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女優モード図鑑

オードリー・ヘプバーン

『マイ・フェア・レディ』Vol.4|レディにしあがるイライザのアイコニック・ドレス

『マイ・フェア・レディ』のハイライト・シーンであるアスコット競馬場のシーンは、あっと驚く変身を遂げたオードリー・ヘプバーン扮するイライザが登場する最も重要なシーンです。
オードリー・ヘプバーン

『マイ・フェア・レディ』Vol.3|オードリーが自分自身で歌いたかった「踊り明かそう」

『マイ・フェア・レディ』の中で最も有名な劇中歌である「踊り明かそう」。オードリー・ヘプバーン(1929-1993)は、本作に出演するにあたり、全ての歌を自分自身で歌おうと決めていました。そのため映画撮影に入る前から、5週間にわたって、ときには一日5,6時間もレッスンに集中していました。
オードリー・ヘプバーン

『マイ・フェア・レディ』Vol.2|レディに変身する寸前のオードリーとセシル・ビートン

本作の全ての衣装デザインと美術デザインを担当したのが、セシル・ビートン(1904-1980)という後にサーの称号を頂く事になる英国のファッション・フォトグラファーです。彼は188㎝の長身と共に映画俳優顔負けのダンディズムとチャームを兼ね備えていました。
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オードリー・ヘプバーン

『マイ・フェア・レディ』Vol.1|オードリーとハリウッドのユベール・ド・ジバンシィ

オードリーからの手紙を受け取り、1963年9月にハリウッドを訪れたジバンシィは、その壮大なる撮影風景を前にして、ただ一言「何ということだ!これだけでコレクションが6回は開けるぞ!」と圧倒されたのでした。
その他の男優たち

【アメリカン・ジゴロ】アルマーニとリチャード・ギアとローレン・ハットン

まだ無名だったジョルジオ・アルマーニがリチャード・ギアの全衣装を手がけ、アンコン・ジャケットと共に、〝男に<羨望>、女に<ためいき>〟〝瞬間をエンジョイする女性たちには、女の心を知る男《ジゴロ》がふさわしい〟というキャッチコピーに相応しい男を生み出すことに成功し、一気に世界的な知名度を手にしたのでした。
ファッション・モデル

『アメリカン・ジゴロ』Vol.9|ファッション・モデル界に革命を起こしたローレン・ハットン

1973年の終わりに、ローレン・ハットン(1943-)は、ファッション・モデル界に革命を起こしました。化粧品業界初の専属モデル契約をレブロンと交わしたのでした。チャールズ・レブソン率いるレブロンの最高級ラインであるアルティマⅡの専属モデルを1974年から2年間で40万ドルで引き受けたのでした。
ファッション・モデル

『アメリカン・ジゴロ』Vol.8|ローレン・ハットン、20世紀のヴォーグ史上最多の表紙を飾る!!

1966年11月号のアメリカ版『ヴォーグ』誌で、ローレン・ハットンははじめて表紙を飾りました。以後、アメリカ版『ヴォーグ』誌で27回、他の『ヴォーグ』誌で13回表紙を飾ることになります。そして、2017年11月号のヴォーグ・イタリアで、74歳のローレン・ハットンが再び表紙を飾りました。
ファッション・モデル

『アメリカン・ジゴロ』Vol.7|ローレン・ハットンとリチャード・アヴェドン

ローレン・ハットン(1943-)のファッション・モデルとしてのキャリアは、1964年にニューヨークのクリスチャン・ディオールのブティックで、週給50ドルでハウス・モデルとして雇用されることから始まりました。
ファッション・モデル

『アメリカン・ジゴロ』Vol.6|ローレン・ハットンとボッテガ・ヴェネタ

アルマーニのトレンチコートを着て登場するローレン・ハットン。ミステリアスな女性を引き立てるアイテムとしてのトレンチコート。そして、脇に抱えるのは、ボッテガ・ヴェネタのクラッチです。
ジェームズ・ボンド

【007 スカイフォール】ジェームズ・ボンドの愛で空が落ちてくる

前作『007 慰めの報酬』から4年ぶりの作品となる、007シリーズ23作目。六代目ジェームズ・ボンド、ダニエル・クレイグ(1968-)の第三弾となるこの作品は、44歳と、最も脂の乗り切った姿で、再びトム・フォードという最高の仕立て屋により、最初から出し惜しみなくボンドスーツで、スーパーアクションを見せてくれます。
ボンド ガール

『007 スカイフォール』Vol.7|新しいマネーペニー、ナオミ・ハリス

ボンド・ムービーと言えば恒例の〝それだけで並みの映画が5本は作れる〟オープニングアクションシーンから始まります。舞台はイスタンブール。ダニエル・クレイグ扮するジェームズ・ボンドはトム・フォードのスーツで登場します。そんなボンドをアシストするフィールド・エージェントとしてナオミ・ハリスが登場します。
ボンド ガール

『007 スカイフォール』Vol.6|東洋と西洋の血を引くベレニス・マーロウ

もう一人のボンドガール、ベレニス・マーロウ(1979-)は、カンボジア人と中国人のハーフの父親とフランス人の母親を持つエキゾチック美女です。10歳から18歳までピアニストとしての教育を受けており、絵画の腕もプロ並みの、芸術家肌の女優です。
マリリン・モンロー

【ナイアガラ】マリリン・モンロー、モンローウォークと共に現る。

マリリン・モンロー(1926-1962)は、本作『ナイアガラ』においてモンローウォークを誕生させました。そしてマリリン初のカラー映像と共に、同年に公開された『紳士は金髪がお好き』 『百万長者と結婚する方法』も大ヒットし、1953年は『マリリン・モンローの年』となったのでした。
その他の伝説の女優たち

『ナイアガラ』Vol.5|50年代アメリカン・ビューティー、ジーン・ピーターズ

実は私はこの作品を初めて見たとき、マリリン・モンローよりもジーン・ピーターズ(1926-2000)のファンになりました。彼女は『愛の泉』(1954)でも好演を見せていたのですが、これからという時に、大富豪ハワード・ヒューズと結婚し、映画界を引退してしまいました。
マリリン・モンロー

『ナイアガラ』Vol.4|21世紀に生き続けるマリリン・モンロー

多くの女性が、マリリン・モンローに惹き付けられるのは、不器用さにあるのだと思います。不器用だからこそ、ずっと同じヘアスタイルを続け、自分の創造を貫く。やがて、容貌の衰えや、蓄積した精神と肉体の疲労により、自滅していく。しかし、その勝ち取ったものの一部は芸術として日を追うごとに価値が高まるのです。
マリリン・モンロー

『ナイアガラ』Vol.3|マリリン・モンローの作られ方

マリリン・モンローに、ロングヘアのイメージはありません。死後60年以上経っても尚、世界中の女優やファッションモデルにとって憧れの存在として突き抜けています。その理由は、老いを見せないというスターの永遠の願望を叶えたことと、プラチナブロンドのボブをカールした、あのハリウッド・カールによってでした。
マリリン・モンロー

『ナイアガラ』Vol.2|マリリン・モンローとブリジット・バルドー

『素直な悪女』で、マリリン・モンローに匹敵する〝セックス・シンボル〟となったブリジット・バルドーは、この年10月、英国・ロンドンで開かれる年一回の大レセプションであるロイヤル・コマンド・パフォーマンスに招待され、エリザベス女王に拝謁することになりました。そして、マリリンとはじめて会うことになるのでした。
マリリン・モンロー

『ナイアガラ』Vol.1|マリリン・モンローとモンローウォーク

マリリン・モンローがスターダムに駆け上るきっかけとなった記念碑的作品。それが『ナイアガラ』です。この作品におけるマリリンは、まさに典型的な〝ブロンドヘアーのファム・ファタール〟を演じるのです。映画史上かつて存在しなかった〝時代を超越するセックスシンボル〟が誕生した瞬間でした。
オードリー・ヘプバーン

【噂の二人】オードリー・ヘプバーンの〝静の美学〟を感じる。

『ローマの休日』でオードリー・ヘプバーン(1929-1993)のイメージを作り上げたウイリアム・ワイラー監督が、再映画化したいと願っていたリリアン・ヘルマンの原作を、オードリーと『アパートの鍵貸します』で人気の絶頂にあったシャーリー・マクレーン(1934-)の競演により実現させた作品。
オードリー・ヘプバーン

『噂の二人』Vol.2|オードリー・ヘプバーンとシャーリー・マクレーン

シャーリー・マクレーンとオードリーの共通点は、バレエでした。踊れるということは、そのことにより、すでに見えないファッションに身を委ねているということ。シャーリー・マクレーン(1934-)がこの作品において際立っているのは、『アパートの鍵貸し...
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