【アメリカン・ジゴロ】
American Gigolo 1976年に『タクシー・ドライバー』の脚本で一躍脚光を浴びることになったポール・シュレイダー(1946-、脚本家デビュー作は1974年の高倉健主演作『ザ・ヤクザ』だった)は、1979年に監督として『ハードコアの夜』を撮り、それまで一般の人々には未知の世界だったポルノ業界と売春をとことんまで掘り下げました。
この作品が完成した後、シュレイダーは、男娼をテーマに、火傷しそうなほどホットなテーマで映画を撮りたいと考えていました。当初『サタデー・ナイト・フィーバー』(1977)で人気の絶頂にあったジョン・トラボルタで企画されていたのですが、シュレイダーの最初からの希望とおり、まだ無名だったリチャード・ギア(1949-)が主役のジゴロを演じることになりました。
狂騒の80年代の到来を告げるように、ジョルジオ・モロダーが作曲を手掛け、ブロンディが〝Colour me your colour, baby(私を染めて、あなたの色に~)〟と歌う、ディスコ調の主題歌「コール・ミー」が全米・全英ヒットNo.1を記録しました。
更に、まだ無名だったジョルジオ・アルマーニがリチャード・ギアの全衣装を手がけ、アンコン・ジャケットと共に、〝男に<羨望>、女に<ためいき>〟〝瞬間をエンジョイする女性たちには、女の心を知る男《ジゴロ》がふさわしい〟というキャッチコピーに相応しい男を生み出すことに成功し、一気に世界的な知名度を手にしたのでした。
そして忘れてはいけないのが、70年代を代表するスーパーモデル、ローレン・ハットン(1943-)の存在です。70年代のアメリカのモード界を象徴する彼女が、この作品に現れたからこそ、この作品は、不滅のファッション・ムービーになり得たのでした。
1979年2月中旬から1979年4月中旬にかけて撮影は行われました。最後にこの作品に、アルマーニのファッションが見事に乗っかかることが出来た功労者として『ラスト・エンペラー』(1987年)でアカデミー美術賞を受賞することになるイタリア人のアート・ディレクター、フェルディナンド・スカルフィオッティ(1941-1994、若き日にルキノ・ヴィスコンティに寵愛され『ベニスに死す』の撮影にも参加していた)を忘れてはならないでしょう。この作品の根底にはイタリアの魂があるのです。
あらすじ
ジュリアン・ケイ(リチャード・ギア)は、ロサンゼルスで大富豪の有閑マダムたちを相手に、一回で1000ドルを手にする売れっ子のジゴロ(男娼)として、何不自由ない生活を謳歌しています。彼の自宅は、プール付きの高級マンションであり、メルセデス・ベンツ450SLを所有し、部屋には、美術品と一流ブランドのワードローブが綺麗に整理整頓されています。
ある日、ジュリアンは、イタリア生まれの身寄りのない彼を一流のジゴロに育て上げてくれたエスコート・エージェントのアン(ニーナ・ヴァン・パラント)の仕事でビバリーヒルズホテルを訪れました。そして一仕事終えた後、ホテルのポロラウンジで、カリフォルニア州上院議員の妻ミシェル・スタットン(ローレン・ハットン)と出会い、お互いに惹かれ合うものを感じました。
翌日、仕事の内容は良くないが、ギャラの良いポン引きのレオン(ビル・デューク)から引き受けた仕事の後、その時の客だった婦人が殺害されたことを知り、不吉な予感を感じるジュリアンだったが、ミシェルと再会し、二人は関係を持つようになりました。
一方で、先の殺人事件で、ロサンゼルス市警の刑事サンデイ(ヘクター・エリゾンド)はジュリアンを第一容疑者として特定し、接近します。殺人事件の夜、ジュリアンは、お客であるさる富豪夫人と一緒にいたが、彼女は結婚生活を守るためにジュリアンのアリバイを証明することを拒否しました。
アルマーニのスーツを着て、ベンツに乗り、肉体を鍛え上げ、どれだけ美しかろうとも所詮は、女性に肉体を売ってお金を得ている寄生虫に過ぎないことを知るジュリアン。さらに彼は、レオンに罠にかけられたことを知り絶望し、結果的にレオンをアパートのバルコニーから転落死させてしまいました。
そして、刑務所に入れられたジュリアンは、過去の顧客からもエスコート・エージェントからも見捨てられる中、ミシェルだけは、自分の結婚生活を犠牲にしてまで、偽証してジュリアンを救おうとしていることを知るのでした。
ファッション・シーンに与えた影響
『アメリカン・ジゴロ』は、アルマーニで働く社員にとって、聖書のような映画と言えます。この作品を皆様100回以上は繰り返し見ていることでしょう。そして、映画の中で、生き証人のように、リチャード・ギアが実証している、アルマーニのワードローブが生み出す軽やかな身のこなしを確認することにより、アルマーニというファッション・デザイナーの哲学の普遍性を再認識することになるのです。
フォーマルウェアとカジュアルウェアの垣根を取り払うのではなく、フォーマルの精神を大切に守りつつ、カジュアルな要素を組み込み、逆もまた真なりの姿勢で、21世紀に主流となるラグジュアリー・カジュアルの預言者的な役割をこの作品で果たすことになりました。
この作品が、ファッション・シーンに与えた影響は、途方もなく大きいのですが、特に以下の四点が挙げられます。
- ジョルジオ・アルマーニの誕生=エレガントの定義のアップデイト
- アンコン・ジャケットが史上初めて映画に現れた瞬間
- グレージュの洗礼。アースカラーと軽やかな素材感の繊細な組み合わせの教科書
- ボッテガ・ヴェネタのローレン・バッグ
ジョン・トラボルタにより導かれたジョルジオ・アルマーニのハリウッド・デビューにより、奇しくもトラボルタが一大トレンドにまで押し上げたディスコ・ファッションのあらゆる特徴(大きなラペルやベルボトム、ハイウエスト、ホワイトスーツ)は、過去のものとなり、一気に洗練されたスタイルへとメンズ・ファッションは移行することになりました。
ジョルジオ・アルマーニは本作以降、翌1981年に、マイケル・マン監督作『ザ・クラッカー/真夜中のアウトロー』のジェームズ・カーン、1982年に『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』のミッキー・ローク、1984年に『ストリート・オブ・ファイヤー』、1987年に『アンタッチャブル』、1989年に『バットマン』、2008年に『ダークナイト』のクリスチャン・ベール、2009年の『イングロリアス・バスターズ』のブラッド・ピットなど、挙げればきりのないほど、映画とのコラボレーションを続けていくことになりました。
ラグジュアリー・ファッションと映画の結びつきに目を付けた、史上初めてのファッション・デザイナーはジョルジオ・アルマーニであると言っても、過言ではないでしょう。
作品データ
作品名:アメリカン・ジゴロ American Gigolo (1980)
監督:ポール・シュレイダー
衣装:ジョルジオ・アルマーニ
出演者:リチャード・ギア/ローレン・ハットン/ニーナ・ヴァン・パラント
- 【アメリカン・ジゴロ】アルマーニとリチャード・ギアとローレン・ハットン
- 『アメリカン・ジゴロ』Vol.1|リチャード・ギアとジョルジオ・アルマーニの革命
- 『アメリカン・ジゴロ』Vol.2|リチャード・ギアとアルマーニのアンコン・ジャケット
- 『アメリカン・ジゴロ』Vol.3|カルティエのタンク・アメリカンを愛用するジュリアン・ケイ
- 『アメリカン・ジゴロ』Vol.4|映画がメンズ・ファッションの流行を作る時代のはじまり
- 『アメリカン・ジゴロ』Vol.5|アルマーニ革命とは何だったのか?
- 『アメリカン・ジゴロ』Vol.6|ローレン・ハットンとボッテガ・ヴェネタ
- 『アメリカン・ジゴロ』Vol.7|ローレン・ハットンとリチャード・アヴェドン
- 『アメリカン・ジゴロ』Vol.8|ローレン・ハットン、ヴォーグ史上最多の表紙を飾る!!
- 『アメリカン・ジゴロ』Vol.9|ファッション・モデル界に革命を起こしたローレン・ハットン