するまで、ディプティックのクリエイティブ・ディレクター的な立場に立ち、キャンドルと香水を、フラゴナールのセルジュ・カルギーヌをはじめとする数人の調香師と共に作り上げてゆきました。
オーブリー・ビアズリーや、ウィリアム・モリスの世界観を愛した彼は画家でもあり、ディプティックの有名なロゴとラベルデザインも全て手がけていました(そして、現在も人々に愛され続けている)。
ケルト地方の人里離れた農村で育ち、第二次世界大戦中にブレッチレイ・パークに置かれた政府暗号学校で働いた後、フランスに移住した彼のバックグラウンドは、ディプティックがフランス的なものの中に、異国情緒を見事に落とし込んでいるそのスタイルを紐解くポイントかもしれません。
最も謎の多い紅一点クリスチャンヌ・ゴトロ
3人の中で紅一点のクリスチャンヌ・ゴトロに関しては、いつ死去したかも知られていません(2005年のブランド買収時には生きていた)。
装飾系の美術学校を卒業し、テキスタイルとモザイクのデザイナー業の傍ら、ハンドメイドで帽子、服飾、タペストリー等を作りっていました。建築、美術史、伝統芸術に造詣が深かった彼女は、やがて数多くの注文を受けるようになり、ディプティック以外の仕事でも活躍していくようになりました(建築家のミッシェル・パンソーの依頼で、1992年のセヴィリア万国博におけるモロッコ館のパビリオンの装飾を手がけたりした)。
しかし、彼女のディプティックの香水に対する功績がどういったものなのか教えてくれる記事には出会いませんでした。
ディプティック王国を創った男イヴ・クエロン
3人の創業者の中で最も情報が多いのは、イヴ・クエロン(1926年-2013年)です。父がベトナムのトンキン地方にあったインドシナ銀行の法務部長だったこともあり、パリで生まれながら、幼少期をインドシナで過ごした彼は、帰国後、エコール・デュ・ルーヴルを卒業し、銀行の出納係の職を得ました。
そして、父親と同じ金融畑を歩き始めたその時に、顧客を通じて人気室内装飾家のポール・フレッシュと出会ったことから彼の人生は180度変わることになりました。
銀行を辞め、彼のアシスタントになり、舞台美術の世界に魅了されたイヴは、裏方(広報担当、ステージマネージャー)をしながら、役者として、12年間ヨーロッパ中の劇場を回りました。そして、ジャン=クロード・エレナが崇拝する作家ジャン・ジオノや歌手のモーリス・シュヴァリエ(オードリー・ヘプバーンの『昼下りの情事』でも有名)などと交流も持つようになりました。
そんな彼が友人を通じて2人を紹介され、それぞれの芸術的素養の高さにすっかり虜になり、ディプティックの実務的な役割を担うようになります。つまりは、イヴ・サンローランにおけるピエール・ベルジュのような役割です。
彼が居たからこそ、クリスチャンヌとデスモンドは、芸術的な作業に専念することが出来たのでした。そして、経済的に余裕のなかった三人が開店資金を手にすることが出来たのは、裕福なイヴの父の援助があればこそでした。
ディプティックの名の持つ意味
ディプティックというブランドは、(かつて暗号解読を英国政府のためにしていたデスモンドの影響により)大人の謎解きの側面を持つ興味深いブランドです。まず何よりも興味深いのがこのブランド名の意味です。
それはお店のドアが一つあり、両側にシンメトリーなショーウィンドーが2つあるところから、フランス語で「2枚折りの絵屏風」を意味する「ディプティック」と名づけられました。 元々は古代ギリシャの δίπτυχος(ディプティコ)に由来し、2つのパネルで構成される絵画または彫刻を指します。
オーバル(楕円形)のラベルは、1963年にデスモンド=ノックス・リットが制作した「プレトリアン」というテキスタイルのデザインがモチーフになっています。このデザインは、ローマ皇帝近衛兵の兵士の盾(プレトリアン)が描かれたものでした。
それは戦士ではなく盾をラベルにすることによって、平和の精神を愛するブランド・イメージとしたのでした。
1963年、初のフレグランス・キャンドルの誕生
さて、ディプティックの歴史を見てみましょう。1961年に生地屋として創業した2年後の1963年にはじめてキャンドルを製作しました。そのきっかけは、ワックス(蜜蝋)を扱うキャンドルメーカーだったジャン=クロード・ビュレンに、(当時としては非常に珍しい)香り付きのキャンドルの話を持ちかけられたからでした。
かつてアメリカに入植したヨーロッパからの移民が、ベイベリー(ヤマモモ)の実でキャンドルを作るようになり、このキャンドルは良い香りを放ちました。このヤマモモのキャンドルから着想を得たフレグランス・キャンドルは、当時としてはかなり斬新なものでした(特に安価なものは)。
かくして、同年、最初に生み出されたのが、テ(紅茶)、サンザシ、シナモンの三種類のキャンドルでした。デスモンドがお店の上階にあるアトリエで、パウダーやエッセンス、ハーブやスパイスなど様々な材料をすり鉢で練り、混ぜ合わせ生み出した力作でした。
1968年、ビックマックとディプティックの香水誕生
英国人のデスモンドは、英国の香水ブランドをすごく愛していました。そして、それらをフランスで広めたいと常々考えていました。1964年にフローリスやペンハリガンといったブランドがお店で販売されることになったのはそのためでした。
そして、1968年に、デスモンドはブランド初の香水を生み出したのでした。「ロー」の誕生です。この年、アメリカでは49セントのビッグマックが誕生し、パリでは五月革命が勃発しました。
カール・ラガーフェルドとジョン・ガリアーノ
1970年代から80年代にかけてディプティックはまだフランス限定で人気のあるキャンドル・ブランドでした。1983年に、シャネルのデザイナーに就任したばかりのカール・ラガーフェルドは、初のオートクチュールコレクションのための香りを探していました。
そして、ディプティックの本店を訪れフレグランス・キャンドル「ベ」に魅了されたのでした。すぐに大量に「ベ」を購入したラガーフェルドは、このキャンドルをシャネルの各ブティックのシグネチャー・セントとして置き、83年秋冬のファースト・コレクションのランウェイでも使用したのでした。
そして、1990年代には、ディプティックを愛好していたジョン・ガリアーノとコラボしたキャンドルとルームスプレーが誕生しました。両方ともオリヴィア・ジャコベッティにより調香されました。
女神オリヴィア・ジャコベッティ様
ディプティックの香水やキャンドルは限界を押し広げ、リスクを取り、世界で最も興味深いコレクションの一つとなっている。オリヴィア・ジャコベッティが1996年に調香した「フィロシコス」は、1990年代後半のイチジクブームの火付け役となりました。
「オード リエル」はただただ魅惑的で、「オレーヌ」は素晴らしいほど奇抜で、「ロンブル ダン ロー」は単に奇妙なだけでなく、とことんまで不快指数を振り切っています。市場調査ばかり気にして生み出された香りが氾濫する中、商業的ではない、近寄りがたい領域を断固として開拓し、それを見事に成し遂げました。
チャンドラー・バール(ニューヨーク・タイムズ)
1996年、「ディプティックの女神」とでも呼ぶべきオリヴィア・ジャコベッティ様が光臨しました。弱冠30歳の彼女が生み出した香りの名を「フィロシコス」と申します。1994年にラルチザンで生み出した世界初のイチジクの香り「プルミエ フィグエ」の対極に位置する香りです。
香水に必要なものはただこれだけ。それは神秘性(ミステリー)です。
オリヴィア・ジャコベッティ
飛ぶ鳥を落とす勢いのディプティック
1993年デスモンドが急死した後、イヴ・クエロンが香水のクリエイティブ・ディレクターになり、3人の共通の友人だったモハメド・ラタウイが1996年からマネージング・ディレクターに就任しました。そして、2005年2月にマンザニータ・キャピタル(GAPの創業者であるフィッシャー一族)に買収され、ブランドは飛躍することになりました。
かくして2006年のミリアム・バドーの登場と相成ります。1992年にアニック・グタールの下でフレグランスの世界に入ったミリアムは、ジャン・パトゥでジャン・ケルレオとジャン=ミシェル・デュリエと共に働き、ロシャスを経て、ディプティックのクリエイティブ・ディレクターとして雇われました。
アニックの口癖は、「ディプティックに行きなさい。世界最高のキャンドルが見られるわよ」でした。
ミリアム・バドー
1994年以降、ディプティックを愛好してきたという彼女に課せられた使命は2011年に迎える創業50周年までにブランディングに成功するということでした(彼女が全く日本とは関係のないメディアのインタビューで、世界で最も好きな町は、青山ですと答えていたのが興味深い)。
さらに、2007年より、イヴ・サンローラン・ボーテのパルファム部門での実績が買われ、ファビエンヌ・マニー(1963-)がマネージング・ディレクターに就任しました。
そして、2012年にはフレグランスのボトルデザインが、スクエアからオーバルにリニューアルされ、4年の歳月をかけて完成された砂時計型ディフューザー『Le Sablier(ル サブリエ)』も発売されました。ディフューザーを反転させると、ふたつのガラス製アンプルを繋ぐ芯にしみ込んだ香りがゆったりと広がるという斬新なデザインと発想により、大好評を得ています。
そして、満を持して、2013年12月に東京・青山に日本一号店となる旗艦店がオープンしたのでした。
完璧な香水と、心を動かす香水の違いは何でしょうか?それは気まぐれな天然香料と、完璧にコントロール出来る人工香料の絶妙なバランスの下で生み出される香水に、芸術的な感性を織り交ぜることによって、使用者に色々な解釈と感動を与えるところにあるのです。