オードリー・ヘプバーン

オードリー・ヘプバーン34 『マイ・フェア・レディ』2(2ページ)

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作品名:マイ・フェア・レディ My Fair Lady (1964)
監督:ジョージ・キューカー
衣装:セシル・ビートン
出演者:オードリー・ヘプバーン/レックス・ハリソン/ウィルフリッド・ハイド=ホワイト



タイムレスな名曲『踊り明かそう』



『マイ・フェア・レディ』の中で最も有名な劇中歌である「踊り明かそう」。オードリー・ヘプバーンは、本作に出演するにあたり、全ての歌を自分自身で歌おうと決めていました。そのため映画撮影に入る前から、5週間にわたって、ときには一日5,6時間もレッスンに集中していたのでした。しかし、結果的にはジョージ・キューカーの判断により、全ての歌が吹き替えられることになりました。その時の、オードリーの落胆振りは相当なものだったと言われています。

マーニ・ニクソン。「天使の歌声を持つハリウッドの声」と呼ばれた50年代から60年代のミュージカル全盛期のゴースト・シンガー。

オードリーの吹き替えを担当したのは『紳士は金髪がお好き』(1953)の中の「ダイアモンドは女の親友」のマリリン・モンローの高音パートや、『王様と私』(1956)のデボラ・カーの全ての歌、『ウエスト・サイド物語』(1961)のナタリー・ウッドの全ての歌の吹き替えをしていたマーニ・ニクソン(1930-2016)でした。つまり、今ではミュージカル・ソングのスタンダードとなっている「トゥナイト」や「シャル・ウィ・ダンス?」を本当に歌っているのは彼女だったのです。

長らくゴースト・シンガーとして彼女の名前はそれらの作品にクレジットされませんでした(1956年に、『王様と私』の吹き替えをした際に、20世紀フォックスから、「もし、デボラ・カーのゴースト・シンガーであることを他言したらハリウッドでは仕事出来なくしてやる」と脅されもしていました)。しかし、それは不公平なことだと感じていた親友のデボラ・カーの告白により、マーニ・ニクソンの名は知れ渡ることになりました。そして、『サウンド・オブ・ミュージック』(1965)でシスター・ソフィア役で「マリア」を歌い唯一のスクリーン・デビューを果たすことになります。

上の動画がオードリー自身の「踊り明かそう」で、下のものがマーニによるものです。



タイムレスなグリーンのジャンパースカート

本作中の、2つのアイコニック・スタイルのうちの1つです。

ジャンパースカートにはベルスリーブのブラウスがマッチします。

ピッカリング大佐(右端)を演じるウィルフリッド・ハイド=ホワイトの“どこか愛犬のような癒し系”な役割はとても重要です。

ヘアメイクを直してもらうオードリー。

スカートの広がりの優雅さが、生地の良さを伝えてくれます。

イライザ・ドゥーリトル・ルック7 グリーン・ジャンパースカート
  • グリーンジャンパースカート、プリーツスカート
  • 黒のサッシュベルト、ベルトの右前にパープルのコサージュ
  • 白のバルーンスリーブ、透けストライプ入りブラウス

オードリー・ヘプバーンの外見は、時代の精神を体現していて、それゆえに人々からおおいに称賛されていることは疑いの余地がない。

くりくりとした大きな目と、いくらか上向きの褐色の太い眉毛にまず惹きつけられる。オードリーの顔の造りは、美しさよりも個性を表している。鼻梁は細すぎて、鼻の長さを支えきれないかのように先が丸みを帯び、鼻翼はアヒルのくちばしのように見える。古典的な美の基準に照らし合わせれば、口は横に大きすぎ、唇の下のくぼみは深すぎる、と言えるだろう。繊細なあごの先は小さく、誇張されたような広めの顎の骨とは対照的だ。

客観的に見れば、顔の輪郭はおそらく四角いということになるだろう。だが、彼女は直感的、本能的に首をかしげるので、溌剌とした非対称性が浮かび上がってくる。彼女はモディリアーニの肖像画に似て、さまざまな歪みそれ自体が興味深いというだけでなく、それらによって完璧な造形美を創りあげる。

セシル・ビートン

撮影が始まるまで、セシル・ビートンと監督のジョージ・キューカーは、知的教養の高さと、お互いの性的趣向がホモセクシャルということもあり、意気投合していました。そして、オードリーの衣装に対してキューカーはセシルに〝純真で愛らしく、でも上品過ぎないように〟という指示を出していました。

口論するキューカーとセシル。

そして、1963年5月18日、セシルは本作のためのデザイン画をまとめた画集を持参し、オードリーに会います。この時、デザイン画を見るや、20着もの〝衣装をすべて着てパレードしたい〟とオードリーは歓喜し、後日セシルは撮影中の彼女を勝手に連れ出し、劇中では着用しない衣装を身に着けさせて写真に撮り、それをメディアに勝手に提供してしまうようになりました。そのことに対して、キューカーは異議を唱え、キューカーとセシルの確執は修復不可能な状態になりました。そして、そんなセシルの製作中の身勝手な振る舞いに対して、ジャック・ワーナーからセットへの立ち入りを禁じられるようになりました。

世間周知のごとく、彼と私のあいだはごたついた。ビートンほどの才人がなぜあんなに・・・根性が狭いのか、よくわからない。映画作りにおいては誰もがチームの一員なのだということが受け入れがたかったようだ。

ジョージ・キューカー




セシル・ビートンの栄光。

ベッドルームの壁紙に注目!ウィリアム・モリスです。

夢見心地の表情をするオードリーの美しさは、30代になっても妖精でした。

実に精密な作りのネグリジェ。黄色いリボンが実に可愛らしい。

イライザ・ドゥーリトル・ルック8 夢見るネグリジェ
  • 白地のネグリジェ、黄色のリボン

物心ついて以来、いつも美人になりたいと思っていました。そして、撮っていただいた写真を昨晩眺めていたら、ほんの一瞬ですが、自分は美人だと思いました。あなたのおかげです。

オードリー・ヘプバーン

本作のためにセシル・ビートンがデザインした衣装を数え上げると、実に1086点にも達します。そして、そのデザインから実際に250着の衣装が製作されました。更にエキストラの人数も、女性2000人と男性1500人が集められ、そのためにアシスタント・デザイナーが17人、メイクアップ・アーティストが26人、ヘアドレッサーが35人招聘されたのでした。結果的にセシル・ビートンは、1964年アカデミー賞において衣装デザイン賞(カラー映画部門)と美術賞(カラー映画部門)の二冠を獲得することになりました。

私の名はセシル・ビートン。

ビートンは、本作の5年後に、ココ・シャネル(1883-1971)を主役に描いたブロードウェイのミュージカル『ココ』(1969)のためにキャサリン・ヘプバーンの衣装を担当する。シャネルが存命中だったので、衣装をシャネル自身が担当するのかと期待されたが、高齢のため、ビートンが担当することになりました。そして、見事トニー賞の衣装デザイン賞に輝き、キャサリンがこれほど魅力的で美しかったことはないとまで噂されました。

シャネル自身の強い希望でキャサリンが選ばれたのですが、衣装デザインのスケッチの段階からキャサリンとセシルはそりが合いませんでした。もっともセシルの日記によれば、シャネルは主役を演じるのは若い方のヘプバーン(オードリーのこと)だと思っていたという。「彼女は演技するために生まれてきた女だ。寛容さ、暖かいハート、優雅さ、そしてカメラの前以外は笑いだってない。ガルボは笑顔などなくても〝魔法〟があった。ケイトは〝努力〟好きなヤンキーだ。どうぞ二度と彼女と顔を合わすことがないように」という一文で『ココ』に関するセシルの日記は締めくくられています。

衣装デザインの世界において数々の栄光を勝ち取ったセシルにとっての生涯の夢は親友であり唯一愛した異性の女性グレタ・ガルボの衣装を手がけることでした。1948年引退同然だったガルボに、ハプスブルグ家の悲劇のヒロイン、エリザベート女王の映画化の企画を持ち込んだり、『桜の園』のラーヌフスカヤ夫人役で舞台を実現しようとしたこともありました。が、肝心のガルボ自身が既に演技をする情熱を失っていました。セシルは、1980年1月17日死にました。生涯独身を通した彼の巨大なロココ調のベッドの上の壁には、はじめてガルボと出逢った1932年に、彼女から贈られた一輪の黄色のバラの押し花が美しい銀の額に入れられ飾られていました。



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